第一話 幸せの黄色いパンツ(1)
「おはよう、渚! 今日の下着の色、教えてもらってもいい?」
「地獄か」
五月、穏やかな気温の朝。
通学路であたしに声をかけ、そのまま背後から抱き着いてきただけでは飽き足らず、とてもシンプルなセクハラをかましてきた女。
名前は、
「せっかくあたしが、『今日が素敵な一日になるような気がした』なんて感じで、すごくいい気分で家を出たのに、たった数分でそれをブチ壊していくの、やめてくれない?」
「渚、そんな主人公気取りのモノローグを呟きながら、登校しているの? こわっ」
「それは別にいいでしょ! こんなに天気の良い朝なのに、セクハラを決められたあたしの気持ち、すごくブルーなんですけど!」
「そうだね。空は青いし、雲は白い。ちなみに渚の下着の色は?」
「し……って、流れるようにセクハラの続きをするなぁ!」
冬子は怒ったあたしから、わざとらしく距離を取って笑う。
ちなみにこんな最低の挨拶をかましてくる冬子だけど、見た目だけはすごくいい。
背は高くて、中性的で綺麗な顔。声も少し低めで運動神経もいいし、全部が反則すぎる。
「あはは。何度も僕からセクハラを受けているのに、その度に照れてくれる君が大好きだよ、渚」
しかもボクっ娘とか、設定盛りすぎでしょ。あとその顔でさらっと好きとか言うな。急に好きなんて言われると脳がバグって本気になったらどうするつもりだ。
「まあ、今日の渚の下着の色は予想がつくよ。家に侵入した時に所有している下着の枚数と、好みの色の傾向は把握したからね」
「急にヤンデレ属性を追加しないでくれる? ていうか、う、嘘よね?」
「ふふっ。僕が渚に嘘を吐いたこと、あるかい?」
「せめて今だけは優しい嘘を吐いて欲しかった! 怖すぎて泣きそう……」
「渚を泣かせる奴は僕が許さないよ。たとえどんな目に遭っても、僕が君を守る」
「ありがとう。じゃあ今すぐ警察行ってくれる?」
あたしがそう言うと、冬子は何故か真顔になって首を横に振る。
「け、警察はちょっとトラウマがあってね。それだけは遠慮したい」
「やっぱりあたしが知らないだけで、前科持ちなの?」
「やっぱり? あれ? 渚の僕に対する信頼、もしかして皆無だったりする?」
「その通りだけど? 朝から抱き着いてきて下着の色聞いてくる人間の、どこに信頼を置けっていうのよ。それに」
「おはー。今日も朝からアガってるねぇ、ナギ! フユ!」
冬子に説教をかましてやろうとしたら、信号を渡った先でド派手な金髪ギャルに声をかけられた。あたしたちと同じ制服(露出はすごいけど)に身を包むその女子は──。
「おはよう、はるる。あんたは今日も元気そうね」
「もちろん! ウチ、今朝も駅前でタピオカを一杯キメてきたし!」
今のあたしは、この二人とばかり高校生活を過ごしている。
朝の登校もそうだし、お昼は食堂や中庭で一緒に食べている。放課後は時々遊びに行くし、うん……すごく大切な、友達だ。
念願叶って女子高生になったものの、病弱なあたしは殆ど学校に通えなかった。
出席が出来ない分、特別待遇を受けてレポートを提出し、テストを受けることで単位を得て、進級自体は無事に出来たけど。
少しずつ高校に通えるようになったのは、半年前……高校二年の秋くらいから。
まだまだ休みがちな、ちょっと浮いていたあたしに声をかけてくれて、色々あった末に仲良しになったのが、冬子とはるるだ。
「ていうか、朝からわざわざタピオカって……身体に悪くない?」
「そんなことないよー? 朝にタピオカを飲むと手の震えと動悸が治まって、漠然とした不安感も取り除けるし。彼ピも出来るし、スマホゲーのガチャで最高レアも出る」
「あたし、友達に朝からヤバめなセールストークを聞かされている?」
「あと、胸も大きくなった。これはガチの話」
「……後でこっそり、お店教えて?」
なるほど。一時期、全ての女子高生がタピオカを片手に装備していた理由が分かった。
「そもそも、タピオカミルクティーっておいしいの?」
「えぇー? ナギ、飲んだことないの?」
恥ずかしながら入院生活が長かったせいで、あたしは流行にすごく疎い。
冬子とはるるがたまに話題に出すから存在自体は知っているけど、まだ未体験だ。
「う、うん。どんな味の飲み物なのか、実は知らないの……は、恥ずかしいよね」
「そっかぁー! 知らないままでいいよ! そういえばさぁ! ウチの猫がさぁ!」
「なんでよ!? 突き放さないで教えてよ! 秒で話題変えないでよ! 放課後とかに買いに行く流れだったじゃん、これ!」
叫ぶあたしを見て、二人は本当に楽しそうに笑うけど……。
うぅ……あたし、何でイジられキャラになっちゃったかなあ。本当はグループの中心で華やかな感じで、周りの子たちを動かすような高校生活を妄想していたのに。
でも、すごく楽しい。
あたしが夢見ていた高校生活は、頭の中に描いたものより何十倍もキラキラしていて。
毎日を輝かせてくれる二人には、心から感謝しているし、大好きだ。
でも。
その中で、ただ一つだけ。この『胸』に残っている想いがあって──。
「あああー! わ、忘れてたぁ!」
急に叫んだはるるのせいで、あたしの思考は中断される。
「ど、どうしたの? はるる?」
「昨日の数学の授業で出た、ダウンロードコンテンツやってくるの忘れたぁ!」
「あたしの友達、宿題のことを楽しそうな表現にすり替えて現実逃避してる……」
「ち、ちなみに二人はやってきた?」
「愚問だね。僕は宵越しの問題は解かない主義なのさ」
「すごいなあ、フユは。毎回赤点なのにバカみたいな台詞で誤魔化すの、マジで憧れる。で、でもナギはやってきたよね?」
「それはもちろんだけど。あたしは真面目に学校生活を過ごしているからね」
「ねえねえ。ウチら、友達だよね? これからもずっと仲良しだよね?」
「頼みごとをする女子がそう言うと、もう殆ど脅迫だって自覚ある?」
断ったら最後。「渚は冷たい」とグループの女子に告げ口をされ、孤立するやつ。少女漫画だったらここからイジメが発展するパターンもある。
「お願い、お願い! 一生のおねがぁい! この前みたいに全裸で靴舐めるから!」
「通学路のど真ん中で、あたしを同級生に全裸で靴舐めさせる変態女子に仕立てあげないでくれる!? あたしの青春を終わらせる気か!」
「違うよ、はるる。渚は靴を舐めさせるより、一生懸命にベロベロ舐めたい派だよ」
「あたしが知らないだけで、これ最先端のイジメでしょ」
この胸に抱いている想いを解決するのは……まだ、いいかな。
大切な友達と笑い合う時間だって、あたしがずっと願っていたものだから。
そんな可愛い友達のために、一肌脱いであげるとしますか。
「はるる。宿題を見せてあげてもいいけど、今日は登校したらすぐに保健室行かないといけないから。その後でもいい?」
「マ!? ありがとう、ナギ! でも何で保健室? 頭悪いの?」
「シンプルな悪口! 具合悪いの?って、言おうとしたのは伝わるけど!」
「そうだよ、はるる。渚が悪いのは頭じゃなくて口だよ」
「それは否定しないけど、そうさせているのはあんたたちだからね? 保健室に行く用事は、いつもの問診だってば」
そう言うと、あたしの横を歩く冬子が「ああ」と納得したように頷く。
「渚が復学する前に、手術で移植した心臓に問題が無いか確認する、っていうやつ?」
「そう。でも、あれからずっと、怖いくらい体調はいいけどね。だけど何かあったら学校側も困るから、お互い事務的な作業みたいな感じ」
あたしに普通の女子高生としての時間をくれている、この心臓。
奇跡的に適合するドナーが見つかって、手術も全く問題なく終えて。
たくさんの幸運と善意が、あたしを生かしてくれた。
今まであまり恵まれた人生じゃなかったけど、この心臓と巡り合えたことは、一番の幸せだと思う。
「じゃあ、ウチらも一緒に行っていい?」
「え? いいけど、別に面白くないよ? 問診もすぐ終わるし」
「いいの。ウチら三人、友達だし! それにフユと二人は気まずいし、困る」
「まさかこのグループって、あたしがいないと崩壊するの……?」
ちなみに、はるるに気まずいと言われた冬子は泣きそうな顔で「たはは……」と力なく笑っている。やめて! あたしたち全員仲良しだから! 本当だからぁ!
「もぉー、冗談だよ、フユ。だからそういう顔見せないで? ゾクゾクしちゃうから。昨日あれだけウチに泣かされたのに、まだ物足りないの?」
「ご、ごめんなさい……僕が悪かったなら謝るから、顔はぶたないでほしい……」
「ごめん。急にあたしの知らない、歪んだ愛憎関係を披露しないでほしい」
ついでに言うと、あたしの中で冬子が責められるのは解釈違いだから。
ギャルなのにそういう知識に疎いはるるを、冬子がイタズラして責める。つまり無知シチュ的なやりとりが最高に似合う二人なのであって──。
「フユぅ……またナギが黙り込んでいやらしい表情浮かべちゃっているよぉ」
「よし、一刻も早く保健室に連れて行こう。頭を診てもらわないと」