第一章 五年ぶりの夏(4)
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一度東京に戻り、準備を整えてUターン。
必要な資格は申し込んだタイミングが良かったのか、すぐに講習を受けることができ、それだけで免状を得られた。その他の手続きは恵子さん任せ。
東京を離れるため、ホストの仕事は一時休職。
うちのオーナーは怠慢には厳しいが、金と同じぐらい義理人情を重んじる人なので、変に誤魔化さず事情を正直に打ち明けると、文句を言いながらも休みを認めてくれた。
大学の方はちょうど夏季休暇に入るので問題はない。
夏の間にゼミの勉強会はあるが、それについては睦月先輩に全てサボると連絡を入れておいた。
そうして俺は再び七登駅に降り立った。
今回は早起きして家を出たので、まだ昼過ぎ。
高く昇った太陽が交通量の少ない大通りを白く照らし、街路樹からは蝉の声が響いている。
この前はここからタクシーに乗ったが、叔父さんたちの──今は唯奈だけのものとなった家は徒歩圏内。
俺は荷物を詰め込んだトランクをガラガラと転がしながら、線路沿いの道を往く。
カンカンカンと聞こえてくる警報音。
コンテナを積んだ貨物列車が後ろから俺を追い越していく。俺は赤い光を点滅させる踏切の前で足を止め、遮断機が上がるのを待った。
やたらと車両の多い貨物列車が通り過ぎると、線路の向こう側で踏切待ちをしていた女の子と目が合う。
電車の風でふわりと翻るスカートの裾。
警報音が鳴り止み、ゆっくりと遮断機が上昇する。
だが踏切が通れるようになっても女の子は動かず、近づく俺をじっと待っていた。
「わざわざ迎えに来なくてもよかったのに」
俺は踏切を渡り切ると、彼女──九谷唯奈に笑顔で話しかける。
「……ホントは駅で待ってるつもりだったの。でも準備に手間取っちゃって」
肩の出た涼し気なワンピース姿の唯奈は、少しバツが悪そうな表情で答えた。
中学の制服を着ていないせいか、葬儀で会った時よりも外見の印象は幼い。だがよく見れば髪やメイク、身だしなみはきっちり整えられている。
ゆえに何の準備だったのかと野暮なことは聞かない。
「そっか、ありがと。その服、よく似合ってるね。やっぱり──昔よりずっと大人っぽくなっていて驚くよ」
これだけ容姿に気を遣っているのだから子ども扱いされるのは嫌だろう。
俺は言葉を選びつつ、彼女が〝時間を掛けた〟と思われる部分を褒めた。
「そ、そう?」
「ああ、昔の──蕾の頃の君も愛らしかったけれど、綺麗に咲いた君を見て、最初は誰だか分からないほどだった」
「き、綺麗……」
唯奈は嬉しそうに頬を緩めたが、瞳には戸惑いの色も滲む。
「だけど大人っぽくなったのは宗にぃもだよ。今のキザっぽい褒め方とか、何だか……全然違う人みたい」
「──そんなに変わったか?」
自覚はあったが、惚けて聞き返す。
幼馴染の
「うん、昔の宗にぃなら服とか絶対褒めなかったし。というかあたしがどんな服着ても、髪を切っても、全然気にしてなかったじゃん」
「あー……そうだったかもな」
頷きつつ、俺は歩き出す。こんなところで長々と立ち話をしていたら熱中症になってしまう。
「そうだよ! 第一、見た目が全然違うって。昔の宗にぃはそんなにチャラい感じじゃなかったもん」
俺に続きながら、唯奈は俺の格好をじろじろと眺める。
これでも大学に行く時に着る地味目な服を選んだのだが、彼女にはそう見えるらしい。
「だとしたら東京のせいだな。たぶん」
主に睦月先輩と、ホストの仕事のせいではあるが。
「東京に行ったら、宗にぃみたいになっちゃうんだ?」
「気になるなら、一度来てみたらいい。俺がお姫様をエスコートしてあげよう」
何となく──彼女ぐらいの年なら都会に憧れがあるのではないかと、軽く提案してみる。
「ホント!? あ──でも……」
予想通り彼女は目を輝かせたが、ハッと何かに気付いた様子で首を横に振った。
「やっぱいい。あたしはこれから、この町でずっと喫茶店をやってくんだし」
余計なものは視界に入れたくない。入れるのが怖い。彼女の横顔からは、そんな感情が見て取れる。
──やっぱり無茶なんだよな。
喫茶店を継ぐことが唯奈のためにならないと思うのは、これが理由。
まだ彼女には自覚がないかもしれないが、これからも色々なものを諦めていくことになるのだ──一つの無茶を通すために。
どうしてそこまで唯奈は喫茶店に拘るのだろう。
もちろん両親が遺したものだからという部分も大きいはずだが、それだけではないような気がした。
会話が途切れ、陽炎が立ち昇る夏の路地に二人分の足音だけが響く。
この道はしばらく真っ直ぐ進めば海に出るのだが、その前に俺たちは右折して緩やかな上り坂を登っていく。
視界の端に、キラキラした輝きが映りこむ。
ここは小高い丘になっているので見晴らしがいい。
だからこの場所──そこに建つモダンな外観の喫茶店からなら、よく見えるのだ。
青く広大な夏の海が。
「あの、宗にぃ……改めてだけど、ホントにありがと。あたしの味方になってくれて……すっごく嬉しかった」
唯奈の家、喫茶アザレアの前に到着したところで、唯奈が口を開く。
──味方、か。
本当は味方の振りをしたスパイのようなもの。
東京での現実から目を背けるために、彼女を利用しているとさえ言える。
ゆえに真っ直ぐな感謝の言葉に罪悪感が湧くが──それでも唯奈を助けようとしていることだけは嘘じゃないと、彼女の視線を受け止めた。
「約束、してたみたいだしね。正直、言われるまで忘れてたんだけど──思い出したからには、責任を取らないと」
現実逃避だからこそ、全力で目の前のことに集中しよう。
これからこの喫茶店で彼女を支え、不幸にならない道へ誘導するのが俺の役割だ。
「あ」
そこで驚いた顔をする唯奈。
「どうかした?」
「今の……責任を取るって、何だか昔の宗にぃっぽい」
「……そうか?」
全くピンと来ず、俺は眉を寄せる。
「うんっ! クソ真面目なところもちょっとは残ってたみたいで安心した」
妙に嬉しそうに、安堵の笑みを彼女は浮かべた。
──昔の俺はそんな風に思われてたのか。
多少のショックはあったが、唯奈が喜んでいるので余計なことは言わないでおく。
五年前に訪れた時と変わらぬ佇まいの喫茶店は、そんな俺たちを静かに見下ろしていた。