02.夜想曲~nocturne~『例えばそれは、死神と魔女が出会う話』 3

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 今朝のニュースによると、本日、2025年4月15日という日は『第三次世界大戦』終戦から、ちょうど八十周年なのだという。

 自分が生まれるずっと昔の話となれば戦争の爪痕など疾うに消え、今朝の僕はどこか他人事のようにパンを齧りニュースを眺めていたが、思えば僕が住む此処『ナノハ』の街は、戦後の日本復興のため開発された都市の一つであった。

 八百平方キロメートルの面積を誇る『ナノハ』は大きく七つの区分からなり、僕が活動拠点にしているのはその中の五番目──ナノハ第五地区。一般的には電気とオタクの街として有名だろう。

 そんな第五地区は、犯罪の多さから五年ほど前までは「ナノハ一危険な街」と言われていたが、市民のボランティアに依存した公益機関の取り組みにより、現在の犯罪数は極めて少ない。

 街の随所には「皆で見回り、第五地区を守ろう!」と呼び掛けるポスターが見られ、かつての評価は一変、現在の第五地区は「ナノハ一平和な街」の呼び名を冠している。


 ……と、まあ残念ながらそれは表向きの顔なんだけどね。

 光あるところには必ず影が射すように、ナノハ第五地区には裏の顔があった。

 住民の殆どはその存在に気付いてすらいないが、水面下では、窃盗、誘拐、殺人、麻薬売買、違法ギャンブルと、例を上げればキリがないほどの悪事が蔓延っている。

 犯罪の少ない平和な街というのは幻想であり、結局のところ「国が公式に認め、検挙した犯罪数が少ない」というだけの話なのだった。


 悪事を働く無法者たちは、何も日陰に隠れ獲物を待ち望んでいるわけではない。規模の大きい組織ともなれば、その殆どが何かしらの擬態をし活動している。

 例えばここに、メイド喫茶『あんこキャット』という店があった。

 美人揃いの従業員に満足度の高いサービスと、ナノハに存在するメイド喫茶の中ではそれなりの有名店──なのだが。その実、経営元は数ある悪辣組織の一つであり、通常業務の傍ら、極秘文書の取引や等を請け負っていたりする。

 かく言う僕はそんな人殺しをであり、この店はデートを邪魔され呼び出された場所であった。

 大通りから一本外れた場所にある『あんこキャット』の店前は、平時であれば長蛇の列で埋まっているものの、本日が定休日であることから人影はなく、どこか物足りないような印象を抱く。

 顔馴染みに話し掛けられるなんてこともなく、僕は妙に段差の高い階段をあがり『close』と札の掛かった扉を迷いなく開いた。

「はいはい、お邪魔しますよーっと」

 定休日となれば当然メイドはおらず、誰かが返事をしてくれるわけでもない。

 薄暗い店内には扉の鐘がからんころんと残響するばかり──と、思えば。


「おう、遅かったな」


 視界の外から、古板を押し潰したような低い声がした。

 まさか返事が返って来るとは思わず慌てて顔を上げれば、フロアとスタッフエリアとを区切るカーテンの隙間から壮年の男が顔を出している。

 細長のサングラス、刀傷のような鋭い目、ワックスで固めたオールバック、腕まくりした白シャツ、と。心底ダルそうに出迎えたその男は、おおよそファンシーなメイド喫茶には似合わぬ様相をしており、まるでヤのつく人のよう──というか。

 僕がお世話になっている組織のボス、兼『あんこキャット』の店長だった。

「わぁお、随分と厳ついメイドさんっすねー? チェンジでお願いします!」

「あァ……? んだ、殺されてぇのかテメェは?」

「あっ……はは、嫌だなぁ。ボスの珍しいお出迎えに嬉しくなっちゃっただけですって! だ、だからそんな睨まないでくださいよ〜!」

 僅かにズレたサングラスの奥からはどこぞのひったくりとは違う、ひと睨みで呼吸を止めさせるような眼光が飛んできた。

 本気で怒らせればその言葉もただの脅しでは済まないし、いやあ笑えない。

「……ったく。アホなこと言ってねぇで、さっさと付いてこい」

「りょ、了解っす〜!」

 ボスは呆れたように溜息を吐くと、スタッフエリアの奥へと歩き出す。

 どうやらお許しが出たらしい。僕は内心安堵しながら、その広い背中を追った。



 従業員から『事務所』と呼ばれるその部屋は、茶色の座卓が一つ、それを挟む二人掛けの黒ソファーが二つ、半分が本で埋まった収納棚が一つ、デスクとオフィスチェアが一つずつと、三十の座席やダンスステージのあるフロアと比べ小ぢんまりとしている。

 ただそんな規模の割に、この部屋は検挙されたら一発アウトの書類や拳銃、弾丸、日本刀等の違法武具で溢れていたりするのだけどね……。

 僕は部屋に入ってすぐ、左側のソファーに身を投げ出すように座った。

「で、次は誰を殺せば良いんすか? さっさとしてくださいね、僕も忙しい身なんで」

「……あん? なんだユズ、今日は随分とじゃねぇか。ええ、どうしたよ?」

「どうしたもこうしたも……ここへ来る前に、女神か天女かと思うくらいの美女を助けたんすよ。それでお礼に食事でもって……。いやもう、あれは完全に僕にメロメロでしたね。邪魔さえ入らなきゃそのまま一夜を共にするコースでしたよ、いやマジで」

 あの後、せめて連絡先でも交換しようかという話になったのだが……。

 どうやらひったくり騒動の際にバッグに入っていた携帯電話が壊れてしまったらしく、結果「また何処かで会えると良いね」なんて今時ドラマでも聞かない台詞で別れることになってしまったのだった。

 いくら僕がこの街に住んでいるとはいえ相手はそうじゃない。

 運命の赤い糸で結ばれていない限り、もう二度と彼女と会うことは叶わないだろう。

「……ちょっと助けられたくらいで惚れる女なんているかよ」

 どこかで聞いたようなことを、嘲笑気味に言うボスだった。

 ボスはそのまま話は終わりだと言うように溜息を吐くと、デスクチェアへと腰を下ろし、立て付けの悪い引き出しからファイル束を取り出した。


「とりあえず八件、《死神》を指名で来ているぞ」


 死神──。それは裏社会にのみ囁かれる、ナノハのだ。

『受けた依頼は必ず遂行する、死神のような殺し屋がいるらしい……』初めはそんな噂話からだっただろうか。

 当時の僕は十三歳。

 同じ殺し屋ながら恐い人がいるなぁと怯えたものだけど、自分の殺した相手が《死神》の手に掛かったという話を聞けば自覚せざるを得ない。

 噂の《死神》とは、まさに僕のことであったのだ。

 当人からすればただ殺せる相手を選んでいるだけの話だったのだが、その名前には何か不思議な力が宿っているらしく、気付けば裏社会の都市伝説にまでなってしまい……。

 八件と、日々舞い込む依頼量は既に僕のキャパシティを越えていた。

「……はあ、そりゃあ本日も大盛況ありがたいっすけど。見ての通り僕ちゃんの身体は一つしかないんで、そんな受けらんないっすよ?」

「そいつは言われんでも分かっている。受けるか受けないか、いつも通りお前の自由だ」

 ボスはぶっきらぼうに答えると、デスク上の缶コーヒーを飲み干し、詳細を続けるぞ、と手元の資料に目を落とした。

「一人目は──あー、借金だな」

「パス、それってどうせ保険金詐欺でしょ? そんなんお断りですよ。パスパース」

「まぁそうだろうな。それじゃあ次──……も、借金だな」

「いやいや、なんなんすか? ってボスもご存知ですよね?」

「……ああ、よく知っているさ」

「じゃあ言わせないでくださいよ。そもそも僕が殺し屋になったのは、奴を──《亡霊》! いつまでもそんな、しょっぱい殺しをするつもりなんて無いですからね」

 金は要らない。名声も要らない。

 僕が人を殺し続けるのは手段であり、全ては殺し屋を生業としていた父・緋野ギンジロウが殺されたことから始まった。

「もうですよ? あとどれだけ殺せば奴の手がかりが見つかるんすか?」

「……まあ落ち着けよユズ。アイツの、ギンジロウの仇を討ちたいのは俺だって同じだ。金と伝手を当たって、関与している事案に首突っ込んで──。そういう奴を相手にしているってのは、お前だって端から分かっていたことだろう?」

 ああ、分かっているさ……。

《亡霊》は、裏社会に囁かれる霞のような存在だ。闇雲に手を伸ばしても掴めない相手。そいつを探すために、僕は父さんと同じ殺し屋になったのだから。

 伝手を作るために関係の無い悪人を殺して、殺して、殺して……そうやって五年。

 現状、《亡霊》について判明している情報は四つ。


 一、僕や父さんと同じ『殺し屋』であるという事。

 二、裏社会で力を持ち、様々な悪事に関与しているという事。

 三、政界にすら発言力を持ち、その痕跡は決して表には出ないという事。

 四、その名は都市伝説として裏社会に刻まれているという事。


 以上のことは、父さんが《亡霊》に殺される以前に分かっていた事であり……。

 この五年間、実のところ僕は始めの一歩すら進めていない。

 関与が疑われる悪人のもとを訪れてみても《亡霊》の情報は無く、僕が手に入れたのは依頼達成の度に入って来る莫大な金だけだった。


「……せめて、《亡霊》に繋がるような仕事をくださいよ」


 やるせない感情を、僕は八つ当たりのように吐き出した。

 けれど本当は、こんな言い方をするべきではないのは分かっているんだ。

 ボスは父さん亡きあと、僕みたいな可愛くもないクソガキを抱え込み、銃の扱い方や、人を殺すための心構えを教え、一番の協力者であってくれた。

 だから感謝こそされど文句を言われる筋合いなんてない、そんなことは分かっている。

 頭では分かっているけれど……。もしかするとこのまま復讐は叶わないのではないかという焦りが、つい態度となって零れてしまうのだった。

 ふてくされたようにそっぽを向くと、ボスはそんな僕へ溜息交じりに言った。

「まあ、実は一つだけらしい依頼があるにはあるんだがな」

「──へ? ちょ……ちょっと待ってください! いや、あるんですか!?」

 まさかそんな返答が来ると思わず素っ頓狂な声を上げると、ボスはファイルの中から一つを抜き出し、僕の前まで器用に放ってみせた。

「つい先日、の金を盗みこの国へ密入国してきたクソ女だ。金を奪われた奴が言うには、その女は〝この世のものとは思えないほど美しかった〟だとよ」

「この世のものとは思えない……って、まさか!」

 それってのはまさに、妖怪や幽霊の類をさすであって──

「待て、慌てるな。あくまでも金を奪われたヤツがそう言っていただけで確定じゃねぇ。前回だって『死人に会える薬』と言いつつ、結局はただの売買人だっただろう?」

「……そう、っすね」

 今度こそはと期待して、裏切られたのはなにも前回が初めてじゃあない。

 死人に会える薬──。ボスの言うそれは、数日前までナノハに蔓延っていた麻薬の事だ。

 売買人はその筋では古株ともいえる極悪人で、先日、僕が殺したスミレ先生であった。

 殺すことになったのは残念だとは思う。けれど先生の殺しに対し僕がそれほどショックを受けていないのは、五年という月日が受け入れさせるには十分過ぎたからで……。

 ターゲットが知人であったのも、やっぱり今回が初めてではないのだった。

「…………」

 ややブルーな気持ちになりつつ、僕は受け取ったファイルに素早く目を通す。

 そこには依頼主の氏名、ターゲットの氏名、性別、年齢、国籍、特徴、その者が如何様に殺しの依頼をされているのかなどなど、依頼人から持ち寄られた情報から組織が独自に調査したものまで詳細に記されている……のだが。

 僕の眼は、一番初めの項目で止まることになった。

「あのボス? これ、依頼主の名前が空欄になっていますよ? もしかしてドジっ子ちゃんすか? オッサンのドジっ子属性は萌えないと思いますよー?」

「……そんなんじゃねぇよバカが。その金を奪われた組織ってのはなんだよ。チャイニーズマフィアとの取引で、新入りのボケが女の色香に騙されたんだ」

「はぁ、相手の女性はよっぽど美人さんだったんすねー」

 そんな気の抜けた相槌にボスは眉をぴくりと動かすも、しかし特に言及することはない。

 僕にとって、ターゲットの容姿が何の意味も成さないことを熟知しているからだろう。

 たとえ相手が女子供だろうと、悪人であるなら《死神》は躊躇しない。それも父さんを殺した《亡霊》かもしれないならば尚更だ。

 顔の無い《死神》は何も考えず、何も感じず、目的の為に殺す──ただ、それだけさ。


「コケにしたツケは必ず払って貰う。偶然にもヤツはこの街で遊んでいるらしいからな。《亡霊》じゃなくても、さくっとその命を奪ってこい」

 ボスはドスの効いた声を響かせると、続けて「ほら」と、一枚の写真を弾いた。

 ファイルと比べると重みが無いため、それはくるくると放物線を描き飛行して。顔の高さで掴みつつ横目で確認すれば、僕は思わず神妙な顔をしてしまっただろう。

「……どうかしたか?」

「いやなんでも。ただ、運命の悪戯って残酷だなぁと思っただけっすよー」


 そうさ、《死神》は受けた依頼は必ず全うする。

 たとえそれが、先ほど知り合ったであったとしても──。

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