第一章『前線の街の青年』(8)
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「つ、ぅ──あ、くそ、何が……」
次に意識を取り戻したとき、俺は瓦礫の中に倒れていた。
少しばかり気絶していたらしい。そう長い時間だったとは思いたくないが、辺りが少し薄暗い。もしかして夜になったのかと、ほんの一瞬だけ勘違いしかけたが、それは違う。
「足場が……崩れたのか。下に空洞があったんだ……」
上を見ながら、俺はそう呟いた。
大通りが爆発で崩落したということらしい。爆発自体には巻き込まれなかったが、すぐ下がトンネルになっているため足場が脆かったのだろう。余波で崩れてしまったようだ。
前後を見回してみると、どうやらこの地下トンネルは大通りに沿っている。
「もしかして……結果的にはラッキー、か?」
辺りに動くものの気配はなかった。
上の大通り自体、あの戦闘型オートマタの縄張りだったのだろう。いずれまた別の
──今のうちに、このトンネルを通ってしまえば塔まで辿り着けそうだ。
「いや……本当にそうか? 大丈夫か?」
そもそもあのオートマタと戦闘になった経緯を思い出し、俺は少し不安になる。
ちょっとしたトラウマだ。この思考が、楽なほうに流れているだけではないかと自分の心に確認を取る。と、
「あ、痛って……冷静になったら右腕めっちゃ痛くなってきた、あだだだ……」
そもそも地上に戻ること自体がだいぶ億劫そうだ。
悠長なことをしていては、遠からずやってくる別の個体に見つかる。
これ以上の戦闘が現実的ではない以上、何もいないと祈って地下を進むべきか。
「……連中もアレで生き物だしな。こんな薄暗い地下に、好き好んで来る奴いないだろ」
半ば以上、願望だ。
でも今はそう判断する。
俺は、この地下通路を進んでいくことにした。
「
魔力による小さな光源を作り出す、非常に初歩的な術だ。
とはいえ、これも使えば使うほど魔力を喰う。あまり長くは使えない。
「むしろよく発動できたもんだ。知らん間に魔力量が成長してたんかな……?」
だったらいいな、などと思いながら、指先で《灯火》を操作しつつトンネルを進む。
こちらには、どうやら今度こそ本当に、
無機質なグレーの壁の中を、まっすぐに進んでいくだけで目的地へ近づけていた。最初から地下に気づけていれば、どれほど楽だったか。詮もないこととはいえ考えてしまう。
「にしても妙に、なんつーか機械的だな……なんだここ?」
考えたところで、旧文明のことなど何もわからない。
やがて、トンネルの行き止まりについた。
正確には階段に行き当たっており、上にも下にも続いてはいる。
地下通路の終点らしい。ここを上に向かえば、目的地だった塔に続くはずだが。
「……下も、あるのか……」
偶然に見つけた地下通路である。
せっかくなら、この下へ続いている先も見ておきたかった。
「誰も来たことがない場所なら、何か新しい遺物が見つかるかもしれないし」
ついでに見ていこう、と考えて、俺はあえて階段を下へ進んだ。
階下には扉がひとつあった。
あるいは、扉がひとつあるだけだったと言うべきか。
上の塔に関係する施設の名残だろうか。
「ま、そもそも塔自体がなんの施設かすらわかんないけど……っと」
扉の近くに備えられていた照明装置が、そのとき光を発した。
思わず目を細める。長く放置された遺跡だというのに、いったいどういう技術だ。
しばらく扉の前で辺りを探った。
危険がないかの確認、というよりは単純に扉の開け方がわからなかったのだ。しばらく調べて、すぐ横の壁にあったパネルが操作盤になっていることを知る。
それを操作して扉を開けた。
部屋の中はやはり真っ暗だったが、俺が入った瞬間に照明が灯される。もう必要ないと判断して、俺は《
そして見た。
「なん、だ……これ?」
部屋の中央に鎮座していたのは、言うなれば黒い箱だった。
それ以外に表現のしようもない物体である。
そこから大小何本ものコードが部屋中に向かって延びていて、辺りの機器や壁、天井と繋がっている。その壁面や天井もなんらかの機械で、いわば部屋全体が旧界遺物だった。
これは、いったいなんだろう。
中央の黒い箱は、ちょうど人ひとりが納まりそうなサイズだ。棺を思わせる。
あるいはこれは大発見なのかもしれないが、どうも俺の知識では手に負えそうにない。
手に負える人間が、現代に存在するかどうかも疑わしかった。
部屋の中央へと進む。
なんの気なく、俺は黒い箱へと手を伸ばした。──それが鍵だった。
『生体認証:遺伝情報確認──ロックを解除します』
聞き覚えのある音声。
だが、それは俺に混乱しか招かない。
「な……はあ!?」
それは、父の家に置いてある箱の声と完全に同じものだった。
というか、よく見ればそもそも同じ箱なのだ。サイズが違うから結びつかなかった。
「いや、でも、なんで……俺が、開けられ、て──」
俺が触れてロックが解除されたということは、俺が鍵に設定されていたということだ。
意味がわからない。
あるいは、親父が遺した《面白いもの》とはこれだったのだろうか。
箱の表面を。赤い光が走っていく。
直線的に──機械にとっての血管である回路を思わせるように。
やがて、箱が開かれた。
「……っ」
息を呑んで、どこか警戒しながら俺は箱の中身を見る。
果たして開かれたブラックボックスの中には、想像できるはずもないものがいた。
ヒト、だった。
人間だ。少なくとも俺には、そうとしか見えないモノがいた。
俺は完全に絶句する。目の前にある現実が、理解を遥かに超えている。
年の頃は、俺より少し下──十代中盤くらいに見える。美しい銀髪の少女だった。
身体には何も纏っていない。完全に裸で、胸元どころか局部まで露わになっている。
ただ気になったのは、胸がまるで動いていないこと。わずかに膨らんだ胸部は、呼吸も鼓動も感じさせることはなく、よくできた人形か、さもなければ死体にしか見えない。
本当に、死者を眠らせる棺だったのか。
そんなことを一瞬、本気で思った俺の目の前で──直後。
銀髪の少女が、その瞳を開いた。
ぱちり、と開かれた紅く大きな眼は、吸い寄せられそうなほど美しい。
俺は視線を逸らせなかった。
だから当然、その少女とばっちり目が合ってしまう。
それでも動けなかった。呼吸の仕方さえ忘れたみたいに、俺は呆然と瞳を見つめる。
「──よかった──」
薄く瑞々しい少女の唇が、小さく動いて何か言葉を発していた。
よく聞き取れない。ただなぜか、妙に幸せそうな声音を聞いた気がする。
「おはようございます。──いいえ、初めまして」
再び、銀髪の少女は言った。
俺は何も答えられない。ただ彼女が語る言葉を静かに聞く。
「私の名はウル。貴方に仕える一冊の記録」
言いながら少女は箱を出ると、ゆっくりと柔らかな動きで俺の正面に下り立つ。
思考が完全に凍結してしまった俺は、馬鹿みたいに彼女の名前を繰り返した。
「……ウ、ル……?」
「はい。貴方にその名を呼ばれることができて、とても安堵しています。──ですから」
「──え、」
反応できなかった。油断を悔やむ以前に、動きがあまりにも速すぎたのだ。
ただ気がつけば少女の拳は、俺の腹に突き刺さっていて──。
「これから、よろしくお願いします」
実に柔らかな笑みで、実に晴れやかな口調で少女は言った。
言っていることとやっていることが、あまりに違いすぎると思う暇さえなく。
──俺の意識は、そのまま闇に沈んでいった。
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試し読みは以上です。
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※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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