第一章『前線の街の青年』(7)

「はは……」

 結局のところ、俺はどこかで折れていたのだと思う。

 大通りを突き進む、なんて選択肢を選んだこと自体がその証明でしかない。

 少し考えれば避けられたはずの事態だ。心が知らず知らずのうちに、安易で楽な選択のほうへ流れていた。──あるいは、こんな場所へひとりで飛び込んだ時点で、とっくに。

「……くそっ」

 わかっていたのだ。俺はわかっていた。

 どこかで、自分が英雄に選ばれるはずがないと認めてしまっていたのだ。

 アミカも──彼女だけじゃない、あの四人にはそれぞれ誰にも負けない才能がある。

 俺にないのはそれだった。

 器用貧乏。何をやらせても中途半端。

 半端になんでもできるから、総合成績では確かに一位だったけれど、何かひとつ秀でた才能というものを──俺は持っていなかったのだ。

 たとえばアミカが、魔術において稀代の天才であると称されたような才能。

 俺にはそれがなかった。魔術なんて、今の簡単な防壁のような、ちょっと便利な手品を扱うくらいが関の山。オートマタを破壊するような攻撃魔術は俺には使えない。

 剣を握っても弓を射っても格闘をやっても同じ。俺がトップに立てる分野などない。

 だから。

 心のどこかで、もしかしたら選ばれないかもしれないと恐れていた。

 そしてその通りになった。

 成果を求めて無謀な挑戦をしたのは、たぶん、それが理由だったと思う。

「くそ、くそっ……ああもう畜生っ!」

 息をつく。いよいよ死を目前にして、ようやく俺は悟っていた。

 どこまでも自分のことしか考えていなかった俺は、だから届かなかったのだろうと。

 ……それでもいい。俺はきっと英雄の器ではなかったのだ。

 でも、だからどうした? だからってこんなところでは死にたくない。

 ──レリン=クリフィスには、英雄にならなければならない理由があるのだから。

 手を挙げる。持った魔銃の引鉄を引く。

 天へ向けられた銃口から、空へ雷が落ちていった。

 その行動の意味がわからなかったのだろう。オートマタは一瞬、動きを止めた。

 それはそうだろう。

 どれほど進化して個を獲得しようと、心なき機械に人間はわからない。

「すっきりした。……これで、お前と戦える」

 開き直っただけと言えば、たぶんそうなのだろう。

 でも構わなかった。

 自分のためだけに英雄を目指したんだ、最後まで自分のために戦うべきだろう。

 せめて最期に、親父が遺した《面白いもの》くらいは見てから死んでやる。

 銃を構え、それを正面に向けた。

 反応して蠢くオートマタに、あるいはこの世界そのものに向けて、俺は告げる。

 ──。

 その、わかりきった理屈に抗うように。

「──。行くぜ……!」

 自分にとってのキーワード。英雄らしい格好つけを口にして。

 俺は走り出す。

 オートマタに向けて自ら距離を詰めていく。

 こちらも射撃武器だが、距離を取っては圧倒的に不利だ。接近戦しか勝ち目がない。

 一発、前に走りながら銃を撃った。

 いかな戦闘型オートマタも、雷の一撃は見てから躱せるものではない。

 無論、第一術式ファーストバレットの青雷では傷をつけられないが、動きを数秒止めることはできた。

 けれど足りない。最接近するには、もう一手が不可欠だ。

 だが、これ以上は接近のために《黒妖の猟犬ブラックドッグ》を使えなかった。

 こいつは攻撃の要なのだ。そのための準備は、今から始めなければ間に合わない。

 ──オートマタの眼が赤く光る。

 狙い撃ちだ。このままでは近づくまでもなく熱線によって溶かされる。

 だが。

「──はっ!」

 俺は左手を跳ね上げ、逆に狙い撃つように銃口を敵へ向けた。

 その直後、そのまま姿勢を下げて滑り込むように距離を詰める。

 頭のわずか数十センチ上を、熱線が掠めていった。

 ──第一関門、クリア。

 俺がやったのはごく単純なブラフだ。

 銃口を向け、それに対応をしいることで、熱線を放つタイミングを誘導する一手。

 ただの機械ではない、思考力を持った機械生命スカヴェンジャーであるからこそ可能な、騙り。

 射撃のタイミングさえわかれば、あとはだけの話。

 我ながら狂気じみた綱渡りだったが、だからこそ意表が突ける。

 どうせ撃たれても効かないのだからと、対応されなければそれで死んでいた。繰り返し撃たれた痛みがあったのか、俺の射撃を防ごうとしたこと自体、奴が生き物である証だ。

 射撃の隙にさらに距離を詰め、一気に懐近くまで潜り込む。

 出し惜しみはしない。

 生還の方法など、まずは目の前の脅威を打倒してから考えればいい。

「──換装ロード収束火力弾エンドバレット──」

 目の前の煩わしい羽虫を払うべく、オートマタが俺へ杭の先を向けていた。

 熱線を外したことなど大した問題でもない。自ら近づいてきた、愚かな獲物を打ち抜く準備ならとうに完了しているのだ。

 俺の手札は限られている。使える武器は《黒妖の猟犬》ただ一丁だけ。

 目の前の敵に通じ得る唯一の火力である以上、トドメ以外には使えなかった。

 だがそれでは防御が不可能だ。

 俺程度の障壁では、最大展開の九枚まで重ねたところでこの杭を防げないだろう。だがこの魔術障壁の術以外に、詠唱なしで瞬間起動できる魔術なんて俺にはない。

 それでも。

 なんとしてでも──この一撃だけは、今ある手札で躱しきる。

「──照準設定エイムセット──」

 彼我の距離は、およそ五歩。杭を打ち込むには絶好すぎる間合い。

 その位置で、俺は銃口を敵へ向ける。

 装填される術式が呪文詠唱プログラムコードで変更され、銃身を、目の前のオートマタの眼にも似た赤い光が走っていく。込められた弾丸じゅつしきが第三であることを示す赤光。

 換装ロードは間に合った。

 あとは引鉄を引けばそれでいい。

 だが俺が指を動かすより、奴が杭を打ち込むほうがわずかに早いだろう。

 それを止めるすべが、俺にはひとつもない。

 杭打ちの一撃は止められない。

 ゆえに、死の一撃は当然のようにまっすぐ放たれる。

 ──ガンッ! という破砕音が、杭を受けたアスファルトの地面から響いてくる。

 俺の立っている場所から、ほんのわずかだけ左にずれた地面が砕ける音だ。

 なんのことはない。俺の防壁魔術では杭の一撃を防げない。

 けれど

 たった一撃。

 稼げた時間は、杭を引き戻すまでの、ほんの一瞬。

 それだけあれば俺だって、左手の人差し指を引き絞るくらいは、できる。

 第二関門、クリア──条件達成。


「貫け、──《黒妖の猟犬ブラックドッグ》」


 銘を呼ぶ。赤き閃光を走らせる銃身が、その先端から赤雷を撃ち放つ。

 瞬間、──周囲の世界から色と音が消滅した。

 視覚が白黒モノクロに、聴覚が無音サイレントになり、それでも時間だけがゆっくり進んでいく。

 第三術式エンドバレットは最大口径の一撃。喰われる魔力量も膨大だが、その一撃はオートマタの上半身を消滅させるに余りある火力を発揮した。

 人間で言う胸元から上が消滅したオートマタは、両腕を地に落とし、足と胴だけでその場に立ち尽くしている。機械だろうと、頭を破壊すれば死を免れることはない。

 ──感覚が、そして戻ってくる。

 最大火力の術式だけあって、第三は撃つだけで五感が一瞬イカレてしまうのが難点だ。

 それでも、

「どう、にか……した! 俺の勝ちだ……!」

 そう認識すると同時、酷い酩酊感が一気に襲ってきた。

 魔力を使いすぎた証拠だ。それはそのまま生命力の減少を意味している。

 勝利に浸っている時間はない。すぐにでもこの場を離れるべく俺は歩き出した。

 とにかくどこかで休みたい。

 それだけを考えながら機械の亡骸を背にしたところで、

「──……っ!?」

 俺は怖気を覚えて、弾かれたように振り返る。

 そこにあるのは大通りで命を失った、機械の亡骸だけだ。

 完全に死んでいる。これはもはや単なる巨大なオブジェに過ぎない。

 なのに、何かがおかしかった。

 それはまるで、死してなお残されたエネルギーを、亡骸の奥から感じるような……。

「……まさ、か……!?」

 最悪の想像に思考が追いついた瞬間、俺は再び前に向き直って走り出す。

 直感は正しかった。それを証明するかのように、今さらになって背後から電子音が響き始めている。それがいわば、カウントダウンのタイマーであることは明白だ。

 ──冗談じゃない。

 足掻き抜いてようやく倒したのだ。それで死んで堪るか。

 背中を押すのは、そんな意地のような感情だった。だが意地が背中を押すのと同様に、もうひとつ、後ろから迫ってくる色濃い死の気配を俺は無視できなかった。

 そして、次の瞬間。

 ──オートマタの亡骸が、背後で大爆発を起こした。

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