第3巻【2024年6月20日発売!】

プロローグ(後)

 ——六年後、現在。

 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン——そういう音と身体の揺れで千影は目覚めた。


「——……ううん……あれ……?」


 いまだに夢の中にいるような、薄らぼんやりと定まらない意識の中、今自分がどこにいるのか思い出そうとすると——


「え……?」


 顔を少し横に向けてみたら、柔らかな表情を浮かべる咲人の顔がすぐそばにあった。


「あ、起きた?」

「わわっ……⁉ 咲人くん⁉」


 千影は思わず驚いて、すぐに状況を頭の中で整理した。


 今は夏休みが一週間ほど過ぎたあたりで、恋人の咲人と、姉の光莉と、三人で旅行先の別荘地に向かう最中である。


 そして、ここはローカル線の電車の中。三人で並んで座っているのはロングシートで、咲人の向こう側には、幸せそうに目を瞑って眠っている光莉の顔がある。

 どうやら双子揃って咲人に肩を借りて眠っていたらしい。


「そっか……私、ウトウトしちゃって……寝ちゃってたんだ……」

「朝早かったからね」

「あの、どれくらい眠ってましたか?」

「三十分くらいかな?」

「そう、ですか……そんなに長く……」


 千影は急に恥ずかしくなって俯いた。


 きっと咲人に寝顔を見られただろう。自分は変な顔をしていなかっただろうか。

 途中で眠ってしまったのは、咲人と光莉がそばにいて安心していたこともあるが、昨晩は遠足の前日のように興奮してなかなか眠れなかったせいもある。


 自分は割りとしっかり者だと思っていたのに、すっかり気持ちが緩んでいたみたいだ。


 まだまだ子供だな、と千影は反省した顔をした。


「ごめんなさいです……」

「謝る必要なんてないよ。それより、なにか寝言を言ってたよ?」


 千影はまた顔を赤くした。


「えっ⁉ なんて言ってましたか……⁉」

「たしか『マシロ』がなんとかって……マシロって?」


 途端に千影は「あ」と口を広げたが、すぐに笑顔をつくった。


「さぁ……なんでしょうね? ——それにしても旅行、楽しみですね?」

「え? ああ、うん……」


 咲人は、千影が無理に明るく振る舞おうとしているのに気づいた。思い出したくないことを誤魔化すときに見せる素振りだった。


 もちろん気にはなったが、あまり訊いてほしくなさそうだったので、咲人はそれ以上訊ねずに微笑を浮かべておいた。すると——



「——ふあぁ〜……咲人、ちーちゃん、おはよ〜」



 光莉も起きて、寝ぼけまなこを擦った。


「おはよう。もう昼前だけどね?」

「ひーちゃん、すごい寝癖だよ?」

「へ? ……どこどこっ⁉」


 慌てた様子でコンパクトミラーを取り出し、ハネた横髪を必死に直す光莉を見て、咲人と千影は思わず笑ってしまった。


「咲人くん、もうすぐ着きますか?」

「あと十分ぐらいかな?」

「どんな場所なんですか?」

「それは着いてからのお楽しみ」


 咲人は、光莉と千影には別荘がある町のことは詳しく伝えていない。

 というのも、これから行く町自体が非常にユニークな場所で、二人にはちょっとしたサプライズにしておきたかったのだ。


 もったいぶるたちではないが、二人が目を輝かせる姿を見るのが待ち遠しい。


「なんという駅で降りるんですか?」

「駅か……それなら——」


 咲人はなにかを思いつき、スマホの乗換案内アプリを千影に見せた。

 到着駅は『双子子』と表示されている——が、誤記ではない。


「これ読める?」

「えっと……フタゴゴですか?」

「俺も最初そう思ったんだけど違うみたいだよ。地名って難しいのが多いよね?」


 そこでようやく寝癖を直し終わった光莉が、この地名クイズに参加した。


「ならフタッコかな?」

「ローマ字読みみたいに『子』を重ねたからって小さい『ッ』にはならないよ?」

「んー、さっぱりわからないなぁ……なにかヒントがほしいかな?」


 咲人は「そうだなぁ」と言って、メモアプリに切り替え——



『子子子子子子子子子子子子』



 と、合計十二個の『子』を入力して二人に見せた。


「……? なにかな、これ?」

「平安時代の言葉遊びだよ。嵯峨天皇が考えたそうだけど、なんて読むかわかる?」


 ちなみに読み方は『ねこここねこ ししここじし』——猫の子は子猫、獅子の子は子獅子という『子』の音訓を使った言葉遊びなのだが——


「あ……わかった!」


 光莉は明るい表情を浮かべる。


「子供がいっぱいだから『子だくさん』だね⁉」

「そっちかぁあああ〜〜〜……」


 嵯峨天皇もビックリの発想に、咲人は大きく項垂れた。

 すると今度は顔を真っ赤に染め上げた千影が、小さく「はい」と手を挙げる。



「咲人くんは、その……子供が十二人欲しいということでよろしいでしょうか……?」

「よろしくないよっ⁉ 嵯峨天皇が考えたって言ってるじゃないか! なんで俺の願望みたいなのにすり替わってるの⁉」


 と、千影の珍回答に、咲人も思わず顔を真っ赤にしたのだが——


「でも、私はそんなにたくさんは……」

「ちーちゃん、イケるよっ! うちとちーちゃんで六人ずつならっ!」

「はっ……! だったら……!」


 双子姉妹はグッと拳を握る。


「「イケるっ!」」

「イケないよっ!」

「「なんでっ⁉」」


 平安時代の嵯峨天皇考案の言葉遊びを無視し、令和時代の少子化対策に多大なる関心がありそうな宇佐見姉妹のやる気うんぬんはさておき——



「発想が異次元すぎるからっ!」



 ——して。

 私立有栖山学院高等学校は夏休みに入ったのだが、相変わらず高屋敷咲人の日常は、この見目麗しき双子姉妹の宇佐見光莉と千影によって、騒がしくも楽しいものとなっていた。


 彼女たちの猛アプローチも相変わらずで、そこに人目を気にしないで済む旅行と、夏の魔物的ななにかが手伝って、『大胆不敵』発動中につき加速力が上昇中であった。


 差される咲人としては、逃げの一手に出たいところ——


 だが、これまでイチャラブを我慢してきた宇佐見姉妹の気持ちを慮って、この海旅行では彼女たちの意向になるべく沿おうと決め、多少は立ち止まるつもりでもいた。

 というのも——


《三人で付き合っていることは秘密にすること》


 このルールの下、これまでさんざんイチャラブをセーブさせてきた彼女たちのストレス発散が目的なのだと、咲人はこの旅行に密かに思いを馳せていたのである。


 ただ、羽目を外しすぎてはならぬ——その真面目さ故に、自らの首を締めていると言うよりほかはない。

 彼氏だからといって『やっちゃえ兄さん』的な発想には至らないのだから、彼のイチャラブ回避の自動運転技術は世界に誇れるものとなりつつある(誇っていいのかどうかはわからないが)。


 よって、大胆不敵な宇佐見姉妹の猛追イチャラブをなんとか普段通りに緩くかわしつつも、いつか大事故が起きるのではないかという懸念が、どうしても咲人の中で拭いきれないでいた。


 彼女たちは、そんな彼の懸念を払拭するように——



「「今晩は一緒に寝よう(寝ましょう)ね♡」」



 ——いや、そんなつもりはさらさらない。


 むしろ大事故ウエルカム。車どころか『暴走機関車×二』であった。


 なかなか魅力的なご提案ではあったが、やはり咲人は頭を抱えるよりほかはない。

 学外なのだからセーブする必要はないが、ある程度、一般常識的に、いろいろセーブしていただかないと、いろいろがいろいろで、いろいろ問題なのである。


 しかし、この二人に歯止めがかけられるだろうか——


 今でさえ理性が揺り動かされる。


 頬を朱に染めながらも、悪戯っぽく流し目で見つめてくる姉の光莉。そして、潤んだ瞳で求めるような目で見てくる千影。

 けっきょくのところ、羨まけしからん状況には変わりない——


「えっと……さっきの答え合わせをしよう!」

「「あ、逃げた……」」

「さ……さっきのは『ねこここねこ ししここじし』って読むんだ! ほら、『』には『し』とか干支の『ね』って読み方もあってだねー……——」

「「むぅ……」」


 腕にしがみついてくる二人にタジタジになりながらも、咲人は解説を続けた。


「つまり、これから行くところは『ふた』って場所なんだ!」


 すると二人がピクッと反応した。

 光莉は「へぇ」と興味を持った顔だったが、なぜか千影は表情を暗くした。


「フタネコ……ネコ……猫……」

「ん? どうしたの、千影……?」


 咲人が訊ねた瞬間、光莉が急に慌て出した。

「あ、なんでもないよ! ——ねえ、ちーちゃん⁉」

 光莉は千影に明るく同意を求めたが、なにかを誤魔化しているのは明らかだった。先刻、千影が『マシロ』という言葉を誤魔化した件と、なにか関係があるのだろうか。

 咲人が疑問を覚えたちょうどそのとき、車内放送が流れた——


『——間もなく双子子、双子子です。駅員のいない駅ですので、運賃・切符は前の運賃箱にお入れになり、一番前のドアからお降りください。定期券は……——』


 三人は急いで網棚からキャリーバッグを下ろして降車の準備を始めた。

 やがて、電車が緩やかに停車して、前方の扉が開いた。三人は運転席の前に立つ中年の車掌の目の前で、切符を運賃箱に流そうとしたのだが——


「ご乗車ありがとうございま……っ……!」


 明らかに車掌の顔色が悪くなったのを咲人は見逃さなかった。


(どうしたんだろ……?)


 車掌の顔つきが変わったのは、光莉と千影の顔を見た瞬間だった。今も目を逸らしている。まるで、なにか不吉なものを見ないようにするかのように——


「あ、すみません……」


 と、車掌はすぐに微笑を浮かべた。


「みなさん、ご旅行ですか? た……楽しんできてくださいね?」


 車掌は慌てたようにそう言うと、帽子の鍔で目元を隠し、何事もなかったかのように運転席へと戻っていった。



 ——して。

 咲人、光莉、千影——この三人は、知る人ぞ知る別荘地『双子子町』へと降り立った。


 先ほどの車掌の態度も気になるところだが、千影が「マシロ」と「猫」という言葉に反応したところも気になる。


(マシロ……猫……真っ白な、猫……)


 ホームを歩きながら、ぼんやりとそんなことを咲人が考えていると——



「きゃあっ!」



 突然なにかが光莉の前を横切り、彼女は叫んで尻もちをついた。


「光莉っ⁉」

「ひーちゃんっ⁉」


 光莉の身にいったいなにが起きたのか。

 そしてこの双子子町で、彼らの身になにが起きようとしているのだろうか——

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