02.夜想曲~nocturne~『例えばそれは、死神と魔女が出会う話』 5
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たーん、たたん、たんたんたたん。
たーん、たたん、たんたんたたん。
ぼやけた風景の中に、どこか懐かしい音が流れている。
(音? いや違う、これは曲だ。ノイズ交じりの、今にも壊れそうな夜想曲だ)
そんなことに気付きおもむろに顔を上げてみれば、そこは夕日が差し込む和室で……。
黄ばんだ壁紙、黒ずんだ畳、破れた襖、色褪せたレコードプレイヤー、と。あの世にしては庶民的で、少し異質な、やはりどこか既視感を覚える場所であった。
(これ、よく知ってる……。どこで見たんだっけ?)
霞がかった頭でそんな事を思えば、視界の隅にはそれまで存在しなかったボロコートの男が座っていて──。
『よおチビ。なんだ辛気臭い顔して、何か嫌な事でもあったのか?』
目が合うや否や、その男は覇気のない笑みでそう言った。
汚ならしい無精髭に、寝癖とフケだらけの頭と。そんな絵に描いたようなだらしがない人は見間違うはずもない。彼は僕の父、緋野ギンジロウだった。
(ああ、夢かこれ……)
顔を合わせ、声を聴き、これがひと時の幻想であることに気が付いた。
それもこれは、過去にあったいつかの出来事の再現で。いまの僕が何を語っても、どう動こうとも、この父さんが反応を示してくれるわけではない。
(とう、さん……! 父さんッ!)
そう頭では分かっていても……僕は、父に手を伸ばさずにはいられなかった。
夢を自覚すれば──終わりは自ずとやって来る。
古ぼけた夜想曲はいつしか止んでおり、光とともに崩壊し始めた風景に、伸ばした手はついに父さんに届くことなく──
「あ、目が覚めましたか? おはようございます、気分はいかがでしょうか?」
僕の手は、美しき女神の手に包み込まれた。
「…………え?」
金色の髪に、碧い瞳と。
その女神はどこかで見たような容姿をしていたが、温かな光のなか見下ろすその顔は、まるで愛しい我が子へ向けるような慈愛に満ちていて、
「ふふっ、そんなにじっと見られると照れてしまいますよー。もしかして寝ぼけているのですか? 死神さん」
瞬間、僕は手を跳ね除け飛び起きる。
違う……。寝ぼけ眼のせいで勘違いしていたが、こいつは女神なんかじゃない──!
「……いったい、なんのつもりさ?」
「はい? なんのつもり、とは?」
外套より拳銃を引き抜いた僕に、魔女──山田ハナコは困ったように首を傾げた。
そんな仄かな笑みの向こう側には、朝日が地平線から顔を出す港が広がっており、意識を手放してから四〜五時間は経っているだろうか。止めを刺す時間はたっぷりあったのにもかかわらず、その場から動かさず膝枕をしていただなんて彼女の意図が分からない。
これじゃあまるで、看病でもしていたみたいじゃないか。
「みたいではありませんよ死神さん。まさしく私は看病をしていたのです。そもそも私は、貴方を傷つけようなんて考えを初めから持ち合わせてなんかいないのです」
「う……ウソつけ! 気絶する前に殴ったのを、僕は覚えているからな!」
「はあ、それはこうしてお話しする場を整える為ですよ。殺しもせず、逃げもせず、その銃を取り上げもせず。起きるまで見守っていたのですから少しは信じて頂けませんか?」
「…………」
確かに、状況は全てを物語っている。
どうも僕は、寝起きで頭が回っていないらしい……。この行動は軽率だった。
「悪かったよ……。キミに敵意が無いのは分かった。けど、その真意はなにさ?」
銃口を下げ、僕はそのまま口を開く。
僕達は数時間前まで殺し合いをしていた。殺し続けたし、痛い思いもたくさんさせた。そんな相手に、なぜキミは親切に出来るというのか。
「あは、死神さんは難しく考えすぎですよ。通常、人が人に親切にする理由はなんですか?」
そんな返答に、僕は目覚めたときに彼女より向けられた笑みを思い出す。
あれはおおよそ、自分を殺した相手に向けるようなものではない。いや、むしろ──。
「……えーっと、つまり山田さん」
「そんな他人行儀やめてください。どうぞ、ハナコでお願いします!」
「あ、はい。その……ハナコ、さん。つまりキミは、僕に好意を抱いている……と?」
「その通りです! 言葉にすると恥ずかしいのですが、私は貴方を愛しているのです」
「……なんで?」
いや、どうしてそうなった。
僕が彼女に与えたのは殺しだけだし、まさか彼女は極度のマゾヒストだとでも……?
怪訝に眉を顰めれば、ハナコはあっけらかんと答えた。
「なんで、とおっしゃられても……。人が人を好きになるのに理由が必要なのですか?」
「────」
あまりにも真っすぐで澄んだ瞳に、もはや何も言い返せなかった。
きっとこの少女は、僕には測り得ぬほどぶっ飛んだ思考回路をしているのだろう。
ただ一つ、それだけはよく理解できた。