第一話(4)
*
昼休みの食堂。
生徒たちの波が引くと、食堂は一気にがらんとする。それでも西地野さんや天川さんの席の周囲に人が多い気がするのは気のせいではないだろう。
今日も今日とて、情報を整理していた。他の教室よりも机が多いので、会議をするには都合が良い。もちろん混雑が緩和されないときは、別の場所に移動する。
WEB目安箱の投稿は一年生のみ。件数は少ない。すべて想定内なので、上手く機能していると言えるだろう。三割くらいはイタズラ投稿になるかと思いきや、実際には一割も存在しなかった。きっと『西地野詩乃』という実名が不可視の防壁になっているのだ。
放課後はまちまちであっても、昼食時の会議には、必ず天川さんが同席した。
アイスティーのストローをくわえた天川さんが、資料に目を通しながら言う。
「最近の活動は上手くいってる? 目安箱とか」
「個人的な相談が多いけど、学校全体の改善につながりそうなものもあったよ――ですよね、安藤さん」
「……ふう」
何日経っても周囲からの視線には慣れない。
常に息苦しさを感じてしまう。自意識過剰……ではないと思うんだけど。
「安藤さん?」
あ。
もしかしなくても、俺、今、話しかけられてた?
「……ごめん。もう一度、いいかな」
「ご気分がすぐれないのですか?」
「いや、そんなことはないよ、大丈夫」
「そう、ですか……?」
首を小さく傾ける西地野さん。
銀色の天使が俺の心配をしてくれている! ――嬉しいはずだが、やはりテンションは上がらない。日に日に周囲からの圧力が増している気がする。
テレパシーなんて使えないのに、皆の心の声が脳内に響く。
『なんでお前が、格の違う二人の傍にいるの?』
言いたいことはよくわかる。しかし、言われる側の気持ちの整理はつかない。
「あのね、シノ。安藤くんは、あたしたちと一緒にいると辛いんだよ」
天川さんが俺の気持ちを代弁してくれた。最近わかったのだが、彼女は飄々としているようで、実は気遣い屋であるらしい。さすが陽キャグループ。陰キャの理解を超えてくる。
西地野さんが小首をかしげた。
「なぜです……?」
「あたしたちといるだけで、安藤くんが注目されてしまうから。結構、ストレスかかっちゃってるんじゃないかな? 学生って、恋愛話が大好きだからね。どっちかと付き合ってるんじゃないかと噂されてたりして」
「いやいや……」
俺は否定しようとしたが、嘘をつくのもイヤになり、黙る。
西地野さんが口を半開きにした。
「あ……、ごめんなさい、わたし、気が付けなくて。『付き合ってないです』って、皆さんに説明してきましょうか……? きちんとお話すれば、きっとわかってもらえると思います」
真面目な顔をして、ぶっとんだ台詞を口にしている。
ほうっておいたら本当にしてしまいそうだ。
「だ、大丈夫! 完全に俺の問題なので! ほんと、気にしないで……!」
天川さんがにやりと笑った。
「ストレスであることは否定しない、と」
「うっ……いや……、どうも視線が気になるみたいで、申し訳ない」
天川さんの言葉に、西地野さんは考えた。
「そう、ですか――あの、わたし、安藤さんに手伝ってもらってよかったなって、心から思ってます。でも安藤さんにとって負担なら、この辺りで一度、終わりにしましょうか……?」
「終わり……?」
胸にズドンと銃弾を撃ち込まれたように、息ができなくなった。
え、やだ。すごい、やだ――そう感じている自分がいる。俺は西地野さんの傍にいたいらしい。なんていう男だ。軽蔑するよ。俺もそう思う。だけど、好きになってしまった人の近くにいたいと願うのは罪だろうか。たとえ両想いでなくとも、同じ景色を見ていたい。
心の葛藤。迷い。しかし沈黙は許されない――なんとか言葉だけは発して、場を繋ぐ。
「途中で終わるのもアレだしさ……?」
アレってなんだよ。意味わからん。西地野さんも「『アレ』とは、なんでしょう……?」みたいに曖昧に笑っている。ちょっと困惑気味で可愛いなぁ――じゃなくて!
周囲からの圧力と、内から出てくる情けない欲望に遮られ、元々レベルの低い俺の判断力は、極限まで落ちていた。なんならマイナスにまで下がっていた。
だから、こんな台詞だって真顔で言えたのだった。
「――せめて放課後は、俺の家で作業しないか? 周囲に人がいないどころか、親が転勤中だから、誰もいないんだ。資料保管庫とか事務所に使ってくれていいよ。そろそろぜんぶのデータを持ち歩くのも大変だったし。監督役も不破先生だから、活動スペースとしては最適だと思う」
なるほど……たしかにそうだ。自分の発言に納得する。思いつきにしては、良い案だった。
よし。とりあえずの危機は乗り越えた――はずなのに、なぜだろうか。会話が止まった。
あれ? なんで?
ただでさえ大きい西地野さんの瞳が、さらに見開かれている。
「あの、それは……」
その先の言葉は続かない。
天川さんも珍しく驚いた様子。意味ありげに肘をつき、手に顎を載せた。
「いやー、安藤くんはすごいね。限界突破すると、そうなるんだ」
「え? どういう――」
冷静に一から考えてみる。目の前の美少女二人組になんと言ったか。
台詞変換。ニュアンス変換。解答――うちに来ないか? 親はいないんだ。
喉から「きゅっ」と変な声が出た。俺は二人の美少女を洞窟の奥へと誘い込まんとする、欲にまみれたモンスターだった。勇者に斬られてしまえ……!
「いや、本当にそういうつもりじゃなくて……! 言葉の綾というか、なんというか、偶然そうなっただけで、そういうことではございません……! まじです!」
焦りまくる俺をどう思ったのだろうか。
最初にすまし顔だった天川さんが「ぷっ」と吹き出し、それにつられるように西地野さんが微笑んだ。
「焦りすぎでしょ、安藤くん」
「あの、心配しなくても、大丈夫ですから。誤解なんてしないですよ……?」
なんとか方向修正に成功したようだった。
前向きにとらえるならば――雨降って地固まる。
こうして俺たち三人には、秘密基地のような共有スペースができたのだった。
*
できたのだった――なんて締めては見たものの、二人を自宅まで案内する任務は残っている。
放課後。
俺は一人どころか二人の美少女を引き連れて駅周辺を歩いていた。恐ろしいパーティーである。先頭を歩いている俺は、ドラクエなら勇者だが、現実ではただの道案内役。
天川さんが言う。
「ねえ、安藤くん。お菓子買っていこうよ。あとグレープジュース――シノもいいよね」
「うん。夕飯が食べられるくらいなら――あとジュースはアップルが良い」
「あ、ハイ――そこのドン・キホーテで」
学生の味方のディスカウントストアには、もちろん学生がたくさんいた。
当たり前の組み合わせに見えない三人組は、当たり前のように注目を集めている。
葵高校以外の学生もいる為、疑問の目がひどい――気がする。もちろん被害妄想かもしれない。でも、西地野さんもさりげなくフードを被ったので、きっと俺だけの気持ちではないのだろうと、少しだけホッとした。
俺は買い物カゴを盾のように構え、二人が希望するものを入れていく。
「割り勘でいいよね、二人とも」と天川さん。
「もちろんです」と西地野さん。
「俺が出すから……」と千円札を二枚店員に渡した俺。
「よろしいんですか?」「いいの?」
二人の声が重なり、俺は「うう、うん」とうめきとも取れぬ肯定を示す。
決して、男らしい決意からの行動ではないことを記しておこう。ただただ早く会計して逃げたかっただけです、はい。
「ごちそうさまです、安藤さん」
ぺこり、と頭を下げてくれた西地野さんの緑の目が、微笑みと共に細くなる。
フーディと銀色の髪の奥――翠眼が俺を射貫く。
まるで酔い止めだ。
俺の心は落ち着きを取り戻し、しかし、すぐに高鳴る。
ぼうっとしていたら、天川さんに腰のあたりへバッグをぶつけられた。
「ほら、青少年。はやく家まで案内してよ」
なにかを見抜かれているようでドキリとするが、天川さんはそれ以上のことは言わなかった。