第一章 突然の訪問者と怒濤の幕開け③



 十七歳の秋。グレゴールにある別荘べっそうおとずれた際、たまたま近くの村で行われた収穫祭しゅうかくさいにきていたダニエルとジュリアに出会ったのがはじまりだった。

 エドゥアルトはジュリアに一目惚ひとめぼれし、ジュリアも彼に好意をしめしてくれた。ふたりはごく自然に親しくなり、交流を重ねていった。

 だが、自分がアルテマリス国王の弟だと打ち明けることはできなかった。気軽に明かしていい身分ではないし、正体を明かすことで彼女との間にへだたりができるのをおそれたからだ。

 そこでシアランの貿易商ぼうえきしょう息子むすこ『エドワード・ソールフィールズ』という人間をつくりだし、ジュリアにはそう名乗っていたのである。

 けれど、幸せな日々はある日突然ひきさかれた。ジュリアとの交際が母の知るところとなってしまったのだ。

 そのころのエドゥアルトはすでにベルンハルト公の爵位しゃくいを与えられてはいたが、兄王の子であるおさな王太子おうたいしいで、王位継承権けいしょうけん第二位という微妙びみょうな立場にあった。ただし、まだ若く、配偶者はいぐうしゃもいないため、正式な継承権を認められていなかった。そんな息子の地位を確固たるものにするため、名門貴族のむすめ縁組えんぐみするのは当然だと母は考えていたようだった。

 そんなときに発覚はっかくしたジュリアの存在に、母は激怒げきどした。生まれて初めてといってもいい反抗はんこうをしたエドゥアルトに対してもいかくるった。そしてこう言い放った。

 ジュリアと別れ、自分が選んだ相手と結婚けっこんしなければ、ジュリアを殺す───と。


「……殺す……?」

 ミレーユはごくりとのどを鳴らした。両親のなれそめを聞いていたはずが、なんだか物騒ぶっそうな話になってきている。

「母は先王陛下へいかの第二でね。権力をふりかざすことに慣れた人だった。そして、私を王位につけることに異様なほど執着しゅうちゃくしていた。それこそ、少し病的なくらいにね。だからすぐにわかったよ。これはただのおどしじゃない、この人は本当にやる、とね」

 実際、ジュリアの家を調べて監視かんしさせていたようだと、エドゥアルトは少し疲れたような表情でつけ加えた。

 ミレーユは、一見何の悩みもなく育ったような呑気のんきそうなこの紳士しんしが、少しかわいそうになってきた。本当に父親であるなら、母を捨てた不誠実な男でもあるのに、そういうふうに思えない。はげましたくなるような、手を差しべてあげたくなるような雰囲気ふんいきがあるのだ。

「えと……元気だして──」

「あのときほど、自分の生まれをのろわしく思ったことはない!」

 なぐさめようとしたとたん、エドゥアルトはいきなり天をあおいで切なげになげいた。

「彼女を守るためだと自分にいいきかせて別れを告げたとき、私はようやく自分の素姓すじょうを明かした。ジュリアはひとことも責めずそれを受け入れたよ。おなかの中にきみとフレッドがいることを打ち明けもせずに……!──ああ、ミレーユ。権力にくっした私を、身重みおもの恋人をすてて他の女性と結婚したおろかな父を、思う存分気の済むまで責めてくれ。ののしってくれてもなぐってくれてもるしてくれてもかまわない!」

「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、おじさ……パパ! 別に責めたりなんかしないから、続きを話してよ」

 娘にしかりつけられ、暴走ぼうそう気味の父はごめんよ、と鼻をすする。

「……結婚はしたけれど、妻はまもなく病死してね。新たに妻をむかえろと周りからうるさく言われて、私はすっかり人生がいやになってしまったんだ。それで封印し《ふういん》ていた想いをおさえきれなくなってジュリアに会いにサンジェルヴェへ行ったんだよ……」


 別れてから六年後のことだった。

 パン屋の店先をこっそりのぞいたエドゥアルトは驚愕きょうがくした。大人おとなびてますます美しくなったジュリアのそばに、小さな男女の子どもがいるのを目撃もくげきしたのだ。

 もしや彼女も結婚して子を産んだのかと思うといてもたってもいられず、彼はすきを見て男の子──フレッドに接触せっしょくして父親のことを聞き出した。そこではじめてジュリアが自分の子を産んだことを知ったのである。

 その後ジュリアと会ったエドゥアルトはおのれの身勝手さを自覚じかくしながらも、ジュリアに対する気持ちは少しも変わっていないことを告げ、あらためて彼女に求婚きゅうこんした。これまでの贖罪しょくざいの意味もあったし、跡継あとつぎをつくるためだけの不幸な結婚をくりかえしたくないという思いも正直なところあった。だから今度こそジュリアを妻にしてふたりの子どもを育てていきたいと思ったのだが、ジュリアはがんとして受け入れなかった。

 エドゥアルトは、彼女と子どもたちを二度と手放したくないという一心で、跡継ぎがないと家がお取りつぶしになると泣きつき、フレッドを引き取りたいと申し出た。そうしてつながりを持っておけばえんが切れることはないと思ったからだ。

 事の次第しだいを知ったダニエルとフレッドがひそかに協力してくれたこともあり、さんざんしぶっていたジュリアも最後には首を縦にふった。それで結局養子に出すという形で、フレッドはオールセン家を出てベルンハルト公爵家へやってきたのである──。


(……えーと……)

 ミレーユはこんがらかる糸を頭の中で懸命けんめいに整理した。

「つまり……、養子にいったはずのフレッドは、実は死んでなかったパパに引き取られてて、あたしだけがその一切を知らなかったと。そういうこと?」

 なんであたしだけ仲間はずれなの? という思いでに落ちない顔をしていると、ショックを受けたと思ったのかエドゥアルトがあわてたようにつけたした。

「あっ、もちろん、きみのこともすぐに引き取るつもりだったんだよ!? なんとかジュリアに許してもらおうと贈り物を続けたんだけど、返事もくれないし、きみに会わせてもくれないし……。やっぱり許してはもらえないのだろうか。私が愛しているのは昔も今もジュリアだけなのに、何度そう求愛しても信じてくれないんだ。ねえミレーユ、どう思う? 私はもう完全にふられてしまったのだろうか……ううぅっ……」

 そういえば、フレッドは里帰りのたびに大量の土産物みやげものを持参していた。あれはエドゥアルトから母へのみつぎ物だったというわけだ。

 それにしてもこの泣きっぷり、うじうじっぷりはどうも聞き覚えがある。

「全然関係ないんだけど、もしかしてあたしが寝てるとき、耳元でぐすぐす泣いてなかった?」

 思い返してたずねてみると、エドゥアルトはハンカチで目元をおさえながらうなずいた。

「いつ目がめるか待ち遠しくて、ずっと枕元についていたんだ。寝顔を見ているとどうにも感情がたかぶってきてね……。あの小さかった女の子がこんなに大きくなって……。それなのに、たまたま席をはずした間に目覚めてしまうなんて、運が悪い。せっかく熱い抱擁ほうようで名乗りをあげようと思っていたのに」

「……いや、じゅうぶん熱かったわよ。あの抱擁」

 思い出してげっそりしながらミレーユは答える。そしてひとつ息をついた。

「事情はわかったわ。いえ、ほんとはあんまりわかってないけど、わかったことにする」

 あまりに突然すぎていまいち現実感はないものの、すでにこの紳士の話を受け入れている自分がいる。この人が父親だったのだと、そのことだけはふしぎにすんなり心の中に落ちてきたのだ。

「でもなんであんな強引に連れてくる必要があったのよ。まさか、あたしに会いたいがためにママの留守るすをねらって誘拐ゆうかいさせたわけじゃないでしょ? おじいちゃんも……この人も、なにも教えてくれなかったんだけど」

 わきひかえているリヒャルトをちらりと横目で見やる。エドゥアルトは深く深く嘆息たんそくした。

「大変なことがおこってね……。一刻いっこくを争う事態だったものだから、つい手荒てあら真似まねをさせてしまった。すまなかったね」

「別にもういいわ。それより、何があったのよ」

「実は……フレッドのことなんだが」

「あの子がどうかしたの?」

 そういえば、なぜフレッドは姿を見せないのだろう。留守るすにでもしているのだろうか。

 今さらのように怪訝けげんに思うミレーユに、エドゥアルトはまたもため息をつきながら一通の手紙をさしだした。

進退窮しんたいきわまってね……なんとしてもきみに協力してほしくて……」

「え、なに。読んでもいいの?」

 戸惑とまどいつつも手紙を開いたミレーユは、最後まで読み終わる前に目をむいた。



『お父上ならびにベルンハルト公爵家別邸の皆々様方へ


 不肖ふしょうベルンハルト伯爵はくしゃくフレデリックは、今日を限りにその名を返上し、国を出ることを決めました。

 ぼくは気づいてしまったのです。彼女が殿下でんかのおきさきになる前、つまり今ならまだ間に合うということに。

「しょげてるひまあったら彼女を奪っちゃいなよ、男でしょ!」という力強い助言をくれた最愛の妹、弱気な兄を後押ししてくれたミレーユに感謝をささげつつ、ぼくはリディエンヌじょうとともに愛を守るため旅立ちます。

 これまでの御恩ごおんあだで返すようなふるまいを、そして運命の恋のもとにすべてをじゅんじるぼくを、どうかおゆるしください。

フレデリックより 』



(なに────!?)

 悪い予感は見事にあたった。

「こっ、これってつまり、いわゆる、かっ、か、かけ」

け落ち」

「そう、それ!」

 口をはさんだリヒャルトにびしっと指をつきつけ、一転して頭をかかえる。

「ちょっと待って、まってまってまってッ。──フレッドが駆け落ち? うそでしょ? まだ声変わりも終わってないのにあの子!」

「声の高さは関係ないのでは……」

「あたしのせい? あたしがきつけたせいでその気になって駆け落ちしちゃったってこと? いやああああ! ていうかこの『殿下』ってなに!」

 取り乱すミレーユに、リヒャルトが遠慮えんりょがちに教えてくれる。

「アルフレート王太子おうたいし殿下のことです」

「な、なんでそんな方がフレッドの書き置きに出てくるの」

「それはですね、彼の駆け落ち相手が殿下の婚約者こんやくしゃだからでして」

「…………。は?」

「つまりフレッドは、いずれ王太子妃になる予定の令嬢を連れて出奔しゅっぽんしたというわけです」

 瞬間しゅんかん、ミレーユの思考は停止した。もう笑うしかないという表情のリヒャルトを穴が開くほどまじまじと見つめる。

 ──くらっと視界がゆれた。

「ああっ、ミレーユ!」

 あわてふためいた声がふってくる。

「かわいそうに、こんなに蒼ざめて! リヒャルト、私の娘をいじめるのはやめたまえ!」

 これっぽっちもいじめた覚えなどないリヒャルトは、理不尽りふじんなエドゥアルトの叱責しっせきに軽くせき払いして表情をあらためた。

「エドゥアルト様、しっかりなさってください。この件が表沙汰おもてざたになれば一族もろとも大逆たいぎゃくの罪で死刑か……よくても国外追放ですよ」

「え」

「ええっ!」

 エドゥアルトは一瞬ぽかんとし、彼に支えられていたミレーユは顔面蒼白になった。

「そんな、どうしよう! あ、あたしいったい、どどどどうしたらっっ」

 兄の恋する相手が王太子の婚約者だなんてもちろん知らなかったし、面白おもしろ半分にあおったわけでもないのだが、結果として自分がフレッドをそそのかしたということになるのだろうか。そのせいで、せっかく会えた父が死刑になってしまうというのか!?

「落ち着きなさいミレーユ。そんなにあわてなくても大丈夫……い、いや、とにかく落ち着いて」

 つられたのか急に挙動不審きょどうふしんになったエドゥアルトの脇から、冷静な声があがる。

「事はまだ露見ろけんしていません。今なら何とかごまかすことはできます」

「……ごまかす?」

 リヒャルトは大まじめにうなずく。

「フレッドたちの行方ゆくえはすでに捜索隊そうさくたい派遣はけんしてさぐらせています。一ヶ月後の婚約披露宴ひろうえんまでに見つけ出せれば問題はありません」

「で、でも、見つからなかったらどうするの?──まさかっ、あたしが代わりに王太子さまのお妃に!?」

「なにを言う、そんなことはこの私が絶対にさせるものか! 大事な娘をあの王太子の妃にだなんてっ」

 血相けっそうを変えたエドゥアルトに微苦笑びくしょうし、リヒャルトは少し困ったようなまなざしをミレーユに向けた。

「でも身代わりは必要なんですよ。この一件が無事に落着するまでは」

「身代わり……?」

「そう。あなたは身代わりになるんです。ベルンハルト伯爵フレデリックのね」

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