第一話(6)

   *


 それからの俺の生活は、見方によっては至極退屈なほどにルーティン化されていた。

 起床、朝食、登校、授業、昼食、授業、放課後、帰宅――その繰り返し。

 しかし、どうだろう。

 見方を変えればこれ以上に幸福な時間もないようだった。

 西地野さんからメッセージが届いていないかを確認する朝。今日の活動の予定を考えながら食べる朝食。運が良いと西地野さんと天川さんと出会える通学路。三人で意見交換をしながらの食堂。西地野さんと帰る放課後。そして自宅での活動――エンドレスエイトよ、わが身を襲え! ってぐらいに繰り返していたい。

 平日の放課後は基本的に、西地野さんと二人で行動している。

 不思議なもので、周囲からそそがれていた圧を伴う視線が、和らいできた感があった。俺にも適応力があったのか! やった! ――なんて内心喜んでいたら、ヒカルが教えてくれた。

『付き合ってないってわかったのと、ただの雑用係ってわかったらからだろ。見られ方が姫と王子じゃなくて、姫と使用人に変化したわけだ。そりゃ和らぐよな、おめでとさん』

 許さん。ちょっと面白そうに言っていたから、なお許さん。

 でもそのおかげで、自分の立場を再認識できたのも事実。たしかにそうだ。俺は王子様なんかじゃない。どう考えても、天使の横に立てるわけがなく、天使に天国へ連れてってもらう側の人間でしかない。

 それでも誤解したくなるのが人間という生命体でもある。だから俺だけがオカシイってわけでもないと思っているんだけど――都合が良すぎるだろうか。


 放課後。

 珍しく、天川さんが我が家に来たかと思えば、当たり前のように俺の部屋に入り、本棚から『S&Mシリーズ』を持っていった。

「めちゃくちゃ面白いね、これ。犀川先生、タイプかも」

「いや、わかるけど、それぜんぶ持ってくの? 重くない?」

「だって、シリーズでしょこれ――バッグ持ってきたから平気だよ」

「シリーズでいうなら、隣に並んでるVシリーズに繋がるし、その後もあるよ」

「え? じゃあ早く、S&M読んじゃおーっと。Vシリーズの一冊目も借りてくねー」

 といった感じで、本棚の一角をさみしくしていった。

 慌ただしいなぁ、と思っていたが、天川さんはどうも育ちが良いらしく、階段を勢いよく降りるときも音がまったくしないし、カバンを肩に掛けてから玄関を出るときも音はしなかった。

 天川さんの背中が玄関の先に消えていくまで、二人で黙って見ていた。

 二人というのはもちろん、俺と西地野さんだ。

 天川さんという嵐が去った後、俺は西地野さんが好きなアップルジュースをコップに注ぎながら、何気なく聞いた。

「天川さんって、野良猫みたいだよね」

「野良猫ですか……?」

「ふらっとあらわれて、餌を食べて満足したら、またどっか行っちゃう」

「ああ、たしかに。そうかもしれませんね」

 もちろん悪意はない。西地野さんも、くすっと笑ってくれた。

「昔から、ああなの? 天川さんって」

「昔というのは、小さい頃からということですか」

「あ、うん」

 あ、うん――と言いながら、またやってしまった……と内心で頭を抱える。昔の話をするということは、西地野さんのお母さんの話になるということでもあるんじゃないのか? なんでこうも俺は同じ過ちばかり繰り返すんだ。今度こそ親友ができるかな! と毎年考えては、ヒカル以外に胸の内を吐露できる相手ができない自分の人生から、何も学んでいない。

 急に沈思黙考し始めた俺を、西地野さんは見逃さなかったようだ。

「優しいですね、安藤さんは」

「え? なぜ?」

 本を無料で貸すから?

 それともアップルジュースを注ぐから?

 慌てふためく俺を横目に、西地野さんは、コップに注がれたアップルジュースを一口飲むと、首を傾けた。

 肩に溜まっていた、銀色の髪でできた水たまりが、さらさらと零れ落ちていく。

「タイミングがなかったので、お話できませんでしたけど――今日、よろしければお話をしてもいいですか?」

「話って……?」

 西地野さんは、もう一度だけ、アップルジュースを口に含む。ピンク色の舌先が、唇についた水滴を舐めとった。

「わたしがなぜ、生徒会長になりたいのか――というお話です」

 それは、たしかに聞いておきたい。

 言葉を促す為に、俺は一度だけ頷いた。


   *


 わたしの母――西地野にしちの凜乃亜りのあも、両親は黒髪でしたが、隔世遺伝により銀色の髪に緑の瞳という個性を持って生まれてきました。曾祖父が北欧の方だったらしいです。

 やはり特徴のある容姿は人の目を引きます。嫌な思いをすることも多かったそうですが、もちろん良い思い出もたくさんあったそうです。これは、わたしにもわかります。だって追体験していますから。

 父とは葵高校で知り合ったそうです。ちなみに綺羅ちゃんのお母さんも同じ高校で、よく三人で行動してたと聞きました。だから綺羅ちゃんの家は第二の実家みたいなものなんです。

 あ、そうですね――『実家』というのはその言葉通りで、綺羅ちゃんの家でご飯を食べさせてもらったりしてました。綺羅ちゃんのお家は、日本庭園といいますか、池に石の橋がかかってたりして、とっても大きいんですよ?

 父の帰りが遅いですから、小学校を卒業するまでは家に泊まらせてもらったりもしてました。

 わたしの母が天国へ旅立ったのは暑い夏の日でした。隔世遺伝の影響で短命だったんだ、なんていう親戚もいましたけど――母方の家系は元々、体の弱い方が多かったようです。

 わたしが幼稚園に通っている頃に発病をし、その後は通院生活でした。小学校低学年の頃には、自宅療養という形でずっと家で寝ていました。

 母が亡くなったのは小学校の高学年のときです。最後のほうは、毎日、綺羅ちゃんのお母さんが助けに来てくれてました。

 父はお仕事もあったし、多分、わたしのことを母から任されたけれど、どうしていいかわからなかったと思います。父のことは好きですよ。喧嘩もしますけど、仲良しです。

 あ、すみません、話が脱線してしまいました。

 なぜ、生徒会長になりたいか――と言えば、母が葵高校の生徒会長だったからなんです。それも初の女子生徒会長だったそうです。葵高校は元々男子高校だったそうで、歴代の生徒会長も暗黙の了解で男子が選ばれていたそうですが、その年に、母が前例を塗り替えたんです。

 当時は、全国の学校が荒れていたらしいんですよね。葵高校はそこまでではなかったそうですが、近隣の高校や地域は、大なり小なり問題があったようです。

 母はそういった現状を悲しく思い、学校を良くすることはできないだろうか、と悩みました。

 でも何をすればいいかわからなかったから、まずは生徒会長を目指して、自分たちの高校をより良くして、外の高校の生徒会長たちの相談に乗ったり、地域全体に町の雰囲気を変える提案をしたり――できることはとにかくしてみようと、決意したようでした。

 結果、男子生徒会長という通例を乗り越えて、見事当選したというわけです。

 笑顔の絶えない高校生活を送れたと、いつも昔話を聞かせてくれました。父から言わせるとちょっと大げさな話し振りだったみたいですけど、それでも、とっても素敵な話ばかりでした。

 わたしは母が大好きでした。どんな苦難を前にしても微笑みを絶やさない姿に、子供ながら畏敬さえ感じていました。でも色々と教えてもらう前に、母はいなくなってしまいました。

 色々と考えた結果、一つの指針を見つけました。あの頃、母がずっと語ってくれた物語に、わたしも飛び込んでみたら、母の見た景色と同じものが見られるんじゃないのかなって。

 だから目標はあるのに、行動計画がなかったんです。ただただ母の昔語りをなぞっただけですから、当たり前ですよね。

 綺羅ちゃんからは『童話のお姫様にあこがれる女の子』って、からかわれるんですけど、きっと綺羅ちゃんもわかってくれてるから、同じ高校に入ってくれたんだと思ってます。

 え? 父と母の馴れ初め、ですか?

 あ、はい、えっと、その……父はひょんなことから母のサポート役になったみたいで、毎日一緒に行動していたみたいです。えっと、つまり、父と母は――わたしたちみたいな関係だったみたいですね。それで在学中にお付き合いすることになって、大学卒業後にすぐ入籍し、わたしを授かったと聞いています……あの、これで終わりです。

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