第三章 決闘の行方 その2

   〇


「来たね」


 ヨハンが、こちらへ近づいてくるマルドゥークに言う。

「……はあ、気が変わっておられればよいと期待していたのですが……。こんな時間に起きておられるのも、本来はよろしくないでしょう」

「へへ、楽しみで寝付こうにも寝付けなかったよ」

 星空の下、木々の葉の隙間から差す月光が二人の姿を微かに照らしている。ヨハンは不確かな足元を確認するように、地面をぐりぐりと踏みしめた。

「じゃあさっさと初めて、さっさと終わらそう。誰かに見られたら僕も困るし」

「そういたしましょう。言っておきますが、一回限りです。どれだけお願いされても、アンコールはございませんよ」

「そこまで聞き分けが悪くはないよ。本気を出してさえくれれば、だけど」

「約束ですよ?」

「うん」

 俺は勝手口の鍵を開け、裏庭への通路を通って、二人から少し離れた岩の後ろに隠れていた。

 二人の会話は小声なせいもあって、微かに聞き取れる程度。姿も夜の闇と木陰に紛れて判然としない。魔法を観察しようというにはコンディションが最悪だが、バレると双方に不利益がありそうなので致し方ない。

「ルールはノックアウト制。もしくはどちらかが負けを認めるまでです。音を出してはまずいので剣の使用は今回に限り禁止、そのほか庭の木々を過度に傷つける行為なども禁止です。もし違反した場合、問答無用で反則負けとさせていただきます」

 マルドゥークが腰に差していた剣を樹に立てかける。ヨハンもそれに倣った。

「剣の使用なしはいいけど……、このルールって、マルドゥークが早く終わらせたいからわざと反則負けするなんてことにならない?」

「そんな結末で納得いただけるのであれば、私はわざわざこんな場を設けたりはしませんよ」

「それもそうか」

「では開始の合図は、月が雲から顔を出した瞬間といたしましょう」

「わかった」

 夜の裏庭を足元から冷やすような風が吹き抜けた。

 頭上を見上げれば、ちょうど大きな雲に月が飲み込まれたところだ。辺りは真っ暗闇に包まれている。

「………………」

 ごくり、と俺の唾をのむ音すら聞こえてしまうのではないかと心配になるほどの静寂。他には葉が微かに擦れる音が聞こえるのみだ。

 背後を振り返れば、灯りの一つもついていない黒い大きな屋敷の影が見える。ここから見て二階の一番右側が俺の部屋のはずだが、ここから見ると全く分からない。

 もう一度強い風が足元を吹き抜けた。それに応じて頭上の雲の動きも早まり、隠れた月が雲の端まであとわずかという所までくる。

「――――」

「――――」

 更に少しの静寂の後、裏庭にかすかな光が差した――、と俺が思ったのと二人が足元を蹴ったのはほぼ同時だった。

 影の大きさが違うので一応見分けはつく。まず先制を仕掛けたのはヨハンだ。

 ヨハンは前方に跳びながら、右手に魔力を注ぐ。すると生じる一瞬の魔力の光――これは昼間見るよりも分かりやすい――、だがそれは一瞬のうちに水の球に姿を変え、マルドゥークの頭めがけて射出される。しかも一つではない、放たれた魔法は計三つだ。

 ヨハンが前方に飛びだしたのに対して、マルドゥークは試合開始の瞬間後ろに跳ねていた。ヨハンが先手を取ろうとしていたことを理解しての動きだろう、豪速で飛んでくる水魔法を最小限の動きでよける。

 水魔法は後ろの木や地面に当たり水しぶきとなって消えた。

 マルドゥークがそれを横目に見やる。と思った瞬間、既にヨハンは追撃を始めている。ヨハンが今度跳んだのは上方向だった。

 十二歳の少年が自力で跳べるはずのない高さ、地上二メートルほどの高さにヨハンは跳ね上がり、回転蹴りの要領でマルドゥークの頭にかかとを振る。

 しかしそこも読まれていたのか、マルドゥークは瞬時に屈み、蹴りを躱した。

「――――!」

 外すと思っていなかったのだろう、ヨハンは驚きの声を漏らしかける。

 だが追撃の態勢を整えようにも、今の自分がいるのは空中だ。高く跳んだ分、着地にも時間がかかった。

 一撃目、二撃目を避けに徹したマルドゥークだったが、その隙は見逃さない。屈んだ体勢から掌底を突くように無防備なヨハンの腹部に右手を伸ばした。

「失礼」

 瞬間、壁に思いっきりぶつかったような鈍く低い音が響き、ヨハンの体が真後ろへ吹き飛んだ。

「がっは……!」

 目測五メートルは飛んだのではなかろうか。裏庭の樹木に背中をぶつけたヨハンはうめき声を漏らす。衝撃で頭上の木の葉がいくつか降り注いだ。

 俺はあわや骨折ではないかというような一撃を見て思わず立ち上がりかけた。留まったのは、攻撃をした側のマルドゥークが驚いたように声を上げたからだ。

「お見事です、ヨハン様……!」

「…………どうも」

 ヨハンが首をひねりながら、立ち上がってそれに応える。それを見る限り、見た目ほどのダメージは負っていないらしかった。

「咄嗟に背中に水魔法を展開して衝撃を和らげるとは、すさまじい反応速度でございます。二手目の風魔法を起点とする跳躍も見事でございました」

「試合中だよ、感想なら後で聞くから」

「左様ですか」

 短い会話を交わしたのち、二人は改めて戦闘態勢を取る。

 俺はヨハンが無事そうであることに安堵しながら、先ほどのマルドゥークの発言内容を反芻した。

 ヨハンが無事だったのは背中に水魔法を展開したから。俺の角度からは見えなかったが、ヨハンは樹にぶつかる瞬間、水魔法をクッション代わりにしたらしい。跳躍したのも同様、足元に風魔法を発現させて跳躍力を上げていたからのようだ。

 以前本人から聞いた話では――、手のひら以外から魔法を出すことはできなくはない、ただ難しいということだった。

 ヨハンが一体どこから魔法を発動させたのかが分からなかったのでは何とも言えない。魔法を発動する際の光さえも一瞬で見えなかった。手のひらから発動させた魔法を足の裏に使ったのか、それとも足の裏から魔法を発動したのか。

 後でぜひとも真偽を聞いてみたいが、怒られそうで気が引ける。ともかく俺が読んだ本よりも、実戦的かつ高度な技法を目の当たりにしたのは間違いなさそうだった。

 それだけで、見に来た甲斐があると言うものだ。

「参ります」

 衝撃を和らげたとはいえ、やや体が重そうなヨハンに、マルドゥークが飛びかかる。

 ヨハンは水魔法を放って動きをけん制するが、難なくそれを回避するマルドゥーク。彼は、あともう二歩で届くという所で右手を下から上にアッパーをかました。

 当然拳は届かない。しかし彼の右拳が光を帯び、また鈍く低い音が響いた。

 同時に、ヨハンが顎を下から撃ち抜かれたように宙に浮く。それに数瞬遅れるように、頭上の木々がざわざわと揺れた。

 俺はそこでようやく気が付いた。

 ――――なるほど、マルドゥークも風魔法使いなのか。

 俺もまだヨハンから数回見せてもらっただけの手つかずの分野だが、風魔法とは手元から風を巻き起こす魔法のはず。

 現時点では温度差を利用したものではないかという仮説を立てているのみだが、彼の攻撃を見るとその程度で説明できるものではない気がする。今のは風と言うよりも、空気の塊で殴ったような音だった。

 顎への容赦のない一撃。素人目にも、脳への影響が心配になるような攻撃だ。あそこに立っているのが俺なら、一度思い出した前世の記憶がまた吹っ飛んでいただろう。

「――――?」

 そこでマルドゥークが目の前の光景を疑う。

 攻撃を見舞ったはずのヨハンの姿がないのだ。目の前にあるのは先ほどヨハンが叩きつけられた樹の幹だけ。マルドゥークは一体いつ見失ったのかと、暗い裏庭を見回した。

次の瞬間、ゴッ――! という先ほどよりも重く鈍い音が響く。

 同時に姿を消していたはずのヨハンが地面に降り立つのが見えた。そこで俺は、先ほど下から殴りあげられたヨハンが、樹の枝の上に登っていたのだと気付いた。枝から飛び降りる際の勢いも乗せて、風魔法をお見舞いし返したのだ。

 頭頂部を殴りつけられた形のマルドゥークが思わず体勢を崩す。

「――ッ」

「やーっと当たった!」

 ヨハンは自身の顎を押さえながら、痛快そうにそう叫んだ。

「…………まったく、本当にお見事ですよ……!」

 表情は見えなかったが、マルドゥークは恐らく笑ってそう呟いた。

 二人の試合が始まってから実時間としては五分程が経過していた。

 ヨハンはその小さな体と俊敏さを持って裏庭を駆けまわり、マルドゥークに多彩な攻撃を試みる。しかし実際に有効打と呼べるのは結局、先の不意打ち一発だけ。マルドゥークはほとんどの攻撃をいなし、かわりに重いカウンターを返す。ヨハンもそのカウンターを何とか水魔法で緩和しようと試みているが、状況はジリ貧、ダメージは確実に着実に蓄積されているようだった。

 痛みをこらえ息を切らすヨハンに対し、マルドゥークは息一つ切らしていない。

「…………はあ、はあ、昼間はよっぽど手を抜いていたんだね……。勝てる気がしないや」

「恐れ入ります。これでも王都で騎士団長として務めておりましたので、さすがにまだまだ、ヨハン様に後れを取るわけにはいきません」

「――王都で騎士団長? 初耳だよ、それがどうして辺境の侯爵お仕えになってるの?」

「お話は試合の後、とおっしゃったのはヨハン様では?」

「実力差はもう痛い程分かったよ。本気が見たいなんて言った僕が浅はかだった」

「浅はかなどと。ヨハン様、これはお世辞でもおべっかでもございません。私は正直最初の一撃で、ヨハン様は負けを認めるだろうと思っておりました。ここまで長引いて、しかも決定打に至らないことに、心底驚いているのです」

「……ありがと。でも魔力の残り具合からしても、多分次が最後だ」

「左様でございますか。では、先ほどの質問には、今のうちにお答えさせていただいた方がよろしいでしょうか……」

 マルドゥークは小さく頷き、髪をかき上げるようにしてから言った。

「部下を殺したのですよ。それも大勢の。要は左遷でございますね。傭兵にでも身を転じようかと思っていたところを、グラスターク家に拾っていただきました」

「――――こ、殺した?」

 予期せぬ返答に、ヨハンが声を震わせる。

「ええ、私自身の手で」

「な、何か事情があったんでしょ? そういうことでしょ? 事故だったとか……、マ、マルドゥークがそんなことする訳ないもんね!?」

「おやおや、ヨハン様……」

 暗闇の中に、マルドゥークの低い声が響く。声のトーンが先ほどまでとがらりと変わっていた。

「多少本気を引き出したからと言って、私の事をお分かりになったつもりですか? そこまで親しくなった覚えはございませんよ」

「そんな…………」

 遠目に見てもヨハンが動揺しているのが分かる。対するマルドゥークはゆらゆらとした歩調で、ヨハンに一歩近づいた。

「ヨハン様、質問にはお答えしました。試合を終わらせましょう」

「――――」

「参ります」

 マルドゥークが前方に手を伸ばす。手のひらが短く発光したかと思うと、空気の塊が複数射出される音がする。その弾は見えないが、ヨハンの胸部、肩、膝を捉えて後ろに吹き飛ばした。

 ヨハンは空中で体勢を立て直すが、勢いは殺しきれず大きくよろめく。風の弾丸を避けるために、素早く樹の幹へと身を隠した。

「マルドゥーク!」

 樹の陰からヨハンが叫ぶ。

「…………なんでしょうか」

 マルドゥークは前方に手を伸ばしたまま答える。

「もし、僕が勝ったら……! さっきの話をもっと詳しく教えてくれる!?」

「…………」

 暗闇の中で、マルドゥークが驚きの表情を浮かべたのが分かった。思わず伸ばしていた手を口元へと当て、笑いをこらえているようにも見える。

「勝ったら、ですか。ふふ……、ええ、いいですとも。ただし負けたらなしでございますよ」

「分かった!」

 ヨハンがそう叫んだあと、再び辺りは静寂に包まれる。

 何か反撃の機を見計らっているのだろうか。そう思っていると、樹の上からがさがさと何かが移動する音がする。それは樹から樹へ、素早く移り渡っているらしかった。

「先ほどの不意打ちはお見事でしたが、同じ手が何度も通用するとお思いですか?」

 マルドゥークが頭上を見上げながら、ゆっくりとした足取りで進む。彼の右手が白く発光している。攻撃に備えて、いつでも反撃できる用意を整えているのだ。

 ――ガサッ。

 音がして、彼は即座に首を振った。

 しかし見つめた先には何もない。それでも確かに音はしたはずだった。 

 ガサ、ガサガサ、ガサガサガサガサッ。

 今度はそこかしこから同じような音が聞こえる。何かがマルドゥークの足元で弾け、土へと還って行った。頭上から無数の水の小さな球が降ってきているのだ。

 マルドゥークはにやりと笑った。

「小癪な……」

 裏庭の木立から、大きな雹でも降っているかのような音がし始める。時々樹の枝が揺れるのも、ヨハンがいるからか、水の球のせいか分からない。

 それでもマルドゥークは集中力を維持したまま、ゆっくりと歩を進めていった。

「――――本気で、これが最後だよ」

 葉が揺れる音の中から、ヨハンの声がする。

 マルドゥークは声がする前に、気配に振り返っていた。

 ヨハンは両手をめいっぱい広げ、両手のひらの上に特大の水の球を二つ用意していた。暗いのでよく分からないが、どうやら相当な高速で回転しているらしく、回転で風を切るような音が俺のところにまで届いていた。

 ヨハンは、マルドゥークが動く前に両手から特大の水の球を放つ。それぞれは頭と胸を狙い、聞いたことのないような音を立てながら高速でマルドゥークに迫る。

 ボッ!

 何かが爆ぜるような音がした。

 俺には何が起こったのか分からない。だが、どうやらマルドゥークの体に着弾したのではないらしかった。

 マルドゥークは右手と左手を固く握って顔の前に構えた体勢で、その場から動かない。水の球はどこに行ったのかと、俺が眉根を寄せた瞬間――、

 ドゴ、ドゴゴオッ!!!

 俺の背後――、屋敷の方向からすさまじい音がした。俺は訳も分からず音のした方向を見る。


「…………………………え」


 俺の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。

 脳が思考を停止してしまい、俺は口をあんぐりと開けるほかない。

「お、俺の部屋が…………」

 何故なら、さっきまで自分が寝ていた部屋の壁に、ダイナマイトでも使ったかのような大きな穴が開いていたのだから。

 ――ドサ

 今度は木立の方から音がする。

「――――あ」

 そうだ、ヨハンは。

 俺が我に返って二人の方向を見れば、そこには暗闇に立つ一つの影と、力なく横たわる一つの影があった。

 横たわっているのはヨハン。

 そしてそれに右手を伸ばして、虚し気に見下ろしているのがマルドゥークだった。

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