第二話 失われた青春のページ(2)
今日の図書室は珍しいことに、あたし以外の利用者が居なかった。
普段は何人かの生徒が勉強をしているはずなのに。
「不思議なこともあるのね。さて、ライトノベルコーナーは……あっちね」
目的の棚の前に移動したあたしは、すぐにお目当ての小説を見つけた。
ついでに続きが無いかと思って、改めて棚を見ると。
「えぇ……ここも歯抜けなの?」
続きである三巻が無くて、四巻からは最終巻まで揃っているのが、またムカつく!
だけどそれは、あたしが手にした作品だけじゃなかった。
「よく見たら、ライトノベルだけじゃなくて……文芸小説とか、他の小説にも歯抜けがある。どうしてだろう?」
「どうしてか教えてあげましょうか? 可愛い女子生徒さん」
「ぎゃあああ!? い、い、いきなり誰ぇ!?」
本当に気付かなかった。足音も吐息も一切感じなかったのに。
その女子生徒は、あたしの背後にいつの間にか立っていた。
真っ黒い髪と、特徴的な白いカチューシャ。フレームレスの眼鏡が知的な印象を感じさせる、図書委員という役職が誰よりも似合いそうな女の子。
「怖がらせちゃったわね。私は
「あ、もしかしてそのルックスって、キャラ付けのためだったりする……?」
「そうよ。父は小説家、母は出版社勤めという文字に愛された家庭に生まれた私は、本に関する仕事が天職だと思ったから。親孝行でしょう、私」
「名前も読子、だしね。親孝行かは別として」
「ちなみに本当はバンドをやりたかったの。文化祭で体育館のステージに立って、派手な服装で反体制の歌と不平等を叫びたかった……」
「み、未練に満ち溢れている! しかも割と歪んだ夢をお持ちだった! 今からでも生き方を改めるべきだと思うけど!」
「いいのよ。私はもう死んでいるから……」
「確かに個性は死んでいそうだけど。でも、むしろその名前でそのルックス、期待通りの図書委員っていう点では逆に個性満点かも」
しまった。出会って三秒でツッコミをやらされてしまった。
多分この子は、
「そうだ。名乗るのが遅れちゃったけど、あたしは夏凪渚。三年生」
「よろしく。ところで夏凪は、何を探していたの?」
「下級生なのにタメ口を使うのがすごく上手だね? 別にいいけど……小説を探していたの。これの続き」
あたしが手に持った本を見せると、読子は「ふぅん?」と、曖昧に首を傾げる。
「続きを探すよりも、歯抜けの小説が多いことが気になって」
「そうみたいね。私が委員になってしばらく経ってから、こういう感じになったわ」
「誰かの悪戯? それとも、何か理由があるとか」
「そんなことが気になるなんて、まるで探偵さんみたいね。好奇心は身を亡ぼすわよ。闇を知りすぎたシャーロック・ホームズが、最期はマフィアに消されたみたいに……ね」
「あれ? ホームズの最期って、宿敵のモリアーティ教授を道連れにして、死んだはずだったけど……しかもその後、蘇ったし」
「知らなかったわ。私、推理小説嫌いだから」
「知ったかぶりの女に死にざまを捏造されるホームズ、めちゃくちゃ可哀想。ていうか、本当に図書委員なの?」
「この見た目と眼鏡でそれを疑うの? 疑り深い人だわ。まるで探偵さんみたいね。好奇心は身を亡ぼすわよ。宿敵と共に命を投げ打った、シャーロック・ホームズのように」
「情報のインプットと決め台詞のアップデートが早すぎる!」
しかも図書委員であることを信じるための要素が、見た目と眼鏡だけって。
それよりも、歯抜け小説の話だ。
「小説が歯抜けになっている理由が分からないなら、別にそれでいいけど」
「知っているわ。いいえ、知らないとも言えるけど」
それは、さっきのような冗談かと思ったけど。
「ついてきて。書庫に案内するわ、夏凪」
自称図書委員に、自信満々の顔でそう言われると、ついていきたくなるものだ。
あたしたちは図書室のカウンターに入り、その裏にある部屋に入った。
「へえ。カウンターの裏にある部屋って、書庫だったんだ」
「図書館の書庫と比べると、すごく小さな書庫だけどね。ここは処分が決まった本や、貸出用のバーコードをまだ貼り付けていない本などがストックされているわ」
そう言って、読子は近くの棚に移動してあたしを手招きする。
何だろうと思って近づくと、そこには何冊かの小説が並べられていた。
「あ……! これ、あたしが探していた小説の三巻だ!」
それだけじゃない。さっき見つけた、他の歯抜けになっているシリーズの、その抜けた巻も何冊か並べられている。
「でも、どうしてこれを図書室に並べないの?」
「ここにある本は理由があって貸出禁止になっているのよ。例えば、これね」
読子が手に取った本は、あたしが探していた小説の三巻だった。
「このライトノベルの挿絵、どう思う?」
そう言われて広げられたイラストページを見ると、ちょっと肌色多めな挿絵だった。
「胸が大きな女の子がエッチなハプニングで涙目になっている、少しエッチだけど思春期男子歓喜な最高の一枚に見えるけど?」
「そうね。私もエッチだけど素敵なイラストだと思う。だけど、それが理由よ」
小さくため息を吐いて、読子はまた別の本を手に取る。
「こっちの本は普通のミステリ小説だけど、あらすじが不穏なのよね。高校生が犯罪をする話のようにも読めるから。それ以外の本も大体似たような理由よ」
「もしかして……内容やイラストが不健全だから、って理由で移されたってこと?」
「その通り。当時の生徒会長が随分と潔癖な人でね。生徒総会で議題に取り上げて、殆ど独断で廃棄処分にしたの」
よく見たら、裏表紙と小口には【廃棄】と大きな黒スタンプが押されていた。
貸出管理用のバーコードも、セロファンごと強引に剥ぎ取られているみたい。
「バカみたいな話よね。どんな物語であっても、その人の思想や行動を決めることなんて出来ないのに。ここにあるのはほんの一部で、たくさんの本が廃棄にされたわ」
「……酷い話。図書委員の人は抵抗出来なかったのかな?」
「聞いた話だと、次の生徒総会で大反撃して、廃棄された倍の数の書籍を仕入れさせたみたいね。これがこの学校に伝わる、伝説の第一次図書室戦争よ」
「あたしが全く聞いたことのない学校伝説が突然出てきた!?」
「第二次では図書委員が生徒会長の弱みを握って、最終的に辞任に追い込みましたとさ」
「しかも続きがあったうえに、やっていることがえげつない!」
読子の顔を見るに、嘘や冗談じゃないみたいだし。
ぶっちゃけ小説の続きより気になる……今度生徒総会の議事録を読みに行こうかな。
「あれ? ちょっと待って、読子。この本たち、よく見たらどれも中のページが破損していない?」
ふと、並べられた本たちを捲って気が付いた。
どれもページが一ページだけ、破損している。一冊だけ、破れているのは表紙だけど。
「もしかして、これも貸出が出来なくなった理由じゃないの?」
「それは正解だけど、不正解とも言えるわ。何故ならこのページが破られたのは、この本たちが廃棄のスタンプを押された後だからよ」
「え? 何でそんなことになったの?」
「さて、ね。どうして廃棄の決まった本たちが、全て同じように一ページだけ破られているのか……あなたに分かる?」
そう言われて、あたしはもう一度本を捲って、それぞれを見比べる。
だけどこれらの本とページには、一切の共通点が無い。
「ただの悪戯、とか?」
「きっとそれも不正解ではないかもしれないけど、ただ一つの正解ではないでしょうね。ねえ、可愛い探偵さん」
笑みを浮かべて、読子はあたしの目を真っすぐに見つめる。
儚げな雰囲気を纏う彼女に、つい見惚れそうになるけど。
そんな気分は、次に放たれた言葉で消え失せた。
「この『謎』があなたに解ける? きっとそれは、無理に近いと言えるわよね。だってまだ誰も答えを見つけていない、とっても難解な謎だもの」
挑発だ。分かりやすい、子供でも引っ掛からないような。
だけど、あたしのハートはとっくに燃え上がっていた。
理屈では説明出来ないけど、『謎』という言葉と、『探偵』という呼び方に──。
「いいわ、やってやろうじゃない。だけどあたしは、探偵じゃない。それは正解だけど、不正解とも言えるわ。あたしは《探偵代行》よ、読子」
絶対にこの謎を解き明かしてやるという、意地が生まれてしまっていた。
「ふふっ。素敵ね、夏凪。でも私の決め台詞を真似るなら、もう少し格好良く組み込んで欲しいのだけど?」
「……それは、あたしも思ったけど!」
こうして、あたしは新しい謎に立ち向かうこととなった。