〇プロローグ(1)
「のぼりべつといえば! クマぼくじょう~♪」
肌寒い秋風が吹いている中、元気よく歌っているのは小学校低学年くらいの女の子。
彼女は隣にいる俺と手を繋ぎながら、ニコニコ顔で行進している。
「さっきまで迷子で泣きわめいてたくせに、随分ご機嫌だな」
「ないてなんかないも~ん」
女の子は否定しているが、実際は家族旅行の最中、両親とはぐれてしまったみたいで、温泉街で一人大泣きしていた。
そこに偶然、通りかかった俺がさすがに見過ごすわけにもいかず、こうやって一緒に温泉街を歩きながら彼女の両親を探しているのだ。
女の子は最初は泣きまくっていたものの、先ほど俺が買った温泉まんじゅうを与えたらすぐに上機嫌になった。まったく子供は単純だな。
「クマぼくじょう~♪ クマぼくじょう~♪」
「なあ、さっきから歌ってるそれなんだ?」
「クマぼくじょうのおうただよ。しらないの?」
「クマ牧場が登別の観光名所ってことは知ってるけど、その歌は全然知らない」
「えぇ! でもおかあさんもおとうさんも、おともだちもみんなしってるよ」
女の子はびっくりしたように、小さな瞳をぱちくりさせる。
「そうなのか……もしかして君って、北海道に住んでる?」
「うん! さっぽろにすんでるよ! ちゃんといえてわたしえらい!」
女の子は得意げに答えたあと、鼻を鳴らした。
「ならクマ牧場の歌は北海道限定の歌っぽいな。俺、北海道に住んでないから知らんし」
「そうなんだぁ~。ねぇねぇ、おにいちゃんはどこにすんでるの?」
「俺? 俺は東京だけど……」
「とうきょう! 〝とうきょうたわー〟とか〝すかいつりー〟とかある?」
「そりゃ東京だからあるだろ」
「すご~い!」
瞳をキラキラと輝かせる女の子。
子供からしたら東京といえば、東京タワーやスカイツリーなのか。
「あのな、お嬢ちゃん。東京は東京タワーやスカイツリー以外にも有名な場所が沢山あってだな──」
「あっ、ママだ!」
話の途中、女の子は唐突にそう口にすると、一目散に飛び出していった。
どうやら母親を見つけたみたいだ。とりあえず一安心だけど、せっかく東京のおすすめ観光地を色々と教えてやろうと思ったのに……。
「マイちゃん!」
「ママ~」
女の子の母親は我が子を見つけると、すぐさま駆け寄りそのまま抱きしめた。
相当心配していたんだろう。良かった、良かった。
そうやって親子の感動の再会を眺めていたら、母親が女の子と何か喋ったあと俺を見つけると、こちらまで近づいてきた。
「迷子になった娘を助けて下さったんですよね。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえいえ、クマ牧場の歌も教えてもらいましたし、楽しかったですよ」
「おにいちゃんにクマぼくじょうのおうたおしえてあげたの! えらいでしょ!」
女の子が調子よく言うと、母親がぺこぺこと申し訳なさそうに頭を下げる。
仲良さそうな親子で何よりだ。
「じゃあ俺はこの辺で失礼しますね。旅行の途中なんで」
「本当に娘を助けて下さってありがとうございます! ご家族やお友達を待たせてしまっていたらごめんなさい」
「全然大丈夫ですよ。俺、一人で旅行しているんで」
「……え?」
母親は驚いた顔を見せたあと、視線を俺の頭のてっぺんから足の爪先まで移動させる。
「もしかして、大学生とか社会人の方ですか?」
「そんな大人っぽく見えますか? 一応、高校生なんですけど……」
「そ、そうなんですね……」
母親は何故か困ったように笑っていた。……まあ理由はわかるけども。
きっと高校生で、一人で旅行なんて変わってるなぁとか思ってるんだろう。
「じゃあ俺はそろそろ行きますね」
「あっ、はい。その……娘を助けて下さって本当にありがとうございました!」
「おにいちゃん! じゃあね~」
「おう、じゃあな」
女の子に手を振ったあと、俺は仲良し親子から離れるように歩き出した。
少し時間を使ってしまったが、事前に決めていた完璧な旅行プランに影響はない。
さて、これから登別で一番の観光名所にでも行くとするか。
今年、高校一年生になった俺──
それで登別で一番の観光名所っていうのは──。
「すっげぇ……」
温泉街から移動すること約十分。目的地──登別地獄谷に着いた俺は、目の前に広がる素晴らしい景色に只々感動していた。
どっしりそびえ立つ大きな山には、茜色に染まった美しい紅葉が広がっている。
そのふもとにある吹き出し口からは、高温の白い湯気が激しく昇っており、名前の通り、目の前に地獄が広がっているかのような迫力があった。
また硫黄の鼻につくような香りも、少しキツイが源泉に来たって感じで逆に興奮する。
これはマジで来てよかったな!
俺がいま眺めている登別地獄谷とは、北海道を代表する温泉地──登別温泉最大の源泉で、道内で有数の観光名所だ。
観光サイト曰く、年中観光客が来るみたいだが、おすすめの時期は今日みたいに綺麗な紅葉が見られる十月中旬から下旬らしい。
確かに周りには子供連れの家族やカップルっぽい男女、外国人など、様々な人々が訪れており観光を楽しんでいた。
「硫黄の匂いパねぇな!」「ね! あと景色もいいよね!」
「あのさ、みんなで写真撮らない?」「おっ、いいね~」「賛成、賛成~!」
大学生くらいの男女たちが談笑をしていた。
とても楽しそうにしているが、俺からしたら複数人で旅行なんてあり得ない。
複数人で旅行をしても、行きたい場所はそれぞれ違うはずだし、観光地にいたい時間もみんなバラバラのはず。それを全員が気を遣って予定を合わせる。
そんな旅行なんて、絶対に誰も100%楽しむことができない。
それと比べて、一人は最高だ。
好きな時間に好きな場所に行けて、好きなだけ観光できる。
まさに完璧な旅行である。
ゆえに俺は一人旅が大好きで、いつも一人で旅行をしている。
当然ながら、今回の登別観光も俺だけだ。
そんなことを考えたあと、俺は首に着けているロケットペンダントのチャームを開いた。中には小さな写真が入っており、三十代……いや見る人によっては二十代に見えるくらい綺麗な女性が写っている。
「今日は登別地獄谷に来たぞ。温泉の匂い凄いしあの山とかすっげぇ綺麗だろ」
もう一度、紅葉に染められた山々を眺めながら、写真の女性に語りかけるように呟く。
暫く写真の女性に美々しい景色を眺めてもらったあと、俺は静かにチャームを閉じた。
……じゃあ、俺も写真を撮るとするか。
デジカメを取り出すと、俺はカシャカシャと地獄谷の景色を写真に収めていく。
「いいね~! この角度もいいよ~! こりゃ最高の景色ですわ!」
写真を撮っていくうちに一人でテンションが上がっていたら、周りから変な目で見られた。特に隣で集合して写真を撮っていた大学生くらいの男女たちからは哀れむような視線を向けられた。失礼なやつらだ、こっちは本気で楽しんでいるというのに。
……まあこんなのはいつものことだから、慣れているけどな。
その後も俺は一人で地獄谷の写真を撮り続けて……よし、こんだけ撮れば十分だろ!
デジカメを操作して撮った写真を確認する。
何十枚も撮ったが、落ち着いた様子で鎮座している茜色の山々、憤っているかのように激しく湯気が立っている源泉、その二つのコントラスト。
全てがこれ以上にないくらい美しく撮れていた。
素晴らしい! さすが俺だな!
旅行をするたびに、満足のいく写真が撮れるまで写真を撮り続けた甲斐があった。
今度、まとまった貯金ができたら一眼レフでも買ってみようかな。
なんて思いつつ、俺はデジカメをリュックに入れる。
さてと、次は予定通り大湯沼にでも行ってみるか!
ついでに大湯沼川の足湯も入って、その次は温泉街に戻ってお土産を買って、最後は絶対に登別温泉を堪能しないと。
登別温泉は、今回の旅行の最大の目的だからな!
最低三回、いや五回は入りたい! きっと気持ちいいぞぉ~!
今後の計画を頭の中で一通り確認したあと、俺は改めて思った。
──やっぱり一人旅は楽しすぎる!!