第一話(5)
自宅に到着すると、二人をリビングに通した。
我が家は部屋数こそ多くないが、その分、間取りは広くとっている造りだ。父の知り合いが設計してくれたらしい。リビングも吹き抜けがあり、開放的である。
どういう感情を得ているかは不明だが、物珍し気にリビングを観察しているので、数分だけ放置しても問題はないだろう。お菓子もジュースもあるし。
「楽にしてて。俺は上に荷物とか置いてくるから」
それっぽい理由を並べ立てた。決して嘘ではない。『荷物とか』の『とか』に色々と詰まっているだけである。
階段を全力疾走。自分の部屋まで駆け抜けた。ドアを閉めて、色々と――なんとなくだけど、見られたら誤解を招きそうなものを隠しておこうと思った。
ちょっと露出度の多いラブコメラノベ(銀髪ヒロイン)。
ちょっとだけセクシーな異世界ラノベ(緑の目のエルフが表紙)。
なんとなくキャラが西地野さんと天川さんに似ている百合漫画(制服が少しはだけている)。
よし、作戦終了――。
「なに隠してんの?」
「――っ?」
バッと振り返ると、ドアをうすーく開いた向こう側に、爛々と光る目を認めた。天川綺羅である。同級生は見た、と言わんばかりの天川綺羅……いや、落ち着け俺。何を隠したかまでは見られていないはずだ。
「シノにもバラしちゃおっかな」
「い、いや、何も隠してないけど?」
「銀髪が好きなの? 緑の目とか。あと、ちょっとエッチな表紙」
「何が欲しいですか? なんでもどうぞ」
終わった。さらば、俺の青春。
天川さんは「うそうそ」と笑った。
「何も見てないよ! カマかけただけ!」
「へ、へえ! 俺も冗談ですけどね!」
「なんで敬語」
「べ、べつに」
「ふーん?」
まじかよ。本当に見られていないというなら、恐ろしいほどの直観力だ。気が抜けない。
天川さんの視線が俺の部屋の隅から隅まで移動する――と、本棚あたりで止まった。
「え? あ! 小説、いっぱいあるじゃん!」
天川さんがドアを勢いよくあける。ふわっと良い匂いが広がる。おそらく天川さんの匂い。
「小説、好きなんだね? あたしも結構読むんだけど――へー。推理小説か。読んだことないかも。面白い? 『本格の金字塔』だって。本格ってなに?」
「本格っていうのは推理小説の種別の一種というか……、一概に定義はできないんだけど――いや、ちょっと、その前に、西地野さんはどこに?」
「下にいるけど?」
当たり前のように言うが、当たり前ではない。一人で放置ということじゃないか。
「と、とにかく下に降りよう!」
「えー! 小説一冊借りていい?」
「いいから! むしろもう差し上げるから! だから下に降りること!」
「わかったよ、そんなに慌てなくてもいいのに。なんでそんなに急ぐの? ――え? 本当に銀髪美少女の写真集とかあるの?」
「ないです! ないです!」
銀髪はないです!
とんでもない人を家にあげてしまったかもしれない。
*
俺は現実を直視する。
リビング。美少女二人を前にして、四人掛けの食卓についていた。まるで夢のようだ。
「それでは、改めて――安藤さん、このたびは、場所を提供いただき、ありがとうございます」
サラリーマンの挨拶みたいに堅苦しいのだが、俺にとってはセイレーンの歌のように心地よい。そのまま難破して、命を取られてしまいそうだ。
ぼうっと心を奪われていたら、天川さんが手をあげた。
「せんぱーい、銀髪のキャラの本が読みたいでーす」
「はい! グレープジュース! コップ!」
問答無用で、ごくごくいける量をコップに注ぐ。天川さんは満足そうに「うむ。それでは綺羅ちゃんは読書に移る」と頷くと、テレビの前のソファに向かい、ゴロンと寝そべって文庫本を開いた。足がこちらに向いていたらすべて見えるレベルだ。ていうか、この人はなんでここにいるんだろうか……。
「はぁ……すみません。うちの幼馴染が失礼を……」
西地野さんが申し訳なさそうに目を伏せていた。嫌がっている様子はなく、ペットの粗相を謝る飼い主みたいだった。きっとこうやって二人のバランスが保たれているのだろう。
「いや、全然。普段、一人で暮らしてるから、騒がしくていいよ」
「一人暮らしなんですね……? ちなみにご両親は共に……?」
若干聞き辛そうにしているのは、西地野さんの配慮だろう。たしかに良くない話に直結する可能性もあるよな。なんて優しい人だろうか。心が温かくなる。
「今、フランスに転勤中なんだ」
「フランス? すごいですね!」
「どうなんだろ……子供としては、ただの騒がしい親なんだけど……」
遊ぶのが好きな父と、そんな父を追いかけるのが好きな母。喧嘩もよくするけれど、ほうっておけば次の日には元通り――いや、それ以上に親密になっている。正直、うざい。
「ふふっ……」
西地野さんが口元に手を当てて笑った。当然今は、フードは被っていない。そのままの西地野さんだ。
「え? 俺なんかした?」
「あ、ごめんなさい……! なんだか眉間にしわをよせてるのに、ちょっと幸せそうに笑っていたので……アンバランスで、面白くなってしまいました」
「ああ……まあ、でもうちの親を見たら、きっと西地野さんにもわかってもらえると思うよ」
「そうですね。ご自宅を使わせていただくのですから、機会があればぜひ、ご挨拶させていただきたいです」
余談だが、当然、家を使用することに関しては、親に了承を得ている。昼休みに西地野さんたちに自宅使用の提案をし、放課後にはこんな事態になっているのだが、その間にLINEで連絡していたのだ。
『母さん:えー! すごいじゃない! 女の子二人なの? 可愛い? 綺麗系? カイくん一人で相手できるのかな? パパも応援してるって! ママたちの寝室は使っちゃだめよ?』
マジでうるせえ母親なので、速攻で既読無視を決めてやった。
とにかくそういうわけで、万事問題はない。
それにしても――挨拶か。
西地野さんが俺の親に挨拶をするのか――なんか、ちょっと、いいなそれ。
「安藤さん? どうかしましたか?」
妄想にひたっていたら、西地野さんに疑われてしまった。
「全然、平気です」
意味不明な前置きを口にしつつ、何も考えずに、俺は質問をした。
それは結果から言えば悪いことではなかったが、その場だけで見れば悪手だった。
「西地野さんのお父さんとお母さんは、どんな人?」
「そうですね……」
西地野さんは笑った。
それは澄んだ表情だった。
宝石みたいに輝く緑色の瞳。
手が届かぬ遠い場所を望むように、細められた目――。
「父は証券会社で働いています。毎朝、新聞を読んでは難しい顔をしていますが、本当は冗談が好きで、にぎやかな人です。母は――わたしの母は、絵本作家でした」
……でした?
過去形。
嫌な予感がしたのと、答えを耳にしたのは同時だった。
「母は、わたしが小学生のときに亡くなりました」
あ。
ああ。
あああ。
体から力が抜ける。
俺はなんてことを聞いてしまったんだろうか。
人には色々な事情があって、色々な悩みがある。視線を感じすぎる被害妄想タイプの俺に付き合わせて、自宅に呼んだという経緯があるのに――俺は、何を考えることもなく西地野さんの過去に、土足で踏み入った。
なんて、浅はかな人間なんだろう。自分のことしか考えられないから、こうなるのだ。
それでも。
それでも西地野さんの笑みは優しかった。取り戻せぬ思い出を慈しむように――まるで本物の天使のように、微笑んでいる。
思考力低下。
何を思うでもなく、感じたまま――本能で、本心の、言葉を吐いた。
「お母さんのこと、大好きだったんだね。会って、話をしてみたかったな……」
「え?」
「あ、いや――西地野さん、とても優しい表情をしてたから……だから、そう思って。どんな人だったんだろうなって……」
謝ることもできたが、そうはしなかった。できなかった。小説を書くように、口が勝手に動いていただけだ。
「ああ、いえ……はい、そうですね。とっても優しい人でした。わたしは母の娘であることを誇りに思っています」
どこか驚いたような西地野さんが気になった。
「俺、なにか、驚かせるようなこと言ったかな」
西地野さんは小さく首を振る。
「いえ……今までの人は、わたしがこういう話をすると、申し訳なさそうに謝られてしまったり、慰められることが多かったので――安藤さんみたいな言葉をもらったのは、初めてで」
そう言って、西地野さんは目元を緩めた。
笑顔ではない。微笑でもない。
泣いているわけではなく、泣きそうでもない。
満たされている――そんな表情。
「……っ」
呼吸停止。
時間が止まった。
遠くで文庫本を広げている天川さんのページをめくる手が止まっている気がするのも錯覚だろうか。
俺は、この人に一目惚れをした――でも『外見だけじゃないんだ』って今、初めて実感した。