第一話 幸せの黄色いパンツ(6)
夕方過ぎの、午後七時。
保健室で作戦会議を終えたあたしたちは、盗撮被害を受けた駅に向かった。
学校最寄り駅の、隣駅。心愛ちゃんは普段、野球部のマネージャーをしており、盗撮された日は部活後の帰宅途中に、この駅前で買い物をするために下車したそうだ。
「なるほど。帰宅ラッシュが少し収まっているけど、女子高生はまだ目立つ。獲物を物色するには最高の時間だね」
バスを乗り継いで辿り着いた駅前で、冬子は周囲を冷静に分析する。
「ウチ、あの駅のエスカレーター危ないなあって思っていたの。角度は急だし、長さもそれなりにあるし、スカートが短いと下から見えちゃいそうだよね」
はるるも同じように、駅の欠陥を指摘するけど。
「あ、あの! ねえ、二人とも……本当にやるの、これ?」
あたしだけが冷静でいられない。
それもそうだ。だって、今のあたしは──。
「だってこれ、完全に痴女ギャルじゃん!」
ボタンを大きく開けたワイシャツ姿。崩して装着しているネクタイと、裾を結んだせいで、背伸びしたらちょっとだけおへそがチラリする、ガッツリめのギャルスタイル。
スカートは限界まで短く折られているし、その下のルーズソックスが無駄に目立つ!
「プロデュースバイ、ウチ! いいでしょ、それ。すごくエッチだよ、ナギ!」
「そ、それは褒め言葉じゃなぁい! 可愛いとか綺麗とか、そういうのならまだいいけど、こんなのって……ううう! 恥ずかしすぎて、ムリムリ! ムリー!」
思わずうずくまるあたしに対して、親指を立ててグッジョブと呟くはるるに、蹴りを入れてやりたい!
でもそんなことしたら見える! 色々と! チラリと!
「すごく可愛いよ、渚。僕が男子なら声をかけちゃうよ。いくら? ってさ」
「最低すぎる一言! そ、そういうことしないから! あたしは!」
「ん? 僕はあくまで『そのソックス、いくらで買ったの?』っていう意味で言ったつもりだったのに。渚は何を連想したのかな? ふふっ……本当に、エッチな子だよね」
「う、っ⌇⌇⌇!」
何でもやるとは言ったけど! 啖呵を切ったけど! 大見栄張ったけど!
「まさかその内容が、おとり捜査とか! ありえないでしょ!」
いや、冷静に考えれば大アリなのは分かる。
常習犯なら状況再現をして、似たような獲物……女子高生を配置してやれば、バカみたいに喜んで食いつくだろうけど!
「恥ずかしがりすぎだよー、ナギ。上はインナー着ているし、下はショートの見せパンを穿いているから、何の問題もなくない?」
「……でも、恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
「見た目の守備力は低いけど、防御のステータスは爆アゲ状態だから! RPGでも最強装備がセクシーなものとか、よくある話でしょ? うひひ!」
「フィクションと現実を混同するな! このオタクギャル!」
「セクシー装備で守備力は上がっても、貞操は守れなそうだと思わないかい?」
「ふゆこぉ! 横から最低なセクハラをかましてこないでくれる!?」
でも、ここまできたからにはやるしかない。
一つ隣の駅、つまり学校に近い駅には暦先生と心愛ちゃんが待機している。
あたしたち三人は犯人が逃走に利用した、学校方面行きの電車に乗り込み、ヤツを炙り出す。仮に車内で捕まえ損ねても、逃走を許すことはない。
信頼する友達二人が居るから、心配は無用だけど。だけど! だけどぉ!
「……分かった。やる。やるけど、約束してね?」
あたしは冬子とはるるの肩を掴んで、思いっきり睨みつける。
「もしあたしが盗撮されて、犯人に逃げられたら……代わりにあんたたちのパンツも盗撮して、ネットに上げてやる。いいよね? あたしたち、友達だよね?」
冗談じゃないと理解してもらえたらしく、二人は全力で頷く。
なるほど。心愛ちゃんの気持ちがちょっとだけ分かった。
黄色いパンツ、みんなで穿けば怖くない。
あたしたちは駅に入り、改札を抜けてエスカレーターに乗る。
この段階では不審者は居なそう。心愛ちゃん曰く、盗撮犯はスーツ姿の若い男で、背後に密着してスカートの中にスマホを差し込んできたらしい。
おとり捜査だからわざと、あたしだけがエスカレーターで、残りの二人が併設された階段で様子を見守りながら二階のホームに向かうけど、まだ大丈夫そうだ。
「それなりに混んでいるね。気を付けて、渚」
二人とホームで合流し、ちょうどやってきた電車に乗る。
冬子の言う通り、時間帯も相まってまだ多少の混雑が続いている。
三人で同じ車両に乗り込み、二人はあたしから離れた位置で監視をしてくれた。
「スーツ姿の若い男……ね」
車両の隅に立つあたしの周りに、該当するのは三人くらい。
揃いも揃ってスマホを弄っていて、あたしを直接見ることはないけど。
心なしか、何度か目が合っているかのような。
だめだめ。扉の方を向いて立って、顔を見ないようにしなきゃ!
「……動いた」
あたしは手に握ったワイヤレスイヤホンを経由して、冬子とはるるに声を送る。
一人だけ。あたしの数歩後ろに移動してきた男がいる。
み、見られているのかな。
スカートの中からすらりと伸びる、白い太もも。
いつもより短いせいで、その付け根まで見えているような錯覚に陥ってしまう。
少し屈めば、見せパンとはいえ全部が丸見え。間違っても、落とし物など許されない。
それに隣に立たれたら、簡単に胸元を覗かれてしまうほど、開け放たれたシャツ。
こんな服装だと、言い訳も出来ない。
うわ。扉のガラスに映るあたし……完全に痴女、かも。
「ん……?」
いつの間にか、隣に立っている男が居た。
いや、男と表現するには若すぎ。小学校中学年くらいの、男の子だ。
可愛い顔で、同級生にすごくモテそう。背はまだ、あたしの胸くらいまでで小さめ。
だけど、問題は。
『あらら。見られているよ、ナギ』
耳につけたイヤホンから、はるるの声がする。
男の子は塾の帰りなのか、青いリュックを前に抱えて電車に揺られている。
でも、その視線の先は扉のガラス越しにある風景じゃなくて……あたしの、太ももだ。
『気になるお年頃だね、ふふふ。その子は年上のお姉さんが好きなのかな?』
「うるさいなあ……バカなこと言わないで」
限りなく小声で冬子を一蹴して、おとり捜査を続けようとするけど。
男の子の視線は離れない。この年齢で太ももフェチとか、ろくな大人にならないでしょ。
いや、もしかして。
「……っ!」
あたしがワイシャツの裾をほんの少し上げると、男の子は驚き、目を見開く。
やっぱり。すごく見ている。あたしのおへそを。
そんなところ見て、何がいいのやら。胸とかお尻とか、あたしだってそれなりに自信はあるのに。だけど……。
おへそ、なんだ。そこ以外は、好きじゃないのかな?
一生、この男の子の記憶に残るのかも。今日の出来事と、あたしのおへそが。
そっか、そっかぁ……あたしが、この子の思い出になるのね。
中学生や高校生、大人になっても何度も、何度も思い返しちゃうの?
可愛い顔しているのに、いけない子。
なんだろう。
すっごく、ゾクゾクしちゃう。
せっかくだから、もう少しだけ。ほんの少しだけ。
お姉さんが、君に──。
『お出口は変わりまして、右側です。お降りの際は、お忘れ物がないよう……』
電車のアナウンスが、駅への到着を告げる。
あ、あれ? 今あたし、何しようとしていた……?
何か、色々妄想しすぎて変なことをしようとしていた気がするけど。
「お疲れ様、渚。遠くから見ていたけど、不審な男は居なかったよ……どうしたの?」
「んにゃ? ナギ、何か顔赤くない? やっぱり、恥ずかしかった?」
「な、なにもしていないけど!? ち、痴女じゃないから! あたし!」
降りた先、駅のホームで声を荒らげてしまったあたしに、二人は首を傾げる。
ううっ……最低だ、あたし。あんな可愛い男の子に、おへそを見せつけようとして。
どっちかといえばあたし、虐められたい派なのに! 絶対、この服装のせいだ!
「うわぁ。またナギが顔を真っ赤にして自分の世界に浸っているよー」
「多分だけど、さっき隣に立っていたショタにいけない悪戯する妄想でもしていたんじゃないかな?」
す、鋭い! いや! 未遂だから! 何もしてないから! 法にも男の子の身体にも一切触れてないから!
「そ、そ、それより! 結局盗撮犯は乗り合わせていなかった……っていうこと?」
「少なくとも、僕らが見る限りは。とりあえず暦先生と心愛ちゃんと合流して、明日以降もこの作戦を続けるか考えよう」
「……明日もやるなら、次はあんたの番ね?」
「ねぇー! 二人とも! 駅前で何か起きているっぽい!」
先にエスカレーターを下りたはるるが、あたしたちを呼ぶ。
慌てて改札に向かうと、その先のロータリーに白黒の車が何台か停まっていた。
「パトカー? 事件でもあったのかな?」
「夏凪さん!」
様子を見ているあたしたちの元に、暦先生が駆け寄って来る。
「先生、これは一体?」
「捕まったのですわ! 例のスーツ姿の、盗撮犯が!」
「……えぇ!? な、なんで? あたしたち、何もしてないのに」
困惑するあたしたちは、野次馬で溢れるその場を離れて、近くのコンビニ前で事の顛末を暦先生から教えてもらった。
「夏凪さんたちがバスで隣駅へおとり捜査に向かった後、私と心愛さんが二人で駅を見張っていたら、何やら騒ぎが起きまして……」
二人は騒ぎに釣られ、駅の改札まで向かい、そこであるものを目にした。
「ホームに続く階段の下で、血まみれでボロボロになったスーツ姿の男が倒れていましたの。その手にはスマホが握りしめられていて」
「それって、もしかして!」
「ええ。それが犯人でしたわ。すぐに駅員が追い付き、男を取り押さえて即通報。何でも、男は電車内での盗撮がバレて、この駅に着いた途端に逃走したらしいのですが」
「急いだあまり転んで、滑り落ちたとか?」
「いいえ。すれ違いざまに男子高校生にぶつかって、そのまま階段を転げ落ちたようです。その男子高校生が意図的にぶつかったのかは不明ですが……」
突如、この事件に関わったその《男子高校生》に、あたしの胸は大きく跳ねた。
まさか。いや、そんなわけがない。
事件が起きる度に偶然居合わせ、解決に導いてしまう少年──。
その男子高校生が、他ならぬ彼ではないのかと。
「な、渚! 急にどうしたのさ!」
その疑惑を晴らそうと、あたしは駆け出していた。
彼はどこに行ったのだろう?
現場に居合わせたなら、少なからず警察に協力しているかもしれない。
ロータリーを見回し、ふと……離れた先にある、一台のパトカーに目を留める。
そこにはドアを開け、後部座席に乗り込もうとしている、制服姿の男子の姿。
「ま、待って!」
叫ぶあたしの声は届かず、足が動き出すよりも先にパトカーは行ってしまった。
勘違いかもしれない。全くの他人の可能性だってある。それでも。
あたしの胸は、心臓はきっと、直感していた──。
怖いくらいに、強烈に刻まれるそのリズムが、叫びが。
彼が、あの《男子高校生》であると、知らせているような気がしたのだ。
「夏凪さん、大丈夫ですか?」
追ってきた暦先生に声をかけられ、あたしは現実に引き戻される。冬子とはるるも一緒に追いかけてきてくれたけど、そこであることに気付いた。
「大丈夫です。ところで、心愛ちゃんは? ずっと姿が見えないですけど」
「私が警察に、彼女が盗撮の被害者であることを話したら、警察署で話を聞く流れになりましたわ。心配しなくても、とても安心した顔をしていましたよ」
「そっか……あたしたち、心愛ちゃんの力になれたのかな」
「ええ。あなたたち、《探偵代行》のおかげで、傷付いた少女が一人救われたのは、まぎれもない事実ですわよ。頑張りましたね、皆さん」
きっとこれは……世界の危機みたいなものと比べたら、すごくちっぽけなこと。
誰の日常にでも起こりうる、ほんの小さな『謎』と『事件』でしかない。
けれど。それでも、救われる人が居た。
あたしたちの努力で、消費した時間で、一つの不幸を取り除けたなら──。
「《探偵代行》も、悪くないかもね。ふふっ」
呟いたあたしに、冬子とはるるも笑って頷きかえす。
きっと、一人なら出来なかったと思う。それに最後は、この物語に突如現れたイレギュラーな男子高校生によって、全部手柄を取られた感じもあるけど。
あたしたち三人なら、何だって出来る気がした。
「では、三人にご褒美です。ラーメンでも食べに行きましょうか」
暦先生はそう言って、あたしたちの前に立って歩き出そうとする。
「えぇー、コヨちゃん! 女の子が四人も居るのに、ラーメンなのぉ? 確かにお腹は空いているけど、こういう時ってパンケーキとかじゃない?」
唇を尖らせるはるるに、暦先生は困ったように首を傾げた。
「そうでしょうか? では、お酒が飲めるパンケーキのお店を探しましょう」
「暦先生、もしかして本命はラーメンじゃなくてビールでしたね? 渚はどうする? 僕は君が楽しみにしていたタピオカでもいいし、それ以外でも」
「いいじゃん、ラーメン。行こうよ!」
肯定的な声を上げたあたしに、みんなは驚いたみたい。
確かに、あたしには憧れていた日常があった。タピオカだって、その一つ。
だけど本当は、何だっていいのかもしれない。
「女の子四人でラーメンとか、それはそれで青春だと思うし?」
ずっと一人で病院食ばかりを食べていた、あの頃のあたしには気付けなかった。
本当に大事なのは何を食べるか、じゃない。誰と食べるか、なんだ。
「ナギが言うなら、仕方ないなぁー。おっぱいとお尻とおへそを丸出しにして、男たちのいやらしい視線に耐えて、頑張ったわけだし!」
「ラーメン一杯であの姿が見られるなら、僕は毎日渚にラーメンを奢るよ。渚のミニスカギャルスタイルは僕にとっての万能食だ」
「あら。そういえば夏凪さん、今日は派手な格好ですわね? 我が校は校則が緩いとはいえ、貞操観念まで緩くするのは……感心できませんわよ?」
またバカたち(事情を知ってる先生まで)が、あたしを弄ってくる……でも、いいや。
それに、あの男子高校生のことは気になるけど。
今は、忘れちゃおう。
みんなでラーメンを食べに行く、この瞬間の方が大切だから!