《第三話》(2)

   *


「──っていうことが最近あってさ」

「なるほどですねー」

 ここ最近におけるりつの猛烈な『猫攻め』について、昼休みにこまさんへと話してみた。

「ぶっちゃけ、それはせんぱいが悪いですよ」

「うっ……。やっぱそうかぁ」

「ですです。そうまでして猫を飼いたいって思っているのなら、それをんであげるのが夫としての度量ってやつじゃないですか?」

「度量……」

 器とか度量とか、そういう単語に男は弱い。目に見えないモノのサイズにこだわってしまうというか、プライドってモノの根っこがここにつながっているというか。

 俺はりつの作った弁当に目を落とす。ついでにこまさんも俺の弁当をのぞく。

 さも当然のように、猫尽くしのキャラクター弁当がそこにはあった。

「めちゃわいいですねー。この猫ちゃんお弁当」

「ありがとう。うれしいよ」

「せんぱいが食べるとわいさ半減ですけどね」

「何でそんなこと言うの?」

 まあ俺くらいのとしでキャラ弁を食べるというのは中々ないとは思うけど……。

 弁当の中の猫形おにぎりは、カレーの時と同じくわいく顔が描かれている。

 今更だがりつは絵がい。更に大体の芸術的才能にあふれている──俺には無いものだ。

「ま……こうまでアピールされてるわけだし、俺が譲るのが全部丸く収まるよね。ところでさ、こまさんは犬と猫どっち派?」

「あたしは──」

 こまさんが俺の弁当と俺の顔を交互に見る。二択を選ぶのにその行動は必要だろうか?

「──犬ですね、やっぱり。人類の友といえば犬ですよ!」

「おっ、分かってるじゃないか。いいよな、犬!」

「鳥はいいぞ」

 同志となった俺達の間へ割り込むようにして、中年のおっさんが現れた。

「うわ。何すか部長。そういう第三の選択肢とか今要らないんで」

「部長さんは鳥派なんです?」

「ああ。脱走されると二度と回収出来ないであろうリスクを差し引いても、鳥はいいぞ」

「リスクがデカすぎる……」

「確かに、あたしみたいな独り身は鳥が丁度いいかもですねー。犬や猫だと、どうしても世話に掛かりっきりになりますし。出社中は気が気じゃなくなっちゃうかも」

「でも俺は犬か猫が飼いたいんで、鳥は最初からナシっすよ」

「だろうな。その弁当を見れば状況は察するに余りある。ではそんな悩める部下に、上司として一つ助言を授けてやろう」

 戦局分析や戦況判断に比べれば、社内の部下の管理ぐらい造作もないのだろう。

 部長がどこまで話を察したのかは不明だが、少なくとも部長から手渡されたコピー用紙を見た瞬間、俺の中に新たな選択肢が発生したことは確かだった。


「おかえり、ろうくん!」

 帰宅すると、嫁の頭部に猫耳が生えていた。それだけは事実だった。

「……。ただいま。似合うな、それ。わいいよ」

 正確性を加味して述べるのなら、猫耳形のカチューシャだろう。どこで調達したのか、もしかして最初から持っていたのか、もろもろ不明だが俺は先手を打ってわいさを断言しておいた。

 わいいというのは本心だ。りつの銀髪に猫耳はよく映える。俺は語尾に『にゃ』こそハマらないが、猫耳となった嫁にはハマるタイプらしい。新たな己の一面を見付けた気がする。

「あ、これ? なんかね……生えてきたの。急に」

「マジか。耳鼻科行く?」

 ドうそをやめろォ……!!

 猫攻めもとうとう来るところまで来たのか、りつ自身が猫になる路線へ入ったようだ。じゃあ次はもう俺が猫にされるのではないのかとすら思うが、しかし俺は考える。

 やっぱりこう……俺は男なわけで。攻められてばかりだとフラストレーションがまる。昔から守りに入るよりは攻め入る方が得意だった、ってのもあるが。

 。俺は通勤カバンをその辺にぶん投げて、ネクタイを少し緩めた。

「しかし──本当にわいいな」

「でしょ~。猫はかわいいからね!」

「いいや、わいいのはりつ自身だよ」

 歯の浮くようなセリフだが、先に述べたように本心なので問題ない。俺はきょとんとしているりつへ詰め寄って、その小さな顔を両手で包み込むようにして触れた。

 さらさらもちもちとしている。なめらかに指が滑るのに、吸い付いて離れない。少しだけ力を込めて頰を指の腹で押すと、ぷにっと指が沈むと同時に少しだけ抵抗で押し返される。

「ちょ、ちょっと、ろうくん?」

 ようやくりつが違和感を覚え始めた。俺はさながら巧緻な陶芸品を確かめるような手付きで、りつの頰や顎のライン、首下を指でで続ける。

 そう、これが俺の結婚記念日までに打ち立てた『準備』──名付けて『(そのうち童貞を捨てるために)りつと一歩ずつ距離をもっと縮めていこう作戦』である!!

 といっても別に強引に迫るわけではない。あくまで日常生活範囲内で、これまでよりかは多少積極的にりつへ触れていくだけだ。無論りつが嫌がったらすぐにやめるつもりだし、受け入れたのなら行けるところまで行くという、フレキシブルな内容となっている。

「く、くすぐったいんだけど! それに手付きがちょっと、えっちぃような……」

「オレハ ネコヲ ナデテイルダケ」

「ウソが下手すぎてロボみたいになってる……」

 こうも顔をベタベタと触られれば、普通は嫌がるだろう。化粧をしている女性ならば特にそうであろうが、しかし俺達は夫婦である。りつは家ではほぼすっぴんだし、そもそもそんなに嫌ではないのか、困惑はしても抵抗はしない。

 徐々に触れる指が熱を感じ取ってきた。りつが赤面したのだ。なるほど、人間は赤面した時にこうも温かくなるものなのか。りつは基礎体温が高いのか、とてもぽかぽかしている。

「オレハ ネコヲ ナデテイルダケ……ナデテイルダケ……ネコヲ……」

「ろうくん、あの──」

 りつの瞳が潤んでいる。俺は性感帯とかそういった事情にまるでうといが、しかし同じ部位をひたすら触られ、でられれば嫌でも肉体は反応してしまうのではないか。

 わいい、というよりも愛おしい。愛しているのだから当然だ。猫耳があろうとなかろうと、りつの顔を見つめながら触れるだけで、こうも鼓動が激しくなる。

 俺はぷっくりとした桜色の唇へ、人差し指を一本わせた。そろそろ乾燥する季節で、ガサつき始めた俺のそれとはまるで違う。実りたての果実みたいにみずみずしい。肌とはまた違うその質感は、普段からキスで触れ合っているはずなのだが、改めて指ででたことなどなかった。

りつ──」

 奪ってしまおう。俺はもう半歩、りつへと肉薄する──

 ガブッ。

「ぐああああああ──────────ッッッ!!」

「フシャーッ!!」

 ──まれた。割とバックリと。愛らしい子猫ちゃんかと思ったら山猫だった。

むなよ!!」

「は? 猫もむ生き物ですけど? 犬みたいに」

「でもここは、せめて一回──」

「うるさーい! まだ手洗いうがいもしてないでしょうが!」

「あっ、確かに……」

 そらむわ……。りつの真っ当な指摘に、俺は返す言葉もなかった。むしろここまでよく許してくれたものだと、りつの優しさに感動すら覚えた。

「ごはんの準備するから、さっさとしなさい!」

 耳まで赤くしているりつは、そう言ってきびすかえす。

 生えてきたらしい猫耳だけが、むしろ自然な色合いを保っていた。


 夕食後。俺は手に部長から渡されたコピー用紙を持って、ソファに座るりつへ声を掛けた。

りつ。ちょっと話が──って」

 夕食中もずっと猫耳だったりつの頭部は、今度は犬耳に変化していた。俺が用紙を取りに部屋へ戻った間に替えたのだろうか。っていうか何でそんな耳ばっか持ってるんだ……?

「あ、これ? なんかね……今生え変わったの。急に」

「もう耳鼻科程度では対応出来ないかもな……」

「ところで話ってなあに?」

「あー、いや。猫か犬飼うって話なんだけどさ」

 俺はコピー用紙をりつへと渡す。すぐにりつはそれを読み上げた。

「保護動物譲渡会のご案内──」

 保護動物。主に人間の都合で捨てられたり、飼うことが出来なくなった動物を、どこかの団体が一時的に保護している。譲渡会はそれらの動物を譲る、すなわち里親を広く募るための会だ。

 保護動物のメリット・デメリットは色々あるだろうが、とりあえずメリットの一つを挙げるとするなら、譲渡は通常ペットショップで購入するよりも安価で行われるということだ。

 別段、俺やりつはブリーダーが育てた血統書付きのゆいしよ正しい犬や猫が欲しいわけではない。

 その上で、俺達が犬か猫で争っている最大の理由は予算だった。なので──

「会社の部長が何か色々俺達のことを察しててさ。『予算だけが問題なら、どっちも飼えばいいだけだろう』って。確かに、犬か猫かで決着つかないなら、いっそのこと両方──」

「こんなことってあるんだ……」

「え?」

 何やらりつが驚いた表情を見せる。「ちょっと待ってて」と言って、りつは小走りで自室へと戻り、すぐに帰ってきた。その手にはやはり一枚のコピー用紙が。

「保護動物譲渡会のご案内──って、俺のと同じやつか、これ?」

「えと……実はね、最近のことをよしに相談したの。そしたら『自分の都合ばかり旦那に押し付けるな』って、𠮟られちゃって。確かに、ろうくんのことを全然考えてなかったなって。ごめんね、ろうくん。最近、猫猫してて……」

 猫猫してるって何……? と思ったが、ニュアンスは理解出来た。

「なるほど。いや、俺も悪かったよ。りつが猫猫してるのを、あえてスカしてたからさ。まあ、さっきはその、思うまままわしましたけども」

「うん。だからね。付けたの……犬耳」

「それはちょっと意味がよく分からん……」

 猫猫した猫攻めの激しさを反省した結果が犬耳らしい。さんがどうやらりつに部長と同じようなアドバイスをしたらしく、要は『どっちも飼えば?』って話のようだ。

「今週末に譲渡会があるから、二人で行ってみようか。ただ、別に両方絶対飼うってわけじゃなくて、よく考えて決めよう。俺は犬派だけど、りつが猫を飼いたいなら猫でもいい」

「そうだね。わたしは猫派だけど、ろうくんが犬を飼いたいなら犬でもいいよ」

 動物を飼うということは、その一生に責任を持つということだ。自分が犬好きだから、猫好きだからって、じゃあその両方を満たすためにどちらも飼う、というのは人間の都合が良すぎるというものだろう。だから、二人で本当に飼いたいと思った子を飼おう、もしそれが犬と猫の両方なら、どちらも飼うというだけだ。

 夫婦間で価値観が一致しないのならば、どうするか? 単純な話だと俺は思う。

 否定や不寛容ではなく、互いに理解し、許容し、あるいは共有すればいいのである。

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