第1章 この学校にはティラノサウルスがいる(4)
「早く立って。行くよ!」
僕は彼女に肩を貸して助け起こす。足元がふらついている。体温はさらに上がっている。長く触れているのがつらいくらいだ。
「こっち!」
僕は彼女を引きずるようにしながら、廊下を急ぐ。
今はもう朝のホームルームがはじまっている。あまり人目がないのは幸運だった。見咎められたとしても、いくらでも言い訳は効く。
なぜなら、行き先が行き先だから。
苦しそうに歪めた唇が、震えながら動く。
「どう、して……」
理由なんて自分でもわからなかった。
どうしようもなく大きな力に、動かされているみたいな感覚だった。
たとえるなら、そう。
重力に引かれて落ちる、隕石のように。
僕はいつものホームルームが行われている教室の隣を抜けて。
彼女の肩を抱いて、走った。
■
僕たちは人のいない廊下をしばらく走って、たどり着いた先のドアを開ける。白い引き戸はガラガラという音を立てて、ストッパーでバンと跳ね返った。
「
「うわっ!?」
開けたドアの向こうに座っていたその人物は、それに同期するように椅子から飛び上がる。
椅子を回して僕の顔を見ると、胸に手を当てて大きく息を吐いた。
「なんだ、
そう言いながら、机の引き出しにゲーム機を放り込むと、ずれたメガネを直した。
無造作に頭の上でまとめた髪は明るく染められていて、まるで湯上がりのようにリラックスした雰囲気だ。その緩急ある身体つきとつり上がったレンズの眼鏡は、どことなくハチを思わせる。それも特大のスズメバチだ。
彼女はやれやれと立ち上がると、羽織った白衣のポケットに、手を突っ込む。
そう、白衣。
当然だ。ここは保健室なのだから。
本来は、このどうしようもない不良養護教諭であるところの
僕は抱きかかえた
「この子、例の子!」
あの日、屋上で
「例の、ってまさか」
「うん。憑かれてる!」
「それを先に言いたまえ!」
急ぎ
「う、熱いな。症状は?」
「言ったでしょ、火だよ!」
「火⁉ なんでここに連れてきたんだ、保健室を全焼させる気かい⁉」
「ごめん、他のところは間に合いそうになかったんだ!」
「これは……なにか動物を見なかった?」
「見た!」
「なんの動物?」
「トカゲ、だと思う」
「大きさは?」
「えっと、これくらい!」
僕はシルエットを思い出しながら、人差し指と親指でサイズを示す。
「
「わかんない、多分見えてなかった」
「なにか吐き出したり、うわごとを言ったりは?」
「僕の見てるときにはしてない」
「トカゲに火か……サラマンダー……ならフェネクスの線はないね……視線という解釈なら序列51番か52番? いや素直に考えて……でも
「どんどん熱くなってる! どうにかしてよ!」
僕は焦っていた。
ここに来れば、すぐに
でも
「……大丈夫です。じ、自分で、対処できます……」
しかし僕の声に応えたのは、
「自分でって……」
なにをするのかと思ってたじろいでいると、彼女は震える手でスカートのポケットに手を入れる。取り出したのは、ミントタブレットのケースだった。
「あ、それ……」
「これで、収まる、はず……!」
肩で息をする彼女を、しばし見守る。
しかし彼女の背負った空気は、ゆらめいたままだ。
「ど、どうして……どうして効かないの!?」
「答えは簡単さ。症状が進行しているからだ。いやはや、自分で対処しようとするなんてね。生兵法というやつだよ」
「……まずいな。時間がない。
「え、な、なに言ってるの⁉」
「いいから指示通りに! まずは彼女を押さえて!」
いきなり響いた空気が擦れる音に、僕は目を向ける。
それが
彼女の目が、金色に輝いている。きれいな鼻筋には皺が寄り、噛み締めた犬歯が、薄い唇の間から覗いている。
それを見れば、僕でもわかった。
支配が強まっている。
「ごめん、
暴れ出す寸前、僕は後ろから彼女を羽交い締めにした。バタバタと動かされる足の重さに振り回されそうになりながらも、なんとか彼女の体をその場に留める。密着する体に、服越しに伝わってくる、熱。
「さ、
「もうちょっと持ちこたえて!」
振り向かずそう答える。なにをしているかと思えば、机の引き出しをガサガサと探っている。引っ掻き回すたびにあふれているのは、お菓子、だった。
「飴、じゃないほうがいいんだ。もっとすぐ食べられるものじゃないと……クッキー、は粉っぽいし……ああもう、誰だいこんなに散らかしているのは!」
焦りが苛立ちになって伝わってくる。どう考えても本人の責任だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
僕はなにも知らない。
なにもできない。
暴れる
早く。
早くなんとかしてくれ――
「あった、これだ!」