第二章 教官シド(5)

 ────。


「ま、マジで、あの《野蛮人》シド卿だってのかよ……ッ!?」

「こ、これは予想外にも程がありますわ……ッ!」

「あわわわ……ッ! こ、こわいよう……ッ!」

 アルヴィンの話が一通り終わると、生徒達が戦々恐々とし始めていた。

「《野蛮人》シド卿……通説では、騎士の風上にも置けぬ外道と言われてるな……」

 眼鏡の少年がやや表情を引きつらせながら、言った。

「ええ、彼の悪辣なる逸話や伝説は、枚挙にいとまがありませんわ」

 ツインテール少女も、やや青ざめながらうなずく。

「わ、私が聞いた話では……そ、その、シド卿……何の罪もない村の人達を、新しい剣の試し斬りのためだけに皆殺しにしちゃったとか……ッ!? ひえええ……ッ!」

 亜麻色髪の少女が、ぶるぶる怯えながら逸話を思い出す。

「そんなん、まだわいい方だぜ! 俺が聞いた話では、戦場で敵を百人斬りながら、下の剣で捕虜の女を百人斬りしたらしいぜ!」

 ブラウン髪の少年も、ごくりと唾を飲んで言う。

「性豪過ぎるだろ……伝説時代の騎士は化け物か」

 眼鏡の少年も、額に冷や汗を浮かべてうめいている。

「ちょ、ちょっと! みんな、失礼だよっ!」

 すると、アルヴィンが頰を膨らませて、抗議を始めた。

「シド卿はそんな人じゃないよ! 本当の彼は騎士の中の騎士なんだから!」

「まーた、始まりましたよ、アルヴィンの妄想が」

 テンコが呆れ果てたように、つぶやく。

「なんで、アルヴィンのシド卿像って、そんなに世間一般とずれているんですか?」

「そ、それは……」

 反論せず、押し黙ってしまうアルヴィン。

 そんなアルヴィンを深く問い詰めはせず、テンコはため息をきながら言った。

「まぁ、その話はとりあえず置いておいて……シド卿、遅くないですか? 八時の鐘から結構っていると思いますけど。……というか、もうすぐ九時の鐘です」

「そ、そういえば……」

 アルヴィンが小首をかしげる。

「うーん……道に迷っているのかな? この城の中、ちょっとした町みたいに広いから……やっぱり、一緒に来るべきだったかなぁ?」

「どうするんですか?」

 テンコの問いに、アルヴィンが少し考えて、言った。

「仕方ない、召喚しよう」

「召喚?」

 すると、アルヴィンは右手の甲に刻まれた剣の紋章を、皆に見せる。

「イザベラが言うには、今のシド卿は……立ち場的には、僕の使い魔みたいなものらしいんだ。だから、強く念じれば、魔法の力でび出すことができるらしい」

「べ、便利だな……喚んだら来るなんて」

「まるで、騎士にとっての妖精剣みたいな関係ですわね」

「剣が騎士に仕えるように、騎士が王に仕える……と。なるほど、言い得て妙だな」

 すると。

「……ふん」

 生徒達の話に、テンコが露骨に眉をひそめる。

 なぜか、どこまでも不機嫌なテンコに苦笑しつつ、アルヴィンは右手の甲を上にして前へと出し、静かに念じ始めた。

(聖王アルスルが系譜、アルヴィン゠ノル゠キャルバニアがここにこいねがう──)

 途端、ふわりと、辺りをマナの光が躍った。

 アルヴィンの手の甲に刻まれた紋章が、熱をもって光り始める。ふわふわと躍る光の粒子が床に降り注ぎ、三角形トーラの魔法陣を形成していく。

 そして、次第に、その場に高まっていく、マナの気配。

 一同の眼前で体現される、いにしえの奇跡。

「お、おぉ……?」

 その場の一同が、固唾を吞んで見守る中。

(|《閃光の騎士》《サー・シド・ザ・》シド卿ブリーツェ……我が呼びかけに応じよ。我が前にその姿を現すべし!)

 アルヴィンは、強く、強く、シドへと呼びかけた。

「──いざ、ここに!」

 その瞬間、床に形作られた魔法陣が、カッ! とまばゆい光を上げて。

 一同の視界を一瞬、真っ白にいて。

 そして──その光が収まると。

「3843! ……3844! ……3845! ……」

 そこには、シドの姿が出現していた。

「……3846! ……3847! ……」

 シドは、まるで丸太のような鉄の素振り棒で、一心不乱に素振りをしている。

 棒を構え、呼気を整え、気を練り、ゆっくり真っぐ頭上へ振り上げる。

 肩、肘、手首の順に、力を滑らかに流れるように伝導させ、一歩の踏み込み、先鋭なる発気と共に鋭く振り下ろし──残心。

 荒々しくも、どこか洗練された、素振り型を延々と繰り返している。

 シドの素振りは決して作業ではなく、その一振り一振りにすさまじい集中がみなぎっている。もうどれだけの時間、没頭していたのか、シドの全身には滝のような汗が伝っている。

 その一連の素振りの所作は、まるで舞踊のように美しく、いつまでも眺めていられる。

 だが、唯一にて最大の問題点は……

「……あの、すみません、シド卿……?」

 アルヴィンが申し訳なさそうに声をかけると。

「3975! ……、……ん? アルヴィン?」

 ようやく我に返ったシドが、素振りをめ、アルヴィン達を振り返った。

「ここは……? っと、しまったな。ひょっとして、もう授業時間だったか?」

 シドが額の汗を拭い、軽く呼気を整えながら、言った。

「ははは、悪いな。昔から、何か一つに集中すると周りが見えなくなる性質でね」

「いえ……それはいいんですが、それよりも……」

「何をやっていたかって? ああ、見てのとおり剣の素振りさ。なにせ、転生召喚の影響か、肉体が随分と貧弱になっててな……少しでも取り戻そうと思ってな」

「いえ……それもいいんですけど……なんで……?」

 アルヴィンが顔を真っ赤にしてうつむき、肩や拳をぷるぷる震わせて。

 やがて、もう我慢ならないとばかりに叫んでいた。

「なんで、裸なんですかっ!?」

「ん?」

 そう。アルヴィンの指摘通り……シドは一糸まとわぬ全裸であった。

 やせじしながら、一片の無駄なく鍛え抜かれ、まるで古代彫刻のように見事な逆三角形の肉体美が、惜しげもなく一同の前にさらされている。

「…………」

 シドはしばらくの間、自分の姿を見下ろして……

「……素振りするなら裸だろ? 常識じゃないのか?」

「一体、どこの世界の常識!?」

 アルヴィンは顔を真っ赤にして、即、ツッコミを入れるのであった。

 そして──

「こ、こここ、この変質者ぁああああああああ──ッ!」

 テンコが顔を真っ赤にし、目をぐるぐるとこんとんに渦巻かせながら、叫ぶ。

 そして、抜刀。床を蹴ってシドへ突進し、左手一本で刺突を繰り出す──

「あ、あ、アルヴィンから離れろぉおおおおおおおおおおお──ッ!」

「……おっと?」

 ──が。シドは、迫る切っ先をひょいと左手の指先でつまみ、流れるように右へたいさばいて、刺突の軌道を外す。

 同時に、右手でテンコの後ろ首を引っつかみながら足払いをかけ、テンコの身体からだをぐるんと巻き込むように床へ引き倒して──テンコへ馬乗りになる。

「きゃんっ!?」

 あおけに転がされて小さく悲鳴を上げたテンコの両手両足を、シドは己の両手両足で押さえ、テンコの動きを完全に封殺してしまう。

「しまった。つい、戦場組み手術レスリングを披露してしまった」

 シドは組み敷いたテンコを見下ろしながら言った。

「だが、テンコ。危ないだろ? いくらなんでも、いきなり斬りかかるのはよくない。相手が俺じゃなかったら、大を……」

 そして、実に常識的で、もっともな説教を始めようとするが。

「キャ──ッ!? 嫌ぁあああ──ッ!? た、たた、助けてぇえええええ──ッ!?」

 全裸の男に組み敷かれて身動きの取れないテンコは、それどころではない。涙目で半狂乱になって首をブンブン振りながら、バタバタ暴れるしかないのであった。

「あの……やめてあげてください……」

 そんな二人を前に、アルヴィンはため息を吐きながら、肩を落とすしかなく。

 生徒達は──

「あ、あれが、伝説のシドきょうですの……ッ!?」

「ゴクリ……この時代に召喚されて、さっそく女を押し倒すとは……え、英雄色を好むとはよく言ったもんだぜ……ッ!?」

「嫌ぁあああ〜っ! あの人、ただの変態の性犯罪者さんですよぉ!?」

「この分じゃ、〝戦場で敵を百人斬りながら、下の剣で女を百人斬りした〟という逸話も、案外、実話なのかもしれないな……」

 もう好き勝手言いたい放題であった。

 そして、そんな混沌の光景を前に。

「うふふふ……シド卿って、なんだか面白い人ですね〜」

「はぁ、フローラ……君は相変わらずマイペースだね……」

 動じずにこにこほほむフローラに、アルヴィンはあきれたようにそう返すのであった。


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試し読みは以上です。

続きは好評発売中『古き掟の魔法騎士Ⅰ』でお楽しみください!


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