第一話 ギルド・バ・ボダサエダ(ギルドを追放された)(2)
「私のスキルは、【通訳】――。【通訳】、です」
そう答えた声が、最後には震えた。
「そう……珍しいスキルだこと――」
マティルダが苦笑する声が聞こえた。
ちょうどいい、あなたもこのギルドを追放よ――マティルダの声は、もしかすればそう続くかもしれなかった。
半ば死刑判決を待つような気持ちで言葉を待っていると、不意に、背中に感じる視線が柔らかくなった。
「レジーナ、ここからは独り言よ。彼は仕事終わりには必ず王都外れの酒場に行くらしいわ。今夜は相当に荒れるでしょうね。彼、ああ見えて意外に意地っ張りよ。相当に面倒くさいでしょうから――気をつけなさい」
「ありがとう――ございます」
なんだかよくわからないけれど――マティルダの言葉は、柔らかかった。
そうする許しが出たと勝手に解釈して、レジーナはギルド本部から一歩を踏み出した。
◆
あの後、随分苦労して探し当てた酒場は――お世辞にも綺麗とは言い難い路地裏にあった。
おっかなびっくり扉を開けると、ただでさえ薄暗い店内の雰囲気はなんだか酷く淀み、沈んでいる気がした。
それもそうだろう。店内にいる全ての客が、一体アレはどうしたんだと言いたげな視線をチラチラと店の隅に注いでいる。
そしてそのテーブル席に座っているのは、魔導師のローブ姿の青年で――その青年はしくしくと泣きながらコップ酒を呷っていた。
一瞬、レジーナはどう声をかけようか迷った。
もしもし、とでも言おうか、それとも、大丈夫ですか、と気遣うべきだろうか。
レジーナがまごついていると、オーリンは涙に震えた声で呻いた。
「俺だばってわがってあったさ……こすたらだじゃごくしぇ男、王都でば馬鹿にさえるって……」
その言葉は酷く訛っているだけではなく、離れたここから聞いただけで、強く酒の臭いがした。オーリンは机に突っ伏し、ううう、と嘆き声を上げ、コップを握る指の力を強くした。
「んだたって俺さどうすろっつのや……なぼ努力すても王都の言葉など喋らいねし、何遍も喋てるごと聞ぎかえさえるし……こえでも努力はすたんだ、努力は……」
なんだか、相当気の毒な独り言だった。
それ以上、弱っているオーリンを見るのが忍びなく、レジーナはパンパンと背中を叩いた。
「もし、先輩、オーリン先輩!」
オーリンがゆっくりと顔を上げた。
うわぁ、悪くない顔立ちが涙と鼻水でべちゃべちゃになっている。
内心顔をしかめたレジーナを、オーリンは焦点の合わない目で見た。
「――ああ、おかわりは要らねはんで。なもあんつごどねぇはんでさ。落ちづいだば帰るはんで……」
「私は酒場の店員じゃありませんよ! 覚えてませんか!? レジーナです! レジーナ・マイルズ! イーストウィンドの新米冒険者です! ほら!」
イーストウィンド。その単語に、オーリンの目が少しだけ正気を取り戻したように見えた。オーリンはしぱしぱと目を瞬かせて――結局申し訳なさそうに首を振った。
「ややや――悪ぃどもおべでねぇ。堪忍すてけろや」
ああ、覚えてないんだ――レジーナは少しだけ落胆する気分を味わった。これでも彼の机にも毎日お茶汲みしてたんだけどな。
とにかく、とレジーナは気を取り直し言った。
「先輩、これ以上飲んだら身体に毒ですよ! とにかく今日は宿を取って寝ましょう! 明日からのことは明日考えるべきです!」
「しゃすねな、ほっとげっつの」
素っ気なく、オーリンは吐き捨てるように一息に唸った。
「お前も俺のごどバガにしてけつかんだべや。こしたらなさげねあんこ、いまでばどすたあほづらさげてあしぇでるんだべどわざわざみにきたってがや。ホニごくろうなごったの。なぼでもわらったらいいべな」
【お前も俺のことを馬鹿にしているんだろう。こんな情けない男、今ではどんなアホ面を晒して歩いているんだろうとわざわざ冷やかしに来たのか。本当にご苦労なことだ。いくらでも笑えばいいだろう】――。
「いいえ! 私は馬鹿にしに来たわけじゃありません! あなたを心配して追いかけてきたんです!」
レジーナが少し大きな声を出すと、びくっとオーリンの背中が跳ねた。
「ギルドマスターだってそうです! あの人はあなたの今後のことを考えてあなたを追放したんです! でなければ私にあなたのことを託したりしませんよ! とにかく、落ち込まないでください! お酒も今日はもういいでしょう!」
レジーナの言葉に、酒で潤んだオーリンの目がちょっと驚いたように見開かれた。
そしてしばらくして、オーリンは呻くように言った。
「な、なんだや、お前ば――俺の喋てらごどわがるんだが」
【な、なんだよお前は。俺の言っていることがわかるのか】
レジーナは大きく頷いた。
「私のスキルは【通訳】ですから。たとえ犬猫の言ってることだって私には筒抜けですよ。先輩の喋っていることぐらい理解するのは簡単です」
「【通訳】――? なんだばそのスキル? 聞いだごどねぇど」
「私だって同じスキルを持ってる人に出会ったことはありませんね。なにせ、何の役に立つのか自分でもよくわかりませんから」
そう言って、レジーナはオーリンの向かいの席に腰を下ろした。
「とにかく、今の言葉聞いてました? マティルダさんはちゃんとあなたの将来を考えています。決してあなたが何を言ってるかわからないからって理由で追放したわけじゃありません。現にあなたを追おうとした私を止めなかったどころか、あなたがここにいることまで教えてくれた。これが何も考えずにあなたを追放した人間のやることだと思いますか?」
それを聞いたオーリンは少しだけ眉間に皺を寄せたが、それだけだった。すぐに元通りの不貞腐れた顔に戻ってしまう。
「へ、慰めでくれんのももういいでば」
オーリンは物凄く酒臭い声で吐き捨てた。
「お前の喋てるごどがその通りだったどすてよ、だがらって俺さどうすろっつのや。どうせ俺だっきゃ、王都のどのどごさ行っても何喋てんのがわがんねって、どこのギルドさも相手にさえねぇべ。もう尾羽打っ枯らして田舎さ帰るすかねぇべや」
「そんなことわかりませんよ! それに冒険者するなら必ずしもどこかのギルドに入らなきゃならないわけじゃありません、そうでしょう!」
「一人で冒険者ギルドやってます、ってが? 馬鹿でねぇがお前は。すたな情げねぇ形さなってまで冒険者するぐれぇだば俺は田舎さ帰るでば」
せせら笑うように言ったオーリンに、流石にレジーナもムカッとした。ここまで人が励ましてやってるのに……という思いから、ついつい頭にきた。
レジーナは思いっきり机の天板を叩いた。ガチャン! という音が発し、酒場の空気が固まる。その行動に流石のオーリンも少し驚いた表情になった。
「わかった、わかりましたよ! そこまで言うならこっちもとことん付き合います!」
レジーナは真っ直ぐにオーリンの黒い瞳を見つめた。
「あなたと、私で、冒険者パーティを組みましょう!」
は――? と、オーリンが呆気にとられた表情を浮かべた。
しばらく、いきり立って椅子から腰を浮かせたままのレジーナを見て、オーリンが呟いた。
「お前ど俺で、冒険者パーツーって――?」
「これでも私、回復術士ですから! それなりに経験もあります! まぁ魔導師と回復術士だけだとバランス悪いですけど――それでも一応パーティとして形にはなるでしょう!?」
オーリンは酒のせいで潤んだ瞳を、わけがわからんというようにパチパチと瞬いた。
自分が無茶苦茶言っているのは十分に理解していたが、レジーナは半ばやけっぱちで言い張った。
「とにかく、人がこうやって必死に励ましてるんだから、お願いだから少し冷静になってください! 最初はたった二人でもいつかは仲間も増えますよ! ちょっとギルドをクビになったぐらいでおめおめ田舎に帰るより、そっちの方がよっぽどマシじゃないですか! ねぇ!」
レジーナが一息に捲し立てた、その時だった。
不意に背後に殺気を感じて、レジーナは背後を振り返った。
「おい、あんたら」
ずん……と効果音が聞こえそうな圧とともに、目の前に筋骨隆々の男が立った。どう見ても用心棒でござい、というような強面である。うわ、とレジーナが息を呑むと、男は傷だらけの顔でこちらを睥睨した。
「なんだか事情はわからないがよ、アンタみたいに陰気な客とギャーギャーうるさい客に居着かれると場が沈んで仕方ねぇんだ。今日の払いはツケといてやるから、そのお嬢ちゃんの言う通り、今夜のところはもう帰んな」
拒否するなら嫌でもそうなるぜ、と続きそうな声に、大声を上げ続けていたレジーナは思わず固まってしまった。どうしよう……と震えていると、ゆらりとオーリンが立ち上がり、男の肩を叩いた。
「ああ、めやぐすたでぁ。喋らいだ通り、帰るはんで」
【ああ、すみませんでした。言われた通り帰ります】
そう言って、オーリンは椅子から立ち上がると、ゆらゆらと千鳥足で店を出ていった。
「あ、ちょっと!」と慌てて、レジーナもその後に続いて店を出た。
◆
「ちょ、ちょっと先輩! どこ行くんですか!」
「宿など取らねぇ。田舎さ帰る」
「どうやって!」
「歩いていぐさ。二本の足でな」
「何を言ってるんですか! 落ち着いてくださいよ!」
危なっかしい足取りで王都郊外へ歩いていこうとするオーリンの前に回り込みながら、レジーナは大声を出した。
「いいですか!? 落ち込んでるのはわかりますけど、落ち着いてください! 大体歩いていけるわけがないでしょう!? なんの用意もなしに、おカネも持たずに!」
「お前の知ったごでねぇ。とにがぐほっといでけ」
「ほっとけませんよ、こんなベロベロの酔っ払い一人で! どこかですっ転んだりしたら大怪我しますよ!」
あくまで諦めるつもりのないレジーナに、ほとほと呆れたというようにオーリンは言った。
「俺ごど心配すけでるのばわがるけどよ、わんつかすつけで、お前よ。なすておらだけんた小者さかがわりあいになんだば? マツルダさんさはなんどでも喋れるべや。ほっどげっつの」
【俺のことを心配してくれているのはわかるけれど、ちょっとしつこいぞ、お前。何故俺のようなつまらない人間に関わってくるんだ。マティルダさんにはなんとでも言い訳ができるだろう。放っておいてくれと言ったんだ】
「あなたがそれでよくても、私はあなたを放っておけないんです!」
なんで私がこんな田舎者の説得なんか――。
あまりに頑固なオーリンの言葉に、心配でやってることとはいえ、なんだか腹が立ってきた。
ほとほとこの纏わりつく小娘に嫌気が差したというような態度と表情で、オーリンは無言でのしのしと歩き始める。
「先輩! 先輩ったら!」
呼びかけても、もう徹底的に無視しようと決めたらしいオーリンは立ち止まらない。後先考えずにローブの端に縋りつくと、流石に頭にきたと見えるオーリンが、ほとほとうんざりした表情を浮かべたのも一瞬、数秒後には顔を歪めて怒声を張り上げた。
「わいわい、かちゃますぃんだばこのバカコ! さきたがらほっといてけろって喋っちゃあべな! お前みでな都会者さ俺の気持ちコなどわがるわげねえっ! なも知ゃねくせに関わってくんでねぇ!」
【おいおい、どれだけ鬱陶しいんだこの馬鹿女が。さっきから放っておいてくれと言っているだろうが。お前のような都会者に俺の気持ちがわかるわけがないだろう。何も知らないくせに関わってくるんじゃない】
その声とともに、ローブを掴んだレジーナの手が鋭く振り払われた。意外なほどの剛力に「痛った……!」と悲鳴を上げると、思わず力が入ったことに驚いたのか、オーリンが少しはっとしたような表情を浮かべたが、それも一瞬のことだった。これだけ強く拒絶すれば流石にもうついては来ないと思ったのか、それきりオーリンは振り返ることもなく、王都の闇に消えていこうとする。
「私が何もわからない、って――」
あまりにも強情なオーリンの態度に、レジーナの頭に音を立てて血が昇った。
「私が、何も知らない、何もわかるわけがないって――!」
ブチッ――と、頭の中で何かがちぎれる音がした。
レジーナは地面に視線を落とすと、路傍に腕ほどの太さがある木切れが転がっていた。それを無造作に拾い上げたレジーナは、ずんずんと去っていくオーリンの後頭部めがけ、思いっきり木切れを投げつけた。
回転しながら空を飛んだ木切れが、パカーンと音を立ててオーリンの頭を捉えた。「わ痛ぁ!!」と悲鳴を上げて頭を押さえて立ち止まったオーリンに、レジーナは肩を怒らせて歩み寄った。
「ぐ、ぬぬ……! な、何すんだばこのォ……!」
「今ので目ェ覚めたか、この酔っぱらい! 今なんて言いました!? 私が、何も、知らないって、そう言ったんですか! 一人で勝手に腐るのもいい加減にしてくださいよッ!!」
レジーナは体を精一杯背伸びさせて、オーリンの胸倉を両手で掴んだ。
お前には何もわかるわけがない――そう言われたのが悔しくてたまらず、思わずレジーナの両目に悔し涙が浮かんだ。
ぎょっ――と、オーリンが目を見開いた。「お前……」と続けたきり、言葉が続かないらしいオーリンはそれきり絶句してしまった。
ふーっ、ふーっ……! という自分の呼吸音をうるさく思いながら、レジーナは自分の一・五倍は背の高いオーリンの顔に向かって真正面から怒鳴りつけた。
「私が! なんにも知らないなら! こんなに食い下がりませんよ! 私がなんにも知らないで追ってきたんだって、アンタはそう思うんですかッ!」
その罵声の凄まじさに気圧され、オーリンの目が泳いだ。その隙間にねじ込むようにして、レジーナはオーリンの胸倉を揺さぶった。
「本当に先輩はいいんですか! お父さんとお母さんの期待を背負って田舎から出てきて! たった一度挫折したから帰る、それでいいんですか! 先輩のお父さんとお母さんがどれだけガッカリするか……それを考えてもまだ田舎に帰ろうって言うんですか!」
つい、言わないでおこうと思っていた言葉が口を衝いて出たのは、その時だった。父と母。その言葉に、オーリンの碁石のような黒い瞳が激しい動揺に揺れた。
「ギルマスから聞きましたよ! 先輩は五年前、田舎から王都に出てきたそうですね! お父さんとお母さんの期待を背負って! せっかく王都でこれだけ頑張れたのに、ちょっと挫折したからって諦めて家に帰る、それが本当に先輩の望んだことなんですか!?」
その言葉に、オーリンの顔がぐしゃっと歪んだ。
途端に、今までのほろ酔い気分とは違う、殺気のようなものがオーリンの身体から放たれる。
収まらない自分の息の乱れを整えようと躍起になっているレジーナの顔を、なんだか怒ったように睨みつけてから、オーリンは思いがけないことを言った。
「――俺ほの田舎のごどば、お前、知ってらか」
【お前、俺の田舎のことを知っているか】
レジーナは首を振った。
オーリンは少しだけ息を深く吸い、離してくれ、というように胸倉を掴んだレジーナの手を叩いた。
レジーナが手を離すと、オーリンはしばらく沈黙してから、静かに語り出した。