第一話 幸せの黄色いパンツ(5)

「はぁー、遊んだ! 流石に一時間近くもスーパーボール拾いはやりすぎだったかも」

 あたしたちはプールサイドのベンチに腰掛け、冬子が買ってきてくれたスポーツドリンクを飲む。我ながら青春すぎる構図だ。うん、エモい。

「運動した後のスポドリも最高だし! ね、はるる?」

 あたしが尋ねると、右隣に座っていたはるるは微妙そうな表情を浮かべる。

「うぅーん、ちょっと微妙かも。ウチには甘すぎてしんどい……」

「ふふっ。はるるはサディストだね。飲み物を買いに行かせてそれをマズいと言い切るとは、目から食塩水が出てきそうだ」

 左隣に座る冬子は、寂しげな顔でスポドリの缶を眺めて黙り込む。この主従関係、あたしたちが卒業しても続きそう。ていうか。

「仕方ないでしょ? はるるは特殊な『舌』なんだから」

 あたしがフォローすると、冬子は「確かに」と頷きかえす。

 これは別に「はるる様はグルメですわね」という、嫌味を込めた台詞じゃなくて、しっかりと理由があるのだ。

「ウチのこの体質、時々すごく嫌になる! ジュースは飲める種類限られるし、スナックやファストフードも物によっては食べられないし、わがままな舌すぎるってぇ!」

 憤りながらも、はるるはスポドリを一気飲みして、空き缶を握りつぶした。

 ワインソムリエとか、職業柄普通の人間より味覚が優れている人は世界に数多くいる。

 だけど、はるるは更に特殊な『舌』なのだ。

「でもさ、はるる。君は相手の体液、例えば血とか汗を舐めると、その人の体調とか気分が分かるんだろう? それって、かなり面白い特技じゃないかな?」

 冬子の言うように、はるるの舌は明らかに他人と違う。

 アメリカでは味覚の鋭い人間はスーパーテイスターなどと呼ばれるみたいだけど。

「役に立ったことないよぉ、こんなの。強いて言えば彼氏の飲みかけのコーヒーを舐めて、それで別の女の味がしたから、徹底的に追及して浮気を白状させたくらい」

「メチャクチャ役に立っているし! ていうかはるる、あんたって彼氏居たの?」

「あはは、今のは即興で考えた話。でも、ウチの味覚がすごいってことを知っている同級生に、こんな感じの依頼を受けたことはあるよ。親しくない相手だから、断ったけど」

「はるるが主人公だったら、世の中のミステリ小説は殆ど破綻するわね……探偵泣かせのスキルすぎる」

 そこまでいくと一種の超能力。味覚というより、第六感シックスセンスだ。

「でもフユとナギが相手なら、汗とか血をペロペロしても……いいよ?」

「その台詞、世界中探しても口にするのはあんたか吸血鬼くらいよ」

「ちなみに身体から排出される液体なら大体何でもオッケー。例えば、お」

 何かセンシティブな予感がしたので、あたしは思わずその口にタオルを詰め込んでやった。あたしの友達は二人とも、恥じらいが無さすぎるからなあ……。

「うぇー……ナギの使ったタオル、食堂の日替わりランチの味がする……」

「しないでしょ!? 食後に歯磨きしたし、あんたが特別なの!」

「渚。ファーストキスはレモンの味って言われるけど、実際は直前に飲食した物の味がハッキリと出るから、マウスウォッシュは携帯しておくといいよ」

「うっさい! まるでファーストキスを経験済みです、みたいに言うなぁ!」

「じゃあ、お互い未経験だし……僕とキスの練習、する?」

「あたしらの間で、女の子同士が尊いラブコメをする展開は永遠に無いから」

 はっきりと断言すると、何故か冬子とはるるは顔を見合わせて赤くする。あったの? あたしの知らないところで、『てぇてぇ』な展開が? あ。未経験って言っていたし、いつもの冗談か。

「渚は真面目だなあ。大学生になったら悪い男の子に、アパートの部屋に連れ込まれて、お酒を飲んだ勢いで不真面目なことをしそうで、僕は心配だよ」

「あー、ウチもそれ分かる。『たまには不真面目なこと、しちゃう?』って言って、そのまま朝にチュンする的な展開ね」

「あ、あたしはちゃんと正々堂々と不真面目なことするし!」

「その宣言も何かおかしくないかな?」

「絶対ダメな男に惚れこみそうだなぁ……あ、メッセージきた! コヨちゃんからだ!」

 そう言ってはるるは、胸の谷間からスマホを取り出す。胸の谷間から……?

「はるる。あんた今、どこからスマホを……?」

「さっきトイレ行った時、邪魔だったからここに挟んでおいただけだよ? 東江はるるちゃん特製スマホケース! ウケるっしょ?」

「どんな衝撃でも壊れなそう。あたしの脳は衝撃で壊れそう」

「それより、連絡通路からプールに生徒が入って行った、って! 多分もう更衣室に入っちゃったかも! ど、どうする?」

 慌てるはるるに、あたしと冬子は顔を見合わせて頷く。

「あたしが更衣室に行く。二人には、プールの出入り口を任せてもいい?」

「分かった。だけど僕には渚のバックアップをさせてほしい。相手が暴力に訴えてくる可能性もあるだろうし」

「それならウチが出入り口を見張るね! コヨちゃんにもスマホで通話繋いでおくから、そこは安心しておいて! じゃあ、急ごう!」

 あたしたち三人はプールを出て、それぞれが担う場所へ移動する。

 はるるが連絡通路に繋がる出口を押さえ、冬子はあたしの隣に立ち、非常事態に備える。

 そして、あたしは更衣室のドアをほんの僅かだけ開けて、中を窺う。

「いた……! あれが、黄色いパンツ事件の犯人?」

 上下ともに学校指定のジャージで、野球部のキャップを深く被り、顔には白いマスク。

 まさか、犯人は野球部関係者? いや、それはフェイクかも。

「僕らのロッカーを物色しているね」

 冬子も同じように覗き込み、犯人の行動を注視する。

 三つのロッカーを開けて、何かを確認してから……犯人はロッカーを閉める。

 その手には何も握られていなかった。あたしたちの衣類も財布も、無事だ。

 それから犯人は、ジャージのポケットから袋に入った何かを取り出し──。

「貼った……! ロッカーに、黄色いパンツを」

 ガムテープで、はるると冬子のロッカーにパンツを貼り付ける。

 次はあたしか。改めて見ると、不気味な行動ね。

「あ、あれ? あいつ、帰ろうとしていない?」

 犯人はガムテープをポケットに入れて、撤収の準備を始める。

 へえー、そっかあ。そういうわけ?

 あたしには黄色いパンツを配るような価値がないって、そう言いたいわけだ。

 つまりあたし「だけ」が無事。被害一切ナシ。

 それはそれで──。


 死ぬほど、ムカつく!


「待ちなさい! あんたみたいなドヘンタイ、絶対に許さないから!」

 気付けばあたしはドアを蹴って、怒りに任せて突入してしまった。

 続いて冬子が入室し、ドアの鍵を即座に閉める。

「これで逃げられないわね。あんたが特殊な性欲を満たす日々も、これで終わり!」

 あたしたちが犯人に近付こうとした、その瞬間だった。

 奴は背を向け、そのまま更衣室の窓に向かって走り出す。

 そうね。そこが唯一の逃げ場だし、そうしたくなる気持ちは分かるけど。

「……っ! く、ううっ!」

 鍵を下ろして必死に窓を横に引こうとしても、無駄。

「残念だけど、外側から対策済みよ。つっかえ棒を置くっていう、超古典的な手法だけどね。さて、それじゃあ……」

「ごごご、ごめんなさい! どうか許してぇ!」

 全てを諦めた犯人は、潔くその場で土下座する。あーあ、みっともない。

「そんな可愛い声で謝っても許されるわけが……え? 可愛い、声?」

 あたしの耳がおかしくなったのかと思ったが、冬子も驚いたような顔をしている。

 混乱しているあたしたちに対して、犯人は野球帽とマスクを取る。

 その顔は、あたしが想像していた性欲を拗らせた男子高校生じゃなくて。

「こ、がねちゃん?」

 その子はあたしたちと同じクラスの、小金ここだった。



 とりあえず、小金ちゃんを捕まえたあたしたちは、着替えを終えて保健室へと向かい、暦先生を交えて理由を尋ねることにした。

 すぐに学年主任に引き渡すのも考えたけど、クラスメイト相手にそれは気が引ける。

 小金ちゃんが自分の快楽のために、こんなことをしているとも思えないし。

「それで? 小金ちゃんはどうして、こんなフェチに満ちた行為をしていたの?」

「あ、心愛でいいよ、夏凪さん。私たち友達だし」

「急激に距離感を詰めることで罪を逃れようとしている!? 言っておくけど、そういうの無駄だから!」

「い、いや……それは普通に、心から出た言葉だけど」

 困ったように笑う小金ちゃん、もとい心愛ちゃんにあたしの顔が熱くなる。

 つい親しい友達と同じノリを出しちゃって、微妙な反応されると心が凍る……。

「遊んだことなくても、同じクラスなら友達だよ。ね? 夏凪さん」

「その割にはあたしに対しては『さん』づけなのが気になるけど……まあ、それはいいや。黄色いパンツを配っていた理由は、何なの?」

 あたしが再びストレートな質問をぶつけると、心愛ちゃんは黙り込む。

 友達の定義が広すぎる彼女が、こんなことをしていたのが更に謎だ。

 それでも黙秘権が与えられていないことは理解していたのか、心愛ちゃんはゆっくりとその理由を教えてくれた。

「……私、駅で痴漢に盗撮されたの」

 その告白に、あたしたちはショックを受ける。決して珍しくないことかもしれないけど、その卑劣な行為は、女子にとって嫌悪の塊であることには違いないのだ。

「あ、触られたわけじゃないよ? エスカレーターを使っている時に、背後で盗撮をされたの……スカートの中に、スマホを差し込まれて。そのまま電車で逃げられたの」

「よくある手段ですわね。可愛い生徒がそんな目に遭っていたなんて、許しがたいことです。担任の先生や警察には相談しなかったのですか?」

 優しく諭す暦先生に、しかし心愛ちゃんは首を横に振る。

「それは考えました。だけど……動画を拡散されることが怖くて。ネットに上げられでもしたら……盗撮されたのが私だっていうことが、知り合いとかにバレたらと思うと」

 相談をして、下手に見回りが強化されたら、それを察知した盗撮犯が姿を消す可能性もある。そうなったら、動画の元データは二度と取り返せない。

「心愛ちゃんは怖かった、のね。でもそれが、どうして黄色いパンツ配布に繋がるの?」

「えっと、それは……当日穿いていたのが、この下着だったから。だからいっそ、盗撮されたのが私だって、特定されなければいいと思って」

「ええっと、それはつまり?」

「みんなにこの下着を配って、『幸せの下着』として、たくさんの女子に穿いてもらえば、盗撮されたのが私だって特定は出来ないでしょう? さ、最低な発想かもしれないけど」

「なるほどね、でも、『黄色いパンツを穿いたうちの生徒』っていうだけじゃ、そもそも特定は出来なくない? 心愛ちゃんがそれを穿いているなんて、誰も知るわけが」

 そこまで言って、あたしはある可能性に辿り着いた。

 多分だけど、知っている人、いるじゃん。

 例えば、恥じらいながらも二人で下着を買いに行けるような関係の異性。つまり。

「彼氏にバレたくなかった……っていうこと?」

 あたしの言葉に、心愛ちゃんは顔を真っ赤にして小さく頷く。

 自分の彼女が盗撮され、ネットに動画を上げられる。

 彼氏も同じくらいショックだし、怒りに任せてどんな行動を取るかも分からない。

 心愛ちゃんは無用なトラブルを避けるために、今回の事件を起こしたのだ。

「顔が映っていなくてもブレザーとスカートのデザインで、同じ学校だって分かっちゃう。何らかのきっかけで、それが同級生に知られるのも……っ、うう」

 そう言って遂に泣き出した心愛ちゃんの背中を、冬子が優しく撫でる。

 SNSがあまりにも流行りすぎているこのご時世。

 この学校に通う何百人もの男子の誰かが、その盗撮動画を見つけて興奮のあまり、友達に拡散してしまう可能性だって、全く否定は出来ない。

「絶対許されない、そんなの」

 口から漏れた呟きに、心愛ちゃんは肩を小さく震わせる。

 罪悪感と恐怖でいっぱいになっている彼女に、あたしは──。

「あたしは、許さないから。絶対に……痴漢を許さない!」

「……え?」

 何故か自分が怒られると思っていたのか、心愛ちゃんは目を丸くする。

 何であたしが、心愛ちゃんを怒ると思っているのかな。

「探偵代行であるあたしたちが、その卑劣なクズ男を捕まえる! そしてブートジョロキアを塗りたくったパンツを穿かせて、四つん這いで警察署まで散歩させてやる!」

 身体中を駆け巡る血が、沸騰しそうな怒り。

 怒りはそんな言葉に変換されて、あたしの口から飛び出した。

「ねえ、冬子! はるる! それに暦先生も! 何かいい案、あったりする? 女子高生の日常を脅かすクズを捕まえる、最高のアイディアをちょうだい!」

 あたしの言葉を聞いて、三人は力強く頷きかえしてくれる。

 そして一歩前に出たはるるが、一つの手段を語り出す。

「ウチにお任せあれ! 性欲に支配された輩をあぶりだす、とっておきがあるよ!」

「とっておき……いいよ、何でもやる。あたしを好きなように使って。好き勝手する痴漢をこらしめるためなら!」

「ふひひ。ナギのそういうところ、大好き! じゃあ、早速これの出番かな?」

 そう言って、はるるがスクールバッグから取り出したのは……。

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