第二話 失われた青春のページ(3)
「渚が僕以外の女に寝取られた」
読子から謎を提示され、図書室を出た後。
あたしは補習を終えたバカたちと合流して、校内の自販機コーナーで一休みしていた。
「寝取られてないってば……数学をやらされて、頭悪くなった?」
「いいや、これは立派なNTRだよ! 僕らが留守にしている間に、読子とかいう女を招き入れて軽快なトークをしたわけだし、どう見ても浮気だよ!?」
「け、軽快なトークをしたかは分からないじゃない?」
「それは今から確かめればいいさ。ねえ、はるる?」
「ほいきた!」
一瞬であたしの背後に回り、ベンチ裏から逃げられないように冬子があたしを押さえる。
「な、何をするつもり……? まさか二人で、あたしを辱めて洗いざらい喋らせるつもりね! あたしはそんなものには屈しないから!」
「うーん。この誇大妄想。渚のドMぶりには驚くよね」
「まっ、ウチらがナギに悪戯するのは大正解だけど」
その直後だった。はるるはあたしの首筋に顔を近付けて、そして──。
「ん、んんっ……!」
全身に微弱な電流が走るような、甘い感覚。くすぐったい。ちょっと温い。でも、ほんの少しだけ気持ちいい。
これは、キスだ。
はるるがあたしの首筋に、口づけをしてきたのだ。
「ナギ、可愛い。もう一回だけ、同じこと……しても、いい?」
蕩けた表情と声で、吐息を漏らすその顔に。
あたしは強い抵抗が出来ない。まるで、その先を望んでいるかのように。
「や、あっ……お、女の子同士でこんなの」
「あれれ? その割には抵抗する気が無さそうだけど? 心の底では続きを望んじゃっている、そんな悪い子には……今度は口封じを」
「あのー? 僕を無視して二人だけの世界に入らないでくれるかな? だったら僕も交ぜてよ! 生殺しすぎるよ!」
背後で喚いた冬子のおかげで、あたしは現実に引き戻された。
あ、危ないところだった……最初の屈しない云々はぶっちゃけ演技だったけど、はるるの顔があまりにも綺麗だったから、つい。
「引っ込んでいて、フユ。百合に挟まる男とか、死んでも文句言えないよ?」
「男じゃないが!? ボクっ娘で王子様キャラだけど、別についてないが!? それより、渚の言葉は本当だったかい?」
冬子の言葉で、あたしは二人の行動の意図をようやく理解した。
「はるるの『味覚』を使って嘘を暴くとか、最低にも程があるんですけど!」
「あはは! ウチがちょっとでも汗を舐めれば、どんな嘘も見抜けるからね! ちなみに結果は完全にクロ。動揺の味。すごく苦かったぁ」
「だろうね。別に汗を舐めなくても、渚の顔を見たら分かったけど」
「え? あたし、完全に舐められ損では?」
はるると冬子じゃなかったら、即警察にお電話していたけど。
せっかく、「図書室で変な子と出会った」ことだけ喋って、詳細は曖昧にしたのに。
そんなに分かりやすいかなあ、あたし。
「あーあ、辛いなあ。ウチが先にナギを好きだったのに。そこら辺の女子生徒にBSS食らわせられるとか、ゲキ凹みだぁ」
「はるるに至っては意味不明な略語を使い出しているし。どういう意味よ、それ」
「『僕が先に好きだったのに』、っていう意味! ウジウジしている間にクソ雑魚ヘタレ男子が、片思いの女子をイケメン陽キャに掠め取られる系の漫画!」
「NTRとどう違うの、それ……」
「略奪愛と違って、結局ヒロインとは付き合ってないから何も言えないっていう、胸のざわめきや苛立ち、焦燥感を主人公と共有して楽しむワケ。ハリウッド映画と一緒だね!」
「あんたのハリウッド映画って、あたしと違う世界線に存在してない?」
蜂巣先生にこってりと絞られた割には、二人とも元気そうで何よりだ。
相変わらずくだらない会話をしていると、白衣を着た見知った養護教諭もやってくる。
「あらあら、夏凪さん。劣等生たちに構ってあげているのですか? お優しいこと」
「挨拶代わりの苛烈な選民思想! しかも教員が最も抱いてはいけないタイプの!」
「うふふ、ジョークですわ。夏凪さんが可愛い顔で鋭くツッコミをするのが、何だか羨ましくて。私もやってみただけです」
暦先生は自販機で経口補水液を買って、それを一口飲む。チョイスが謎すぎる。
「普通は買うなら、コーヒーとかジュースとかじゃないですか?」
「ええ。私もそう思います。ですが昨日痛めつけられた肝臓のために、我慢して飲んでいるだけですから」
「次の日が仕事なのに、二日酔いするほどお酒を飲まないでくださいよ……」
「大人になると、親や友達の顔よりも、ビールのラベルを見る回数が増えるのですよ。ところで、皆さんは何の話をしていたのですか?」
どうやら暦先生も興味津々だったので、あたしは改めて図書室での出来事を三人に語った。読子という図書委員のことと、彼女から出された謎のことを。
「……ふむふむ。読子、ですか」
話を聞き終えた暦先生が引っ掛かったのは、思いがけないところだった。
「そ、そこが気になりますか?」
「ああ、いえいえ。私と同じ名前だなと思いまして」
「へ? 暦と読子だったら、画数も何もかも一致しないですけど」
「ほら。私は『こよみ』で、文字を並べ替えたら『よみこ』になりますし?」
「アナグラムを使ってまで同名だと主張する必要あります!?」
それで同名なら、世の中は同名だらけだ。「かりん」ちゃんと「りんか」ちゃんとか。
あたしは「なぎさ」だから……「さなぎ」? そんな名前を付けられた女子が居てたまるか!
「しかし不思議だね。一冊や二冊ならともかく、六冊の本が一ページだけ破られているとか。僕からすると、ただの悪質な悪戯にしか思えないけど」
「あたしも冬子と全く同じことを思ったけど、読子は違うって言っていた。だからきっと、何かちゃんと答えがあるはず。はるる、あんたはどう?」
「ウチが真っ先に思いついたのは、破ったページに何か良い文章が書いてあったとか? それこそ、ラノベなら挿絵のページとか!」
「僕としてはそのページに価値がある可能性、かな。昔の漫画や小説だと、復刻再販の時に表現が変更されていることもあるから。廃棄前にそこだけ破った……とか」
冬子の意見に「なるほど」と頷いたのは暦先生だった。
「昔の漫画などは、修正される前のものにマニア間で希少価値が付いたりしますものね。小説でも有り得ない話ではないでしょうが……ページだけというのも謎ですし」
確かに、本は完品や美品だからこそ価値が生まれるはず。
切り取った一ページを古書店やフリマアプリで売ろうとしても、無価値に等しい。
暦先生の意見の後で、推理を述べる人は誰もいなかった。
僅かな沈黙を壊そうと、あたしはわざとらしく、大きい音を出してベンチから立ち上がる。
「考えても仕方なさそうだし、明日の昼休みに図書室に行かない? 今日はもう読子も帰ったみたいだから、閉まっているだろうし」
「百聞は一見にしかず、だね。実際に破れた本を観察したら、他に思いつくこともたくさんあるだろうし」
「オッケー! ラノベならウチもちょっと詳しいし、役に立てるかも! まあ拙者はラノベというよりアニメや漫画のオタク文化全般イケるクチですが。ふひひ」
急に絶滅危惧種みたいなオタクに変身したはるるはさておき、三人一緒なら何か分かるかもしれない。そうだ。どうせなら。
「暦先生も一緒に謎解き、しませんか? 黄色いパンツ事件と違って、ゲーム感覚で楽しいと思いますよ」
あたしが誘うも、しかし暦先生は首を横に振る。
「子供の遊びに大人が交じるのは、居心地が悪いですから。あなたたちが大丈夫でも、大人からするとやっぱり恥ずかしいですし。それに、図書室も苦手なので」
「そうですか……残念ですけど、それなら」
「あ、でも。謎の答えは知りたいので、ぜひ教えてくださいませ。面白い答えだったら、またごはんをご馳走しちゃいますわよ。ふふっ」
この謎にそれほどの価値があるとは思えない……けど、そこに謎があるなら解いてみたい気持ちが、あたしの中には確かにあった。
ワケの分からない謎に遭遇した時の高揚感。
前回に続き、これで二度目。
果たしてこれは、本当にあたしの感情なのか、あるいは──。
ううん。それはまだ、分からないままでいいや。
翌日。昼休みに図書室を訪れると、今日は利用している生徒が何人か居た。
真面目に読書をしている人や、勉強をしている人。教室の喧騒から逃れて惰眠を貪っている人など、様々だ。
そんな彼らを尻目に、あたしたちは謎解きを始めようとする。だけど。
「今日は読子、居ないみたい」
図書室のカウンターには、中年の女性司書教諭が座っていた。
その隣で作業をしている図書委員らしい男子生徒は、なんだか退屈そうだ。
「そっか。渚を誑かした女狐の顔を拝もうと思っていたのに」
「冬子……あんた、一晩経っても嫉妬しているの? あんまりしつこい女の子はモテないわよ」
「いいさ。世界中の全ての女子を敵に回しても、渚だけが愛してくれれば!」
「はいはい。今更言うまでもないし分かっていると思うけど、あたしは冬子のこと大好きだから、いい加減嫉妬しないの。ね?」
背伸びして冬子の頭を撫でてあげると、何故だか顔を赤らめている。
金魚のように口をパクパクさせて、何かを言いたげだ。何だろう?
「ナギってそういう恥ずかしいこと、サラッと言うよねえ。いつもは攻め担当のフユが、完全にフリーズしちゃったよ」
「え? そう? 大切な友達相手に、好きって言うくらい何ともなくない? もちろん、はるるのことも大好きよ」
「あぅん! ナギ、大好き! ウチをお嫁さんにして! それでそのまま、ウェディングドレス姿でナギのことを抱えて空を飛ぶから!」
「どういうこと!? そんな非現実的な結婚式があるの……?」
「あ、元ネタ知らない? 四年くらい前に、ネットで鬼バズりした動画でさ。ドレス姿の少女がタキシードを着た男の子を抱えて、窓から飛び出す動画。多分合成だけどねぇ」
「役割が逆じゃない? 女子に抱えられる男子とか、情けなさすぎるでしょ。あたしだったらそんな男子と結婚式を挙げたくないなあ」
バイクや車に乗る時に、女子に運転させて自分は堂々と後ろに座っていそう。
いや、偏見だけど。
「その動画、もうネットだと消されちゃったからさ。ナギに見せたかったなあ」
「あはは。か弱い男子の顔を見てみたかったかも。って、本題から逸れすぎ。ちょっと司書さんに話して、書庫の本を見せてもらうようにお願いしてくるね」
「おっけー。その間にウチは、この固まった王子様を直しておくねー」
カウンターに向かい、司書さんに例の廃棄本を借りられないか相談すると、拍子抜けするくらい普通に貸してくれた。校外持ち出しは禁止、という条件はあったけど。
「お待たせ。本を借りてきたよ」
戻ってくる頃にはすっかり元通りになった冬子とはるると一緒に、借りてきた文庫本をテーブルの上に広げて眺めてみた。
本をジャンルごとに分けつつ、冬子は興味深そうにそれらを分析する。
「本は六冊。全て小説で、ラブコメ系ライトノベルが三冊と、青春小説が一冊。それにホラー小説とミステリ小説一冊ずつ……か。ラノベは一つだけ、表紙が無いね」
「ラノベはジャンルだけ統一されているけど、作品はバラバラ。それ以外のジャンルの作品とも共通点が無いのかぁー。六つ並べて何か分かるわけじゃない、かも?」
はるるの言う通り、表面的には共通点が一切ない。
「そうなると、やっぱり破られたページに秘密があるのが濃厚ね。これらの作品はあたしたちを欺くフェイクでしかない。見せかけだけの謎よ!」
「すごい。渚が何の捻りも無いことを、推理っぽく喋っている!」
「ナギのドヤ顔推理、めちゃくちゃ草生える。大草原の香りが匂い立つ」
「う、うっさい! バカたちにバカにされると、すごく腹立つ! そう言うあんたたちは何か考えがあるのよね!」
あたしの言葉に、冬子とはるるが順番に答える。
「僕は出版された年月日にヒントがあると思う。これらの作品を新しい順に並べて、破られたページの一文字目を繋いでみると、答えが出るとか」
「ウチは作者名で並べ替えかなぁ。あいうえお順にして、破られたページの文章を横読みすると、メッセージが浮かぶとか! 縦読みとかネットで一時期流行った文化だし!」
「お、思った以上にガチの推理だった……! あ、あたしだって一応考えてはいるし?」
あたしの推理は、二人よりもシンプルだけど……こんな感じだ。
「ここにある作品そのものがヒントなのよ。ミステリ小説が交ざっているのが、謎を考えた人の唯一の良心ね」
「……と、言うと?」
冬子に先を促され、あたしは頭の中で言葉を整理する。
「六冊の物語の中には、それぞれ似たような事件が起きていて、読破することでそれが分かるようになっている。ページが破られたのは、そこに答えがあるから! どう?」
我ながら名推理……って、思ったけど。
「そんな回りくどいことをするかな? そもそも作品のジャンル的に、似たような事件が起きていると思えないけど」
「それはウチも思った。それに、破られたページは大体が序盤から中盤までで、一冊は表紙だし? そんな早い段階で答えがあるとか、流石に有り得ないと思う。新本格すぎる」
全否定されてしまった。いや、これは普通に悲しい。凹む。
三人の中ではあたしが頭脳役というか、《探偵代行》代表であって、二人がサポートしてくれる、みたいな感じだったから……。
「とにかく! まずはこの破かれたページを見つけないと話にならないと思う! だから三人で手分けして、破損の無い状態の本を集めよう?」
「あ、ナギが反論できずに話をすり替えた。効いちゃった感じだ?」
「ミステリ小説だと犯行を暴かれた犯人が最後にする悪あがきだよ、それ」
「うう⌇⌇⌇っ! 絶対にあたしがこの謎を解いて、二人に分からせてやる!」