十七歳の秋。グレゴールにある別荘を訪れた際、たまたま近くの村で行われた収穫祭にきていたダニエルとジュリアに出会ったのがはじまりだった。
エドゥアルトはジュリアに一目惚れし、ジュリアも彼に好意をしめしてくれた。ふたりはごく自然に親しくなり、交流を重ねていった。
だが、自分がアルテマリス国王の弟だと打ち明けることはできなかった。気軽に明かしていい身分ではないし、正体を明かすことで彼女との間に隔たりができるのをおそれたからだ。
そこでシアランの貿易商の息子『エドワード・ソールフィールズ』という人間をつくりだし、ジュリアにはそう名乗っていたのである。
けれど、幸せな日々はある日突然ひきさかれた。ジュリアとの交際が母の知るところとなってしまったのだ。
そのころのエドゥアルトはすでにベルンハルト公の爵位を与えられてはいたが、兄王の子である幼い王太子に次いで、王位継承権第二位という微妙な立場にあった。ただし、まだ若く、配偶者もいないため、正式な継承権を認められていなかった。そんな息子の地位を確固たるものにするため、名門貴族の娘と縁組みするのは当然だと母は考えていたようだった。
そんなときに発覚したジュリアの存在に、母は激怒した。生まれて初めてといってもいい反抗をしたエドゥアルトに対しても怒り狂った。そしてこう言い放った。
ジュリアと別れ、自分が選んだ相手と結婚しなければ、ジュリアを殺す───と。
「……殺す……?」
ミレーユはごくりと喉を鳴らした。両親のなれそめを聞いていたはずが、なんだか物騒な話になってきている。
「母は先王陛下の第二妃でね。権力をふりかざすことに慣れた人だった。そして、私を王位につけることに異様なほど執着していた。それこそ、少し病的なくらいにね。だからすぐにわかったよ。これはただの脅しじゃない、この人は本当にやる、とね」
実際、ジュリアの家を調べて監視させていたようだと、エドゥアルトは少し疲れたような表情でつけ加えた。
ミレーユは、一見何の悩みもなく育ったような呑気そうなこの紳士が、少しかわいそうになってきた。本当に父親であるなら、母を捨てた不誠実な男でもあるのに、そういうふうに思えない。励ましたくなるような、手を差し伸べてあげたくなるような雰囲気があるのだ。
「えと……元気だして──」
「あのときほど、自分の生まれを呪わしく思ったことはない!」
なぐさめようとしたとたん、エドゥアルトはいきなり天を仰いで切なげに嘆いた。
「彼女を守るためだと自分にいいきかせて別れを告げたとき、私はようやく自分の素姓を明かした。ジュリアはひとことも責めずそれを受け入れたよ。お腹の中にきみとフレッドがいることを打ち明けもせずに……!──ああ、ミレーユ。権力に屈した私を、身重の恋人をすてて他の女性と結婚した愚かな父を、思う存分気の済むまで責めてくれ。罵ってくれても殴ってくれても吊るしてくれてもかまわない!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、おじさ……パパ! 別に責めたりなんかしないから、続きを話してよ」
娘にしかりつけられ、暴走気味の父はごめんよ、と鼻をすする。
「……結婚はしたけれど、妻はまもなく病死してね。新たに妻を迎えろと周りからうるさく言われて、私はすっかり人生がいやになってしまったんだ。それで封印し《ふういん》ていた想いを抑えきれなくなってジュリアに会いにサンジェルヴェへ行ったんだよ……」
別れてから六年後のことだった。
パン屋の店先をこっそりのぞいたエドゥアルトは驚愕した。大人びてますます美しくなったジュリアのそばに、小さな男女の子どもがいるのを目撃したのだ。
もしや彼女も結婚して子を産んだのかと思うといてもたってもいられず、彼は隙を見て男の子──フレッドに接触して父親のことを聞き出した。そこではじめてジュリアが自分の子を産んだことを知ったのである。
その後ジュリアと会ったエドゥアルトは己の身勝手さを自覚しながらも、ジュリアに対する気持ちは少しも変わっていないことを告げ、あらためて彼女に求婚した。これまでの贖罪の意味もあったし、跡継ぎをつくるためだけの不幸な結婚をくりかえしたくないという思いも正直なところあった。だから今度こそジュリアを妻にしてふたりの子どもを育てていきたいと思ったのだが、ジュリアは頑として受け入れなかった。
エドゥアルトは、彼女と子どもたちを二度と手放したくないという一心で、跡継ぎがないと家がお取り潰しになると泣きつき、フレッドを引き取りたいと申し出た。そうして繫がりを持っておけば縁が切れることはないと思ったからだ。
事の次第を知ったダニエルとフレッドがひそかに協力してくれたこともあり、さんざんしぶっていたジュリアも最後には首を縦にふった。それで結局養子に出すという形で、フレッドはオールセン家を出てベルンハルト公爵家へやってきたのである──。
(……えーと……)
ミレーユはこんがらかる糸を頭の中で懸命に整理した。
「つまり……、養子にいったはずのフレッドは、実は死んでなかったパパに引き取られてて、あたしだけがその一切を知らなかったと。そういうこと?」
なんであたしだけ仲間はずれなの? という思いで腑に落ちない顔をしていると、ショックを受けたと思ったのかエドゥアルトが慌てたようにつけたした。
「あっ、もちろん、きみのこともすぐに引き取るつもりだったんだよ!? なんとかジュリアに許してもらおうと贈り物を続けたんだけど、返事もくれないし、きみに会わせてもくれないし……。やっぱり許してはもらえないのだろうか。私が愛しているのは昔も今もジュリアだけなのに、何度そう求愛しても信じてくれないんだ。ねえミレーユ、どう思う? 私はもう完全にふられてしまったのだろうか……ううぅっ……」
そういえば、フレッドは里帰りのたびに大量の土産物を持参していた。あれはエドゥアルトから母への貢ぎ物だったというわけだ。
それにしてもこの泣きっぷり、うじうじっぷりはどうも聞き覚えがある。
「全然関係ないんだけど、もしかしてあたしが寝てるとき、耳元でぐすぐす泣いてなかった?」
思い返して訊ねてみると、エドゥアルトはハンカチで目元をおさえながらうなずいた。
「いつ目が覚めるか待ち遠しくて、ずっと枕元についていたんだ。寝顔を見ているとどうにも感情がたかぶってきてね……。あの小さかった女の子がこんなに大きくなって……。それなのに、たまたま席をはずした間に目覚めてしまうなんて、運が悪い。せっかく熱い抱擁で名乗りをあげようと思っていたのに」
「……いや、じゅうぶん熱かったわよ。あの抱擁」
思い出してげっそりしながらミレーユは答える。そしてひとつ息をついた。
「事情はわかったわ。いえ、ほんとはあんまりわかってないけど、わかったことにする」
あまりに突然すぎていまいち現実感はないものの、すでにこの紳士の話を受け入れている自分がいる。この人が父親だったのだと、そのことだけはふしぎにすんなり心の中に落ちてきたのだ。
「でもなんであんな強引に連れてくる必要があったのよ。まさか、あたしに会いたいがためにママの留守をねらって誘拐させたわけじゃないでしょ? おじいちゃんも……この人も、なにも教えてくれなかったんだけど」
脇に控えているリヒャルトをちらりと横目で見やる。エドゥアルトは深く深く嘆息した。
「大変なことがおこってね……。一刻を争う事態だったものだから、つい手荒な真似をさせてしまった。すまなかったね」
「別にもういいわ。それより、何があったのよ」
「実は……フレッドのことなんだが」
「あの子がどうかしたの?」
そういえば、なぜフレッドは姿を見せないのだろう。留守にでもしているのだろうか。
今さらのように怪訝に思うミレーユに、エドゥアルトはまたもため息をつきながら一通の手紙をさしだした。
「進退窮まってね……なんとしてもきみに協力してほしくて……」
「え、なに。読んでもいいの?」
戸惑いつつも手紙を開いたミレーユは、最後まで読み終わる前に目をむいた。
『お父上ならびにベルンハルト公爵家別邸の皆々様方へ
不肖ベルンハルト伯爵フレデリックは、今日を限りにその名を返上し、国を出ることを決めました。
ぼくは気づいてしまったのです。彼女が殿下のお妃になる前、つまり今ならまだ間に合うということに。
「しょげてる暇あったら彼女を奪っちゃいなよ、男でしょ!」という力強い助言をくれた最愛の妹、弱気な兄を後押ししてくれたミレーユに感謝をささげつつ、ぼくはリディエンヌ嬢とともに愛を守るため旅立ちます。
これまでの御恩を仇で返すようなふるまいを、そして運命の恋のもとにすべてを殉じるぼくを、どうかおゆるしください。
フレデリックより 』
(なに────!?)
悪い予感は見事にあたった。
「こっ、これってつまり、いわゆる、かっ、か、かけ」
「駆け落ち」
「そう、それ!」
口をはさんだリヒャルトにびしっと指をつきつけ、一転して頭をかかえる。
「ちょっと待って、まってまってまってッ。──フレッドが駆け落ち? 噓でしょ? まだ声変わりも終わってないのにあの子!」
「声の高さは関係ないのでは……」
「あたしのせい? あたしが焚きつけたせいでその気になって駆け落ちしちゃったってこと? いやああああ! ていうかこの『殿下』ってなに!」
取り乱すミレーユに、リヒャルトが遠慮がちに教えてくれる。
「アルフレート王太子殿下のことです」
「な、なんでそんな方がフレッドの書き置きに出てくるの」
「それはですね、彼の駆け落ち相手が殿下の婚約者だからでして」
「…………。は?」
「つまりフレッドは、いずれ王太子妃になる予定の令嬢を連れて出奔したというわけです」
瞬間、ミレーユの思考は停止した。もう笑うしかないという表情のリヒャルトを穴が開くほどまじまじと見つめる。
──くらっと視界がゆれた。
「ああっ、ミレーユ!」
あわてふためいた声がふってくる。
「かわいそうに、こんなに蒼ざめて! リヒャルト、私の娘をいじめるのはやめたまえ!」
これっぽっちもいじめた覚えなどないリヒャルトは、理不尽なエドゥアルトの叱責に軽くせき払いして表情をあらためた。
「エドゥアルト様、しっかりなさってください。この件が表沙汰になれば一族もろとも大逆の罪で死刑か……よくても国外追放ですよ」
「え」
「ええっ!」
エドゥアルトは一瞬ぽかんとし、彼に支えられていたミレーユは顔面蒼白になった。
「そんな、どうしよう! あ、あたしいったい、どどどどうしたらっっ」
兄の恋する相手が王太子の婚約者だなんてもちろん知らなかったし、面白半分に煽ったわけでもないのだが、結果として自分がフレッドを唆したということになるのだろうか。そのせいで、せっかく会えた父が死刑になってしまうというのか!?
「落ち着きなさいミレーユ。そんなに慌てなくても大丈夫……い、いや、とにかく落ち着いて」
つられたのか急に挙動不審になったエドゥアルトの脇から、冷静な声があがる。
「事はまだ露見していません。今なら何とかごまかすことはできます」
「……ごまかす?」
リヒャルトは大まじめにうなずく。
「フレッドたちの行方はすでに捜索隊を派遣して探らせています。一ヶ月後の婚約披露宴までに見つけ出せれば問題はありません」
「で、でも、見つからなかったらどうするの?──まさかっ、あたしが代わりに王太子さまのお妃に!?」
「なにを言う、そんなことはこの私が絶対にさせるものか! 大事な娘をあの王太子の妃にだなんてっ」
血相を変えたエドゥアルトに微苦笑し、リヒャルトは少し困ったようなまなざしをミレーユに向けた。
「でも身代わりは必要なんですよ。この一件が無事に落着するまでは」
「身代わり……?」
「そう。あなたは身代わりになるんです。ベルンハルト伯爵フレデリックのね」