《第三話》(3)

 譲渡会は意外と多くの人間でにぎわっていた。少し見渡しただけで、犬や猫というポピュラーなものから、部長推しの鳥や蛇やトカゲなどのちゆうるい、果てはか昆虫や魚まで居た。

 ただ、最初に会場へ入る際に渡された注意書きいわく、「ください」と言って「どうぞ」とはいかないらしい。里親側の身分証の提示はもちろんのこと、住居や経済状況、家族構成まで事細かに伝えねばならない。その上で面談を行い、向こうがOKと判断して初めて、譲渡成立となる。

「結構煩雑っていうか、しっかりしてるっていうか……」

「単に動物を渡したいわけじゃなくて、『里親』だもんね。保護団体の人達は、保護している動物には幸せになってもらいたいだろうから。そのくらいきちんと判断してくれる方がいいんだよ、きっと。わたしはこれでいいと思うな」

「違いない」

 ここはそもそも、『何か動物が安く手に入る』っていう感覚で来るべきではないのだろう。そういう側面があったとはいえ、やはり動物を飼うということ、保護動物を引き受けるということには大きな責任が伴うのだ。俺は一つ深呼吸して、自分の考えをリセットした。

「そんなに硬い表情をされなくても、大丈夫ですよ」

「え?」

「そうだよ、ろうくん。この子達も緊張しちゃうよ、そんな顔したら」

 保護団体の方が朗らかに話し掛けてきた。40代くらいの御婦人だ。

 団体の方が俺とりつの手に視線を移す。指輪をどうやら確認したらしい。

「ご夫婦ですか。まだお若いでしょう? 保護動物に興味がおありで?」

「ええ、そうですね。色々ありまして……」

「け、決してその、お金だとか犬猫でもめたとかではないのでっ!」

 どうして自白するんだい? と思ったが、団体の方はほほみ、フォローしてくれた。

「どんな理由でも結局のところ、興味を持たれないということが、この子たちにとっては最も悲しいことなので。来てくれるだけでもありがたいわ」

 保護動物というと、めちゃくちゃヘビーな過去があって、そのせいで大体は人間不信に陥っているようなイメージだった。しかし、過去のほどは不明だが、会場に居るほとんどの動物達は人間に慣れており、えたり暴れたりするような子はごく僅かだ。

「……どの子もかわいいね。犬も猫も関係ないよ」

「だな。多分、ある程度人間に慣れさせた上で連れて来てるんだ」

『あ~っせぇにゃ』

「まあニオイは仕方ないけどな。そこは我慢しないと」

「え? あ、うん。そうだね」

『マジ獣臭くてたまらんにゃここはァ! 鼻曲がるにゃァ!!』

「もしアレならマスクするか、りつ? 使い捨てのやつ俺持ってるから」

「……? いらないけど? どうしたの、ろうくん?」

「え? でも今、ニオイが気になるって言ってなかったか?」

「ううん、全然」

 首を横に振るりつ。猫を見ているからか、幼少期からの癖(笑)である『にゃ』口調が出ていたのかと思ったのだが。疲れてんのかな、俺……。

 りつは犬猫問わずに、色々な子達と触れ合っている。俺はそれを眺めつつ、奥の方にあるケージに目をやる。不自然なまでに、そのケージだけが離されていた。

「あの、すみません。向こうにあるケージですが。あれは一体?」

「やっぱり気になっちゃいますか? んー、でもあの子はちょっと、性格が激しくて。本当は連れて来る予定もなかったんですけど、あまりにも連れてけって暴れるものだから」

「どんな子なのかな? ……わ。ボンベイじゃないですか、この子?」

「あら。よくご存知ですね」

「ボ、ボンベ?」

 猫種の一つなのだろう。りつがボンベイと呼んだケージ内の猫を、俺も確かめてみる。

「おお……結構カッコいいな」

 ボンベイを一言で評するなら、小さいくろひよう……と言ったところか。黒い体毛は短く、光沢があり、しなやかな四肢には程よく筋肉が付いている。尻尾は一本線のようにピンとしていた。

『ジロジロ見てんじゃねえにゃ! 見せもんにゃうど!?』

「!?」

「でも、ボンベイってかなり希少というか、日本ではあまり見ない品種ですよね? 失礼なこと言っちゃいますけど、こういう場所には合わないような……」

「え、ちょ、今」

「でしょう? それが不思議なことに、私達もどういう経緯でこの子を保護したのか、誰も覚えていないのよ。気付いたらウチに紛れ込んでいたというか……」

 俺の耳がバグった可能性を再び疑うことになるとは。聞き間違い、あるいは幻聴の類ならいいが、でも直感的にそうではないと俺は思った。間違いなくこのボンベイ、しやべったぞ……!

「結構ケージ内で暴れちゃってますねえ。やんちゃな子なのかな?」

「そうですね……やんちゃで済めば良いのだけれど。見た目や猫種は良くても、本当に気性が荒くて、これまでこの子を見た方は皆敬遠しちゃっているから」

『出せにゃ!! こっからぁ!! にゃん権侵害にゃあ!!』

「何だよにゃん権って……」

 思わず俺はツッコミを入れてしまう。その瞬間、ボンベイは暴れ叫ぶのをやめて、じっと俺の方を見つめてくる。団体の方とりつも同じく俺を見ていた。

「ろうくん、にゃん権って?」

「ふふふ。ユニークな旦那様ですね?」

「…………。いやー、ははは。狭いところに閉じ込められちゃってんのが可哀かわいそうで、つい奇妙なことを口走っちゃいましたよ。にゃん権! プリチ~な響きですよね?」

 こいつの声は、俺にしか聞こえていないらしい。理由は……全く分からないが。

「良かったら、直接見てみますか? 今丁度落ち着いたみたいだし……この子、おなかの方にがあって、わいいんですよ」

「なっ……! 《痣持ちブルーズ》……!?」

祝福ブレス》を持つ者、すなわち《痣持ちブルーズ》の特徴の一つとして。

 身体からだのいずこかに、というものがある。まさか、この猫──

「ちょっと、ろうくん! さっきからどうしたの?」

「いや、今羽根形のあざって」

「羽根みたいな形をした白い毛並みでしょ? あざじゃないよ。そもそも、猫だし」

 りつの言う通り、《祝福ブレス》は人間が扱うものだ。猫がそれを持っているなんて話は、十年前から現在までまるで聞いたことがない。ただ、この言語を操る(?)現象に、最も分かりやすい理屈を付けるとするなら、このボンベイが《祝福ブレス》を持っているということなのだが。

『ほぉ~う? おまえ、わがはいの声が聞こえる人間にゃ? あー、久々にそういう人間に出会えてうれしいにゃ。人間が大量発生するような場所なら、どうにか見付かると思ってたけど、予想通りにゃ。わがはいは天才にゃ。ワンチャンつかんだにゃ──ネコチャンなのに』

 団体の方の腕に抱かれたまま、そのボンベイが語ってくる。「にゃあにゃあ言ってる~」とりつが顔を綻ばせ、「言ってますね~」と団体の方が肯定するので、恐らく俺以外にはにゃあにゃあ言っているようにしか見えないのだろう。

 あえて俺は無視をした。コイツは……面倒事のような気がする。

『単刀直入に言うにゃ。おまえ、わがはいを逃がすにゃ』

「ほら、見てください。このおなかのところ」

「きゃー、かわいい! ボンベイって黒単色なのに、珍しいですね!」

「そうでしょう? もしかしたら、この子はミックスなのかも。血統書とかはないから、確かなことは全く分からないんですけど」

『飯をくれるのは助かったけど、こいつらはわがはいの自由をはばんできてうぜぇにゃ。お前、わがはいを逃がすか、それかわがはいをにゃんかいい感じに飯くれて自由にさせてくれる安全な場所に連れてけにゃ。犬猿の仲の対義語知ってるにゃ? 猫人ねこんちゆの仲にゃ』

 めっちゃよくしやべるなコイツ……。何だよ猫人ねこんちゆの仲って……。

 俺は猫を無視するが、あまりにも態度が露骨過ぎたのか、猫がドスのいた声で告げる。

『わがはいの言うことが聞けないのなら──この場にいる人間をみにゃ殺しにするにゃ』

「……! どういうことだ」

『返事は「にゃー」か「にゃあ」にゃ。さあ、どうするにゃ?』

(どっちがどっちなんだよ……)

 単なる脅し、とは俺には思えなかった。もし本当にこの猫が《痣持ちブルーズ》なら、猫ならざる戦闘力を持っているのかもしれない。それが大暴れしたとなれば、ただでは済まないだろう。

 俺はごくりと唾を飲み、「にゃあ」とだけ返した。ふ、と猫はいきをつく。

『……交渉は決裂にゃ……』

(どうしろってんだ)

「痛っ! ……ああっ!」

 団体の方が大きな声を上げる。どうやら猫が彼女の手をみ、痛がった隙に腕から抜け出したようだ。しなやかに着地した猫は、そのままだつ──もとい、脱猫の逃走。

『にゃははははは! もうこうにゃっては手遅れにゃ! にゃったらァ!!』

「誰か! その子を捕まえてーっ!」

 小さいくろひようという見た目はではないのだろう。あの猫はかなり動けるタイプのようだ。

 俺はりつに目配せをした。こくりとりつうなずく。

「わたしが追い込むから、ろうくんはサポートよろしく!」

「了解」

 武器になるものは手元にない。せいぜい財布とボディバッグ、スマホぐらいか。あの猫がもし《祝福ブレス》を使ったのなら──最悪、戦闘も避けられないだろう。

『立てよ獣ども!! 人間にゃんかクソザコダンゴムシにゃ! シバいたれ!!』

 朗らかな空気が満ちていた会場は一転、あの猫が他の動物達の足元を駆け抜け、更にはせんどうをしているのか、次々と他の動物も暴れ出す。騒音だけで地獄絵図みたいになってきた。

『この隙にわがはいは新天地を目指すにゃ! てめーだけの力でにゃあ!!』

 猫は一直線に会場の出入り口へと向かう。猫らしいスピードだ。

「こらっ! みんなに迷惑かけちゃダメでしょ!」

『にゃ……ッ!? え? にゃんで先回りされてるにゃ?』

 しかし、出入り口ではりつが仁王立ちしていた。驚いた猫は足を止める。コイツの疑問にあえて答えるのなら、りつの方がお前より単純に『速い』からだ。

(会場にいる大体の人間は混乱してるから、誰も俺達を見ていない)

 やりやすいと言えばやりやすい状況だろう。りつと猫がたいしているが、俺はその背後からゆっくりと猫へと近付いた。同じく、りつもじりじりと猫へ距離を詰めていく。

「ね、大丈夫だよ~。怖いことしないから、こっちへおいで~?」

『こいつ、わがはいより速く動いたにゃ? それってかなり怖いことじゃないですかね?』

(突然普通にしやべるな)

『ここは一つ、策を弄するとしますかにゃ……』

 猫はその場に座り込み、ペロペロと前足をめている。一見すると落ち着いたように見える。

 が、他ならぬ本人……本猫が『策』と言ったのだ。

「わあ、いい子いい子。ほら、こっちに──」

りつ! わなだ!」

「え?」

『ふんにゃァ!!』

「わわっ」

 だまされたりつがしゃがみ込み、手を伸ばすが、猫がここぞとばかりに前足をはらう。

 りつは寸前に手を引いてそれを回避したものの、体勢を崩して尻餅をついてしまった。

『これも避けるとは、にゃんにゃんすかこのメス人間……まあいいにゃ! じゃあにゃ!』

 猫は大きく跳躍し、りつを飛び越える。なので俺も同時に跳んで、猫に空中から迫った。

「おい」

『にゃ……?』

 武器はないが、になるものはある。俺はボディバッグからマスクを取り出し、空中で猫の両前脚にゴムひもを引っ掛けた。手錠、というよりもあしかせと言うべきか。いきなり宙空で拘束された猫は着地してもすぐには動けず、当惑する。

 俺も着地し、動けない猫の首根っこをつかんだ。そのまま猫に顔を寄せて小声で話す。

『お、おまえ……! わがはいににゃにを……!? こっわ……』

「質問に答えろ。お前は《祝福ブレス》を持っているのか?」

『はぁ? 《祝福ブレス》ってにゃんすか? おまえ頭マタタビかにゃ?』

「……。どうして俺とだけ会話が成り立つんだ」

『こっちがきたいにゃ。どうしてたまに、わがはいの声が聞こえる人間がいるんだにゃ? おまえも見た目と違ってそういう人間なのかにゃ?』

「どういう人間なんだよ。見た目に何の関連がある」

『あーもう知らんにゃ! ギブギブ! わがはいの負けでいいにゃ! はい解散!』

 生意気な猫だな……。きたいことはまだあったが、すなぼこりを払いながらりつがやって来たので、俺は一旦猫への尋問を中断することにした。ついでに拘束具のマスクも外してやる。

「さっすがろうくん! アクロバティックだったよ~」

「……誰も見てないだろうからな。にしても、随分と頭のい猫らしい」

「だね~。もうっ、こんなことしちゃダメだからね?」

『はいはいすんませんしたァ ニャッキュー』

「ふふっ。ごめんなさいって鳴いたみたい」

(恐らく猫的に相当ひどい罵倒語を吐いたと思うぞ……)

 俺とこの猫が会話可能であることに、りつはまだ気付いていないようだ。ちゃんと話せば理解は得られるだろうが──しかし、あえて言うこともないだろう。俺だって何かの冗談だと思いたいし、そもそもコイツとはもうこれっきりだ。

 俺達は団体の方、つまり例の御婦人に猫を返す。かなりの感謝の言葉を述べられた。

 騒動がどうにか落ち着いた頃合いで、俺は改めてりつへと切り出した。

「さて、じゃあ改めて見て回るか。個人的には次に犬を見てみたい」

「そ、そうだね!」


   *


『おう、オス人間! 今日からわがはいに尽くしていいにゃ』

 数日後、家に帰るとソファの上で例のボンベイが寝転がっていた。

 急に現れた──わけではない。ちゃんとした手続きを得た上でやって来た。

 結局、あの後色々見て回ったが、俺はピンと来た子が居なかった。一方でりつはこの黒猫が最も気に入ったようで、二人で相談した結果引き取ることになったのだ。

 ぶっちゃけ俺は思うところがあるが……まあ、りつが喜んでいるのでもういいや。

「かわいいよ~。すぐウチにんでくれたみたい!」

「みたいだな……」

「あ、そろそろこの子のごはんの時間だ。用意しなくちゃ!」

 パタパタとりつが台所の方へと向かう。俺は猫の横に座り、顔を見ずに小声でつぶやく。

「おい。先に言っておくが、問題だけは起こすなよ」

『問題ってにゃに? いい感じに飯くれて自由にさせてくれる安全な場所が見つかったから、わがはいは文句にゃしにゃ。あのメス人間はわがはいに従順だし、おまえもそうしろにゃ』

 犬は飼い主を主人と定め、猫は下僕と定める、みたいな話は聞いたことがあるが、いざしやべる猫を相手にするとそれが事実であると実感する。こいつが特に生意気なだけだろうか。

「この家に居る限り、俺とりつがお前の飼い主だ。それはわきまえておけ」

『ニャッキュー おまえらがわがはいを勝手に世話してくるだけにゃ。主もクソもないにゃ』

「この野郎……」

「どうしたの、ろうくん? そんな難しい顔して──あっ! そっか!」

 餌皿を持ったりつが、何やら一人で気付きを得たようだ。猫はというと、飯のニオイを察したのか、香箱座りになってジッと餌皿だけを見ている。

「名前だよね! この子の!」

「あー、そういやまだ付けてなかったな」

『名前? どうでもいいにゃ、そんにゃの。でもどうせなら高貴にゃので頼むにゃ』

「……。俺はネーミングセンスないから、りつが名付けてやってくれ」

「ふっふっふ。そう言うと思って、実はもう決めてあったの!」

 与えられたカリカリを食べ始める猫。己の名前よりも飯の方が大事なのだろうが、しかし聞き耳を立てていることは明らかだ。りつはふふんと胸を張って宣言した。

「この子の名前は《にゃんきち》! にゃんこのにゃんに、大吉の吉で!」

『ごふッ』

「かわいいでしょ?」

「うん。めっちゃいい」

 俺はネーミングセンスがないが、りつにそれがあるとも言っていない。

『いやあの、わがはいメスにゃんですが……』

「よろしくな、にゃん吉!!」

 というわけで──我がさいがわ家に、新たな家族であるにゃん吉が加わったのであった。


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