第一話(3)
*
翌日。
『詩乃:お昼休みに、少しお話できませんか』
便宜上、仕方なくだろうがなんだろうが、西地野さんとLINEのID交換までしていた俺に届いたメッセージ。
コンマ一秒で返信した。
『カイト:行きます』
『詩乃:食堂でお話できますか?』
『カイト:どこでも行きます』
西地野さんと天川さんはA組。俺はF組だ。
別にランク分けされているわけじゃない。あくまで記号としての組分けだ。
残念ながら、AとFが共に授業を受けることはない。合同授業だとしても隣り合うクラスと実施されるからだ。教室も離れており、廊下の両端にトイレと階段が設置されているので、廊下ですれ違う確率も著しく低い。
俺は心ここにあらずの状態で授業を受け、昼休みになると秒でパンを口に詰め込んで、西地野さんに指定された時間をひたすらに待った。
なかなか進まない分針だけを睨んでいたら、教室から食堂への移動時間を忘れていた。
大慌てで席を立つ。落ち着け、俺。西地野さんの前での失敗は避けたい。
昼休みの食堂。時間ギリギリでの到着。
葵高校の食堂はかなりの規模で、席数も充実している――のだが、西地野さんと天川さんの居場所はすぐにわかった。同じ机に対面で座っている。
西地野さんは相変わらずフーディを着用していたが、どうやら天川さんと一緒にいるときは、被ることはしないらしい。なんとなく理由はわかる気がする。
西地野さんが手を挙げてくれた。
「安藤さん、こちらです!」
「シノ、落ち着いて。飼い主見つけた犬みたい。尻尾振りすぎ」
「だ、だれが犬なの……! しっぽなんて、振ってないから!」
西地野さんはぷくうと膨れる。これがめちゃくちゃ可愛いのだが、俺はそのたびに顔が引きつる。貴すぎて、感情が渋滞を起こしているのだ。
天川さんが、座ったままの姿勢で椅子を引いてくれた。
「ほら、あたしの隣に座りなよ、安藤くん。ご飯食べ終わったから、これからのことを話してたんだ。安藤くんも訳がわからないだろうしさ」
「あ、どうもです」
いたって普通であるかのように振るまったが、内心、気が気じゃなかった。隣に天川さん、正面に西地野さん――どこにも逃げ場がない。
天川さんは脚を組んだ。大人っぽい仕草がやけに似合うのが彼女の特徴だろう。実際、私服を着ていると、成人していると誤解されることがほとんどらしい。その点、西地野さんは人間に見られない気がする。天使~以下略。
周囲から、すごい視線を感じた。なんでお前みたいな奴が一緒の席に座れるんだよ――という怨嗟の声も聞こえた気がした。
二人の横に立つだけで、身をもって知る。人気のある生徒というのは、視線を集める。一挙手一投足が監視されているようで、正直、息苦しい。
だが、二人に意に介した様子は見られなかった。少なくとも、俺ほど顕著に表れてはいない。
昔からこういった視線を浴び続けてきたのだろう。それが気楽なものではないことぐらいは、俺にでもわかる。
西地野さんが申し訳なさそうにした。
「今日は呼び出してしまって、すみませんでした」
「いや、こちらこそ、すみません」
「……? なにが、でしょうか……?」
「いや、なんでもないです、がんばります」
だめだ。意味もないのに、謝ってしまう。
天川さんがクスクス笑っていた。もはや神に翻弄される人間の構図。
「それでは昨日のお話の続きなのですが……率直に申し上げますと、わたしは二年時に生徒会長に立候補したいと思っています――」
西地野さんの瞳は、朝日に輝く海みたいだった。いつまでも見ていられる。
「ですが、生徒数が多い葵高校では様々な方が立候補されますので、票が割れることがわかりました。さらに他薦も許可されている為、生徒間の人気投票のような趣さえあります」
「なら勝てるんじゃ……?」
そんなの西地野さんが一番人気に決まってるだろ。
天川さんが口を挟んできた。
「それは安藤くんの気持ちでしょ? 葵高校は生徒数多いから、男女問わず、アイドルみたいな生徒がたくさんいるの」
「なるほど……」
納得しておこう。突っ込みすぎると、天川さんから『安藤くんの気持ち』の説明が入ってしまいそうだ。
西地野さんは話を続けた。
「多数の立候補者が均等に票を獲得すると、横並びになることが多くなる為、確実な当選というものは難しいようでした。ですから今から行動できることは、すべて、しておきたいんです」
たしかにアイドルグループの人気投票みたいだ。もしかして、この前図書室で打ち込んでいたデータはそのあたりの数字なのかもしれない。
パソコンは苦手。分析を必要とする。行動も多岐にわたるだろう――たしかに俺みたいな人間がいるに越したことはない。いわゆる雑用係。良く言えば秘書か、参謀か。
それにしても、生徒会長か。
掛け値なしに西地野さんは適任な気がする。みんなの前で頑張る西地野さんはきっと天使に違いないが、正直、今でも天使なので同じこと――突然、視線を感じた。横目で確認。
「……っ?」
天川さんがこちらをじっと見ていた。俺の視線に気が付くと、にこっ、と笑う。いけない、いけない。頭の中がバレたら大変だ。それにしても女神すぎて、笑顔に自動課金されてそう。
「でね。あたしなりに色々助言したんだけど、シノがやりたがらなくてさ」
やれやれ、と首を振る天川さん。
西地野さんが顔を真っ赤にして眉を寄せた。どうやら肌が白すぎるせいで、すぐに顔に出てしまうらしい。
「あ、あんな恥ずかしい案、採用できるわけないでしょ! 絶対にしません!」
恥ずかしい案……?
天川さんが、呆れたように言う。
「今時、水着でチラシ配りなんて、珍しくもないって。街中にはメイドさんとか、いろんな人がいるんだから。多様性だよ、多様性」
「論理がめちゃくちゃでしょ……!」
「じゃあ二つ目の案は? 耳かきをしてあげた後に、耳元で応援依頼をささやくってやつ」
「絶対にダメ!」
「露出ないじゃん」
「露出がなくても、ダメ! むしろ、もっと、ダメっ!」
「おかたいなぁ、シノは。貞操観念ってやつ?」
「おかしいのはそっちだよ?」
水着でチラシ配り……?
耳元でささやかれる……?
なんだそれは――天川さん、天才では?
天川さんが俺を見た。
「安藤くんだって、良い案だと思ったでしょ? 嘘つかずに、お姉さんに言ってごらん?」
ニヤニヤしている天川さんと、むーっとしている西地野さん。
余裕しゃくしゃくの女神様と、俺にすがるような視線を向けてくる天使様。
どちらに加担するか――答えは明白だった。
「全然、見たくないし、全然、効果的ではないと思います」
最強の嘘つきが爆誕していた。
西地野さんが、嬉しそうに両手を合わせた。
「ですよね! ああ良かったです、安藤さんはこれからの活動の良心です……!」
「ふーん……?」
疑わしそうな天川さんの視線を振り切るように、俺は話題を戻した。
「つ、つまり! 生徒会長に当選したい西地野さんを、俺はサポートすればいいってこと? たとえばパソコン作業とか、力仕事とか」
「はい、そうです。図書室で教わったことを、わたしは知りませんでした。そういうことってたくさんあると思うので、安藤さんに協力いただけたら助かるのですが……いかがでしょうか」
いかがでしょうか、と同時に始まる、西地野さんの上目遣い。
不安そうに、わずかに顔を下げつつも、無礼にならないようにする為か、俺の目はしっかりと見ている。
即死級エモート。断る理由がみあたらない。
「俺で良ければ、なんでもやるよ。えっと……後学の為にというか」
「わぁ! ありがとうございます!」
西地野さんは笑った。
「――っ」
なんでもないはずだった学校生活に色が付いた気がする。西地野さんという絵の具を使って、俺が塗ったような錯覚。勘違いだとしても、ただただ誇らしくなる。
この感覚を忘れたくない、と思った。もっと欲しいとさえ、思った。それほどに輝いていた。
*
俺の学校生活は一変した。すべてが変わったといっても過言ではない。なにせ、西地野さんの横に立っているのだ。本来ならば天川さんにしか許されていない場所だ。
もちろん周囲からの視線はすごい。妬みというか、恨みというか――人の感情に負けてしまいそうだったが、そういうときは隣を見ると天使がいるので、ヒットポイントは自動で回復した。
俺たちは基本的に、学校内で話し合いをした。人の目が気になるといっても、場所も資料もそろっているのだから使わない手はない。
行動するのは俺と西地野さんの二人だけ。
時折、腹をすかせた野良猫みたいな気楽さで、天川さんが参加するが、到底採用できない(本当は採用したい……!)ネタをぶっこんでくるだけなので、西地野さんが叱って終わりである。その叱り顔も素敵なので、天川さんはどんどん叱られてほしいと思う。
さて。ここ数日間での話の主題は、一つだけだった。
生徒会長に当選する確率を上げたい――ただ、何をすればいいのかわからない。
『真面目な二人+茶々を入れる一人』での話し合いの末に、俺たちは結論を出した。
学校を良くする、生徒の悩みを聞く、地域の活動に参加してみる――つまり立候補前から、ボランティア部みたいな活動を地道に重ねていくのだ。実に単純だが、こういう活動はコツコツと続けるほかないだろうということになった。ユーチューバーだって同じことを言っていた。
しかし部活動にしてしまうと、人が集まってしまい、本来の目的である生徒会長選挙時の活動に支障がでるだろう。だからあくまで俺たちだけの活動だ。
葵高校の生徒会選挙は、四月の中旬から始まり、五月の上旬に投票が行われる。
任期は一年間。生徒会役員は二年か三年から選ばれる。現職が有利だが、大抵は一年で辞めることが多いようだ。一年生は右も左もわからないので、投票権だけが付与される。
指針が決まれば、あとは実行するだけである。
まず俺はポスターを作った。ご意見募集フォームのURL・QRコードが記載してある。目安箱というのが小学生の頃にあったが、それの電子版。今の時代、無料ツールだけでも色々とできるのだ。
学校公認の活動でもないのに平気かな、と思ったが、そこは不破先生の力で通した。
活動名目が一発でわかる名前が最善なので、『みんなの学校をより良くする会 代表・西地野詩乃 補佐・安藤海斗』と銘打った。『より良く』というのがポイントだ。過去を貶さず、今を良くする。ちなみに名前を並んで打ち込むときに、ドキドキしたのは内緒。
「本当にすごいです。あいてぃ、ですね!」
西地野さんは、アホの子っぽい感じで褒めてくれたが、彼女の偏差値がアホほど高いことを俺は知っていた。ポスターに使用したフリー素材のイラストたちは誇らしげだった。
日進月歩。牛歩戦術――進む速度は著しく遅い。大なり小なり問題もあるが、それでも一歩ずつ進められているように感じるのは素晴らしいことだろう。
だが。
しかし。
いつまで経っても解消が難しいだろう問題もあった。
それは俺の自意識過剰と失恋の記憶が生み出す弊害――他人からの視線である。