第三話 【透明少女】(3)
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「──ということで、わたしの演技はここまでにしよう」
そんなこんなで買い物を終え。休憩しようとやってきたカフェ。
窓際の席で、アイスティーを飲みながら紫苑は言う。
「お疲れ良菜。よく頑張ってくれたね」
「……ふうぅぅ……」
その言葉に──わたしは全身の力を抜きつつ深く息をついた。
「うん、お疲れ……」
……本当に疲れた。
一挙手一投足、全部紫苑を演じながら買い物するのは……マジで本当に疲れた。
頭はずっとフル回転、普段使わない筋肉を使ったから、明日は筋肉痛確定だ。
もはやメモを取る元気も残ってない……。
「どうだった? ここまで二、三時間くらい、ずっとわたしの振りをするのは」
「大変だったあ。もうくたくたになっちゃったし」
と、わたしはテーブルに視線を落とし、
「正直、あんまり上手くやれた自信はないかも……」
うん、実際にやってみてわかった。
誰かのお芝居をするのは、本当に難しい。
顔が似てるとか声が似てるとかそういうアドバンテージはあるけれど、声色が一つ違えば、素振りが一つずれれば、あっという間に「別の人」になってしまう。
思っていた以上に、『紫苑の振り』は大変だ。
「それに……正解がわからないんだよね」
一番の不安ポイントを、ぼやくようにしてこぼした。
「紫苑だったらこうするかなとか、こう考えるよねとか色々想像はできるんだけど。実際がどうか、紫苑が本当にそう考えるのかがわかんないっていうか。それが不安で……」
キャラにしろ紫苑にしろ、わたしたちがしているのはあくまで『お芝居』だ。
つまり、わたしたちは本人じゃない。
確実にそこにあるはずの『正解』を真似ているだけ。
だからこそ──底なしの不安があった。わたしの思う『正解』は、本当に正しいの?
キャラは、紫苑は、本当にこんな言動をする? 本当の、本当に?
さらに視線を落とし、爪先を見る。
紫苑の格好をしているけれど、唯一わたしが自宅から履いてきたスニーカー。その汚れがなんだか普段よりもみっともなく見えて、この場にふさわしくない気がした。
「あー、なるほどねー。でもそれは、簡単な話かも」
紫苑は意外にも、あっさりした口調でそう言う。
「答えが合ってるか合ってないかは正直関係ないんだよ」
「関係ない……?」
「うん」
うなずくと、紫苑は窓の外、街の景色に目をやり、
「大事なのは──良菜が良菜の中の『紫苑』をどれくらい信じられて、身と心を預けられるか。虚構を真実と語れるか、だよ」
「そっ、か」
つぶやいて、コーヒーを一口飲む。
「虚構を、真実と語る……」
舌の苦みを味わいながら、わたしは考える。
……芝居って、もしかしたらそういうことなのかもしれない。
演技は演技である以上、どこまでいっても虚構だ。ウソに過ぎない。
けれど、それを本物だと思わせるのが、真実として語るのがお芝居なんだ。
だとしたら、まずはわたしがわたしの中の『誰か』を、どこまで信じられるか。
信じなきゃ、真実になんてならない。
「……信じられるまで、考えるってことだよね」
紫苑との会話を思い出しながら、わたしはつぶやく。
「その人がする選択を、怖くなっても考え続ける……」
「そういうことだねー」
紫苑がこくりとうなずく。
「永久に、それを続けるだけだよ」
テーブルに、短く沈黙が降りる。
店内に流れるお洒落な音楽が、わたしたちをうっすらと包む。
普段はこういう静けさが苦手なのだけど、紫苑相手だと気まずくなくて不思議だった。
コーヒー二口分ほども黙ったあと、
「ていうか、このあともうちょっと時間ある?」
ふと思い立った様子で、紫苑が声を上げた。
「え、あるけど」
「だったらさあ、一回、試してみちゃおうか?」
「何を?」
「テープオーディション」
あっさりと、紫苑はそう言った。
「良菜がそこまでお芝居のこと考えてるなら──試しにテープ録っちゃわない?」