第一話 ギルド・バ・ボダサエダ(ギルドを追放された)(5)
「わい、ごんじゃらすこいだで。ここでちゃちゃど帰るんだば知ゃねふりすてやんべど思ってだどもな。お前のごでばもうは堪忍さねど。ノレソレふんじゃらんでまるはでおべでおがなが、この意地腐れめが――」
【おい、ガッカリしたぞ。ここで黙って帰るなら見逃してやろうと思っていたけどな。お前のことはもう許さないぞ。しこたま痛めつけてやるから覚悟しろ、この卑怯者め】
何を言っているのかわからないなりに、それが死刑宣告に近いものであったことは、このオーリンの凶相と声の迫力から十二分に察せたらしい。
何やらわけのわからない悲鳴を上げて遁走に転じたヴァロンに向けて、オーリンは右手を目の前にかざし、そしてゆっくりと、静かに声を発した。
「バゲノクレノバワノケヤグ、アサマノマンツコサバワノヒンヒェサバナッテ、ワノシャベコドハソノキレガタダイコウバメヘルモノ、ワノシャベコドサイショズテデハッテコ――」
「何を――言ってるの――?」
レジーナは一瞬、訛りが酷すぎて東洋の呪文としか思えない響きに目を瞠った。
それは一度も聞いたことのない不思議な語感の詠唱――それはいわば、オーリンが言うところの「アオモリ」の言葉にローカライズされた詠唱であったのだろう。
慌てて意識を集中させ、今しがたオーリンの言った言葉を【翻訳】して――そして、レジーナはその文面に驚愕した。
【夜の闇は我が眷属、朝の光は我が師となりて、我が言葉はその穢れなき威光を示すもの。我が言葉に応じて顕現せよ】――。
翻訳された文面を復唱する自分の声が、震えた。
待って、いくらなんでもそんなバカな。
この呪文には聞き覚えがある、この詠唱は、この言葉の連なりは――!
「ミジコバエトガマニナリ、ズカンハムガシガラサキサバカッツギ、ソステアズマスグネマル。エパダダシャベゴトバフデコニヨッテカガサリ、ジャッパサナッテツカラバシメスベシ」
【水は一瞬に過ぎ去り、時は古より未来に追いつき、そして安寧に鎮座す。不可思議なる言葉はペンによって筆記され、欠片となりて力を示すべし】――。
どくん、どくんとレジーナの心臓が鼓動した。
この魔法は、魔法を扱う人間ならば誰でも聞いたことがある大魔法。
誰もがその名を追い、究め、そして心ならずも挫折することになるだろう――偉大なる叡智の欠片――。
この詠唱、この魔法は――!
レジーナが目を瞠ったのと、オーリンが言葉を発したのは同時だった。
「【
これは――歴史に名高い闇の禁呪魔法――!?
その瞬間、レジーナは自分の目にしたものが信じられなかった。
必死に遁走するヴァロンの足元にゆらりと立ち上った黒い影が、まるで渦を巻くように足首に絡みつき、ヴァロンはもんどり打ってその場に転倒した。
それと同時にオーリンの立っている場所を中心として同心円状の影が地面に広がり、そこからわらわらと人の形をした影が湧き出し始めた。
常軌を逸した悲鳴とともに、寄り縋る影を蹴りつけようと足をばたつかせるヴァロンの抵抗虚しく、影は次々と人の形を成し、手を伸ばし腕を伸ばしてヴァロンの周りに殺到し始める。
「あぁ……あああああああッッ!!」
内臓を振り搾るような悲鳴を発して、ヴァロンの身体がずぷりと影に呑み込まれた。助けて、助けてくれ――! と涙さえ流しながら藻掻くヴァロンは、抵抗虚しく影の亡者に頭を掴まれ、地面に開いた漆黒の中へ引きずり込まれていく。
これが禁呪の力――通常の魔導師ならば、その習得はおろか、その真理の一端さえ垣間見ることも叶わないであろう、強大な魔法の姿。
この風采の上がらない青年が、最高位の魔導師ですら会得することが困難な禁呪魔法を行使してみせたことも驚きなら――Sランク冒険者を相手に満足に抵抗を許すことなく、いとも簡単に呑み込むその威力の禍々しさも、レジーナを戦慄に立ち尽くさせるには十分なものだった。
ヤバい、このままじゃ殺しちゃう――! レジーナは、闇に呑み込まれていくヴァロンを凶相のまま睨みつけているオーリンに叫んだ。
「せっ、先輩! ヴァロンを――ヴァロンを殺す気なんですか!?」
オーリンは答えない。返答がないことに苛立ったレジーナは立ち上がり、その背中を思い切りどついた。
「だっ、ダメですよ! ギルドの人間がギルドの人間を殺すなんて! ちょっと、聞いてるんですか!?」
それでも――オーリンは何も答えようとしない。レジーナの言葉が届いているのかいないのかすら、その表情からは全く読み取れなかった。
今やかろうじて頭だけ影の上に出ているヴァロンとオーリンを交互に見遣り、レジーナはオーリンのローブを掴んで揺さぶった。
「先輩、オーリン先輩! お願いです、やめてください! 先輩はこんなことをしに王都に出てきたんですか!? こんな凄い魔法が使えるのに、誰だって助けられる魔法を使えるのに、その魔法で人を殺すんですか!」
レジーナは半ば涙ながらにオーリンのローブを掴み、腹の底からの声で懇願した。
「落ち着いてって言ってるじゃないですか! 先輩、故郷のお父さんやお母さんに誓ったんでしょう!? いつか眩しく輝く星になってアオモリに戻ってくるって! だったらここで人殺しなんかになっちゃダメですよ! お願いです、どうか――どうかヴァロンを許してやってくださいッ!」
その懇願に、フン、とオーリンが鼻を鳴らし、右手を降ろした。
途端に、ヴァロンを呑み込みかけていた影はゆっくりと消えてゆき――数秒後には、白目を剥いて失神したヴァロンだけが、抉れた大地にぽつんと忘れ去られた。
ふわ……と、ヴァロンの一撃によって抉り取られた大地に、夜風が吹いた。
その夜風は、今まで死神のように超然としていたオーリンの殺気を吹き散らしたように感じた。
「最初から殺す気なんてねぇよ。――剣も無ぐなった、自信も無ぐなった。もうあいづは冒険者などできねぇべ。その方がいい」
それは確かに――レジーナはヴァロンを見た。
ヴァロンは白目をひん剥き、びくんびくんと痙攣しながら泡を吹いて失神していた。よく見ればズボンの股間の辺りに激しい失禁の染みがある。ただでさえ評判の悪いあの男のこと、間もなくここに駆けつけるだろう衛兵たちにその醜態を見られれば、まず王都に居続けることなどできはしまい。
凄い。本当にS級冒険者に勝っちゃった……。
レジーナは呆然とオーリンを見た。
普通の冒険者でも、ひとつ上のランクの冒険者を力ずくで倒すのは並大抵のことではない。
そうだというのに、ひとつ上どころか数段上の、しかもS級冒険者相手に。国内でも名を馳せる魔剣士相手に満足な抵抗を許すこともなく、無傷で完勝してしまうなんて。
無詠唱魔法だけではなく、この世に使える人間が一人いるかどうかの禁呪さえ簡単に操ってしまう魔導師――発見されれば大騒ぎになるであろうそんな人間が、誰からの注目を浴びることもなく、国内でくすぶっていたという事実。この朴訥な男の顔の下に隠されていた圧倒的な魔法の才覚、これをマティルダは見抜いていたのか――。
まだ半分も理解の追いついていない状態で、レジーナは飽くこともなくオーリンの背中を眺め続けた。
ふう、とオーリンは空に輝く星を見上げた。
そして、きらきらと瞬く星空を見上げて、ぽつりと言った。
「俺の親や友達がらも、あの星コが見えでればいいな……」
その一言に、レジーナも思わず星空を見上げた。
月も出ていない日の夜空は格別に美しく、何だかいつもより澄んで見えた。
「アオモリの人間は誰でも強情――んだ、んであったな。俺も、なれるんだがな。あのお空の星コみでぇに、きらきらど眩しく輝く魔導師さ――」
オーリンが独り言のように言った。
レジーナはその背中に、遠慮がちに声をかけた。
「先輩、あの……」
「ああ、わがっでる」
オーリンは静かに振り返り、レジーナの顔を見た。
「王都でもう少し頑張ってみねぇが、どいう話だべ? わがったって。お前がよ、思い出させてくれだんだど。なりだい自分さなる、何はなくとも意地だげはある――お前の言葉はその通りだ。あの眩しく輝くアオモリの星コさなれるまで……あど少し、意地張って意地張って、冒険者やってみるがなぁ――」
その一言に、わぁ、とレジーナは快哉を叫んだ。
「やっとその気になってくれたんですね! よかった! オーリン先輩、明日から私と二人、再出発ですね! よろしく!」
「ああ、俺の方からもお願いするびょん。えーと……レズーナだったが。よろすぐな」
レジーナの差し出した右手を、オーリンがガッチリと握った。
レズーナ、か。相変わらず物凄く訛ってはいたけれど、初めて呼んでくれた私の名前。
それがなんだか気恥ずかしくて、レジーナはオーリンの顔から視線をそらした。
「ああ、さっさと帰らねばまいね。イーストウィンドさ荷物も取りに行がねばな。明日からは事務所探しだな。忙しくなるど――」
気恥ずかしかったのはオーリンも一緒であるらしい。さっと踵を返して、オーリンは王都の中心部へ歩き出した。
その後に続きながら、レジーナはずっと抱いていた疑問をぶつけることにした。
「ところで先輩、さっきの魔法ですけど――あんな大魔法、どうやって覚えたんですか?」
「何が?」
「だからさっきの禁呪魔法ですよ! あんなのこの国に使える人間が一体何人いるか……凄いじゃないですか。一体誰に教わったんです?」
「禁呪? 何喋ってるんだ、あれはアオモリだばリンゴ収獲用の魔法だね」
「は――?」
レジーナは目を点にしてオーリンを見た。
何がそんなに気になるんだろう、というような表情で、オーリンがあっけらかんと言う。
「リンゴもぎは人手が無ぇばまねがらな。あの魔法でいっぺんにもいでまるのへ。戦闘で使うのは確かに初めてであったども――あれはアオモリだばそごらの爺様でも使える魔法だね」
「えっ、ええ――!?」
「他にも、ニンニク手入れしたり、とうもろこし植えだり、牛集めだり――アオモリの人が使う魔法でばそすたら魔法ばっかりだ。こったなもんでいちいちたまげでだらアオモリではアホって馬鹿にされんど、お前」
「な、何言ってるんですか!?」
どうもアオモリという場所は、我々の常識など全く通用しない土地であるらしい。
東と北の最果ての地・アオモリとは、一体いかなる魔境であるのだろう――。
こうして、ズーズー弁丸出しの無詠唱魔導師、そしてクズスキル【通訳】を持つ新米冒険者、たった二人だけの冒険者パーティが、王都の片隅でひっそりと誕生した。
◆
「それで、なんだかんだ丸く収まった、ってわけ?」
明くる朝、改めてイーストウィンド退職の意思を伝えに戻った先で、ギルドマスターのマティルダはすっかり打ち解けた様子のレジーナとオーリンを見て苦笑した。オーリンはニコニコと微笑むレジーナと比べて多少バツが悪そうにはしていたけれど、それでもその顔は昨日のそれよりも遥かに晴れやかだった。
「ええ。色々ありましたけど、結局二人で冒険者やってみようかということになりまして」
「そう。それはよかった。レジーナ、やはりあなたに後を追わせて正解だったわね」
そう言って笑みを深くしたマティルダに、えっ? とレジーナは目を見開いた。今の今まで自分が勝手に後を追ったとばかり思っていたのだが、マティルダの顔は企みが上手くいったと言いたげな表情をしている。
そのしてやったりの顔を見ていたオーリンが「マツルダさんも人が悪ぃね」と口を尖らせた。
「ってごどば、最初がらレズーナさ俺ごど追わせる気であんな突然クビにしてくれだってごどな? だったら小芝居など打だねぇで最初からこいづどパーツー組んでみねぇがって喋ってくれでも良がったんでねぇすか?」
「あら、そんな風に見えたのかしら?」
マティルダはその美貌に似合いの、涼やかなとぼけ方をしてみせた。
「私はそんなことは考えてなかったわ。ただちょっと面白そうなスキルを持った子がギルドに入ってきたから、あなたと組ませたら面白いんじゃないかとは思ったけれどね。あなただけでなく、彼女にまでこのギルドを辞されるのは正直痛手だわ。明日から誰にお茶汲みを頼んだらいいのかしらって考えてたところよ」
机の上に肘をつき、手を組んだマティルダの目が笑った。
「一応、朝一番でヴァロンにも頼んでみたんだけどね。どうせもう魔法剣もなくしてしまったし、お茶汲みとしてギルドに残って今回の損害分の返済をしてみないかって。時給換算で完済までに十年かかるって言ったら青い顔して逃げてったけれど」
昨晩、王都で何が起こったのか知っている目だった。あはは……と昨日殴られた頬を気にしながら苦笑したレジーナに、マティルダは身体を向けた。
「とにかく、レジーナ・マイルズ、ならびにオーリン君。あなた方がパーティを組んで冒険者を続けるというなら、きっと世界で一番面白いパーティになると思うわよ」
マティルダはオーリンに視線を移した。
「オーリン・ジョナゴールド君。昨日はあんな言い方になってしまったけれど、改めて言うわ。あなたはその訛り故にこのギルドの誰とも連携が取れない。ただ、それは決して才能がないってわけじゃない」
マティルダはよくよく言い聞かせるように語りかけた。
「むしろあなたにはこのギルドの誰よりも魔法の才能がある。このギルドで仲間のことを気にして仕事を続けるよりも、むしろあなたは少数精鋭の戦闘スタイルを取るべきよ。無詠唱魔導師として前衛をも張ることができるあなたの才能は、このギルドで腐らせるべきではないわ。下積みは終わった。あなたはもう独りでもやっていけると、私はそう判断した――わかるわね?」
はい、とオーリンが頷いた。やはり――この人は英明なギルドマスターだ。オーリンの魔法の才能を誰よりも早く見抜き、その才能を活かすためにはギルド追放という手段しかないことを悟ったのだ。
「そして、レジーナ・マイルズ。あなたにはお世辞にも優れた魔法の資質はない。けれど、あなたの【通訳】のスキルは、これから彼が冒険者を続けていく上で絶対必須の能力よ。あなたさえいれば彼の才能は遺憾なく発揮される。オーリン君が何者になるか、地の果てまで同行して見届けなさい。いいわね?」
はい! とレジーナは頷き、隣にいるオーリンをニコニコと見つめた。この人がいずれ何者になるのか――考えただけでもワクワクすることだった。その視線に、田舎者らしくシャイであるらしいオーリンは少し気恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
「さて、私からの話はもういいでしょう。今日この時があなたたちの新しい門出よ。各々の夢に向かって頑張りなさい。よい冒険を」
マティルダのとっておきの餞の言葉に、二人は大きく返事をした。