《第三話》(1)

「猫だよ!!!」

「いや犬」

「猫! ねーこ!!」

「いや……犬ッ」

 価値観の一致というものは、結婚生活において非常に大事である。一致する部分が多ければ多いほど、人間は仲むつまじくなるものだ。事実、俺達はほとんどの価値観が似通っている。

 が、夫婦といえど同じ人間ではない。どうしてもズレることがある。

 そして、いわゆる派閥のあるモノの最たる例──恐らく『きのこ・たけのこ』と同じぐらい、いにしえより我々人間に議論を巻き起こしたカテゴリ。すなわち──

「飼うなら絶対に猫だってば!!」

「いや……犬ッッッ」

 ──『犬派・猫派』論争である!!

 断言しておくが、そこに優劣はない。犬には犬の、猫には猫の魅力がある。ただ、りつは猫の魅力に取りかれており、そして俺は犬の魅力に取りかれているだけだ。

 切っ掛けは、以前包丁を買いに出掛けた時のショッピングモールだ。そこで俺達はふらりとペットコーナーを眺めた。りつは子猫に、俺は子犬にときめいた。本来ならそこで終わる、うたかたの夢みたいな胸のときめきのはずだった。誤算があるとするなら、それは。

『ウチってさ、ペットOKだよね』

 という、りつの一言だった。住居探しの際に、俺達はペットOKの物件を探していたのだ。

 しかし思ったよりもその日が早く来てしまった。俺とりつがモメる日が……。

「猫はいいよ? 静かだし、あんまり手が掛からないし、なによりわいいし!」

「犬はいいぞ。飼い主に忠実だし、常に寄り添ってくれるし、何よりわいいからな」

 飼うこと自体に異論はない。ただ、予算の関係上、飼えるのは一匹までだ。

「「…………」」

 しばし、俺達は見つめ合った。にらったとも言えるが、夫婦なので見つめ合った。

 ソファに腰掛けている俺の膝に、りつは無言でごろんと頭を乗せる。

「ね~え、ろうくん♡」

「なんだい、りつ?」

「愛してる♡」

 ぐに俺を見上げながら、りつは指でつんつんと脇腹をつついて甘えて来た。甘えて……いやこれはおねだりだろう。俺をオトそうとしているのは火を見るより明らか。

「俺もだよ、りつ

 なので俺は膝上のりつに顔を寄せて、前髪をげ額にキスをした。

「……あはは♡」

「ふふっ」

 お互いにやや薄っぺらいほほみ。りつはぐりんと背を向けるように寝返りをうつ。

「チッ」

「おい」

 露骨に舌打ちしやがった……。これでコロッと翻意するなら、そもそも犬猫でここまでモメないだろうに。でも、俺だって犬を飼いたいのだ。一人でなく、りつと。

「──まあ、しばらくこのお題は封印で。追々考えていこう」

「そだね~。ろうくんとケンカしたくないし。わたしが勝つから……(暗黒微笑)」

「言ったそばからけんを売るな……!!」

「売ってませ~ん」

 また寝返りをうって、今度は俺の腹筋にぐりぐりとりつは顔を押し付けていた。何やらくぐもった声がする。俺はぽんぽんとりつの頭を軽くでた。

「……っつ!!」

 腹筋の一部、りつの唇が当たる辺りがやたら熱を持つ。されていた。


   *


 問題を無期限先送りし、この犬猫論争は一時的な解決を見せた……かに思えたのだが。

「ろうくん、今日はデザートあるよ。カップアイス! のチョコ!」

「お、マジか。いいね」

「今食べる~?」

「そうだな。んじゃ食べるよ」

 食後、机の上にりつがコトリとそれを置く。どうやらカップアイスらしい。

 カップ表面にはわいい猫のイラストが描かれ、側面には『あいびよう元気』とデカデカと宣伝文句をうたい、そのフレーバーというと『ゴージャスまぐろ味』とある。

 どう見ても猫用のカップアイスねこかんっすねえ、これねえ。キンキンに冷えてますねえ。

「……りつさん」

「あっ! ごっめ~ん、間違えちゃった! はい、こっちね!」

 今度は普通のカップアイスが置かれた。そそくさとりつは猫缶を回収する。

「……ゆくゆくは必要になるからね……」

 俺に背を向け、ぼそりとそう(聞こえるように)つぶやく。

 無言で俺はアイスをスプーンで掘り返す。なるほどね、と。そう来たか、と。

(外堀から埋めて来やがった……!!)

 思えば、俺とりつは長らく《落とし羽》を巡って争い合っていた。その中で、お互いがお互いに敗北している。しかし、どちらもその敗北で心が折れたことは一度もない。

 何が言いたいかというと──俺とりつは非常に諦めが悪い、ということだ。


「ただいまー」

 仕事から帰って、玄関の扉を開き、ほっと一息つく。自分の家の匂いって、どうしてこうも落ち着くのだろうか。ああ今日も一日疲れた……と、俺はふと靴箱の上に目をやる。

(小物が増えてる……)

 それも猫をモチーフにしたやつがチラホラと。ここも外堀の一つですかりつさん。

「おかえり、ろうくん!」

「ただいま。なあ、りつ。これ」

「かわいいでしょ?」

「お、おう」

 玄関先までやって来たりつは、にっこり笑っている。きたいことは色々あるのだが、わいいという結論を最初に突き付けられてしまったので何も言えない。まあわいいけどさ……。

「今日はカレーにしたよ~。ろうくんカレー好きだもんね!」

「好きだなぁ。りつの作るカレーは特に」

「ありがと!」

 これは別にお世辞でも何でもない。自分でもカレーぐらいなら作れるが、りつが作るものは自分のそれよりも何倍もしい。きっとアレンジしながら作っているからだろう。

 ことり、とカレー皿が目の前に置かれる。俺はごくりと息をんだ。

(飯が猫形に盛られてる……)

 白米が猫の顔のように成形され、更にはで目と鼻とヒゲがデコられていた。26歳が晩飯で食うにしてはあまりにもファンシーでキュートであることは間違いない。

「い、いただきます」

「いただきまーす」

 りつの料理は幾度となく食べているが、こういうキャラクター料理? みたいなのはこれまで見たことがない。ここもりつからすれば攻め時なのだろう。俺は具材に目をやる。

(ジャガイモもにんじんも猫形にカットしてる……)

 手間掛かっただろこれ。自分でやるって考えたら面倒過ぎて嫌気が差すレベルだぞ。

「な、何かすごいな、今日のカレー。努力の跡が見え隠れするっていうか」

「かわいいでしょ?」

「お、おう」

 事実、子供は絶対に喜ぶ見た目だとは思う。俺は子供じゃないが。

 あえて俺は色々と触れずに、「うまい」とだけ伝えて全部頂いた。おかわりもした。


 食後、俺は洗い物を済ませ、りつと二人でのんびりとバラエティ番組をていた。

 その番組が終わりかけの頃合いで、りつがソファから立ち上がる。

「そろそろお沸かしてくるにゃ」

「ん。ん……?」

 聞き間違いか? いや、聞き間違いだろう。俺がちょっと神経質になっているに違いない。

「どっちから先入る~?」

りつからでいいよ」

「りょーかいにゃ」

「…………」

 いや、まだ聞き間違えた可能性がある。「了解な」と返事した可能性がある。了解の後に『な』を付ける意味は分からないが、じゃあ『にゃ』を付けるかっていうと付けないだろう。

 つまり俺の耳がバグったんじゃないのか? そっちの可能性に賭けよう。

「んー、眠くなってきちゃった。そろそろ寝よっか~」

「だな」

 0時を回ったくらいのタイミングで、りつが眠そうに伸びをした。

「じゃ、ろうくん。おやすみにゃさい」

「え? 今んだよね?」

 三流芸人のしょうもないイジりみたいに、俺はりつの言葉尻を捉えた。

 申し訳ないが三度目はない。から今に至るまでりつのそれは一切にゃり、もとい、鳴りを潜めていたから、ガチで俺の聞き間違いだったと処理していたのに。

 俺が何を言いたいのか、りつはどうやら察したらしく、「あっ」と声を上げた。

「もしかして、またわたし『にゃ』って言ってた?」

「俺の聞き間違いじゃないのなら、さっきから何回か……」

「そっか~。これ癖なんだよね──子供の時からの」

 ドうそをつくな……!! どんな癖だよ……!!

「当時の動画とか残ってないのか? せめて証拠として……」

「ないと思うなぁ。でもさ」

 りつはその場でくるりとターンして、猫の手を作ってポーズを決めた。

「かわいいでしょ?」

「お前それ言うと俺はもう黙ると思ってないか?」

 俺が思わぬ反撃に出たのが意外だったのか、りつはそれこそ猫のように目を丸くした。

「…………。ちゅっ♡」

「おい」

 が、再攻撃なのか誤魔化しなのか、りつは俺に投げキッスをして、そのままそそくさと自室の中に消えていってしまった。逃げ足も猫のごとくであろう……。

「ふーっ……。まあわいかったけど」

 大きく俺は息を吐く。わいいのはわいいが、俺は語尾に『にゃ』を付けるようなキャラクターにはハマらないタイプだとも思った。だって本物の猫は語尾に『にゃ』って付けないし。

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