〇第一章 同い年の妹が旅行に行きたい理由(1)
登別旅行から半年ほど経った四月下旬。
高校二年生になった俺だが、一年生の時と変わらず一人旅を楽しんでいた。
「ただいまー」
プチ旅行から帰ってくると、とりあえず玄関で両手に持ったお土産と背中に背負った重いリュックを下ろした。あー、しんどかった。
「おー、帰ってきたか」
ちょいとカッコいい声と共に顔を出してきたのは、一見若いイケメンの男性だった。
彼は
身内の俺が言うのもあれだし、正直ムカつくけど、かなり顔がカッコいい父親である。
その証拠に年齢は四十代前半のくせに、見た目はどう見ても二十代後半。
母さん共々、やっぱり若返りの薬を使っているとしか思えない。
しかも職業は料理人で、今は都内の有名な和食料理店の料理長をしているらしい。
ちょっとうちの父親、スペックが高すぎませんかね。
「今回は群馬に旅行だったっけ?」
「群馬の草津な。お土産に温泉たまごとか買ってきたぞ」
「えぇー、餃子じゃないのか?」
「それは栃木だ。料理人のくせに名産品くらい覚えとけよ」
「中華は関係ないからなぁ……それよりも俺、口がもう餃子になってんだけど」
「うるせー、文句言うならこの温泉たまごは全部俺が食うぞ」
「と思ってたけど、いま温泉たまごの口になったわ」
なんだよそれ。調子がいいやつめ。
こんな風に俺と父さんは、親子というよりは友達のような会話をすることが多い。
父さんの見た目が若いっていうのもあるが、母さんがいなくなって家族二人で過ごすようになってから自然と距離感が近くなった。お互いが唯一の家族だからかもしれない。
「お前、また自分の写真一枚も撮ってないのかよ」
「は? って、それ俺のデジカメ!?」
父さんが勝手にリュックからデジカメを取り出して、写真を確認していた。
彼が言った通り、写真には一枚も俺が写っていない。
「景色ばかり撮るのもいいけど、たまには自分入りの写真も撮れよ」
「素晴らしい景色に余計なものなんていらないんだよ。俺は常に完璧な写真を撮ってんだ」
「出たよそれ。お前の何でも〝完璧〟にこだわるやつ」
「う、うるせ。ほっとけ」
「そもそも別に海人は余計じゃないだろ……。もう高二にもなるのに一人で旅行ばかりして、友達もいないみたいだし……お父さんちょっと心配だぞ」
父さんは悩ましげに額に手を当てるが、俺は全く気にしていない。
平日はアルバイトをしてお金を貯めて、その貯金で休日は一人で旅行に行く。
これが俺にとっては、最高の高校生活だからな。
「あのさ海人、帰ってきて早々悪いんだけど、少し話せるか?」
「ん? なんだよ?」
「少しお前に大事な話があってな」
父さんが真剣な表情を見せる。普段は料理長をやってるとは思えないくらいおちゃらけてるのに……珍しいな。
「わかったけど、荷解き済ませてからでいい?」
「いいぞ、終わったらリビングに来てくれ」
「へーい」
俺が返事をすると、父さんはリビングの方に歩いていった。
……大事な話って何だろう?
「お父さんからの重大発表~!」
荷解きを終えてリビングのソファに座ると、急に父さんが大声で宣言した。
ついでに出所不明のタンバリンを鳴らしている。
「ご近所迷惑だろ。止めろよ」
「えっ……は、はい。すみません」
しゅんとする父さん。一体何がしたいんだよ……。
「で、大事な話ってなに?」
「え、えっと、それはですね……」
父さんはつかえながら、恥ずかしそうに両手をモジモジとさせる。
告白する前の女子みたいなことしてないで、さっさと言って欲しいんだが。
そう思っていると、父さんはようやく言葉にした。
「あのな、父さん再婚することにしたんだ」
「……え、今なんて?」
予想外の報告に、俺は思わず聞き返してしまった。
「だから父さんな、再婚するんだよ」
「……まじで再婚すんの?」
「まじまじ。びっくりした?」
「そりゃびっくりするだろ。逆にここで冷静なやつの方が恐いわ」
ようやく父さんの言葉が頭に入ってきた。
……でもそっか、父さんが再婚か。
「それでさ、海人はどう思う?」
「? どうって?」
「その……父さん、再婚してもいいか?」
父さんは不安そうに訊ねてくる。
いつもは何かと適当な性格をしている父さんだけど、もしここで俺が再婚なんかしないで欲しいって言ったら、本当に再婚しないと思う。
父さんは、そういう人なのだ。
母さんがいなくなった後、父さんは仕事もしつつ、運動会とかの学校行事には必ず来てくれて、絶対に寂しくさせないようにしてくれて、たった一人で俺を育ててくれた。
だから父さんには、言葉にしきれないくらい感謝している。
そんな彼が幸せになろうとしているんだ。息子として祝福しないでどうする。
「何言ってんだよ、再婚していいに決まってるだろ」
「……本当か? 無理とかしてないか?」
「してねぇって。その……おめでとう、父さん」
照れくさくなりながら言うと、
「……ありがとう、海人」
父さんは瞳をうるっとさせながら、感謝の言葉を返した。
「おいおい、こんくらいで泣きそうになんなよ」
「バカ野郎。これはちょっと目から鼻水が出ただけだ」
「なんだそれ、汚ねぇなぁ」
しょうがないから近くのティッシュを取って渡してやると、父さんはズズーッと盛大に鼻をかむ。まったく、泣きすぎだろ。
「……で、再婚する人ってどんな人なんだ?」
「めちゃめちゃ綺麗で優しい人だぞ! あと、今は北海道で旅館の女将をやってる!」
「旅館の女将って、すげぇ人じゃん」
そうなると女将さんが義理の母になるのか……なんかプレッシャーだな。
「だけど再婚相手が北海道にいるんだったら、再婚した時どうするんだ? 俺と父さんが北海道に行くのか?」
「いいや、向こうがこっちまで来てくれるらしい」
「えっ、じゃあ旅館はどうするんだよ。女将やってるんだろ?」
訊ねると、父さんは言葉に詰まる。
なんだこの、ちょっと深刻な空気は……。
「実は父さん、今度その人と再婚したら料理人を辞めて、民宿を始めようと思ってるんだ」
「は? 民宿?」
訊き返すと、父さんは首を縦に振る。
「再婚する人が家族で小さな民宿を営むのが夢だったらしくて、旅館は親戚に任せてこっちで民宿をやりたいって言ってるんだ。それで父さんはその夢を叶えてやりたい」
「だからって、今の仕事を辞めるって……」
「絶対にお前に迷惑はかけないから」
真っすぐにこちらを見つめている父さん。既に決意は固まっているみたいだ。
迷惑をかけないって……。
でも、今までずっと迷惑をかけてきたのは俺の方なんだよな。
少し心配だけど、父さんが決めたことなら……。
「わかったよ。父さんの好きなようにしてくれ」
「ありがとう! 海人ならわかってくれると思ったぞ!」
父さんはガバッと抱きついてくる。
「暑苦しい! 止めろ!」
「さすが俺の息子だ~愛してるぞ海人~」
う、うっとうしすぎる……。それからなんとか父さんを引き剝がしたあと、俺は旅行で少し疲れたので仮眠をするために自分の部屋に行こうとする。
「そうだ海人、最後にもう三つだけ言うことあるの忘れてたわ」
「三つもあんのかよ……で、なに?」
「まず一つは、再婚したら名字が変わるから」
さらっと衝撃的なことを言ってきた。
「名字が変わる!? ってなんで!?」
「そりゃ再婚する人の名字に揃えるからだよ。その人と話し合って民宿の名前を家族の名字にしようってなってな。そうなると〝月島〟よりあっちの名字の方がしっくりくるんだ」
「理由はわかったけど、それでも名字が変わるって……」
月島から一体どんな名字になるんだ?
とりあえず違和感がなければ、何でもいいけど……。
「それで残り二つはまとめて言うが……お相手には娘さんがいてな、今から俺と再婚する人がその娘さんと一緒にうちに来ることになってる」
「っ!? 娘がいて再婚相手と一緒にうちに来る!? そんな大事なこと今言うのかよ!!」
焦りつつ言うと、父さんは「いやぁうっかり忘れてたわ」とケラケラと笑う。
笑ってる場合じゃねーだろ。
「てか今から会いに来るって、もし俺が再婚を嫌がったらどうするつもりだったんだ?」
「俺は海人のことを信じてたからな。何の問題もない」
「問題ありまくりだろ……」
俺は呆れたようにため息を吐いた。まあ父さんらしいと言えばらしいか。
そんなことを思っていたら、ピンポンとインターホンの音。
「おい父さん、これってもしかして……」
「いや、予定ではもう少し後のはずなんだが……」
父さんはポケットからスマホを取り出して確認する。
「すまん海人、予定が早まったみたいだ」
「連絡くらい見とけよ」
本当に適当な性格してんな。旅行帰りで一応、外向けの格好してるからいいけどさ。
その後もう一度、インターホンが鳴った。
「じゃあ海人、行くぞ」
「お、おう……」
父さんと一緒に玄関へ向かう。
そういや、再婚相手の娘さんっていくつなんだろう。それで俺が兄になるか弟になるか決まるんだけど。……でもあれだな。兄妹とか欲しかったし、結構嬉しいかもな。
「うわ、なんか緊張してきた……」
「大丈夫だ。普段通りにしてくれればいいから」
「それが一番難しいんだけど……」
変なことを言わないように気を付けないと。
こういう時は、第一印象が大事だからな。
「いらっしゃい!」
父さんが玄関の扉を開けると、まず入ってきたのは柔らかい雰囲気の女性。
でも立派な着物を着ており、何か貫禄みたいなものは感じる。
間違いなくこの女性が父さんの再婚相手だ。
彼女は父さんと楽しそうに会話を交わした後、こちらに視線を移した。
「あなたが海人さんですね」
「えっ、は、はい!」
「武志さんと似てカッコいいですね。将来はきっと良い旦那さんになりますよ」
「ど、どうも」
初対面からカッコいいやらいい旦那さんやら言われて、反応に困ってしまう。
さすが元女将さん。コミュ力が高すぎる。
「海人さん、武志さんとの結婚を受け入れてくれて本当にありがとうございます。これからよろしくお願いしますね」
「よ、よろしくお願いします、えっと……」
「あらいけません、名前を言ってなかったですね。
「あはは……よろしくお願いします、京香さん」
いきなりお母さんとママはハードルが高いので普通に名前でよろしくすると、京香さんは優しく笑った。ちょっと積極性が強いけど、いい人そうで良かった。
かなり美人だし、父さんが言っていた通りめちゃめちゃ綺麗で優しい人っぽいな。
──とその時、ふとあることに気づく。
そういえば、いま冬凪って言ったか? どこかで聞いたことあるような……。
「ほら、隠れてないであなたも挨拶しなさい」
京香さんがそう言うと、彼女の後ろからもう一人の女性が出てきた。
その女性は艶やかな黒髪で、透明感のある瞳をしていて、どこか大和撫子のような雰囲気があって、俺と同い年くらいで──って、こいつ!?
「わ、わわ私の名前は冬凪栞です。得意なことはお料理。好きなことは誰かの旅行のお話を聞くこと。あっ、でも私も旅行に行きたいんですけど、まだ一度も行けてなくて──」
「……冬凪、何してんだ?」
緊張マックスで自己紹介する冬凪に、俺は訊ねた。
すると彼女は俺と目が合うなり、ガラス玉みたいな瞳を丸くして、
「ど、どうして月島くんがここにいるの!?」
「いや、それは俺が聞きたいんだけど……」
そんな会話をしつつ困惑する二人。
「なんだ、二人とも知り合いなのか!」
「あなた、いつ海人さんと知り合ったのですか?」
京香さんと父さんも少し驚いている。
「もしかしなくても京香さんの娘って、冬凪だよな?」
「じゃあ、君は新しいお父さんの息子……?」
お互いの問いに頷く二人。
あー、なるほど。どうやら俺と冬凪は新しい家族になるってことで間違いないらしい。
……まじかよ。
数日後、一旦北海道に戻った京香さんと冬凪が準備を整えてから東京に引っ越してくると、その日の内に父さんたちは一緒に婚姻届けを出した。
そして俺は〝月島海人〟から〝冬凪海人〟に変わり、俺と冬凪は義理の兄妹になった。