第一話 幸せの黄色いパンツ(4)
翌日の放課後。あたしたちはまた、昨日とは別の場所に来ていた。
下着を買うところが押さえられなかったのならば、犯行現場を押さえればいい。
三人で夜中まで通話をして意見を交わし、集まった場所は──。
「下着の次は水着、かぁ……アニメのサービス回みたい。まあ、あたしの案だけど」
学校の敷地内にある、屋内プールだ。元々は強豪であった水泳部が使っていた設備だけど、それもあたしたちが入学するより、何年も前の話。
しかし現在、水泳部は廃部になり、ここは他の運動部のトレーニングや、夏場の体育授業で使われるくらい。
「いやあ、頼んでみるものだね。暦先生が頑張って、二時間ほど利用許可を取ってくれたみたいだよ」
あたしより遅れて更衣室から出てきたのは、冬子だ。
身長が高いだけあって、手足が長くて競泳水着がすごく似合う。男子どころか女子だって、そのモデルみたいな体型に目が釘付けになっちゃう。
「渚、呆然としてどうしたの? 大丈夫? 太もも触る?」
「太もも触ったくらいで何が治るのよ?」
「僕の太ももからしか摂取出来ない栄養があるはずさ。まあ、視線で身体中を舐め回されるのは慣れっこだよ。中学の頃は更衣室でよく見られたなあ。懐かしい」
「良かった思い出を振り返るようなトーンなの、おかしくない?」
「そうだよ! すごく良かった思い出だからねぇ!!」
「うわ! 急に大声出さないでよ! しかも満面の笑みで!」
冬子は露出趣味もあるの……? あたしは同性でも見られるの、結構恥ずかしいけど。何なら今、こうやって競泳水着を着ているのもすごく嫌だ。
「僕の身体くらいで動揺してどうするのさ。もっとすごいのが来るよ、ほら」
そう言って冬子が指差した先には、私の友達が……否──。
そこにあったのは、二つのメロンだ。メロンがメロンで、メロンだった。
足の生えたメロンか。足にメロンが生えているのか。
きっとこれは、一生解けない謎。あたしには迷宮入り確定の、大きすぎる謎。
「ナギ、フユ! お待たせー! いやあ、学校で借りた競泳水着、中々サイズが小さくてさー。特に胸のところは緊縛プレイを受けているみたいな! あはは!」
走る度に揺れるメロン……あれ? 幻覚だ。よく見たらメロンは、はるるだった。
髪を結ってお団子にしているその姿は、普段と違う印象を受ける。でも、これは。
「最悪だ! スレンダーで美人な女子と、グラマーで無邪気なギャル! その間に挟まれたあたし! 何の特徴も無いモブキャラになっているじゃん!」
両手に花、ならぬ両側に花だ!
「例えば冬子が薔薇で、はるるがひまわりなら……あたしはせいぜい、ハルジオン?」
「そこは僕らの名前と、花の咲く季節で揃えて欲しかったな。薔薇は初夏だし、ひまわりは夏。ハルジオンは春で、別名は貧乏草だよ、渚」
「貧乏草じゃなくて、貧乏くじでしょ、こんなの……あと、あんたが花に詳しいのは微妙に似合うから更にイラッとする」
「大丈夫だよ、ナギ。ウチらがそんな派手な花なら、ナギは一生懸命に咲く花。たんぽぽくらいにはなれるから!」
「よし、買った。売られた喧嘩は買うし、あんたという花も刈ってやる」
「ごめんってぇ! せめて花屋の店先に並んでからイケメンに買われたいよぉ!」
そこは多分、「飼われたい」の方がしっくりくる気がする……って、やかましい。
あーあ。結構あたしも自信あったのになあ。泣きそう。
「僕は薔薇じゃなくて、渚の綺麗な胸を引き立たせる役になりたいけどね。僕の方がたんぽぽでありたい。お刺身に添えられた、あのたんぽぽのように!」
「あれはたんぽぽじゃなくて、食用菊でしょ。バカ」
「ちなみにハルジオンも菊の仲間だよ! 話にオチがついたね、渚! お上手!」
「そうね、ありがとう。全く関係ないけど、水中で人間が息を止める時間の、世界記録は二十四分くらいだって。じゃあ、一緒に泳ごう?」
「ふ、不慮の事故を起こそうとしている目だ! 具体的には二十五分くらいの事故を!」
閑話休題。あたしたちは準備運動をしながら、今日ここに来た目的を整理する。
「本当にあたしたちがプールを使っている間に、更衣室に黄色いパンツ事件の犯人がやってくると思う?」
「渚の提案なのに、随分と弱気だね。最近は運動部の部室は殆ど警戒態勢で、犯人が侵入しづらい。けど、プールの更衣室は利用者も少ないから……」
「人目が少なく、犯行にうってつけってワケ。ウチらがプールで楽しく遊んでいる間に、こっそりと更衣室に入ってきた犯人を……確保ぉ!」
はるるは冬子に背後から抱き着いて、二人揃ってドヤ顔であたしを見つめる。
囮作戦を立案したのはあたしだけど、細かいところを詰めたのは二人で、その結果がこれだ。
「平気さ。校舎からプールに向かう連絡通路は、暦先生が見張っているからね。だから僕らのやるべきことは、外に聞こえるくらい……ここで大騒ぎすることさ!」
そう言うと、冬子は準備運動を終えてプールに飛び込んだ。
それから一気に二十五メートルを華麗なクロールで泳ぎ切って、反対側のプールサイドに上がる。楽しそうに手を振る冬子の顔が、なんだか眩しい。
「いいよね、フユって。いつも明るくて、ウチらのことを引っ張ってくれて」
隣に立つはるるが、ほんの少しだけ羨望を滲ませた目で冬子を見つめる。
「うん。あたしもそう思う。復学した頃のあたしって、結構浮いていたよね?」
「んー? 確かにそうだったかも。それがどうしたの?」
「そんなあたしに、あの子はすごく気軽に声をかけてくれてさ。まるで昨日遊んだ友達に接するような態度で……ちょうど、ああいう感じの笑顔で」
「うんうん。それがフユのいいところだからね! まあ、フユはフユで、少し浮いていたところがあったから。似た者同士の匂いがしたのかも? ウチもだけど!」
冬子とはるると初めて会話したあの日のことを思う。
楽しみだった高校生活。それ以上に不安だった、学校での日常。
そんなあたしの前に現れた二人は、間違いなくヒーローだった。
「不思議だよね。あんなに面白くて、優しくて、格好いいのに」
「ねー! あんなに友達思いで可愛い女子って、中々いないのに!」
二人でちょっとだけ昔の話をしていると、冬子が戻ってくる。
「あ、バカが帰ってきたわよ」
「本当だ。バカみたいに全力で泳いだバカが戻ってきた」
「急にどうしたの!? 当人がいない間に悪口で盛り上がるこのグループ、陰湿すぎるよ! ところで二人は泳がないの? 渚は心臓に負担がかかるとか?」
「あ、それは大丈夫。意外と走ったりしても大丈夫だし。だけど今日はやりたいことがあって、用意してきたの!」
あたしはプールサイドに置いてあった、ビニールバッグからあるものを取り出す。
「これこれ、スーパーボールの詰め合わせ! 小さい頃見たテレビドラマでね、水泳の授業にこれを何個取れるかって生徒たちが競うシーンがあって、憧れだったの」
それはきっと、現実でもドラマのように体験している子供は多いかもしれない。
でも、あたしの生きていた世界……あの病室では、きらきらに輝くフィクションだった。
太陽の光を反射して輝くスーパーボールは、宝石のように綺麗だったから。
「だから二人と一緒にやりたいなあ、って思って。こ、子供っぽいかな? あはは」
何だか急激に恥ずかしくなって、はるるの真似をするように、笑って誤魔化してみる。
バカだな、あたし。小学生が授業でやる遊びを、高校生がやるとか。あたしはともかく、二人が楽しめるわけないのに。
「はるる。準備はいいかい?」
「もちろんでしょ、フユ。それじゃあ……いっくよー!」
あたしの手のひらから、たくさんのスーパーボールを奪って、はるるはそれを思いっきりプールに投げ入れた。
驚いているあたしに、冬子が小さく背中を叩く。
「何ボケっとしているのさ、渚。僕が全部取っちゃうよ?」
「ウチも取るし! あ、ダイヤ型のスーパーボールはポイント十倍だからね!」
ドボン、と。二人はあたしを置いて頭からプールに飛び込んでいく。
跳ねる水が、あたしの頬を濡らす。大好きな友達二人は、それこそ小学生のように頭から潜って、底に沈んだ宝物を探し始めた。
「ま、待ってよ! あたしもやる! 絶対二人には負けないから!」
同じように飛び込んで、頭からプールに潜って。息が続く限り、必死になってスーパーボールを取り合う時間が……なんだか、幸せだ。
昔のあたしには、出来なかったこと。あの頃の『心臓』では、出来なかったこと。
幼い頃に思い描いていた空想と理想に満ちた世界。
フィクションがリアルに置き換わった今、強く実感する。
ああ、もう。どうしよう。
女子高生って、やっぱりすごく楽しい!