第二章 教官シド(4)

 ────。


 ──その日は、月のない夜だった。

 そこは、王都キャルバニア南地区の、とある一角。

 人気のない閑散とした路地裏を、ランタンを手に、ふらふらと歩く男がいた。

「うぃ〜〜っ! ひっく……」

 男──イワン゠スタードは、この王都キャルバニアに存在する石工ギルドに所属する、腕の良い石工職人だ。

 頑固だが、親分肌で面倒見が良く、後進の育成にも熱心なイワンを慕う者は多い。今まで仕事一筋で生きてきたせいで結婚が遅れ、このとしになるまでずっと独り身だったが、この間、ついに若くて美人の妻をめとった。

 まさに順風満帆な人生。何もかもが満たされている幸せな毎日。

 だから、彼はすっかり忘れてしまっていた。人生一寸先に闇が広がっていることを。

「あ、ありゃ……?」

 千鳥足で歩いていたイワンが気付く。

 いつもなら、先の十字路を右に曲がれば、わいい妻が待つ家は、すぐそこだ。

 勝手知ったるいつもの道。めいていしてようが間違えようはずもない。

 なのに、今日のそこには、なぜか行き止まりが立ちはだかっていた。

「……な、なんだぁ? 俺、酔ってるのかぁ……?」

 いつの間にか、辺りに深い霧が立ちこめている。周囲の風景もおかしい。

 この辺りの路地裏は、こうも迷路のように複雑に入り組んでいただろうか?

 そして、イワンはさらに気付いた。その行き止まりの壁に何かが書いてある。

「な……なんだ、これ……?」

 イワンは、ランタンを壁に向ける。

 魔法陣だ。壁に三角形トーラの魔法陣が描かれ、古妖精語で何かの呪文が書き連ねてある。

 正面の壁だけじゃない。左右の壁にも、床にも、無数の魔法陣が何重にも折り重ねられるように描かれ、その一帯にまがまがしく異様な情景を演出してる。所々に空白の部分が存在し、それらの魔法陣はどうやらまだ、描きかけらしい。

 イワンにはそれが何を意味しているのかわからなかったが。

「ま、魔法……魔法ってやつかぁ? ひっく、ほら……王城の半人半妖精ニミュエの姉ちゃん達がよく使うアレだぁ……ひっく、なぁんでこんなところに……?」

 と、その時だった。

「……ようこそおいでくださいました、よいの迷える子羊さん」

 不意に、何の前触れもなくイワンの耳元で、薄ら寒い声がささやいた。

 背後から伸びて来た手がイワンの口をそっと押さえると同時に、ずぶり。イワンの背中に焼けるようなしゃくねつはじけた。

 剣だ。イワンの背中から剣が貫通し、血で染まった真っ赤な刀身が、イワンの胸部からその切っ先をのぞかせている。

 ぶしゃあ! と。胸から派手にぜた血華が、周囲の魔法陣をべったりらす。

「〜〜〜〜ッ!?」

 突然の事態に、何一つ理解が及ばぬまま。

 イワンは叫び声一つあげることもできず、その生涯をあっなく閉じるのであった。

「〝月のない夜に出歩くべからず〟。夜は一種の異界……人ならざる者達がうごめき、ばっするしんえんの世界。だから、いざなわれてしまうのです……私のような悪い魔女に、ね」

 くずおれたイワンの背後には、魔女が立っていた。

 漆黒のフード付きローブに全身をすっぽり包んだ魔女だ。

 魔女は事切れたイワンを、何の感慨もなくただただ冷たい目で見下ろしている。

「でも、ご安心を。あなたの命は決して無駄になりません。あなたはかてとなるのです。いにしえの偉大なる秘術の糧……そのにえとなるのです。貴方へ捧ぐはギーフツ・ユース子羊の肉ラムス

 魔女が古妖精語で何事かつぶやく。

 すると、魔女の足下に特濃の闇が沼のように広がっていき……そこから黒い影の手が無数に伸び、イワンの遺体をつかんで、ずぶずぶと沈めていく。

 そして、沼の中からバリボリと、何かをしゃくするようなおぞましき音が響き渡る。

 だが、魔女は、闇の沼の中へ引きずり込まれていく男には、もう何一つ興味を示さず、壁の魔法陣へと指を付けた。

 そして、未完成の魔法陣の続きをつらつらと描き始めていく。

「さて、後、もう少しでコレも完成しますわね。長く苦労した分、感慨と喜びも、ひとしおですわ……くすくすくす……」

 魔女は魔法陣を描いていく。薄ら寒い笑みを浮かべ、描いていく。

「さて、今宵の作業が終わりましたら、この次は……」

 そして──


 ────。


 キャルバニア城・下層階にある、キャルバニア王立妖精騎士学校。

 それは幾つかの学級クラスに分かれている。

 武力と名誉を尊ぶ、デュランデ学級クラス

 そうめいさを尊ぶ、オルトール学級クラス

 法と規律、徳を尊ぶ、アンサロー学級クラス

 伝統的に、騎士学校の生徒達はこの三学級クラスに分かれ、将来の騎士を目指し、寮に住み込みで共同生活を行いながら、日々鍛錬と勉強に明け暮れることになる。

 だが、今期より、第四の学級クラスが新設された。

 その名も、ブリーツェ学級クラス

 そこは、様々な理由で他学級クラスに入れず、あぶれてしまった者達の受け皿であり、他学級クラスの生徒達からは〝掃き学級クラス〟などとされる、劣等学級クラス

 城の中庭に面した離れの小城館にある、そんなブリーツェ学級クラスの教室にて。

「なぁ、アルヴィン。今日から、この学級クラスにも教官騎士がついてくれるんだよな!?」

「うん、そうだよ」

 従騎士スクワイアの正装に身を包んだ、六名の生徒の姿があった。

 午前の教練前のこの時間、生徒達は思い思いに会話に興じている。

「よっしゃあ! これでようやく俺達も本格的に騎士の修行ができるってもんだ!」

「ですわね……」

 ブラウンの短髪少年のはしゃぎぶりに、灰髪のツインテール少女が憂鬱そうに応じた。

「この騎士学校に入学して早半年……わたくし達って基本、自主訓練か、たまにイザベラ様が政務の合間を縫って見てくれるだけでしたからね……」

「だな。三大公爵家の圧力によって、この学級クラスの教官騎士を務めてくれるやつが、今まで一人も居なかったもんな」

「はぁ……仮にも一国の王子が在籍する学級クラスなのに……この国って闇が深いですわ」

「もういいじゃねえか! どっちみち、教官来てくれるんだからよ!」

 そんな風に、ブラウンの短髪少年とツインテール少女が話し合っていると。

「あっ、あの、その……でもっ! わ、私っ、あまり怖いかたは、ちょっと……ッ!」

 緩くウェーブのかかった亜麻色の髪の少女が、おびえたように言った。

「何を言ってるんだよ、リネット! 俺達は騎士になるんだろ!? 俺達を鍛えてくれるつえぇやつなら、誰だって大歓迎だ! な!? セオドール!?」

 ブラウンの短髪少年が、そう言って、教室の隅へ言葉を投げる。

「ふん、期待できないね」

 すると、その一角から皮肉げな声が上がった。

 一同の視線が集まるそこには、眼鏡の少年がほおづえをついて、明後日あさっての方を向いている。

「剣格は低い、ワケあり……こんな落ちこぼれが集まる〝掃き溜め学級クラス〟に来てくれる教官騎士なんて、まともなやつなわけないだろ」

「……ぐっ。……だ、だがよ……」

 それでも期待を捨てきれない……そんなブラウン髪の少年に。

「ええ、セオドールの言う通り、期待なんてまったくできませんよ」

 かべぎわで腕組みしているひとの少女テンコが、ふんと鼻を鳴らして言い捨てた。

「なにせその教官騎士の名は、シド゠ブリーツェ。あの《野蛮人》シドきょうですから」

「「「「は? シド?」」」」

 途端、教室中の生徒達が、ぽかんとする。

「ちょ、待て……《野蛮人》シド卿って……シド卿……じゃないよな?」

「あはは、そんなの当たり前ですよぉ……なにせ、千年前にくなった人ですし……」

「同姓同名の別人ではありませんこと?」

「やれやれ、あのシド卿の名を名乗るなんて、またなんて面の皮が厚いやつだ」

 それぞれが、それぞれなりに納得しようとしていると。

「残念ながら、その伝説の本人です。先日、千年ぶりにらしいので」

 テンコが、ぴしゃりと現実を突きつける。

「「「「…………」」」」

 すると、しばらくの間、教室内を沈黙が支配して。

「はぁあああああああああああああ!? 何じゃそりゃ!?」

「ちょ、アルヴィン!? そ、それは一体、どういうことですの!?」

 にわかに騒ぎ始めた生徒達の視線が、一斉にアルヴィンへと集まった。

「え、えーと……あはは……どこから話そうかな……?」

 と、アルヴィンが困ったように頰をいていると。

「その話……私も興味ありますわぁ……」

 教室の入り口付近から緩い声が聞こえ、そこに一同の視線が集まった。

 そこには、ごうしゃな金髪、血のような真紅の瞳、白い肌、息をむような美貌の少女がたたずんでいた。アルヴィン達と同じ従騎士スクワイアの正装に身を包んでいる。

 アルヴィン達が目をしばたたかせていると、少女は皆の前で、ふぁと小さく欠伸あくびをし、眠たげな目をこすりながら、気の抜けるような声で挨拶した。

「……ふぁ……〝皆さん、いつも通り、おはようございますぅ〜〟」

 すると、アルヴィンはあきれたように目を細め、ため息交じりに言った。

「遅刻だよ、フローラ。もうとっくに八時の鐘は鳴ってる」

「あらあら、そうなんですかぁ? ごめんなさい……私、朝に弱くてぇ……」

「き、騎士を目指す者が、一体、何をのんなことを言ってるんですかっ!? あなた、入学以来、ずっとそんな感じじゃありませんっ!?」

 テンコも、のほほんとしたフローラの態度に、両腰に手を当てて苦言を呈する。

「まぁまぁ、二人とも。そいつがそうなのはいつものことだろ?」

「ええ、はや、フローラには、何を言っても無駄かと思いますわ」

 他の生徒達も口々にそんなことを言い始める。

 だが、当のフローラはまったく意に介することなく、ニコニコとマイペースに生徒達の間にやって来て、ちょこんと空いている席につく。

 そして、どこか悪戯いたずらっぽくほほみながら、手を組んでアルヴィンに話の先を促した。

「……それで? そのうわさのシド卿についてなんですけどぉ……?」

「あ、うん。そうだね。先日、僕が暗黒騎士に襲われたのは、皆、もう知っていると思うけど、その時に色々とあってね……」

 やれやれと苦笑しながら。

 アルヴィンはゆっくりと、シドについて語り始めるのであった。

関連書籍

  • 古き掟の魔法騎士 1

    古き掟の魔法騎士 1

    羊太郎/遠坂あさぎ

    BookWalkerで購入する
  • 古き掟の魔法騎士 2

    古き掟の魔法騎士 2

    羊太郎/遠坂あさぎ

    BookWalkerで購入する
  • 古き掟の魔法騎士 3

    古き掟の魔法騎士 3

    羊太郎/遠坂あさぎ

    BookWalkerで購入する
Close