第四章 言葉は消えても契約は残る ⑤
その世界で生き残るために、ルンは必死に足掻いた。強化指定の商品に、その年に発売された新商品、成績に反映されやすい商品を積極的に売り込んだ。今は必要なくても、いつかきっとこの人の役に立つ。そう信じて、支店仕込みの営業スクリプトを器用に使い分けて売上を伸ばしていき、一年目にして全国五位の成績を挙げて表彰もされた。
飛ぶ鳥を落とす勢いが陰ったのは、三年目の春先のこと。二〇年来の客だという独居老人の契約見直しをして、高齢者向けの年金保険に切り替えさせた矢先、親族から本社に名指しで詐欺に遭ったとクレームを入れられ、解約されてしまった。
本社からは訓告処分を受けたが、それ自体が大きな痛手となることはなかった。いつも厳しい支店長からも「切り替えて頑張れ」とだけ励まされた。
だが、その日からルンの成績は下降の一途を辿った。必死に数字を追いかけていく中で、保険を通じて契約者を守りたいという初心を見失っていたことに気づかされたルンに、これまでのような営業はできなかった。
三年目が終わろうとしていた二月の末、システム開発を担う子会社への出向を命じられて、営業の現場から離れることになった。学生の頃から培ってきたIT知識を活かしてほしい、との支店長からのお言葉だったが、見限られたことは容易に察しがついた。訓告を受けてから一向に成績は好転せず、挙げ句同じ支店に配属された大学の後輩に成績で負けたことで見限られ、ルンの営業マンとしてのキャリアは終わったのだった。
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「いてっ……」
ソファから転げ落ちて、曖昧な夢の世界からの帰還を果たしたルンは、窓外の慌ただしさに頭痛を覚え、顔を顰めた。
「あ、ルンさん!」
外出から帰ってきたトーナとセリアルが駆け寄ってきて、ルンは重たい上体を起こす。
「すごい騒ぎになってるよ」
「何かあったの?」
「隣の街の兵隊と貴族が、この街に来てるみたいです。兵隊の偉い人が、自衛団の事務所に押しかけてるらしくて……」
隣の街の兵隊と自衛団の事務所が結びつかず、首を傾げる。二日酔いの頭を咎めるかのようにりゅーのすけとりゅーこに背中を小突かれ、ルンは逃げるように立ち上がった。
「よく分かんないけど、とりあえず事務所に行こうか」
元々、今日は団員向けの保険説明会を予定していたから、どうせ事務所には行かなければならなかったのだ。状況を知るにはちょうど良い。
いつものスーツに着替えたルンは、トーナと二人、事務所へ向かった。セリアルは魔術学院へ登校し、りゅーのすけとりゅーこは留守番だ。
外円の自衛団事務所までは、徒歩で二〇分程度。その道中で漏れ聞こえてきた市井の人々の噂話は、存外に物騒な内容だった。
曰く、反乱軍が攻めてきただとか、外国と戦争が始まっただとか、果ては魔王が現れただとか……荒唐無稽な話ばかりが聞こえてきて、すれ違う顔見知りの住人がそんな根も葉もない噂を垂れ流しているのが、どうにも不愉快だった。
「隣の街って、クラウさん達が行ってるところかな?」
隣を歩くトーナが、不意にそんな問いを投げかけた。
「それはないよ」
不安を滲ませるトーナの横顔を見咎めたルンは、それを拭うように答えた。
「あいつらが負けたりなんてしないでしょ」
「そうだよね」
「そう。一等団員がみんな出払ってるから、応援を呼びに来たとかじゃないかな?」
この周辺でヴィンジアほどに人口の多い街は存在しない。クラウ達が出張しているメリディエスという街ですら、ヴィンジアの一割にも満たない人口にして、この一帯では二番目に大きな都市なのだ。当然、それだけ人口に差があれば団員の数にも大きな隔たりはある。一等団員でなくても応援を要請されるのは、特段珍しいことでもないのだ。
やがて事務所が見えてくると、その様子は傍目に見ても分かるほど異様だった。帝国軍の藤黄色の旗がいくつも風に靡き、その下では槍と盾を引っ提げた屈強な兵士が何十人と整列している。まるでこれから戦争が始まりそうな物々しい空気に、ルンとトーナは一度足を止めるが、やがて事務所の玄関から飛び出してきた受付嬢が、二人を見るなり表情を明るくして、声をかけた。
「る、ルンさん、トーナさん! 良かった、来てください!」
希望を見つけたとばかりの表情から、ひっ迫した声で手招きする受付嬢。どうしたことかと思いつつ、二人で帝国軍の兵士達の間をすり抜け、玄関に向かう。
「何があったんですか?」
「詳しい話は奥で。街の人に聞かれるわけにいかないみたいで……」
受付嬢がトーナの問いをはぐらかして、玄関を開ける。いつもの受付と、併設される食堂。そこでは顔馴染みの団員が一〇人ほど、暗い顔を俯かせている。それに大柄な帝国軍の兵士が向き合うという、意味不明な構図が出来上がっていた。
「さぁ、どうだ? 報酬は一億。街を救い、巨万の富を手に入れようという者は、ここには居らんのか?」
上品なひげを蓄えた臙脂のジャケット姿の男は、何とも威圧的で挑発的な言葉を団員達に投げかける。自衛団は帝国軍の下部組織ではないのだから、そんな態度を取られる謂れはないのだがと、内心ルンは苛立つ。
「あの、将軍。先ほどお話ししたうちの一組です」
受付嬢は三歩ほど離れた位置から、ひげの将軍に声をかけた。両脇でロングソードを差す護衛の二人とともに、ルンの方へ向き直った将軍は、高圧的な目つきでルン達を値踏みするように睨み、そしてふん、と不満そうに鼻を鳴らした。
「一人は子供ではないか。これがこの街で今一番の団員だというのか?」
「実力はクラウさんやオルガンティノさんも認めています。このお二人なら、メリディエスの奪還も叶うはずです」
「ちょっと、話が見えてこないんだけど」
将軍と受付嬢のやり取りに、トーナが割り込んだ。
「メリディエスってクラウさん達が行った街でしょ。その奪還って、どういうこと?」
「言葉の通りだ」
将軍はまた威圧的に応じて、トーナを見下ろす。
「昨日、メリディエスがエルフに襲われた。街は陥落し、今もエルフが居座っている。これを討伐してほしいのだ」
「クラウさん達は?」
「さあな。我々は市民の護送を行っていたから、詳しい戦況については知らん」
シレっと答えた高慢な将軍に、今度はルンが聞き咎めた。
「何でお前らは戦わなかったんだ?」
「何だと?」
「街が襲われたんだろ。何でお前らだけ逃げてきてるんだよ? クラウ達に加勢して戦うのが兵士の役目だろ」
「我々の使命は外国の敵から市民を守ることだ。魔族討伐はお前達自衛団の仕事。我々が戦う道理はない」
そういう棲み分けなのは知っている。だが、それは飽くまで平時の話のはずだ。街が危機的な状況なのに、それに目を背けて逃げてくるのは、少なくとも生前世界の価値観では、軍人のすることではない。
「だったら、その市民はどこにいる?」
憤るルンは、なおも将軍に噛みついた。
「メリディエスの人口は二〇万人だろ。そいつらどこにいるんだ? お前ら、貴族だけ連れて逃げてきて、平民は見捨てたんじゃないのか?」
この帝国の兵士がどういう連中か、ルンはよく知っている。上流階層の住む街だけを警護し、そこに入り込んだ平民に暴力を振るい、ゴミ箱に捨てる。平民の住む街に蔓延るゴロツキを取り締まることはなく、街の治安は守ってくれない。
そんな奴らが、人口の大半を占める平民を気に掛けるか。そんなはずはない。現にこの街に、そんな大人数が逃げ込んだ気配はないのだから。