第一話 幸せの黄色いパンツ(2)

 あたしが色々と考え込んでいると、気付けば保健室の前まで来ていた。

 何を妄想していたか忘れたけど、『王子様キャラは万能』という、よく分からない結論だけが頭に残っていた。何これ?

「あら、今日はお友達と一緒ですね。夏凪さん」

 保健室に入ると、部屋の奥で丸椅子に座っている女性が声をかけてくる。

 明るいシックなシャツに、ミディ丈のスカートという大人っぽいコーディネートの上に、養護教諭らしく白衣を羽織っているのは、うつこよみ

 お嬢様のような言葉遣いが少しだけ胡散臭いけど、基本的には生徒に優しい人で、あたしの体調をいつも気にかけてくれている。

 あたしたちとは仲が良く、親しみを込めて名前で呼んだりしている。

「おはようございます、暦先生」

「はい。おはようございます、夏凪さん。それに、東江さんも」

「えへへー! おはよう、コヨちゃん! 今日も大人の女性って感じで、推せるね!」

「うふふ、嬉しいですわ。それじゃあ夏凪さん、問診をしましょうか?」

「暦先生? すごく自然に僕だけを無視するの、やめてくれます? 暦先生?」

 必死に声をかける冬子に、暦先生はわざとらしく微笑み返す。

 やっぱり王子様キャラは万能だ。イジられている時ですら、光るものがある。

「最近、体調の変化などはありますか? 疲れやすいとか、運動しているわけでもないのに、胸が苦しくなって、ドキドキする瞬間があるとか」

「大丈夫です。最近はむしろ、調子がいいくらいで」

「ふむふむ。例えば気になる男子と会話をしても、ドキドキしないですか?」

「ドキドキってそういう意味ですか!?」

「高校三年生ですから、そういう経験が少しくらいないと不健全ですわよ。好きな男子と二人きりで遊ぶ妄想とか……少しはしないですか?」

「そ、それは……特定の男子はないですけど、あたし好みの男の子に声をかけられて、ホイホイついていって粗末に扱われる妄想とかは、時々?」

「はい。お薬出しておきますわね。主に頭の」

「ナギは引くくらいドMだからなぁー。ウチには分からん」

「でも時々、めちゃくちゃ僕を虐めてくるところもあって、そこが最高だよね」

「ま、まさか全員に呆れられた!? ちょっとだけ赤裸々に日常の妄想を口に出しただけなのにぃ!」

 辱めを受けつつも問診は進んでいく。

 朝からすごく疲れた……でも、これで終わりよね。

「そういえば、そろそろ学校献血の季節ですわね。夏凪さんは心臓移植の経験があるから難しいでしょうが、白浜さんと東江さん。あなたたちは参加されますか?」

 学校献血とは文字通り、学校で行う献血のことだ。

 この時期になると健康診断に伴い、希望制で行われるけど……入学時に在学中に一度は献血するようにとしつこく言われるので、殆どの生徒は一年生のうちに済ませている。

「あー、ウチはそれ無理。ナギと似たような感じで、輸血受けたことあるからダメとか言われちゃった。人助け、したかったのになぁ」

 はるるは残念そうに肩を落とす。確か、仲良くなってしばらく経った頃に聞いたことがある話だ。

「小さい頃に交通事故に遭って、大怪我したのよね」

「うん。両親は亡くなっちゃったけど、ずっと昔のことだし、それでもウチは生きているし、大丈夫! おかげでこんな健全なボディになったし!」

 暗い話の後で、大きな胸を持ち上げてアピールされると感情がバグるからやめて?

 でも、辛い昔話を悲しいままで終えない。それが東江はるるの美点だ。

「そうだったのですね……知らなかったですわ」

「そんな顔しなくていいってー! コヨちゃんはまだ赴任してきて数ヶ月でしょ? ウチとか他の生徒の色んな事情を知らなくても普通だしさ」

 暦先生は他の教員と違い、春ではなく年明けに赴任してきた。

 前任の養護教諭が急に音信不通になり、その穴埋めとして採用された……だったかな。

「せめて保健室の常連である、あなたたち三人のことくらいは知らないといけませんわ。あ! でしたら、白浜さんは献血に参加出来るのではなくて?」

「僕もダメですよ、先生。可愛い女の子におねだりされたら考えます」

「とか言ってぇ、注射の針が怖いだけですからね、フユは。お子様でしょー?」

「なぁ!? は、はるる! それは内緒だって言っただろう!」

 友達に弱点を暴露され、動揺する冬子はちょっと可愛かった。

 あたしは幼い頃、点滴や採血で針をブスブス刺されたから、ぶっちゃけ慣れている。好きではないけど。

「まあ、あくまで希望制ですものね。白浜さんのような理由で断る生徒も、少しは居るようですし。では、これで今日の問診は終わりです。夏凪さん、お疲れ様でした」

「はい、ありがとうございま……わ、あっ!?」

 あたしは立ち上がる際に、椅子の足に引っ掛かってしまった。

 危うく転んで、保健室の床に激突しそうになるけど、何とか手をつくことが出来た。

「……危なかったぁ。保健室で、怪我するかと思った」

 四つん這いの状態で一息ついてから立ち上がろうとすると、やけに視線を感じる。

 主にお尻の方に。三人の熱い視線を。

「あらあら、意外と幼いですわね。夏凪さんのおパンツ」

「気の強い女子の下着が幼いのって、すごくいいよね。推せるし、押したい」

「ナギ! ウチもそのパンツ、小学生くらいの時に穿いていたよ! ロリだった頃のウチとお揃いだね! えへへ」

 三者三様、好き勝手な言葉を並べてくる。

 見られた? 見られた。あたしの……下着! パパパ、パンツを!

 恐る恐るスカートに手を伸ばすと、捲れている。チラどころじゃない、モロだ。これ。

「わぁあああ! さ、さ、最悪だ! 朝からラッキースケベイベントに巻き込まれて、女子三人に下着の品評をされた! もう帰りたい!」

 立ち上がってスカートを直すけど、もう遅い。今からこの場に居る全員の目を潰して、記憶が無くなるまで鈍器で叩き続けるしかない!

「そんなに照れなくてもいいじゃないか、渚。それともお金で解決する? いくら?」

「ナギはお金を払えば何をしてもいいタイプのJKだったよね」

「下着を見られた上に、友人二人が最低すぎるイメージを植え付けてくる!?」

 ううっ……せっかく目覚めた時に気分が良かったから、わざわざ買ったばかりのものを下ろしたっていうのに。たった数時間で汚された気分。

「微笑ましいやりとりですね。大人になると、見せる相手もいないのに高い下着を穿くこともなくなるので、何だか羨ましいですわ。ふふっ……」

「裏側に切なさを貼り付けた笑みを浮かべないでください、先生」

「そういえば、夏凪さんのおかげで思い出したことがありまして。【幸せの黄色いパンツ】って、皆さんはご存知ですか?」

「ま、またパンツの話だぁ……」

 あたしが本気で泣きそうになっていると、代わりに答えたのは冬子だった。

「最近、この学校で話題になっていますよね。事件というか」

「事件?」

 つい、その言葉に反応してしまった。自分でも何故か分からないけど。

「うん。体育の授業や部活動を終えて更衣室に戻ると、ロッカーの扉に新品の黄色い下着が袋に入って貼られているという、不思議な出来事さ。ちなみに女子限定」

「何その深刻なヘンタイが関わっていそうな事件。聞いて損した」

「僕もそう思う。珍事件だよね。下着だけに」

 弩級のセクハラをかましてくる冬子を無視して、暦先生に向き直る。

「それで? その黄色いパンツが何ですか?」

「白浜さんの言うように、事件自体は深刻なものではないのです。黄色いパンツを貰った女子は幸せになるとか、女子生徒の間で囁かれていますし」

「せめてハンカチでしょ。下着を配る意味、ある?」

「ですが教員としては看過出来ないのですよ。更衣室に不法侵入しているのもそうですし、仮に男子が黄色いパンツを配っていたら、一気に不穏な事件になりますからね」

「確かに……誰も不幸になっていないとはいえ、想像したら普通に不気味かも」

 あたしたちの学校は、入学時に全生徒にロッカーの鍵を配付する。

 財布とか携帯電話を盗まれたら困るし、女子しか入れない空間とはいえ、殆どの生徒がその鍵で施錠しているから、下着や貴重品が盗難される心配はないけど。

「とはいえ、学校としてはあまり大事にはしたくないのも事実。被害が無い以上は警察を呼ぶことも、全校集会を開くのも避けたいですから……そこで、ですわ」

 あたしたち三人を見て、暦先生が言う。

「あなたたちに手伝いをお願いしたいのです。放課後、私の巡回業務を補佐してくれないでしょうか?」

 つまりそれは、ボランティアということだろう。

 だけど放課後を謳歌したいあたしたち三人は、微妙な表情を浮かべるしかなかった。

「コヨちゃん、それだとウチらにメリット無くない? 犯人が捕まったら、内申点に色を付けてくれるとか、そういうのが無いとさぁ」

 はるるの提案に、暦先生は「それはもちろん」と頷いてから続ける。

「放課後に謎解きも楽しいものですよ? 私も高校生の頃、本好きの同級生と暗号遊びなどしていたものですわ。ミステリ小説に出てくる、《探偵》を気取っていたものです」

 暦先生が、不意に漏らした一言に。

 あたしの心は強く、惹かれた。

 事件のことじゃなくて、その言葉に。

 探偵。まるであたしは、幼い頃からずっとその言葉に強い憧れを抱いていたみたいで。

 生まれてから一度も、そんな空想をしたことはないはずなのに。

「ふふっ。一人だけ、とても興味深そうな顔をしていますわね? 夏凪さん」

「あ、いや! そうじゃなくて……」

 暦先生にまるで見透かされたかのような口ぶりで指摘されて、思わず否定してしまう。

「探偵で思い出したけど、ナギは最近人探しをしていなかったっけ? 色んなメディアで取り上げられている、匿名の男子。それこそ、名探偵とか持て囃されている子」

 はるるの問いかけに、あたしは小さく首を横に振る。

「あれは別に、ちょっとした興味。本当に見つけようとは思っていないってば」

 この街にはいくつもの『事件』に偶然居合わせ、それを解決する少年がいるのだとか。

 小規模な事件から、難解な事件まで。全てを解決してしまう男の子。

「ちょっとした興味くらいだったら、簡単に忘れるものだよ。それに、渚は手術後から奇妙な違和感があるって言っていたじゃないか」

「あら? 夏凪さん、どこか調子の悪いところがあるのなら言ってくださらないと」

 冬子の言葉を養護教諭らしい解釈で受け取った暦先生に、あたしは慌てて否定する。

「そ、そうじゃなくて……本当に変な話なんです。例えば、今まではそんなに興味が無かったミステリ小説を読むようになったり、ニュースで事件が起きたら推理してみたり」

 まるで、『謎』に恋焦がれる少女のような。

「もっと小さい頃は、気にも留めなかったことなのに。謎解きに関してだけ、時々自分が自分じゃないような感じになって」

「なるほど。臓器移植の後、嗜好や性格が変わるという事例もあるそうですし。その影響もあるのかもしれないですね。でしたら!」

 暦先生は小さく手を叩いて、思いつきを口にする。

「この【幸せの黄色いパンツ】事件を解決に導いてみてはいかがでしょう? もしもその名探偵男子の噂が真実なら、彼と会えるかもしれないですよ?」

「えぇ? ……どうですかね?」

 あたしは暦先生の言葉に、思わず首を傾げてしまうけど。

「多くの事件に偶然居合わせ、解決に導く。そんな不思議な男の子なら、この事件にも何らかの形で関わってくると思いませんか?」

「確かに、その可能性はある……かも?」

「あなたが探偵になれば、その機会はきっと巡ってくるはずです。そして、その胸に渦巻く『謎解き欲求』も満たされるに違いありません」

 確かに、これは彼のことを見定めるチャンスだ。

 頻繁に事件に巻き込まれる異常性や能力、推理力や洞察力が本物であれば──。

 あたしが解いて欲しい、最大の《謎》。


 この心臓の持ち主を見つけることに、協力してくれるかもしれない。


 そう思って、気付いた時にはあたしの口は既に動いていた。

「分かりました、暦先生」

 そう答えて、あたしは一つだけ条件を加える。

「探偵じゃなくて、《探偵代行》でいいなら、引き受けます」

 それはあたしの中に潜む、もう一人の『誰か』がそう言わせたかのようだった。

 言い終えて、自分でも驚いて口を押さえてしまったけど……ちょっと遅かったみたい。

「ふふふ、構いませんわ。ではお願いしますわね、《探偵代行》の夏凪さん。それに、その助手である白浜さんと東江さんも。何かあれば、私も当然お手伝いしますので!」

 結局、そんな感じで暦先生に押し切られてしまい、間もなく鳴った予鈴によって保健室から退室させられてしまった。

「渚。やっぱり嫌なら僕が断ってこようか?」

 考え込んでいるあたしに、冬子が心配そうな顔で尋ねる。

「あ、ううん。別に大丈夫。だけど……どうしてあたし、あんなことを言ったのかな、って。探偵っていう言葉を聞いた途端に、それはダメだって思って」

 探偵がダメで、探偵代行ならいい。

 ずっと昔、誰かにそんな台詞を口にしたかのような既視感。

 友達がいなかったあたしに、それを言う機会があったとは思えないけど。

「やるよ。あたし、《探偵代行》をやってみたい。でも一人じゃ不安だから、冬子とはるるも……手伝って、くれる?」

「やれやれ。探偵になりたいなら、人の話はちゃんと聞こうよ。渚」

「やれやれ。ナギは洞察力が足りないなあ」

 せっかくあたしが遠慮がちに、しかも顔を赤らめながらお願いしたのに、二人はそんなことどうでもいいと言わんばかりに、小さく笑いを浮かべる。

「暦先生が言っていたじゃないか。『あなたたちに』ってね」

「そうそう。ウチらは最初からナギを支えるつもり、MAXだったからね! 女三人寄れば姦しいって言うし!」

「それを言うなら三人寄れば悶々でエッチ、だよ。はるる。おバカさんだね」

「三人寄れば文殊の知恵、ね? うーん、やっぱりあたし一人で調査した方が色々とスムーズに進みそうな気がしてきた……でも」

 冬子とはるるの手をそれぞれ取って、強く握る。

 あたしの小さな手じゃ包みきれない、二人の温かくて大きな手。

「ありがとう。二人が一緒なら、あたしは何だって出来る気がする」

 それは少し、大袈裟な言葉だったかもしれないけど。

「ああ! 僕だって、渚とはるるのためなら、何だって出来るさ!」

「うん! ウチも、ナギとフユになら命預けられるよ!」

 あたしの大切な友達は、その言葉を茶化すことも、はぐらかすこともなく。

 真正面から、同じ熱量で応えてくれるのだった。

 ああ、もう。

 あたし、本当にこの二人が大好きだ。

「せっかくだからチーム名でもつけようか。『渚の純情ガールズ』でいいかい?」

「いいわけないでしょ!? 何その昭和アイドルの名曲みたいなやつ!」

「ちなみにウチら、他の生徒から『サマーズ』って言われているけどね。夏凪、白浜、東江っていう季節感たっぷりなイメージのせいで。ウケる」

「うわぁー! そんなの、知りたくなかった! そっちも響きが芸人っぽいし、何ならあたしが主体で二人をまとめているみたいで、もっと嫌だ!」

「あはは。そんなことないですよ、ボス。ウチらはいつだって対等です」

「対等な友達は友達のことをボスとか呼ばないし、敬語を使わない!」

 保健室の前でそんなくだらないことを話していると。

「でしたら、『春夏冬』と書いて、『あきなし』はどうでしょう? 東江はるるさん、夏凪渚さん、白浜冬子さんときて、秋はいないですからね! ふふふ」

「まさかの暦先生も参加してきた!?」

 この最悪なチーム名決めは、ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴ったことで、何とか有耶無耶に出来た。(でも、『春夏冬あきなし』はちょっと気に入った)

 事件の解決は、その内容だけにあまり気乗りはしないけど。

 探偵代行になったあたしは、どこか気分が高揚していて。

 もしかしたら『彼』に会えるんじゃないかという期待が、その気持ちを更に高めてくれる。

 ちなみに、はるるはあたしのノートを写すのをすっかり忘れていて、数学の授業で冬子と一緒に先生から強烈なお叱りを受けたのだった。

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