第2章 大芸大というところに その4

     ◇


「たいしたことじゃねえって。昔、何かで読んだのをそのまましゃべっただけだから」

 貫之は手に持ったカツ丼を勢いよくガツガツと食べながら、めんどくさそうに答えた。

「たまたま覚えてたのが空いてたから答えられたってだけで、他のだったらダメだったよ。ありゃ偶然だ、偶然」

「そうは言うけど、あのタイミングですらすら出るなんてやっぱりすごいよ」

 僕が熱っぽく語ると、ナナコもシノアキも同意して、

「だよね。あたしなんか説明されてもひとつとしてピンとこなかったし」

「先生もびっくりしとったもんね、これ答えるかぁ~って感じで」

 みんなでひたすらほめまくっていたが、貫之は特段うれしがる様子もなく、一気にたいらげると、

「ふん。じゃ、俺これからバイトだから」

 短くそう言って、食堂を出てフラフラと歩いて行ってしまった。

「……なんか機嫌悪かったのかな?」

 ほめてたはずなのに、あんなにそっけなくしなくても良さそうなもんだ。

「きっとほめられ慣れてないのよ、あれは」

「そうなの?」

「そーだよ。たぶん、あたしたちがいないとこで喜んでるよ、きっと」

 ナナコはうーんと伸びをすると、

「じゃーあたしも夜のシフトあるから、これでいつたん抜けるね」

「あ、うん」

「いってらっしゃーい」

 立ち去ったナナコを、シノアキといっしょに見送った。

 授業で目立つことはないけれど、ナナコはすでに友達も多く、大学生活をしっかり楽しんでいる様子だった。

「みんながんばりようねー。私もがんばってついていかんと」

「う、うん。そうだね」

 シノアキの言葉にうなずきはしたものの。

 僕の中では、彼女とつらゆきは同じカテゴリーに入っていた。

(いずれ神絵師になるんだもの、わけが違うよなあ)

 うれしそうにいちご牛乳をちゅーちゅー飲んでいる姿と、先日の鬼気迫る様子はどうやっても結びつかない。

 10年後の世界からやってきたことで、僕はみんなよりもアドバンテージが高いと思っていた。絶対に有利だと思ってたところがあった。

 しかし、まがりなりにもプロとしてエンタメの現場にいたというのに、そこで培った知識は役に立たなかった。むしろ基礎的なことがわかってないということが、明らかになっただけだった。

 経験なんかより、結局は才能だったり勉強だったりのほうが大事なんじゃないかと思いはじめていた。

「むう……」

 下を向いて考え込む。

 みんなすごい。その中で自分だけが、どうしようもない凡人だ。

 僕はこのままついていけるんだろうか。不安は尽きなかった。

「どうかしたと?」

「え?」

 気がつかないうちに、シノアキが僕の顔をのぞき込んでいた。

「あ、いや、なんでもないよ」

「ふーん、それならいいんだけど」

 シノアキはニコッと笑うと、

「ねーねー、きようくん?」

「ん、ん? なに?」

 シノアキはニコッと笑うと、僕の服のすそつかんで、きゅっと引っ張ってくる。

「これからすることなかったら、ちょっとわたしに付き合ってくれん?」

「え? べ、別に構わないけど……」

「じゃ、いこっ」

 シノアキはバイトをする予定もないだろうし、何だろうか。

 げんに思いつつも、立ち上がって歩き出したシノアキに僕は付き合うことにした。


 校舎の並ぶ大通りからわきみちれ、校門のあたりまで戻ったところに文化系サークルの部室が並ぶ建物がある。

 シノアキに連れられてやってきたのは、そのサークル棟だった。

「ほー、たくさんあるんやね。どこから見ていこうかな」

 うれしそうに話して、それぞれ個性豊かな部室を眺めている。まだこの時期、部員募集のり紙がされたままのドアも多い。

「さすが芸大だね、どこも何かしらアピールしてる」

 看板ひとつにしても、手書きだったり木彫りだったり布に染めていたりと、いろいろなバリエーションがあった。

「勧誘会、ひいて損したよ! その分を取り返さんとね~」

 大芸では、入学してすぐに各サークルの新入生勧誘会が行われる。

 講堂の舞台で多くのサークルがアピールを行い、興味のある新入生はそこで自分の入るサークルを見繕う。しかし運悪く参加できなかった場合は、後日自分でサークル棟を回って選ぶことになるのだ。

 大芸はサークルの数がハンパじゃなく多いらしく、新入生の争奪戦が年々激化しているとか。熱烈なアピールは見ていておもしろかったけど、中には趣味的すぎて、よくわからない変なサークルもいくつかあった。

 で、シノアキはまさにその不参加組だったのだ。

「あ、恭也くん!」

 再びシノアキが僕の服を引っ張る。

「あれ見て! 部室の中に畳が敷いてある!」

 言われた先を見ると、並びの中にひとつだけ明らかに異質な部屋があった。

 入口からのぞく畳敷きの部屋に、なにやら物騒な武器がたくさん見える。それだけでなく、壁に立てかけられた畳には、棒やらひしがたやらの手裏剣がいくつも刺さっていた。

「ああ……あれは、忍術研究会だね」

「忍術?」

「日本では大芸だけ、世界で見ても2校しかないっていう忍者のサークルなんだって」

 確か勧誘会のときに、注目すべき運動系サークルとしてげんろうがここのことを教えてくれた。彼からの受け売りをそのまま説明する。

「へえ……めずらしいサークルなんやね」

 感心するシノアキ。

 よく見ると、部室の前で筋トレに励んでいる学生たちも忍者姿だったりして、なかなか不思議な光景になっている。

 元気郎はこんなリアル異世界転生みたいなサークルが気になるのか……。

「じゃー、この人も忍者なの?」

だれが?」

 シノアキの指さした廊下の先には、1人の男が地面にいつくばっていた。

 妙なうなり声をあげて、顔にはじっとりと汗をかいている。

 別に忍者服は着ていない。

「……これ、単にぶっ倒れてるんじゃ?」

「え、えええっ!?」

 慌てて、2人で男の元へと駆け寄った。

「あ、あのっ、大丈夫ですかっ?」

 男はヨレヨレのパーカーに破れ放題のジーンズという、ちょっと……というか、かなり野性味のある格好だった。

 身体からだを揺り起こすと、「う、う~ん」とうなり声を上げる。

 そして周囲をキョロキョロ見回すと、

「……君は、体力に自信はあるかね?」

 そう、僕に聞いてきた。

「は?」

「俺は今とても疲れていて、一言で言うと自力で部室まで戻れないがゆえにここでおうしてうめいていたんだが、君に体力があるのならば『えいや』のかけ声と共に肩を貸して、この写真学科5回生・桐生きりゆうたかふみを部室まで連れていってほしいと思ったまでだ」

 全然一言じゃない上に、具体的な願望までいう人だった。

「幸い、体力にはそこそこ自信がありますが」

「ならば頼む。本気でもう動けないのだ」

 ……参ったな。

「シノアキ、あの」

「ううん、わたしのことは気にしなくていいよ。お兄さん、大変そうやもんね」

 サークルを見て回る時間を早々に失ったにもかかわらず、シノアキはほわほわとした笑みを浮かべていた。

「悪い。じゃ、えーと……桐生きりゆう先輩」

「おお、助けてくれるのか」

「とりあえず。部室、どこです?」


 先輩に肩を貸し、あっちだと示された方へ向けて歩き出した。

「すまないな、重いだろう」

「いえ、全然」

 正直なところ、重さはまったく感じなかった。

 パッと見てもせているのはわかったが、実際に担ぎ上げたら驚くほど軽い。

 男性でこれだけ軽いとなるとかえって不安になる。

「おお、ここだ、この2階へ頼む」

 部室棟の一番端から、新設されたと思われる新しい建物が続いていた。

「こんな離れたとこにもサークルがあったんやね」

 シノアキがもの珍しそうに眺めている。

 正面に階段を登ったところの、看板のかかっていない部室が目的地のようだった。

「入口まででいいですか?」

「いや、そこを入って……中のに座らせてくれ」

 十畳ほどの部室に入り、部屋の中央にある椅子に桐生さんを座らせる。

 室内には至るところにキャンバスが立てかけられていた。色とりどりの幾何学模様がかれていたり、写実的な風景画だったり、まったく統一感がない。

「わー、いかにも芸大って感じ」

 シノアキはすっかり、それらの絵に夢中なようだった。

「いや、助かった。君たちのおかげでなんとか部室に戻ってくることができた」

 桐生さんはあんした様子で礼を言った。

「いえ。じゃ、僕たちはこれで」

 そう言って、部室から立ち去ろうと振り返った瞬間だった。

 今までぐったりしていた桐生さんが、突如としてピンと立ち上がると、

「新入部員、確保───っっっ!!!!」

「えっ?」

「はっ?」

 その声をきっかけとして、部室のあちこちから人が飛び出してきた。

「よーっし、よくやったぞ部長! 3年連続部費削減の悲劇からもやっと……ううっ」

「今年は隣のサークルから部員を借りなくて済むんだぞ! あれミジメだしほんと悲しいんだよ……」

「これで今年も食いつなげたわね! あっ、女の子もいる! すげえ! かわいい!」

「すげえとか言うなよお前、新入生ちゃんこわがるだろ! ねえ学科どこ? 美術? グラフィック? 舞芸だったら色々教えてあげるぞ!」

 戸惑うばかりの僕とシノアキを前にして、その人たちは万歳三唱の後、口々に喜びの声を上げていた。

 しっかり1分ほどの時間の後、僕はやっと、

「ハメられた……」

 この状況が仕組まれていたことに気づいたのだった。

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