逆行前のお話①

 小さいころのエマには、夢があった。

 その気持ちが芽生えたのは、兄たちと遊んだ後、一人で庭の遊具を片付けていたときのこと。

「エマ様、こんなところにいらしたのですね。おやつのホットケーキが冷めてしまいますよ」

「サニー! お兄さまたちが、片付けをのこしたままお部屋にもどってしまったの。家庭教師の先生がいらっしゃるじかんだからって」

「あら。それでエマ様は一人でお片付けなさっていたのですね。えらいですわ」

 目線を合わせて微笑ほほえむのは、シーグローブ男爵家でエマ付きのじよとして働くサニーだった。

 白い花が咲き、甘い香りがする木を見上げて、エマは言う。

「この白いお花、とてもきれいね。もう少ししたらちってしまうのがさみしいわ」

「ふふっ。このお花は、落ちた花びらを水差しに浮かべて水の魔法をかけると、美しい花束になりますよ」

「ほんとう!? サニー、さっそくお部屋にもどってやってみましょう!」

「ええ。そのまえに、手を洗って、えて、おやつにしましょうね」

「はぁい!」

 やわらかく頭をでてくれるサニーの手に、エマはつい頭を擦りつけたくなる。彼女はやさしくておさいほうかみいが上手なだけではなく、とにかく物知りだった。

(……!)

 エマがサニーに手を引かれて歩き始めた瞬間、殺気がおそった。

 ゆうしゆうなサニーはエマよりも早くそれを感じていたようだ。『こわい』と思ったときにはもう、エマを守るようにしてその相手にたいしていた。

 そこにいたのは、ふかふかのもの『マギツネ』。見た目は動物の『キツネ』によく似ているけれど、しようはキツネよりもずいぶんきようぼうなことで知られている。

 この街の入り口にも、シーグローブだんしやく家の周囲にも、魔物けの結界が張り巡らされているはずだ。なのに、いったいどこから迷い込んだのだろう。

 エマはとにかく怖くて、サニーの白いエプロンの結び目をぎゅっとにぎりしめる。それに気が付いたサニーは優しく言った。

「エマおじようさまだいじようですよ」

 後ろにぴったりとくっついたエマを自分の体にさらに引き寄せるようにして、サニーは微笑んだ。焦っている様子は全くない。そして、もう一度頭を優しく撫でてくれる。

 大丈夫なわけがない。でも大声を出して助けを呼ぼうにも、のどがカラカラで声が出ないのだ。

 そこからのことは、だんぺん的にしか覚えていない。

 でもサニーが人差し指を向けて何か唱えた瞬間、確かにマギツネからはフッと殺気が消え、きびすを返すとへいを乗りえて消えたのだった。

 後に残ったのは、庭に浮かぶ無数のシャボン玉。幼かったエマは、あの魔物はこのシャボン玉を追って消えたのだ、と理解した。


 その夜、ホットミルクを飲みながらエマはサニーに聞いた。

「サニーはあのマギツネがこわくなかったの?」

「はい。私はエマお嬢様の侍女ですから」

「どうして侍女ならこわくないの?」

「侍女の私が怖いのは、お嬢様が傷つくことだけです。それを思えば、大量のつくろい物もたくさんのお片付けも、魔物ですらも、なんにも怖くありませんよ」

 ふふっ、とみを浮かべたサニーの、いつもの柔らかなまなざしの中に光るりんとしたかがやき。彼女のおだやかな表情しか知らなかったエマは、急にサニーのかくれて胸がとてもどきどきしたのを覚えている。

(侍女って、なんてかっこいいの。私もこんなふうにお嬢様に仕えてみたい!)

 その日から、サニーは優しくてお裁縫や髪結いが上手でとにかく物知りで、そしてめちゃくちゃ強い、エマにとってあこがれの人となったのだ。

 当然、エマの夢はサニーのような侍女になること。エマが夢を口にするたび、両親と兄たちは優しく笑い、憧れの人は少しずかしそうにした。

 しかしそれから数年後。彼女は自分の夢がかなわないという現実に直面することになる。


   〇 〇 〇


 王宮の図書館に設置された会議室。十九歳になったエマは、自分が人生をかけてけ負った最後の役目をすいこうしていた。

「今日はさわがしいのね。何かあるの?」

「宗主国、アルスター王国からの訪問があるんだ。王子殿でんがいらしているみたいだよ」

 正装の文官たちがぞろぞろと中庭を通り、どこかへと移動していく。それを窓越しにながめて首をかしげたエマに、幼なじみけん役のイアンが答える。

「ふぅん。そうなの」

 イアンの答えになつとくしたエマは、資料のページをめくった。

「まだ資料が必要だわ。B策じつ後の人の流れを記したものを確認したいのだけれど」

「ああ、それはこちらに準備してあるよ」

「ありがとう」

 エマの要望を受けて、イアンは部屋のてんじよういっぱいまで備え付けられたほんだなの最上段に人差し指を向ける。彼が軽く指を鳴らすと、二人がついているじように資料がふわりと飛んできた。

 ここ、ローウィル王国が属するのは魔法が人々の生活を支える世界。

 だれもが生活魔法を使え、それに加え個人の資質に応じて『土』『火』『水』『風』の四大属性魔法があたえられている。

 たとえば、エマの向かいに座るイアンは『水』と『風』の二属性持ちだ。しつこくの髪に、うすい緑色のひとみ。初めて彼の属性を知ったとき、エマは身長が高くスッとしたたたずまいにただよすずしげなふんとぴったり合っている、と思ったものだ。

「……何?」

 次にエマが顔を上げたのは、イアンからの視線を感じたからだった。

「ひさしぶ……いや、えーと、あいかわらずキレイだなと思って」

「……イアン? 何を言っているの」

 エマは、一瞬彼が言いかけてめた『ひさしぶり』を不思議に思いながら、代わりに告げられた言葉にだつりよくする。

 エマの外見は背中までのいキャラメルブラウンの髪に、こんぺきの瞳が印象的だ。くっきりとしたとうめいかんあふれるその顔立ちは、若い頃『けいこくの美女』と呼ばれた祖母似らしい。遺伝なのかエマにも同じような反応をする人が後を絶たない。

 しかし、子どもの頃からいつしよに過ごしてきたイアンがエマの外見をめることなどめったにない。何かをかくすためとしか思えなくて、エマはけんしわを刻んだ。

「ねえ。何かたくらんでない?」

「……ほら。僕のことは気にしないで早く覚えちゃって。時間がないんじゃない?」

 ごまかすようなイアンのいにエマは不満を感じたけれど、確かに今はそんなひまはない。『ときわたり』という大切な任務のちゆうなのだから。

 エマの属性は、四大属性のどれにもあてはまらない『時』である。

 平民にも貴族にも職業せんたくの自由があるローウィル王国だけれど、時属性の者には特別な任務が与えられる。それは『未来を見てくること』だ。

『時』をあやつれる者はめったに出現しない。幼い頃にいだいた『サニーのようにすてきでかっこいい侍女になりたい』という夢は、エマが時属性持ちだということが判明したしゆんかんつゆと消えてしまった。

 今日も、エマは三か月前から『時渡り』の力でここにやってきた。

『時渡り』ができるのは、能力を持った本人だけ。エマは三か月前の時点から意識だけを飛ばし、記録に従って待ち構えているイアンと落ち合っている。

「……うん、できた。これで終わりね。イアンも知っていると思うけど、私はこの任務が最後の『時渡り』なの。これまで私のことを助けてくれてありがとう。これからは友人としてよろしくね」

「……うん……エマ、僕は……」

 イアンが言葉にまる。さっきまで気安く話していたはずなのに、彼はいつの間にかしんけんな表情をかべていた。

 エマとイアンの付き合いの長さはだてではない。彼は何か重要なことを話そうとしている、そう察したエマは、気が付かないふりをして右手のこうを出し、唱えた。

『印を』

 浮かび上がったのは、90という数。エマがやってきた場所にもどるのにぴったりの数字だった。

『時渡り』のルールの一つ、『必要以上に未来を知らないこと』。イアンは、きっと感傷的になっているだけにちがいない。

 なぜなら、今日でエマは時属性を失うのだから。

かん

 そう唱えて目を閉じると、目の前が真っ暗になる。まぶたの裏に見える赤い数字が、90、89、88……とものすごい速さで減っていく。

「エマ。聞いて……!」

 いつも冷静でやさしいイアンが、かつてこんなに声をあららげたことはあっただろうか。でも、ちつじよを守るためにこの先の会話をわすことはごはつだ。

 きっと、体を明け渡した後の自分が謝罪までしてくれるだろう。そう思いながら、みなまで聞かないうちにエマの意識はフッと落ちた。

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