二章 二度目の青春のスタート(2)

    *


(おお……あの頃の教室だ……)

 校門を潜った時もばこで上靴に履き替えた時も感慨深かったが、かつて長い時間を過ごした自分の教室に足を踏み入れると、懐かしさはひとしおだった。

 机、椅子、黒板、それにこのザワザワした雰囲気……そうそうこれが教室だよな。

「じゃあ新浜君。放課後はまた頑張りましょう」

「え……? あ、うん。わかったよ」

 紫条院さんが教室の入り口での別れ際にそう言い、とりあえず返事はしたものの何の事かはすぐに思い出せなかった。

 放課後……? 放課後のことって一体……あ!

 そうか、図書委員の仕事だ!

(そうだった。そもそも俺なんかと紫条院さんに接点があるのは、図書委員で一緒だったからだもんな)

 そしてどうやら、今日がその当番の日らしい。

 まあ、それについては当然行くとして……今は目の前のことを考えよう。

(さて俺の席は……お、ここか。うわー、この木製っぽく見える机と椅子懐かしい……)

 正直自分の席もどこなのかサッパリだったが、幸いにも見覚えのある体操服袋が下がっていたため見分けができた。

 机を探ると中に入れっぱなしの教科書やノートが出てきて、まるでタイムカプセルを発掘したように面白さと懐かしさが混じる。

(うわーうわー! あの頃のノート! ははっ今見ると雑な板書してるな俺!)

 俺がしばらくノスタルジーに浸っていると、チャイムが鳴って朝のホームルームが始まった。十二年ぶりなのに、『起立、礼』にはノータイムで反応できてしまうあたり、子どもの頃に染みついたことってすごいなと思う。

 そして担任教師からの話が終わり──最後に一人の女子生徒が壇上へ上がった。

 メガネをかけたミディアムヘアの少女で、十分に可愛いと言える容姿をしているが、その表情は淡々として何を考えているのかよくわからない。

 俺も人のことを言えた義理ではないが、正直印象が薄い。

(……ええと、名前は確か……か、かざ……何だっけ?)

「今回の文化祭実行委員になったかざはらです。先日からお願いしている出し物の案の締め切りが来週までとなっているので、何か案がある人はさっさと私まで連絡してください。あと、毎年『女子のビキニ喫茶』とか『教室でキャンプファイヤー』とかのバカタレな案が必ず出てくるそうですけど、その手のやつは全部破り捨てますので」

 メガネ少女──風見原は特に感情をこめずに事務的に通達して、さっさと自分の席に戻っていく。その様は、なんだか物事にドライなOLを連想させる。

(しかし文化祭か……今ってそんな時期なんだな……)

 今思い出したのだが、ウチの高校は確かに文化祭の開催時期が春だった。正直前世では特に印象深いこともなかったので、さほど思い入れもない。

(ま、まだ先のことみたいだし、今はまず久しぶりの高校生活に慣れる方が大事だよな。授業とか必死に思い出さないといけないしなぁ)

〝今世〟とでも言うべき二周目の世界にやってきてまだ一日目の俺は、これから慣れていかないといけない多くの事で頭がいっぱいであり、そのイベントの告知を頭の隅に置いておくにとどめた。

 というか今日の授業に数学があるんだが……微分積分ってどう解くんだっけ……?


    *


「おい……新浜」

「え……? お前は……ひょっとしてぎん……か?」

 時は授業の合間の休み時間。

 俺に話しかけてきた男子生徒は、俺の高校時代唯一の友人やまひらぎんだった。

 俺と同様にオタクだが短髪でさっぱりした容姿であるため一見運動部のようにも見える。これは本人いわく、『オタクっぽいカッコしてたらすぐイジメられるだろ。これは俺なりの防衛策なんだよ』とのことだ。

 こいつとだけは、卒業後も何度か酒を飲んだことがある。

「は? 何だよひょっとしてって。まあそんなことより……お前どういうことなんだ!?」

「どういうことって……?」

「とぼけるな! 紫条院さんだよ紫条院さん! 何で今朝、お前と一緒に話しながら登校してたんだ!」

「何でもなにも……登校途中に通学路で会って、紫条院さんが図書室から借りた本をいっぱい抱えてたから代わりに持って教室まで来たんだよ」

「は……はあああああ!? ボソボソ声で可愛い女子には照れてまともに話せないのがお前だろ!? いつからそんな少女漫画のイケメンみたいなことができるようになったんだ!?」

 いやまあ、別に意識してやったわけじゃなくて社畜時代の習性だったんだが……確かに高校時代の俺からすれば信じられない行動だろう。

「というかお前……全体的にいつもと違わないか? 喋り方はえらいハキハキしてるし全身のオドオドオーラが消えてるし……ひょっとして異世界転生して長く苦しい旅の果てに昨日地球に帰ってきたとか?」

 惜しい、異世界転生じゃなくてタイムリープだ。

「ああ、大当たりだ銀次。実は昨日まで違う世界にいてな。酷い奴隷労働組織に捕まって人格否定級のせいを浴びながら早朝から深夜まで働かされて、周囲の仲間の精神がおかしくなっていく環境で十二年耐えてきたんだ」

「はは、そりゃひでーな! ダーク系異世界かよ!」

 残念ながらブラック系の現実だ。

 まだピュアなお前には笑い話だろうが、これは決してファンタジーじゃなくて今この時代にも存在する悪魔のしんえんなんだ銀次。

 ああけど……こうやってこいつと馬鹿話するのは久しぶりだ。

 俺は今あの頃に戻っているという実感が強くなる。

「まあ紫条院さんは優しくて天然だから俺らみたいな奴にも気さくだけど、あんまりハシャがないほうがいいぞ。運動部のエースやらイケメンリア充やらがあの子をねらってんだから、お前シメられちまうぞ」

 へぇ、リア充って言葉この時代にもう存在したのか。

「悲しいけど俺らみたいなオタク系は学校内の地位が最低だからな。ちょっと目立って『上』の奴らに目をつけられたら最悪イジメの標的になりかねないって」

(学校内の地位……いわゆるスクールカーストか。あったなあそんな概念も)

 今思えばたかだかガキの集団がマウントを取り合うなんて、なんともこつけいな不文律だったなあという感想を抱く。

 いやまあ……大人になってもどこの大学を出ただの年収いくらだので、マウントの取り合いが消えるわけじゃないんだが……。

「ま、気をつけるよ。忠告ありがとな銀次」

 とは言え……誰に目をつけられようが俺は二度目の青春を自重する気はない。

 他人からの攻撃に怯え続けて何もしなかった結果が灰色の青春時代であり、奴隷であることを辞められなかった社畜時代なのだ。

 俺は俺の願うままに動く。

 今度こそ後悔しないために。

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