アオハルデビル
第1章 この学校にはティラノサウルスがいる

第1章 この学校にはティラノサウルスがいる(5)

ようやく探していたものを見つけた佐伊さいさんの手に握られていたのは、すべてを解決する魔法のアイテム、

金の箔押しで印刷された茶色の紙が巻かれている、四角い板。

見慣れたそのかたちは――


「ちょ、チョコレート!?」


僕の叫びを無視して、佐伊さいさんは包みを剥こうとするが、うまくいかない。


「ええい、チェストぉっ!」


しびれを切らして膝で真っ二つにチョコレートを折ると、包みをビリビリと引きちぎって、中身を僕のほうに投げた。


「それを食べさせて!」

「うわっ、と」


両手を伸ばす。が、キャッチしそこねる。手の上を何度かバウンドした、そのとき。

自由になった衣緒花いおかが、襲いかかってきた。

さっきとは比べ物にならない速度で、僕は床に体を打ちつける。

それは、本物の獣の動きだった。

襲いかかる衣緒花いおかの手が、僕の首に伸びる。熱はすぐに僕の皮膚を伝わり、肉に届く。まるでストーブに触れているみたいだ。


「はやく! 口に捩じ込むんだ!」

「かんたんに言うよね……!」


衣緒花いおかの肩口には、すでにチラチラと炎が見えはじめていた。

彼女の手はすさまじい力で、僕の首を締めている。

血が脳に行かないせいで、意識が朦朧としてくる。

空気が彼女の喉を震わせた、その瞬間。

ぼやけた視界が、開いた口を捉える。


「た……食べて!」


すかさずチョコレートを押し込む。咳き込み吐き出そうとするその口を、僕は手で塞いだ。


「いいよ、そのまま飲み込ませて!」

「そんなこと言ったって……!」


衣緒花いおかの喉が苦しそうに動く。熱い。もう触っていられない。彼女はまだ暴れている。僕の手はすぐに払いのけられる。チョコレートはまだ口の中にある。でも飲み込んでいない。このままじゃ吐き出してしまう。


どうしよう。

考える時間はなかった。


僕はとっさに、彼女を抱き寄せた。

両腕で彼女の頭を抱きかかえるようにして、自分の胸に押さえつける。服越しに伝わる吐息はまるでヘアドライヤーだ。衣緒花いおかは離れようと僕の体を手で押すが、この姿勢ならいくらなんでも僕のほうが力が強い。僕は夢中で彼女を抑え込んだ。


「熱い! もういいでしょ⁉」

「ダメだ、耐えて!」

「もう無理ぃぃぃぃ!」

「まだだ!」


佐伊さいさんの指示を守るべく、必死で彼女を抱きしめる。

やがて、ごく、ごくんと衣緒花いおかの喉が動く感触が、胸に伝わってきた。


「飲み込んだ……!?」


それをきっかけに、少しずつ抵抗の力が弱まっていく。コンロから下ろしたフライパンみたいに、熱が空気に逃げていくのがわかった。


やがて衣緒花いおかの体から、だらりと力が抜けて。

横たわった僕の胸の上に、目を閉じた彼女の顔が乗っていた。

さっきまでが嘘のように、穏やかな表情をしている。

薄い唇の隙間が、すう、と一度大きく息を吸うと。

その後は、ゆっくりとした、静かな呼吸が続いた。


「よし、よし。これで大丈夫だろう」

「こ、怖かった……」


僕は脱力する。全身が痛かったことに、はじめて気づく。倒れたときに打った頭と背中。引っかかれた腕と手。首と掌がヒリヒリするのは、たぶん火傷だろう。


「さて、ちょっと手伝ってくれるかな?」


そう言われて、軋む体を庇いながら立ち上がる。佐伊さいさんに言われたとおりに衣緒花いおかを抱き起こすと、ベッドに寝かせた。すべてが終わると、ふう、と重い息が漏れた。


「いやー、お疲れ様。よくやったよ」

「よくやったよ、じゃないでしょうが! 死ぬかと思ったよ!」

「まあまあ、うまくいっただろ? 保健室は全焼を免れた。君も消し炭にならなかった。万々歳じゃないか」

「やっぱり僕も消し炭になる可能性、割とあったよね……」


額に滲んだ汗を拭う。薄々知ってはいたが、そう言葉にされると背筋が寒くなるものがある。しかし全力を尽くして火照った体には、その寒気さえ心地よかった。

僕はベッドに横たわる衣緒花いおかの姿を見下ろす。


さっきまでの暴れようが嘘のように、穏やかな顔をしている。

きつい印象は大部分が表情によるものなのだと、僕は気づく。

長い睫毛が、白い肌に影を落としている。

こうして眠っていると、まるで名工が削り出した人形のようだ。

僕は心の底から安堵する。


ここに来るまで、なにかがひとつでもズレていたら、佐伊さいさんの言うようなことになっていたかもしれない。

僕は大きく息を吸った。自分が、そして衣緒花いおかが、生きていることを確かめるように。

けれど、問題はまだ、なにひとつ解決していない。


「本番はこれから、だよね」

「まあね。これはその場しのぎにすぎない。単なる応急処置、対症療法、あるいは緊急避難だ。すなわち、これからが――」


佐伊さいさんは白衣のポケットに手を突っ込んで、にやりと不敵に笑った。


「――だ」

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