「……《雲雀》? 鳥のこと?」
戦闘訓練を終えた《白魔》──律花は、しとどに濡れた銀の前髪を搔き上げながら、手渡されたスポーツタオルで汗を拭う。そのまま、それの名前を聞き返した。
「違う違う。ほら、リッカの刀、この前アイツ……《羽根狩り》にへし折られたじゃん?」
黒縁の眼鏡をくいと指で押し上げながら、黒い髪の少女が明るく答える。
《狐里芳乃》──律花と同じ《組織》の一員で、同い年の少女だ。また、《祝福》を持つ《祝福者》でもあるので、律花とは昔から気が合う。唯一と言っていい親友とも呼べるだろう。
芳乃にタオルを返しつつ、律花は脳裏で以前の交戦のことを思い出す。
「うん。あのヤローに折られちゃった。でも、《落とし羽》は回収したから」
「こっちの勝ち、ではあったけどねー。ただ武器が無いとやっぱ不安っしょ?」
「別に……。《霏霏氷分》があるもん。刀は重くて邪魔だったくらい」
《霏霏氷分》、即ち律花の《祝福》の名称である。
《祝福》は必ず、《濡羽の聖女》より与えられた際に、聖女自身より名付けられる。
《祝福者》達にとって、己の能力名とは単なる名前以上の意味を持つ。敵は当然、味方にもおいそれと名を明かすことはないのだが、律花と芳乃は互いの能力名を教え合っていた。
「ダメだぞー、《祝福》にばっかり頼ってちゃ。あくまで《祝福》は戦闘中における択の一つ! って、そう教わったじゃん? そりゃ、リッカの《霏霏氷分》はめちゃ強だけどさ。やっぱり後方支援担当としては、キミにはいつも無事に還ってきて欲しいのだよ」
故に、武器の携帯は必須である──と、芳乃は指を一本立てて律花を諭す。
《祝福》にも様々な種類が確認されている。戦闘用としか思えないものもあれば、まるで戦闘には活用出来ないものもある。芳乃の持つ《祝福》は後者で、従って彼女は主に後方で律花を支援する通信手を担当している。
「芳乃にそう言われると、ヤダとは言えない……」
「うんうん。で、話は戻るけど。新しい刀──その刀銘が《雲雀》ってこと。ほら、これ」
芳乃は訓練場に持って来ていた、横長のアタッシュケースを律花へと見せる。中に何が入っているのか気になっていた律花だが、どうやら刀が納められているらしい。
「開けてみ。リッカにしかそのケース開けないらしいから」
「そうなの? お誕生日プレゼントみたい」
「いや誕プレは本人以外開けないだけで誰でも開けられるじゃん……」
「でも……本人以外は開けたらダメだから」
「うん、だよね、だよね! じゃあそのエラい人達からの誕プレをささっと開けてね!!」
戦闘中は年齢不相応に怜悧な側面を見せる律花だが、戦線から離れれば今度は年相応に幼く、そしてどこか抜けている。
(《志々馬機関》の連中が《白魔》はこんな子だって知ったらどう思うだろ……)
「芳乃、芳乃。このプレゼントボックスどうやって開くの……?」
「プレゼントボックスじゃないんですけどぉ……。ほら、こことここの金具をパチンって外して、んで鍵はリッカの指紋を認証したら開くらしいから、次はここに指当てて──」
手取り足取り芳乃は律花を導いてやる。ややもたつきながらも、アタッシュケースは息継ぎするようにプシュッと空気を漏らし、ゆっくりと自動で開いた。
「わあ……。これが──《雲雀》」
「キレイ……工芸品かと思った」
《雲雀》は鞘と刀が別々に納められていた。律花も芳乃も、思わず感嘆の声を漏らす。
その刀身──漆黒の鎬地に対し、純白の刃文がさながら荒波のように波打っている。そんな黒白のコントラストが冴え渡り、電灯の光を倍以上にして照り返していた。
工芸品と称した芳乃はあながち間違っていないだろう。《雲雀》は実戦用の刀剣であるが、許されるのなら部屋に飾っておきたい程に美しい一振りだった。
律花はまず、柄の鮫皮を指でするりとなぞり、そして手に取った。
「……! 軽い。羽みたい」
「え、マジ? ケース込みで超重たかったんだけどな」
所有者たる律花が柄を握った瞬間、《雲雀》の刃が一際輝いた──気がした。それよりも、律花は《雲雀》の異様とも呼べる軽さに舌を巻く。これまで支給されていた刀剣は、いずれも軽量化はされていたものの、基本的には鉄の塊なので律花には少々重かったからだ。
だが《雲雀》は違う。重さを感じない。綿で出来た刀、と言われれば信じられるほどに。
「でもすっごく軽いよ、これ。こっちの鞘の方が重たいもん」
「ううーん、そうなの……? まあじっちゃんが死ぬ気で打った刀らしいし、実際に持ったら超軽くなる細工でもしてんのかなー」
「じっちゃん?」
「あ、そうそう。これ、《組織》のエラい人達に言われて、アタシのじっちゃんがリッカの為に鍛造った刀なんだ。アタシのじっちゃん、刀鍛冶だからさ」
「し、知らなかった……。前の刀、折っちゃってごめん……」
「いや、多分一般支給される刀剣はじっちゃん関係ないと思うし、そもそも折ったのは《羽根狩り》だからリッカは悪くないって。それより、《雲雀》はどう?」
芳乃に感想を問われて、律花は一度《雲雀》を鞘へ納刀する。剣術は学んでいるので、律花のその所作は無駄がなく美しい。刀が映える子だな、と芳乃は内心で思う。
「……不思議な感じ」
「不思議? ってーと、つまり?」
「ええと、その……不思議な感じ」
「あっ これ一生ループするやつだ」
律花は勉強が苦手だった。その中でも国語が特に苦手だった。根本的に天性と感性で生きているので、芳乃からすれば最も不思議なのは律花本人である。
だがもどかしそうに、どうにか律花は言葉を絞り出す。
「その、あの、ピタッと吸い付く? みたいな……。これこれ~! みたいな……」
「アレだね。今日会ったばかりなのに、まるで昔からの友達だったみたいな感覚だ。前世の縁で、今世の相棒で、来世でも盟友ってわけだ」
「そう、それ!」
「ほんとかよ」
大袈裟に表現した芳乃だったが、律花にはしっくり来たようだ。実際、《雲雀》を身に付けた途端、自身の中で力のようなものが湧き上がってくる感覚がする。武器を持ったことによる高揚感の一種であろうが、律花からするとこれもまた運命的な何かに思えた。
「……これ、わたしがもらっちゃっていいの?」
「もらうも何も、リッカ専用の刀なんだって。ただ……」
「ただ? タダでくれる?」
「そっちのタダじゃねっつの。なんかさー、じっちゃんがアタシに変なこと言ってたんだよね。ぶっちゃけじっちゃんってかなり偏屈だから、適当に聞き流したんだけど──」
「?」
視線をあちこちに彷徨わせる芳乃。周囲には自分と律花しか居ないことを確認している。
──《組織》とは、《濡羽の聖女》を生来の友と定め、そして彼女を信奉・崇拝する集団だ。その目的とは『聖女と再会する』に集約され、同時に彼女の力を何者かが私物化することを決して許さない。故に、真逆の目的を持つ《志々馬機関》とは根本的に相容れないのは自明。
だからこそ、芳乃は少しだけばつが悪そうに、小さな声で呟いた。
「──《雲雀》は、聖女を斬る為に打った、って……」
ある刀鍛冶が、己の人生において終の一本と定め鍛造った拵、《雲雀》。
今より永久に、《白魔》の傍でその身を冴え渡らせる。
『敵』を、斬り断つ為に──