《第一話》(2)
*
《
彼女の力を用いれば、それこそ神の
しかしながら、聖女は誰のものにもならない。『ある条件』を満たさねば。
その条件とは、聖女の力の
そうすれば、己のそれを取りに戻った聖女が、やがていつか顕現する。
《
無論、所属していた俺も、聖女へ『願い』を持っていた。
全部過去形なのは、もうとっくに《
理由は単純。《
俺の戦う理由も。願う理由も。生きる理由も。全部──
「
「え」
「顧客のニーズに合っていない。市場調査データをよく見ろ。新卒かお前は」
「マジですか……すみません」
──とはいえ俺の人生はまだまだ続く。闘争とはまた別種の戦いが、今の俺にはある。
その最たる例として、俺は朝礼後早々に、部長から呼び出されお𠮟りを受けていた。
「つくづくお前には足りんな。子供心というものが」
「もう26なんで……」
「言い訳をするな。ここがどういう会社か知らんわけでもあるまい」
「承知してます……」
俺の勤め先は《
そして、俺を軽く𠮟っている中年男性……つまり部長なのだが。
「それとも──《羽根狩り》は雑用係をお望みか?」
「ちょッ……やめてくださいよそれで呼ぶの! 誰かに聞かれたらどうするんですか!?」
この人は《
つまり俺の過去を知る数少ない人であり、そして様々な面での恩人でもある。
もっとも当時の俺はなんというかクソ生意気で、立場に上も下もないみたいなトンガリバカキッズだったので、この人に敬語一つ使っていなかったが……。
「心配するな。誰も聞いていない。まあ──しっかりやることだ。普通にな」
「うっす。ガンバリマス……」
俺は力なくそう返して一礼し、自席へと戻った。
上官と部下が、上司と部下という関係に若干変化したものの、部長のような《機関》の一部の面々とは今も交流がある。考えてみれば当たり前で、そこに所属する全ての人には
(まあ……あの人とこういう関係になるとは思ってなかったけど)
俺が
(って、物思いに
支給されているノートパソコンを開きつつ、俺は頭の中を仕事の煙で満たした。そいつが充満している限りは、とりあえずサラリーマンとして最低限は働ける。
「せ~んぱ「何か用?
背後から声がしたので、俺はすぐに振り返った。
声の主は、同じ部署で俺の後輩にあたる《
「び、びっくりさせようと静かに近付いたのに……。せんぱい、相変わらず気配に敏感っていうか、動物みたいですね」
「人間も動物じゃないか。それで、用件は? 何か質問かい?」
「いえ、コーヒー
「おっ、気が
「嫁ハラですか?」
「何その造語は……」
「言葉の通り、お嫁さんを使った部下へのハラスメントです。せんぱいが幸せ新婚生活真っ最中なのは分かってますから。でもそういう幸せのおすそ分けは独身への猛毒です!」
口を
「幸せなのは否定しないけど、もう来月で結婚一周年だから。それに、
「ですねー。そのうちあたしも先輩並みに幸せになってみせますよ! というわけで、ちょっと企画書で分からないところがあるのですが……」
「いいよ。印刷して見せてくれる?」
「分かりました!」
ぱたぱたと
自分の仕事もあるが、しかし後輩の面倒を見るのも仕事の
俺と
もっと言うと、弊社は弱小企業なので、いわゆる大手メーカーみたいに自社製品をバンバン作っては市場で
そういう意味では俺の居る部署は花形とは言い
「さて……今日も頑張るか」
コーヒーをもう一口
頑張って成果を出す……というよりかは、早く帰りたいから今日一日を頑張るのだ。
*
「二年目の子の方が俺より明らかに才能があったら俺はどうすればいい?????」
「とりあえず……嫉妬しよ!」
「小物にも程がある……」
多少の残業の後、俺は帰宅して
食事の支度というのも、なるべく俺は夫婦で分担してやりたいのだが、どうしても家に居る時間に差がある以上、
「そんなに優秀な後輩なんだ~」
「まあ……うん。色々しっかりしてる。最近の若い子はみんなそうなのかもな……」
「あはは。ろうくん、おじさんだ」
「もう『みたい』すら付けてくれないのか……」
朝よりも俺は確実に
二年目の子、要は
「あー、裏で『
「とりあえず……弁明しよ!」
「恥の上塗りだな……」
「大丈夫だよ。ろうくんならきっといい弁明が出来るから!」
「もう弁明すること前提なのか? 陰口
「冗談だってば。でも、心配してもしょうがない部分だもん。ろうくんはお仕事頑張ってるんだから、そんな陰口言う人なんて誰もいないよ、きっと」
「そうであることを信じるか~」
第一、
「そんな暗い顔しながらごはん食べたらおいしくなくなっちゃうよ? はい、あーん♪」
「ん」
対面に座る
「おいしい?」
「うん。自分で食べるよりも数倍はうまい。魔法の調味料でも使ったみたいだ」
「ふっふっふ……今こっそりまぶしたからね、粉」
「褒め言葉が事実の指摘になったぞ……」
俺の見ている前でバレずに謎の粉をまぶしたとなると、
「ところで、ろうくん。今日もあんまり目立ってないよね?」
「もちろん。
「うん。今日はお買い物以外で外出してないよ」
夫婦間には幾つもの決まりごとやルーティンが存在するものだ。俺達なら家を出る前のキスがそうだが、他にもう一つ、俺と
「今の俺達はただの一般人だ。『普通』に過ごしてるだけで平気だと思うんだけどな」
「だよねぇ。みんな心配しすぎだよ~」
それが、このような『今日も目立たず一般人だったか?』という相互チェックである。
恐らく、普通ではない。こんなことをする夫婦など、まず存在しないと思う。
戦闘訓練に明け暮れ、多くの武器の使い方を学び、そして戦いを幾度も重ねた俺。
同じく幾度もそんな手練と戦い抜き、
──俺と
「俺なんてもう立派な社畜だぞ。今や攻撃避ける時よりも謝罪で頭下げた回数の方が多い」
「ごめんね、もっと頭を狙っておけばよかった」
「そういう問題か……!?」
世間に対し、《
つまるところ、俺や
「──わたし達が問題を起こすなんて、そんなことありえないのに」
「違いない。隣人がいきなり逮捕される可能性の方がまだ高いな」
「お隣さんの
「例え話だって」
一人だけで生きるならまだしも、そんな強い力を持っている俺と
俺なら今は部長がよく口を
……いやいやいや、もう26ですよ俺は。自分の力を無闇に振りかざすほど幼稚でもないし、それを使って何か大きな事を成し遂げてやろうという野心もない。
俺はただ、
「──毎日幸せだよ、俺は。
「あ、じゃあ幸せついでにお
「おい」
食器洗いは飯を作らなかった側、
「ったく……しょうがないな」
「ろうくん、優しい~。愛してるちゅっちゅ♡」
「そういう都合のいい愛はいらん」
でも投げキッスする
結局のところ、誰にどれだけ心配をされたところで、俺達は俺達でしかなく。そして俺達なりに気を付けて毎日精一杯生きている。自分達が問題を起こしているとは思わないし、実際のところ起こってもいない。俺と
なので、俺と
俺にとっては世間体とかよりも、よっぽど重大な
「それじゃ、おやすみろうくん。また明日ね!」
にっこりと
自室……
俺には俺の部屋があり、
(今日もか……)
誰にも聞こえない
(なあ、
軽くグラスを水洗いして、キッチンペーパーで水気を拭き取り、食器棚に戻す。
(なんとまだ童貞なんだわ……)
そして俺はその事実に頭を抱えた。
童貞。童貞とはなんぞや。まあヤってない男のことを指すんですけどね。
俺は童貞だ。女を抱いたことがない。だがそこは人によって価値観が異なる部分で、様々な女を抱くこと自体に価値を
もし俺が恥であると考えているのなら、今頃どうにかして童貞を捨てているはずだ。
だが違う。俺はその辺の女を抱くくらいなら童貞でいい。そう、俺は
しかし──しかし、それでも……ッ!
『寝室は別じゃないと
──と、過去に
そもそも付き合い始めた頃から、俺は
めちゃめちゃ詩的に表現したが、要は一度流れに身を任せて
(俺の何が不満なんだ……? 顔か? スタイルか? 性格か? 収入か?)
寝室をわざわざ別で所望されている時点で、俺は
だが、俺は何も諦めてはいない。まず諦め切れるわけあるか、愛する人のことを。
(──来月、来月だ。来月に勝負を仕掛ける)
俺は壁掛けカレンダーをめくり、翌月のある一日に目を落とす。
11月12日。俺と
一周年記念でもあるその日を
(せめて……! せめて理由だけでも……!!)
いきなりしようだなんて思わない。少しずつ関係を進められればそれでいい。俺を拒む理由だけでも、その日に知れたらそれでいい。もし、
ただ──俺は知りたいだけなのだ。愛する人のこと、全てを。
十年前に一度終わった俺の物語は、十年後の10月12日からまた、動き出す──