第一話 ギルド・バ・ボダサエダ(ギルドを追放された)(3)

「俺の田舎ば、アオモリどいう」

「アオモリ――?」


 思わず、オウム返しに訊いてしまった。

 アオモリ――それはこの国で使われている言語のどれとも違う、不思議な語感。レジーナも知らない秘境の名前だった。

「知らねべな。東と北の間の果て、この大陸一番の辺境だ。人もあまり住んではねぇ。もぢろんギルドなんつものもねぇし、冒険者パーツーずのもねぇ。それだけじゃねぇど。魔導式映像機器もねぇ、魔導式聴音機器もねぇ、魔導式自律走行車もそれほど走ってねぇ。王都でばあるものが、アオモリだばなんにもねぇのさ。東には広大な砂漠、西は人ば寄せつけねぇ深い森、南にはドラゴンば住む巨大な湖、北の果てには、この世の地獄――。砂と山ばりの土地で、冬は何メートルと雪コば積もる不毛の大地だ」

 レジーナの顔から視線を外し、オーリンは遠くを見つめながら言った。

「懐かすぃなぁ、もう五年も帰ってねぇのが――。アオモリにはトラやコブラもいるし、ゾウもいて、そらだは大きく、太古のままに生きている――。俺の子供の頃の遊びといえば、オイワキ山やハッコーダ山から降りてくるドラゴンの子っこを捕まえで遊ぶごどであった――」

「ど、ドラゴンがいるんですか……?」

「へ、お前には想像もつかねぇべな」

 オーリンは魁星が輝く地平線の向こうを眺めた。奇しくもそれはオーリンの故郷がある方角――東と北の間の方角だった。

「俺はそこのツガルどいうどごで生まれ育た。平和などこでさ、リンゴやとうもろこしが美味くてな――俺の家ばリンゴ屋であった。全体そうだども、俺の家は村でも特に貧しがった。それでも、俺のお父どおっ母は俺を何不自由なぐ育ててくれだ」

 はぁ、とオーリンはため息をついた。

「この国でば、十五歳のどき、儀式でスキルば覚醒させるべ。俺さば【魔導師】のスキルがあってった。お父とおっ母は喜んでくれでな。お前の才能ばツガルで腐らせるわげにはいかねぇ。きっとお前ば都会で眩しく輝く星コさなって戻てこいど――借金して支度して、立派に俺を送り出してくれた」

 オーリンは空を見上げた。

「俺にも夢があった。本当はよ、アオモリで冒険者ギルドばすてぇんだ、俺は。アオモリは辺境だがらの。十五さなっても働くどごろはねぇ。みんなみんな、リンゴやるが農業やるが漁師やるがだ。家がそうでねぇ人間はアオモリには残れねぇのさ。みんな故郷ば捨てて都会さ出稼ぎにくるすかねぇ。そいっだがらアオモリは寂れる一方でな。ヒロサキも、ツガルも、ゴショガワラも、ハヂノヘも、シラカミもムツもミサワも、若い人々がいねぇがらみんな元気無ぐなってまってな。どんどん寂れでぐアオモリば見るのが、俺は嫌くて、悲しくてな――」

 オーリンは自分の右手を見た。まるでそこに砕けた夢の欠片が載っているかのように、じっと自分の掌を見つめたオーリンの声が、にわかに震え始めた。

「俺が都会で経験ば積んで、なんとか冒険者どすて有名になればさ、俺と冒険者やりでぇって言ってける人がいればさ。俺の友達んども地元さ残れるようになるがもしれねぇ。皆で冒険者やるべしって、一緒に参加しろって誘って。そうすればアオモリも元気になるがもしれねぇ。俺はそう思ったんだ――だども」

 それも、今日で終わりだ――。

 そう言うように、ガックリとオーリンは俯き、背を向けてしまった。

「どうやって謝ったらいいべ、お父どおっ母さ――」

 その時、レジーナの印象が間違いでないならば――。

 オーリンはおそらく、隠さず泣いていたと思う。

「村だ総出で送り出してくれだのに、アオモリの訛りが元でギルドば追い出されたなんて、俺、俺、申し訳なくて親さも友達さも言えねぇよ――」

 オーリンは顔を覆い、しゃがみ込んで胎児のように身体を丸め、慟哭した。

 今までの苛立ちもどこへやら――レジーナは情けなく背中を丸め、深く絶望しているオーリンに、なんだか深い同情を覚えた。

 今までは単なるうだつの上がらない田舎者だとばかり思っていたが、オーリンが冒険者になった背景には、とても同情せずにはいられない故郷の切実な事情があったのだ。

 そうだ、そして彼にとってお国訛りとは、単になかなか取れない障害ではなく、遥か先にある故郷を誇りに思う気持ちそのものだったのだ。そうでなければこの五年間、彼の言葉が僅かでも直されなかったはずはない。

 だが、皮肉なことにその訛りが彼の将来を閉ざしてしまうなんて――それは考えただけでとても辛いことであるに違いない。夢に破れ、目標を見失い、ただただ慟哭するしかないオーリンを、レジーナは深く気の毒に思うしかなかった。

「先輩……」

 思わずレジーナがオーリンの背中に手を回し、その広い背中をさすった、その時だった。

「おっ、お前、オーリンじゃねぇの?」

 ガラの悪い声が聞こえ、レジーナは顔を上げた。

 ひと目見てその意地の悪さがわかる顔つきの金髪の男は、さも面白いものを見つけたというように肩を揺らしながら歩いてきた。

 その顔に見覚えがある。この男は確か――。

「ヴァロン――? あなた、どうしてここに――?」

「あァ、誰がひっついてるかと思えば、お前、お茶汲みのレジーナかよ?」

 ゲヒヒ、と小馬鹿にしたように笑い、ヴァロンはぐい、とレジーナの顔を覗き込んだ。

「なんだァお前、なんでこんな田舎モンと一緒にいるんだ? 股でも開いて小遣い稼ぎでも始めたのかよ? 一見してもコイツは上客じゃなさそうだけどなァ」

 下品な物言いとともに、ヴァロンは拳でオーリンの頭を小突いた。

 厄介な人間に捕まった――レジーナは内心で歯噛みした。

 ヴァロン・デュバル――巨大冒険者ギルド・イーストウィンドで第一線を張るSランクの剣士である。この国でも希少な【魔剣士】のスキルを持ち、その天才的な太刀筋と圧倒的な魔力量で幾多の死線を掻い潜ってきた歴戦の兵。実力だけで言うなら、彼は王都どころか大陸一円に名声が轟く冒険者の中の冒険者だ。

 だが――その性格はお世辞にも、人の範となるべきようなものではない。

 己の希少なスキルを鼻にかけ、ギルドメンバーを完全に見下し、弱いやつは仲間ではないとコケにして恥じない性格。

 仲間の背中越しに攻撃を放つこともしばしばと言われ、何人かは実際に彼の手にかかって命を落としたのだとまことしやかに囁かれる評判の悪い男だ。

 圧倒的な実績がありながらも、その素行の悪さからギルドマスターのマティルダにとってはまさに目の上のたんこぶとなっている男だった。

 レジーナはなるべく平静を装いながらヴァロンに言った。

「ヴァロン、悪いけど今は取り込み中なの。絡むなら後にして」

「なんだァお前、いつからS級に意見するようになったんだ、ランク外のお茶汲みの分際でよ、ええ?」

 厄介なことに――その時のヴァロンの口からも、強く酒の臭いがした。

 参った――レジーナは自分の不運を呪った。ヴァロンはその性格の悪さ以上に、それに倍する酒癖の悪さを王都中に知られている男なのだった。虫の居所が悪ければ見境なく人をぶちのめすこともしばしばで、一度暴れ出したら王都の衛兵隊が束になってかかっても敵わない。畢竟、この男が酒場で暴れるたびにイーストウィンドの名声は地に堕ち、その巨額の賠償は彼を切ろうとしても切れないギルドが負担することになるのだ。

「ところでオーリン、聞いたぜ。お前、マティルダからギルドを追放されたんだってなァ」

 ヴァロンはごつごつと拳でオーリンの頭を小突いた。ゲヒヒ、と、ゴロツキそのものの笑い声を上げ、オーリンの顔をさも面白そうに覗き込む。

「しかも追放理由が笑っちまうじゃねぇか。なに喋ってるかわからねぇから追放って――俺は笑いが止まらなかったぜ、えェ? こんな理由でクビになった人間はこの世にお前ぐらいだろうな、おい」

 オーリンが顔を上げ、ヴァロンの顔を睨むように見た。無表情の中にも、明らかな軽蔑を潜ませた視線がカンに触ったのか、ヴァロンの眉尻が痙攣した。

「んだよお前。なんだそのツラは? なんか言いたいことあるのか、ええ? 言ってみろよ、どうせなに言ってんのかわかんねェだろうけどなァ」

 途端に、ヴァロンの身体から猛烈な勢いで酒の臭いが漂い始めた。

 ただでさえ赤い顔が更に赤黒く変色し、オーリンに食いつくように顔を寄せる。

「俺は慰めてやろうとしてんだよ、あァ? これからどうすんだ、お前。背中丸めて田舎に帰るんだろ? 餞別に俺が笑ってやろうってんだよ、ありがたく笑われんのがお前らザコの仕事だろうが、違うか? おい、なんとか言えよ――」

 それでも、オーリンの表情は筋一本動かない。まるで彫像のような無表情でヴァロンの顔を睨み続けている。

 それを見ながら、ヤバいヤバい、とレジーナは言いようのない緊張を覚えた。

 この流れはよくない。何しろ、ヴァロンは性格は最悪だが実力は本物だ。ここで殴り合いにでもなればオーリンといえど全く敵わない実力者なのは間違いない上、一度暴れ出したら気が済むまで暴れ続ける――そういう男だ。

 咄嗟に、レジーナはオーリンの腰のあたりに抱きつき、ヴァロンから引き離そうとした。

「ね、先輩。気にしちゃダメですよ。お互い酔ってるんですから、ね――?」

 その一言に、ヴァロンがレジーナを睨みつけた。

「んだよお前、俺が難癖つけてるとでも言いたいみてェだな」

「あ、いや、そんなことは――とにかく先輩、行きますよ! ほら――」

「待てってんだろうが!」

 ヴァロンに髪の毛を掴まれ、有無を言わさずに引っ張られる。突然捻じ曲げられた首の痛みを呻く間もなく、酒臭いヴァロンが顔を寄せてきた。

「そういやお茶汲み、お前のスキルも確かクズみてぇなスキルだったな。【通訳】――だったか、お前のスキル? こりゃ傑作だよ。そんなクズスキル持ちのくせに、よくイーストウィンドの門を叩けたもんだって、俺たちよくお前のこと噂してんだぜ?」

 せせら笑うヴァロンの声に、じりっ……と、レジーナの心の中で炎が上がった。

 そんなことはわかっていた――自分は、根本的に冒険者などには向かない人間であることは。オーリン以上に、自分の持っているスキルが、冒険者向きではない、何の役にも立たないスキルなのは、自分がよく身に染みてわかっている。

 なにしろ、十五歳で行われるスキル覚醒の儀式で発現した自分のスキル。

 それは憧れだった【回復術士】でも【魔導師】でも【テイマー】でも【治癒師】でも【剣士】ですらない――【通訳】という、意味不明なスキルだったのだから。

 以来、周りの人間はレジーナのことを遠巻きにするようになった。周囲からはクズスキル持ちとして馬鹿にされるようになり、今まで一緒に回復術士を目指そうとしていたはずの仲間さえ、レジーナのスキルが回復術系でないということを知った途端、あっという間に離れていった。人間がどれだけ軽薄で、残虐で、能力や素質で人を差別して恥じない、残酷な生き物なのか。まだ十九歳でしかないレジーナは、既に骨の髄まで知っていた。

 けれど――どれだけ馬鹿にされても、自分には夢があった。

 立派な回復術士になり、傷ついたり、苦しんだりする人々を助けるという夢が。

 如何に自分にその才能がなくても。

 求められていない人材であったとしても。

 必死に努力し、経験を積めば、いつかは芽が出るかもしれない――。

 それに一縷の望みを託し、王都の回復術士のもとで数年の下積みを経てから、レジーナは冒険者ギルドの中でも最大のギルドであるイーストウィンドの門を叩いたのだ。

「おお、そうだそうだ。お前のクズスキル、この何言ってんのかわかんねぇクソ田舎者とはお似合いじゃねぇの? どうせコイツと一緒にいるってことは、お前もマティルダから追放されたんだろ、な? 今からこいつの馬の糞だらけの田舎に帰って所帯でも持ちな。ガキでもこさえりゃそこそこ幸せに――」

 その一言に、レジーナの怒りが一層燃え上がった。

 歯を食いしばり、ヴァロンのニヤケ面めがけて唾を吐きかけてやる。

 びちゃっ、と頬に唾が張り付いた途端、ヴァロンが一瞬で赤黒くなるほどに激昂した。

「このアバズレが――!」

 その怒声とともに、レジーナの顔に鋭い痛みが走る。

 うっ、と顔を背けて手で覆うと、鼻から滴った鮮血で掌が汚れた。

 思わずヴァロンの顔を睨みつけ、レジーナは涙目で吐き捨てた。

「このクズ!」

 その一言に、ヴァロンの両眼が零れ落ちんばかりに見開かれた。

「このアマ――! 今なんつったァ!?」

 馬鹿、殴られたぐらいで済むならまだマシじゃないか――! 冷静になれと叫ぶ頭を無視して、レジーナはなおも罵声を浴びせた。

「クズ、って言ったのよ! このチンピラッ! 私にだってちゃんと意地くらいある! アンタみたいなクズ男に馬鹿にされる筋合いなんてないんだから!」

 レジーナは殴られた頬を押さえながら叫んだ。

「才能がない、スキルがない、だからなに!? だったらむしろ上等だわ、私は努力して意地張って、ちゃんとやりたいことをやる! なりたい自分になってみせる! アンタみたいにスキルを鼻にかけただけで偉ぶってるドチンピラとは見てる世界も考えてることも違うのよ! わかったらさっさとどっか行け、この酔っ払いのドクズ男ッ!」

「言わせておけばざけやがって――!!」

 目を剥いたヴァロンが、大きく拳を振りかぶった。

 殴られる――! レジーナがぎゅっと目を瞑った、その瞬間だった。


「【拒絶マネ】」


 その声は鋭く、雷鳴のように響き渡った気がした。

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