第一章 突然の求婚者①



 翠玉すいぎょく御使みつかい様


 お元気でいらっしゃいますか。桃霞とうかはまもなく花のさかりの季節です。

 庭のもものつぼみを眺めていると、ふとあなた様のことが思い出されます。

 いつの日かご一緒にお花見に行けたらと夢見るのも、今年で何度目になるでしょう。

 御使い様。あなた様は、今、どこにいらっしゃるのでしょうね。

 お弟子でしにしてくださるというお約束を胸に、結蓮ゆいれんは日々、鍛錬たんれんはげんでいます。

 御使い様。結蓮はもう大人になりました。

 どうか、早く、早く迎えに来てくださいね。


    ◆


 月までてつくような真冬の夜。

 都のとある屋敷やしきで、名門同士の婚礼こんれいり行われていた。

 花婿はなむこは、家門の当主である朝廷ちょうてい官吏かんり

 花嫁はなよめは、皇后こうごう異母妹いぼまいにあたる国一番の富豪ふごうむすめ

 家同士で決められた結婚けっこんである。二人が顔を合わせるのは今宵こよいが初めてのことだった。

「──なぜそんなものを持っているのだね? 物騒ぶっそうな」

 遅れて寝室に入った花婿が、に気づいてまゆをひそめる。

 赤い布と花で飾られた寝台に腰掛こしかけた花嫁は、一振りの太刀たちを胸にいていたのだ。

 房飾ふさかざり付きのにしきの織物を頭からかぶった彼女は、そっと身じろいで太刀を抱きしめる。

「……どうかお許しを。母の形見なのです。そばに置かせていただけませんか」

 若い娘とは思えない、ひどく静かな声だった。

 早くに母親をくした、か弱い富豪の末娘。わざわざ機嫌きげんそこねて権門とのえんをふいにはしたくない。そんな思惑おもわくから、花婿は寛大かんだいなところを見せておくことにした。

「いいだろう。ただし、寝床ねどこの中ではさやを抜いてくれるなよ? 剣豪けんごう貴女あなた相手ではさすがに私も太刀打ちできぬからな」

 ごとのように言いながら、花嫁がかぶる綾絹あやぎぬぎ取る。都でも評判の美女である彼女を好奇こうきの目でのぞきこんだが──。

「……っ、これは……!」

 せていた彼女の目がゆっくりと視線をあげた時、花婿は全身にふるえが走るのを感じた。

 花嫁は確かに美しかった。白絹のごとく清らかですべらかなはだも、りんとこちらを見つめる黒いひとみも、紅をさした小さなくちびるも、なんら申し分はない。

 だがなぜだろう。賞賛しょうさんすべき美貌びぼうなのに──〝おそろしい〟と一瞬いっしゅん思ってしまったのは。

「いや──おどろいた。なんという佳人かじんだ。この世のものとは思えない……!」

「……」

 花嫁が無言で目を伏せる。そんなめ言葉は聞ききているのか、それともじらっているのだろうか。そのはかなげな様子に、花婿は軽くつばみ、彼女のかたに手をかけた。

「では……ちぎりのさかずきをかわそうか。我が妻よ──」

 彼女は富豪の令嬢れいじょうながら武官として朝廷に出仕しているという変わり者だが、彼女の一族とのつながりが欲しかった花婿にとってはそれは些末さまつなことだった。何より、これほどのまれなる美貌びぼうの妻を得ることができるのだ。多少のことには目をつぶらねばばちがあたるだろう──。

 と、その時。

ほう舎人しゃじんに申し上げますーっ!」

 突然、とびらのすぐ外でだれかがさけび、花婿はぎょっとして手を止めた。

 今宵は新婚しんこん初夜、誰も邪魔じゃまをしないよう言いつけているし、第一見張りの者がいたはずだ。

 だが誰何すいかするより先に、きびきびとした声はさらに続く。

東宮とうぐう春明殿しゅんめいでんにて太子殿下でんか琮成そうせい様、怪異かいいわれたとのよし! 豊舎人には万難ばんなんはいしてのご登城をお命じです!」

 その瞬間しゅんかん、らんっ、と花嫁の目に光が走った。

 それまでろくに口もきかず借りてきたねこのように大人しかった彼女は、別人のごとき機敏きびんな動きで立ち上がると、躊躇ためらいもなくするりと帯を解いた。

「な──結蓮じょう!?」

 仰天ぎょうてんする花婿に構わず、彼女は豪奢ごうしゃな錦の花嫁衣装をぎ捨てる。太刀を中帯に差し、重いかんざしの束を引き抜いて顔をあげた。さらりと長い黒髪くろかみが舞う。

「……太子殿下に狼藉ろうぜきを働くとは、なんと不届き千万せんばん妖怪ようかい……!」

 低くつぶやきながらこしの太刀に手をかける彼女は、もはやどこをどう見ても可憐かれんな花嫁ではない。りんとしたするど眼差まなざしは堂々たる戦士のものだ。

「豊結蓮、ただちに登城つかまつります! ──御免ごめん!」

「ぬおっ!」

 戸口へと突進とっしんした花嫁は、開けるのももどかしかったらしく派手に扉を破壊はかいして飛び出して行く。

 残されたのは木片もくへんとなり果てた扉の残骸ざんがいと、ね飛ばされて転がったあわれな花婿。

「……だ……誰か、誰かいないか! 花嫁が──」

 ゆかに打ち伏したまま、花婿はわなわなと震えながら声を限りに叫んだ。

「花嫁が、逃げたぞ────っ!!」

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