02.夜想曲~nocturne~『例えばそれは、死神と魔女が出会う話』 6
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「お前は一体なにを言っているんだ?」
時刻は早朝六時半。
コーヒーの香ばしい匂いが立ち込めるメイド喫茶『あんこキャット』の事務所にて、強面の男──もといボスは僕の報告にこめかみを抑えた。
お前は馬鹿かと。こんな朝っぱらから何の与太話をしているのかと。そんな心底呆れているような眼差しがズレたサングラスの奥から降り注ぐ。
「あれだろ、どうせ好きになっちゃたんだろ? だからってお前なぁ、殺しても死なねぇなんて下手なトンチみてぇな事ぬかしてんじゃねぇぞ。このクソ童貞ヤロウがッ!」
「いやいやいや! これがほんと、嘘のようでマジの話なんですってばー!」
ねぇハナコさん、なんて僕は助けを求めるように隣へと目を向ける。
すると僕の腕に胸を押し付けるように寄りかかっていた金髪の少女は、ソファーに腰掛けながらどこかウットリとした笑みで頷いた。
「はい、死神さんを永遠に愛すると誓いますっ!」
「……あれれー? あのぉ、ハナコさん僕の話聞いてましたー? この如何にもヤクザっぽい人は牧師じゃないし、そもそも僕は告白を承諾していませんからね?」
「そっ、そんな酷いですっ! 私達、あんなに愛し合ったではないですか!」
「殺し合ったんですけど???」
というかキミ性格変わってない? 好きな人の前ではバカになるタイプなのかな?
ハナコはぶーぶーとワザとらしく口に出し不満を訴えてくるが、ともあれ僕はボスに対し「僕だってこの通り困っているんですよ」と目で合図する。
「はぁ……だったら証拠を見せてみろ」
ボスは一連のやりとりで分かってくれたのか、あるいは起こされて単純に不機嫌なのか投げやりに返事をした。
「証拠って?」
「だから死なねぇ証拠だろ。ああ、出来ねぇなんて言わせねぇぞ? ここを汚さん方法で、今すぐその魔女を自称するバカ女を殺してみせろ」
その血走った眼からして、ボスはいい加減、憤りを隠し切れないようだ。
これ以上は話が進みそうにもないし、ここでのらりくらり茶化しでもすれば僕の方が殺されかねない。言う通りにするのが最善だろう。
了解っすと短く返事をして、僕はハナコへと向き直った。
「というわけで今から殺すけど。あー、何かご要望とかあったりします?」
「んーっと、それなら絞殺が良いですね! あれ、けっこう気持ち良いらしいので」
「……そっかぁ」
もはや何も言うまい。目を閉じ顎を上げた少女に対し、僕はソファーに腰を落ち着けたままその細い首に手を掛けた。
絞殺は気道を強制的に塞ぎ、脳への酸素供給を断つことで死に至る。
とりわけ今回のように抵抗をされないのであれば、所要時間はおおよそ一分弱。
「あっ、ガッ……! これっ……やばっ、気持ち……かひゅっ……!」
よだれと涙を流し、少女は恍惚とした表情のまま痙攣する。
それでも構わず絞め続ければ、最後にびくんっと全身を波打つように動かし、ソファーの上へ力なく崩れ落ちた。
わざわざ死を確認する必要はないだろう。白い首に残る青黒い手形や、美しい顔とは対極に位置する死に顔から、彼女が絶命しているのは見て取れる。
と、思ったが。ボスは静かに立ち上がり、疑り深くハナコの喉元に指を添わせた。
「────まじで死んでんな、これ……」
「ははー、そりゃあ完膚なきまでに殺しましたからね〜!」
「……笑顔で言うんじゃねぇよバカが」
ボスは不快を覚えたように呟くと、それっきり黙りこくってしまう。
眉間に深い皴を刻み見下ろす様子から、もしかするとどう死体を片付けるか考えているのかもしれない。が、もちろんそんな心配は必要ないわけで。
壁に掛かった時計が時を刻むにつれ、首に刻まれた手形は薄まっていき──
「ん⌇⌇⌇⌇……っと! あ、どうも。おはようございます?」
たった十数秒。死ぬまでに要した時間よりもずっと早く、ハナコはたっぷり半日寝た朝みたいな伸びで起き上がった。
何度見ても相変わらず脳が理解を拒む、思わず逃げ出したくなるような光景だが……。
まあともあれ、これで彼女が死なない事は無事証明できたかな。
「はあ、信じるしかねぇな……クソ」
ボスは諦めたように言うと、窓際のデスクチェアに深く腰を下ろした。
言葉の通り疑いは晴れたようだが、直ぐにコーヒーでのどを潤したのを見るに、案外目には分からぬ動揺を抱えているのかもしれない。
「あっさりと信じるんすねぇ。ボス、オカルトとか嫌いじゃなかったでしたっけ?」
「そりゃあ大嫌いだが。年を取ると物覚えは悪くなるが、物分かりの方は良くなるものなんだよ」
「……ふうん? なんか年寄りくさいっすねー」
「うるせぇ、これは人生経験が豊富って言うんだよ。そもそも都市伝説がぽんぽんと生まれるような裏社会に長くいりゃ、非科学的な事の一つや二つ経験しているものだし……。どうせあれだろ、そこの魔女さんはドラム缶に詰めて海に沈めようが無意味なんだろ?」
「あ、そうですねー。私はこの部屋に落ちている髪の毛一本からでも復活できるので、私と死神さんは如何様にも引き離せないのですっ!」
平然と、笑顔で怖いことを言うハナコだった。
本当にそんなことは可能なのかと一瞬疑問が頭を過ったが、思い返してみれば心当たりがなくもない。荊棘の枷〈アンカー・バレット〉に拘束されていた彼女が舌を噛み切った後、瞬間移動するみたいに背後の血だまりから再生したのがまさしくそれだった。
……とはいえ、その発言には一つ補足が必要だろう。
これは目覚めて暫く経ったあとに聞いた話だが、彼女から分かれたモノというのは時間にして六十分程度で消えてしまうものらしい。実際その事を聞かされた時には、僕の衣服にこびり付いていた鮮血や周囲に転がっていた手足は跡形もなく消失していた。
まるで世界が彼女の存在を拒絶するように──残り香すら完璧に。
ほんと、まったく付け入るスキがないほどの不死身とか、こうして会話をしているのが奇跡みたいなものだよね……。
それこそ好意を持たれていなければ、僕は既にこの世にいないのだろうし。
「ったく……こんなクソガキのどこに惚れたんだよ?」
と、どうやらボスも似たようなことを考えたようで、半ば嘆くように問うた。
クソは余計だが、その理由は僕も気になっていたところなので大人しく返答を待つ。
するとハナコはその場で立ち上がり、わざとらしく胸の前に両手を重ねてみせた。
「それはこう、胸にズキューンと矢が刺さったと言いますか!」
「……矢っていうか、弾丸だったと思うよー? こう、バキューンってね」
「そのとき胸がドクドクときめきまして!」
「ただの出血多量じゃないかなぁ? そりゃもう、死んじゃうくらい出ていたし」
「そう! つまり命を落とし恋にも落ちたわけですよ!」
「うん、全然うまくないよー?」
そのブラックジョークは当人からすれば笑えないんだよね……。
「……まじでベタ惚れじゃあねぇか」
「あっははー、モテる男はつらいっすねー?」
ボスの呆れ声に他人事のように笑ってみたが、実際のところ笑えない状況だった。
死を克服すると、恋愛観がここまで破綻しちゃうものなのだろうか? 殺されて惚れるだなんて創作の世界でも前代未聞。ぶっちゃけその在り方は怖いよ。
僕は目に見える地雷に恐怖するあまり、隣に座わられ「んふー」とご満悦に腕を組まれてもされるがままだ。
さながら借りてきた猫……。いや、大蛇に身体を巻かれている気分だね。
「とにかく死なねぇのは分かった。だがなぁ女。死なねぇからって、じゃあはいそうですかってのはコッチの面子が立たねぇんだ。ああ、言っとくがこれはただ金を返せって話じゃねぇぞ? 人様に迷惑をかけたならそれ相応の誠意を見せろってことだ」
「誠意、ですか。えーっと、では服を脱いで土下座すれば許して頂けますか?」
「……謝ったくらいじゃあ足りねぇよ。いいか、俺は誠意ある清算をしろと言ったんだ。タマでもねぇ、金でもねぇ、お前に残っているのは何だ?」
「えと、それはつまり……身体で払え、と……?」
「まぁ端的に言えばな。お前は見てくれは悪くねぇから風呂かビデオか好きな方を選べ。盗んだ金ぶん稼いだら許してやる」
ボスはサングラスをズラすと、獅子のような瞳孔で凄み、唸るような低声で断言した。
が、僕の知る限り現在ボスはそういった業種には手を出していないはずだ。
取り締まりの強化により、ちょうど僕を拾う寸前に風呂屋からメイド喫茶へ鞍替えした背景がある以上、伝手を利用し海外や地方に売り払おうという魂胆だろうか。それこそ臭いものには蓋をするように。素性の知れない厄介者は目の届かぬ所へ、みたいな?
まあ僕としては、物理的に彼女との距離が離れるならその方が好ましいけれど……。
「それは困りましたね」
案の定、ハナコは難色を示した。
僕の腕を名残惜しそうに離すと、自身の襟を正し懇願するようにボスを見上げる。
「ほかに方法はありませんか? 私の身体は既に死神さんのものなのです!」
「……いやいや、勝手に僕のにしないでよね。キミの身体は、キミ自身のものだからね?」
「そ、そんな無責任ですよっ! 昨夜私に酷いことしたじゃないですかぁ!」
「したけども……! その言い方にはちょっと語弊があるってもんだよっ!」
「血がいっぱい出たのですから責任取ってくださいよっ!」
「だから言い方ぁあああ! キミ、さっきから下ネタで押し切ろうとしてない!?」
「そ……そんなわけないじゃないですかー! 私はいたって真面目に話をしていますよ! それにほら、考えてもみてくださいよ死神さん。私って結構、優良物件じゃないですか? 炊事洗濯は人並にできますし、容姿だって褒めて頂けることが多いんです。実は死なないだけじゃなく不老だったりもするのでずっと綺麗なままですし、気に入らないことがあればいつでも殺してくれて構いませんし、なにより尽くしますし、死神さんを傷付ける人は地獄の果てまで追いかけて報いを受けさせますし──ね、最高な女ですよ?」
「それはサイコって言うんだよォ!」
仮にそのプロポーズで是非にと了承する男がいたとすればそいつも同類だよ!
……まあとはいえ、ここまで溺愛され言い寄られるのは悪い気はしない。
美人の得というか、潤ませた瞳で見上げ懇願されれば多少なりとも心が揺らいでしまう。
「あのぉボス? 決して庇う訳じゃないんですけど、この際、普通の肉体労働でも良いんじゃないですか? ほら、常人には危険な仕事だってあるじゃないっすか」
「ほぉ?」
と、ボスは僕の言葉に腕を組み何やら思考を巡らし始めた。
客観的に見ても僕の発言は完全に絆されていたし、間に合わせの思い付きの提案だったのだが……。意外にも一考の余地はあったようだ。
考えてみれば確かに、マグロ漁師、炭鉱夫、原発作業員、治験モニターなどなど。
危険な仕事と言われ直ぐに具体例を上げられるくらいには、命を金に換えるハイリスクな仕事は世に溢れている。仮に死なないのであれば一番のネックである健康的被害は度外視することができるのだ。
「あ、それでしたら殺し屋が良いですね〜」
良い提案に我ながら感心していると、ふと隣からそんな声が上がった。
どういうつもりかと目を向けてみれば、ハナコはちいさく手を上げ笑みを浮かべている。
「殺し屋だァ? テメェ簡単に言うが、そんな細腕で人を殺したことあんのかよ?」
「ええ、それでしたら何度か。直接的にも、間接的にも」
「はっ……そうかい。いや、お前は金を平気で盗み出すような奴だ。そんなの訊くまでも無かったな。つーかなんだ、魔女は魔女らしく魔法でも使えるってか?」
「……? いえ、魔法はちょっと無理ですね。私はそういった契約はしていないので」
契約、と。
そんな繋がりのない答えに、僕とボスは顔を顰めた……が。
そういえば昨夜、彼女はそんなことを言っていたか。もともとは僕と変わらない限りある命だったが、ある日〝悪魔と取引をし後天的に不死になった〟と。
「魔女というのは、いわゆる〝魔法使い〟というのとは別物なのですよ。前者は言葉の通り魔法を使える者ですが、魔女というのは悪魔と取引をした者の呼び名になります。なので女と付いていますが、この場合、少年でも少女でも男性でも皆〝魔女〟になります」
「…………」
そう言えば昔、名前も思い出せない歴史教師から似た話を聞いた覚えがある。
そもそも『魔女』という概念が生まれたのは中世ヨーロッパでのことで。英語では『witch』と書くそれを日本では『魔女』と訳しているが、実はそれは間違った解釈なのだとか。
正しく訳すと『悪魔信仰者』や『悪魔の眷属』というのが近いらしく、その本質的には『異端』の意味合いが濃かったらしい。
実際に中世で行われたとされる忌むべき行いの中に『魔女狩り』というのがあるけれど、魔女として処刑された者の中には男も多くいたとかなんとか。
「……つまりなんだ。お前は願ったわけか、不死になりたいと?」
「いえ、結果的にそうなった感じですねー。悪魔との取引は等価交換なので、私の願いと私が差し出せるモノの中で釣り合いをとり、そうして合致したのが『不死』だったというだけみたいです」
……自身の過去の事なのに、誰かに訊いた風に言うんだな。
いったい何を差し出せば不死など得られるのか想像もできないが、その言い方からして、たぶんあまり触れられたくない話題なのだろう。
ハナコはやはりはぐらかすように、それとですねと続けた。
「絶対に死なないってことは絶対に負けないってことなんですよ。ね、死神さん?」
「……ん、そうかもね」
都市伝説にまでなった僕の異名は、そのまま僕の戦歴を表している。
必ず殺すから《死神》と呼ばれるようになった──にもかかわらず、彼女は今日、そんな僕に初となる黒星をつけたのだ。
身をもって知っているとなれば頷くしかなく、ハナコは満足げに手を合わせた。
「はい! というわけで優秀な殺し屋さんと戦えるのですから、私にも殺し屋の才能があると言えませんか?」
「……それとこれとは話が違ぇだろ。確かにお前はユズを負かしたかもしれねぇが、同じ土俵では戦ってねぇ。絶対に死なねぇなんて反則技で押し切っただけだ」
確かに、殺すことに特化した僕からすれば彼女はまさに天敵みたいなものだろう。
初めから捕縛する事だけを考えていれば状況は違ったのだろうが、そんなものはタラレバというもの。負けは負け、そこに関しては揺るがない事実だ。
「むう……。では、私は殺し屋に向いていないとおっしゃるのですか?」
「んなこたぁ俺が知るかよ。結局のところは、俺の命令で人を殺し続ける覚悟があるのかどうかっつう話だ」
「……ボスさんの命令で?」
「ああ、例えばお前の死なねぇ特技を生かすとして。俺が〝爆弾抱えてヤクザの組一つ潰して来い〟って言ったらそれを実行しなくちゃならねぇ。それがお前の友人でも、恩人でも、恋人でも、家族でも関係ねぇ。泣いて拒否しようがぜってぇに許されねぇ。お前が足を踏み入れようとしているのはそういう世界だ。分かったか?」
「…………」
そんな問いに、僕は思わず笑みを溢さずにはいられなかった。
声も顔もあの時と同じだ……。五年前のあの日、ボスは全く同じことを口にして、役に立つ保証なんて限りなく低い僕を抱え込んだのだ。
ボスは裏社会に身を置いているのが謎なくらい他人に甘いから、あとは彼女が頷きさえすれば今日から組織へ仲間入りだろう。
仕方ない。ボスが決めたのならば、同じ厄介者同士せいぜい上手くやるとしよう。
「えーっと、爆弾抱えて行けば良いんですか? はい、了解いたしました〜! それでは山田ハナコ、その初任務を遂行してまいります!」
「……うん?」
腕を組み感傷に浸っていると、ハナコは突然立ち上がり事務所の外へと駆けていく。
んん……? ちょっと待てよ、今ハナコはなんて言った?
任務を遂行? 爆弾を抱えていく……?
「あのぉボス?」
「ああ……」
僕とボスはしばらく彼女の消えたあとを眺めて、それから遅れて状況を理解した。
「すまねぇ、ユズ。早急にあの、頭のイカれた女を連れ戻してきてくれ」
「……了解っす」
激しい頭痛を覚えながら僕は消えた少女のあとを追う。
階段を降り、外へと出て──。途端に目が眩んだかと思えば、空には青々とした晴天が広がっていた。
僕がハナコを発見し、その後頭部を蹴り飛ばすのはそれから五分後のことである。
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試し読みは以上です。
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※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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