第1章 この学校にはティラノサウルスがいる(1)
〈こんにちは、
その朝、いつものように登校した僕は、ぼーっとスマートフォンで動画を眺めていた。
世界は毎日、目にも止まらないスピードで流れていく。
いいね、拡散、レコメンド、トレンド。そういうものが流れてくるのを、僕はふんわりと眺めている。ときどきこうして動画を見たり、人気のゲームをぽちぽちとプレイしたり、話題になったマンガを流し読みしたりする。その繰り返しだ。
満ち足りている、どころか、溢れている。空に輝く星のひとつひとつを数えることができないように、僕はただ、名前もたいして知らない光をひたすら眺めている。
そういうものを、なんとなく消費する毎日。
――そんな自分のことを、石ころのようだと思うことがある。
空を見上げる、冷え切った路傍の石。
それが僕だ。
でも、この世界には、そうでない人もいる。
輝く星の側の人々。
ポケットからミントタブレットのケースを取り出して、シャカシャカと鳴らしてみる。
スマートフォンの動画に目を戻すと、彼女の髪には、星が輝いていた。
当然の疑問に、僕はまだ、答えを出せていない。
どうして彼女が、あんなところにいたのだろう。
いや、そもそも、あれは現実だったのだろうか?
「おはよー、
「ん、おはよう」
後ろからかけられた声に、僕は振り向かないまま返事をする。
すると机の上に、いきなりドンとなにかが置かれた。ものすごい圧を感じる。
目を上げると、そこには四角い薄いプラスチックが層状になって、うず高く積まれていた。
座っていると見上げるくらいの高さがある。
「なにこれ」
「CD。ボク、貸すよって言ったじゃん」
そう言って、塔の主は胸を張った。
金色に染めた髪が朝の光に透けて、耳についたピアスが光る。派手な格好に似合わず、その目は人懐っこい。もう初夏だというのに制服の上から黒いパーカーを羽織った小柄な姿は、なんとなく黒いウサギを思わせる。
いかにもロックが好きですという見た目をした彼女は、なんと一切の意外性なく、本当にものすごくロックが好きなのだった。
彼女はあまりにも外見が派手だし、好みもはっきりしすぎているので、クラスでも遠巻きにされていた。だから彼女と話すようになったのは、まったくの偶然だった。
ある日、本人がいないあいだに、机に立て掛けてあったギターが倒れそうになった。とっさに僕は奇声を発しながらダイブし、ギリギリでギターを救出した。戻ってきた
なにはともあれ、そんなわけで。
僕らは友達になったのだった。
机の端にスマートフォンを置くと、僕は改めて、
「CDとは聞いてなかったし、タワーみたいになってるし」
「これは全部70年代だから、まだ低層階だよ?」
「ダンジョンみたいに言わないでよ。というか、そもそもCDなんか聞けないんだけど」
「え!?」
「プレイヤーとかないもの」
「そ、そんな人類が地球に存在するの!?」
「ロックの星の常識は知らないけど、地球では普通だと思う」
「じゃ、じゃあ逆に現代から遡ろう! それならPV動画であるし! ボクのオススメはね、〈イナーシャ〉って日本のバンドなんだけど、最近ようやくメジャーデビューしてさ、ボーカルの人がとにかくかっこよくてね、海外に行ってたギターがようやく帰ってきてサウンドにUKっぽさが……」
彼女の講義は、ほとんど右耳から左耳という感じなのだが。
こんなに人に勧めたくなるものがあるのは、うらやましいとも思う。
きっとそれが、僕が
そんなことを考えていたので、僕はすっかり油断していた。
動画を再生しようとした
「うわ、勝手に見ないで!」
僕は慌てて彼女からスマートフォンをひったくるが、時すでに遅し。
一時停止になった画面が、
「なんだ、
「え、
「そりゃそうでしょ。
「ロックにしか興味ないのかと思ってた」
「
「いや興味の偏りようでは負けると思うけど……」
「無趣味代表の
ぐうの音も出なかった。しかし
「だってさー、すごいじゃん。動画の再生数見たでしょ? テレビとかは出てないけど、いろんな雑誌とかブランドで写真見るもん。中学生からモデルやってるんだって。憧れちゃうよね。私たちが入学したときだって有名人がいるって大騒ぎで、春ごろは告白したい男子が列になってたんだから」
「そんなラーメン屋みたいな……」
僕は顔をしかめる。あまりにも軽薄すぎやしないだろうか。
「でも、それで告白した男子は、みんなその場でめちゃくちゃ辛辣に批判されて立ち直れなくなったって。それで
その後に続いた言葉は、あまりにも意外で。
そしてどこか、痛快だった。
「――
暴君トカゲ。恐竜の王。T‐REX。
白亜紀を生きたという、史上最大の肉食恐竜。
軽薄な下心を予想以上のパワーで砕かれた人々が、復讐と畏敬の意を込めた名前。
その力強さは、僕の印象とも一致していた。
僕は昨日の夜のことを思い出す。
彼女はなぜあんな時間に、屋上にいたのだろう。
そしてなにより、あの炎はなんだったのか。
いや。
あの炎のことを、僕は多分、知っている。
そのときだった。
ざわついていた教室が急に静かになって、僕たちは違和感に顔をあげる。
上履きと床が、キュッと擦れる音がして、噛み付くような声が、響いた。