第一章 突然の訪問者と怒濤の幕開け②
◆◆◆
夢の中でずっときこえていた声は、なつかしいものだったような気がする。
あれは一体、
ぼんやりした意識のまま、ミレーユは
(──えっ!?)
ミレーユは飛び起きた。その
「なにこれ……!」
通常の五倍はあろうかという広々とした寝台の上に、ミレーユはぽつんと半身を起こしていた。しつらえられた数々の調度品も、いかにも高級そうな
見れば、着ている
(一体、どうなってんの?)
「気がつきました?」
「きゃあああッ」
急に背後で声がしてミレーユは飛び上がった。よもや寝台の後方にも部屋が続いていたとは、そしてそこに人がいようとは思ってもみなかったのだ。
「大丈夫ですかっ?」
飛び上がりついでに眩暈を起こしてよろけたところを、誰かがあわてて支えてくれる。ミレーユはお礼を言おうと顔をあげたが、相手を見たとたん、眩暈も頭痛も吹き飛んだ。
茶色の
そう思い出した
「……っの、人でなし─────っっっ!!」
ばちーん、とすさまじい音がひびきわたる。見事に平手打ちをくらったリヒャルトが、たたらを
「あんたねえっ、ちょっと顔がいいからって、やっていいことと悪いことがあるでしょうが! 女の子に薬をのませて攫ってくるなんて、
顔の良し悪しはこのさい関係がないのだが、人攫いだとも知らずにときめいてしまった自分に腹がたってしょうがない。ミレーユは
よほど予想外だったのか、リヒャルトは
「ひどいじゃない…………うちに帰してよおぉぉ」
「あ……、あの」
「あたしなんか
「──は?」
「自分でいうのもなんだけど気は
おいおいと泣き伏すミレーユに
「
「じゃあどういう場所よおぉ。どこなのここはっ」
「ベルンハルトのモーリッツ城です」
「……ベルンハルト?」
フレッドの養子先の
思わず泣きやんで顔をあげると、リヒャルトは少し表情をやわらげて言った。
「アルテマリスの西の
「なんでそんなところにいるの。アルテマリスの娼館に売りつけるつもりなの?」
「……その、娼館ってところから離れていただきたいんですが」
「だってそうなんでしょ! おじいちゃんに話をつけてあるんだって言ってたじゃない。お金を
「うちがそんなにお金に困ってただなんて……。でもだからってフツー大事な
「…………いや、あのですね」
「いいわよもう、わかったわよ。やればいいんでしょやれば! けどねえ、言っときますけど、あたしまるきり何の経験もありませんからね。
「いいわ。こうなったら、この世界で頂点をきわめてやる」
早くも気持ちを切りかえたミレーユが重々しく決意をのべたときだった。
「ミレーユ!」
なれなれしく名を呼ばれ、その
(──あれ? この人、どこかで……)
三十をすこし過ぎたくらいの年頃の男性だった。よく言えば
走ってきたのか息を切らし、
「ミレーユ!」
「きゃあああッ! なにっ、だれよあんたっ、人攫いの親玉!?」
「お父さんだよ、ミレーユ!!」
「………………はい?」
ミレーユは目をぱちくりさせると、初対面の若い娘に抱きついて涙にむせぶ男をしげしげと見つめた。
◆◆◆
リゼランド王国とアルテマリス王国に
父はその国の
とすると、目の前で鼻をぐすぐすいわせているこの男は、一体何者なのだろうか。
「だから、きみの父親なんだよ。
うるんだ瞳でうったえる男に
うさんくさいという思いはぬぐいきれない。けれどもたしかに、初対面のはずの彼になぜか見覚えがあるのだ。
金の髪に
(それに……)
家の物置の奥で紙と布に
子どもの頃、フレッドとふたりで見つけたそれには、金髪で青灰色の瞳をした青年が描かれていた。ずっと昔に亡くなった父が結婚前の母に贈ったものだと、こっそり祖父が教えてくれたことがある。その肖像画の父と目の前の紳士は、怖いくらいにそっくりなのだ。
しかし急に「お父さんだよ」などと言われてもすぐに信じられるわけがない。十六年間ずっと、死んだときかされてきたのだから。
「……あたしとフレッドのパパは、エドワード・ソールフィールズってひとよ。シアラン人で……あたしたちが生まれる前に死んだってママは言ってたわ」
ミレーユがそう言うと、男の目にさらに涙がもりあがった。
「ジュリアはきみにそう話していたんだね。すまなかったね、ミレーユ。私が
「噓……って、どういうこと?」
「すべてを話すよ、ミレーユ」
三十すぎの
「私のほんとうの名はエドゥアルトというんだ。生まれもそだちも
「公爵!?」
思わず声が裏返る。貴族の中でも最上の爵位だ。しかもよほどのことがないかぎり王族出身者以外には与えられないと聞く。
エドゥアルトという涙もろい紳士は軽く頭をふった。
「私自身は大した才もない
(こっ……国王家の
文句のつけようがない超名門ではないか。下町育ちにとってはまさに雲の上の世界だ。
「じゃあおじさんは、今の国王
驚きのあまり一瞬気を失いつつ、我に返っておそるおそる言うと、エドゥアルトの瞳にぶわっと涙があふれた。
「おじさんだなんて、きみにそんな他人
「あ、ご、ごめんなさい。じゃあ、えっと、エドゥアルトさん」
「パパと呼んでくれないのかい!?」
「うっ……。わ、わかったわよ。で、どうなのよ、パパ?」
半ば
「もちろん存じ上げているよ。ハインリッヒ四世国王陛下は、
「国王様の弟!?……ってことは、パパって前の王様の王子様……?」
「そうだよ。先代のルートヴィッヒ六世陛下は私の父上──きみにとってはおじいさまにあたる
こともなげにエドゥアルトは言ったが、聞いた方は全身から血の気が引いた。
「いや─────っっっ!!」
「ミ、ミレーユ?」
「ありえない!! いったい何をどうやったら王子様とパン屋の娘が恋に落ちるっていうのよ!? おとぎ話じゃあるまいし、そんな甘っちょろい話が現実に転がってるわけないじゃない! ていうか、じゃああたしの商才はいったい誰からの
あまりの
商人ではなかったどころか、一国の王子が自分の父親?──そんなばかな!
突然蒼い顔でわめきだした娘をエドゥアルトは目を見開いて見つめていたが、やがてその表情をいとおしそうに
「……そうしていると、ジュリアによく似ているね。元気のいいところもそっくりだ」
なつかしさを
そのまなざしにミレーユはどきりとした。知るはずのない父親の
青年のような表情で、エドゥアルトは遠い目をした。
「初めて会ったとき彼女はまだ十五歳で……私は十七だった。きみのお母さんはね、ミレーユ。美人で活発で、男たちにとても人気があったんだ。かくいう私も、はじめて会ったとき顔面にリンゴをなげつけられて、その瞬間彼女のとりこになってしまった」
「リンゴ……」
どういう出会い方をしたものか……。
「グレゴールの森を知っているかい?」
「え? ええ、サンジェルヴェ
「私とジュリアはそこで出会ったんだよ」
ほんのり頰をそめる父の心境が理解できないミレーユに、エドゥアルトはぽつりぽつりと語り始めた。