第四話 【紫電】(5)
*
──呆けていた。
三棟さんの芝居を目の当たりにして。
その実力を肌で体感して──わたしは、完全に心全てを持っていかれてしまっていた。
頭の中で、三棟さんの芝居がリフレインし続ける。
そのたびに鳥肌が立って涙が浮かびそうになって、感情を制御できない。
三棟さんと一緒の講義は続き、わたしたちのアフレコを見てもらった。
そこでもわたしは心ここにあらず。なんとか普段通りの芝居をするので精一杯で、うまく三棟さんから意見をもらうこともできなかった。
そして──その日の最後。
短く設けられた、質問コーナーの最後に。
「──ということで、ここまでかな!」
先生が、わたしたちを見回して言う。
「そろそろ時間だし、みんな聞きたいことは聞けたんじゃないかな」
生徒の皆からは、熱心な質問が三棟さんに向けられていた。
芝居の基礎から業界のこと、この世界で生き抜くためのノウハウについて。
その一つ一つに三棟さんはフラットに、けれどどこか不器用そうに彼女の考えを答えてくれた。
……不思議な人だな、という印象だった。
落ち着きには大人っぽさを感じる。浮ついていないその態度は、まさにベテランの余裕だ。確か三棟さんは三歳のときから劇団に所属していたはずで、人生のほとんどを芝居に費やしてきたことになる。だから、それは予想通り。
ただ……なんだか垢抜けなかった。
どこか浮き世離れした様子が、質問の回答からも感じ取れた。
「──そうですね……日常から、自分を作ることが大事なのかもしれません。わたしは、全くそうしていないですが」
「──リハ
そんな風に、どこかずれているようにも聞こえる回答。
紫苑があからさまに眩かった、どこからどう見ても「特別」な女の子だったのに比べて。三棟さんはつかみ所がない。底が見えないというのが素直な印象だった。
「……あ、じゃあすみません!」
魚鳥さんが、最後にそう言って手を上げた。
「一個だけ、最後に質問いいですか?」
「ええ、どうぞ」
うなずいた三棟さんに、魚鳥さんが椅子から立ち、
「三棟さんにとって──芝居って何ですか?」
ひたむきな声色で、そう尋ねた。
「ずっとお芝居をされているわけですよね。そんな三棟さんにとって、演じるってどういうことなんでしょう」
良い質問だと思った。
長く演じてきた役者にとって、三棟さんにとって芝居とは何なのか。
最近、わたしもそういうことを考えるようになり始めた。
紫苑に導かれて始めた芝居。最初は食らい付くので精一杯だったけれど、それは少しずつわたしにとって特別なものになりつつある。
じゃあ、トップにいる三棟さんにとって、お芝居とは何なのか。
最強の役者にとって、それは一体どんな存在なのか。
受講生たちも身を乗り出す。全員が、期待を胸に三棟さんの答えを待つ。
けれど、短い沈黙のあと──、
「……呪い、でしょうか」
そんな回答だった。
「わたしにとって、芝居は解けない呪いみたいなものだと思います」
──シン。と周囲が静まりかえる。
あまりにも予想外の答え。それまでの熱を帯びた空気が、一瞬で凍り付く。
……どういう、意味だろう。
三棟さんを、最強たらしめるもの。彼女の最大の武器であるお芝居。
それが……呪い。
「だから──」
困惑するわたしたちに向けて──三棟さんは笑う。
彼女が柔らかい表情を向ける。
今日初めて、三棟さんが笑ったところを見た気がした。
「──やらなくて済むなら、皆さんも声優にはならない方がいいと思いますよ」
*
「それじゃ、珠。ありがとね」
「ありがとうございました!」
スタジオの玄関。受講生皆で、三棟さんをお見送りする。
「こっちこそ、ありがとうございました」
そう言って、頭を下げる彼女。
「わたしにとっても、非常に良い勉強になりました」
──頭がいっぱいだった。
初めて目の当たりにした三棟さんの芝居。
そして最後に、三棟さんがわたしたちに突きつけた言葉。
ちぐはぐなその二つをどう受け入れればいいのかわからなくて。理解も納得も全くできそうになくて、わたしの頭はオーバーヒート寸前だった。
「……」
──と、三棟さんがふいにわたしの方を見る。
そして、二、三歩こちらに歩いてくると、
「──あの」
「……はい!」
呼びかけられて──素っ頓狂な声が出た。
「な、何でしょう!?」
ど、どうしたんだろう、わたしに何の用!?
もしかして……ぼんやりしてるのに気付いて、腹が立ったとか!?
「山田さん。あなたが……浜野さんの言ってた子ですよね?」
テンパるわたしに、三棟さんは落ち着いた声のまま尋ねる。
「あ、ああ……そうですね」
なるほど、その話題か……。
あまり大声で言えることでもないから、わたしは声を潜めてうなずいた。
「ありがとうございます、今日はこんな……来ていただいて」
「いえ、いいんです。あの」
と、彼女はわたしの目を覗き込むと、
「さっきのお芝居、面白かったです」
さらりと、そんな風に言った。
「一緒にやった、探偵役。いい反応でした。自由に色を変えられるんですね」
──反応。彼女の言うその言葉に、短くドキリとした。
養成所でレッスンを受けていても、わたしが褒められるのは『反応』だった。
例えば、他の演者さんの芝居に反応して、自分の芝居を変える。
先生のディレクションに合わせて、入りのタイミングやトーン、キャラ解釈を変える。
そういう柔軟性や瞬発力を、褒めてもらうことが多かった。
確かに、わたし自身お芝居をしていて、周囲に合わせて変わっていくのが楽しかった。
お互いの要素に反応して、その場だけの空間ができるのが何より楽しい。
……まあ、紫苑の言っていた通り、彼女の芝居の魅力は『一本通った芯』だ。それを考えれば、『反応』を現場で使う機会は、やっぱりあまりないのかもしれないけど……。
「では、また会いましょう。さようなら」
それだけ言い、三棟さんはきびすを返して去っていく。
その背中を見送りながら──『また会いましょう』。彼女の言ったその言葉が、何度も繰り返しわたしの中で響いていた。
*
──最初にスタジオオーディションに受かったのは、それから数週間後。
初めてのオーディションから、一ヶ月後のことだった。
「山田さん、役が決まりましたよ!」
「……へ?」
「この間飛び込みで受けてもらった『コミック・ロジック・レトリック』。新人漫画家の女の子ですね!」
スケジュールについて相談しようと、三人で集まった会議室にて。
斎藤さんが、満面の笑みでわたしにそう言う。
「……お、おおおおおおおお!」
思わず、喜びの声を上げてしまった。
「ほ、本当ですか!? あの子ですよね、
「ええ、主人公の親友になるキャラですね」
「やったじゃーん、良菜!」
隣で紫苑も、我がことのようにうれしげだ。彼女はわたしの手を取りブンブン振って、
「わたしあれ、原作大好き! うらやましいくらいだよーおめでとう!」
「ありがとう……!」
「追加オーディションでの合格だったので、アフレコがすぐに始まるそうです。台本も追って来ると思うので、さっそく準備を始めましょう」
「はい、頑張ります! ありがとうございます!」
うれしかった。素直にその合格は、うれしいと思えた。
これまでは、どこか状況が進んでいくことに不安があった。
今ももちろん心配はある。ちゃんと期待に応えられるだろうか、紫苑として振る舞えるだろうか……そこにプレッシャーは感じている。
けれど──それ以上に喜びが大きい。
日々の努力や、周囲の人たちの協力。それが今、ようやく報われた気がした。
課せられた期限まで、残り三ヶ月。
きっと課題のクリアにも、グッと近づいたはずだ。
「しかし……とんとん拍子ですね」
斎藤さんが、そんな風に言葉を続ける。
「『香家佐紫苑』ブランドを使っているとはいえ、こんなすぐ仕事が決まるなんて……」
「そこは、わたしも予想外」
紫苑も、そう言ってうなずいた。
「良菜、やっぱり思ってたよりずっと才能あるよ」
「そ、そうなんですかね……」
そんな風に褒められると、まんざらでもない。
もしかしたら……わたしはようやく見つけたのかもしれない。
自分がいるべき場所を。輝けなかったわたしが、必要としてもらえる仕事を。
「……頑張ります!」
手をぎゅっと握り、わたしは紫苑と斎藤さんに宣言したのだった。
「全力を出し切れるよう、頑張ります!」
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試し読みは以上です。
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『午後4時。透明、ときどき声優 1』でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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