第三章 決闘の行方 その1

 セイリュウとの邂逅を果たして屋敷に帰る道すがら、俺は先の会話を脳内で反芻していた。

 まさかこんなことになるとは思いもよらなかったが、精霊に出会い、知り合いになったなどというのは、もしかしなくても奇跡レベルの幸運だったのではと思う。

 改めてヨハンがいなくてよかったとも思う。セイリュウの言い振りからすれば、奴の姿が見えるのは俺だけのようだ。その理由については考察の余地があるとは思うが、ヨハンの目の前で見えない相手と喋りなどしたら、頭を打っておかしくなった兄の印象が救えないレベルになるところだった。

 とにもかくにも、次にまた祠へ赴いたときにはもう少し進んだ話もできるだろう。持ってくるように頼まれた用途不明のお使いもあることだ。

 あとは、あの水晶の謎。重力と魔力との関係性についても、検証しなおしたいところ――――、

「ん?」

 ちょうど屋敷の前門に差し掛かるところで、中庭の方角から人の歓声が聞こえてきた。

 どうせまたヨハンだろう、いつものことだと自室に戻りかけた俺は、そう言えばフィオレット嬢が来ていたはずではないかと思い出した。昼食はもう摂り終わった頃のはずだ。では中庭で一体何の催しが行われているのだろうか。

 俺は珍しく興味を抱いた。

「一本! 勝者、ヨハン様! これにて二勝一分けと相成りまして、ヨハン様の勝利でございます!」

 中庭を覗いた途端、高らかにそう宣言する声が聞こえる。

 見れば中央の開けた広場に立つ二つの人影、そしてそれを囲むように喝采を送る十数の影があった。

 中央に立つ一人は我が弟ヨハンだ。ヨハンはやや息を切らしながら目の前に立つ長身の男を見つめている。白みがかった金髪に切れ長の目、腰には遠目に見ても値打ち物と分かる剣を携えている。見た顔だ。名前は忘れてしまったが、フィオレットお付きの優秀と噂の騎士である。二人の間に審判らしい男が立っている所を見ると、行われていたのは恐らく模擬戦だろう。

 俺は広場の向こう側で、両親とフィオレットが手を叩いて観戦しているのを見て、なるべく視界に入らないように中庭に歩を進める。

 木陰に入ると、ちょうど試合を終えたばかりの二人の会話が聞こえてきた。

「お見事でございます、ヨハン様。お噂に違わぬお力、わたくしマルドゥーク感服いたしました」

「感服……? 見え透いたおべっかって、僕あんまり好きじゃないんだけど」

「何をおっしゃいます。現にヨハン様は勝ち越されたではありませんか」

 ヨハンはその言葉を聞いて、フンと鼻を鳴らす。

「手を抜いた相手に勝ち越しても嬉しくないよ」

「――おや、お気付きでございましたか」

 マルドゥークと名乗った男は少なからず驚いた表情をヨハンへ向けた。しかしそれは余計にヨハンの負けず嫌いを刺激したようだった。

「馬鹿にしてるの? まあどうせ、気持ちよく勝たせるようにって言われてるんだろうけどさ」

 二人の会話は大きな声ではなく、ギリギリ俺にだけ聞こえるくらいの音量だ。父母やフィオレットからは二人が試合後の感想戦でも行っているように見えるだろう。

「見抜かれないよう気をつけていたつもりですが、なかなか勘のお鋭い。しかし感心したということに嘘偽りはございませんよ。私と貴方の実力差は、年齢による差のみでしょう。あと数年もすれば、このマルドゥークは足元にも及ばぬようになりましょう」

「そんな慰めもいらないんだって……。ねえ、接待はもういいからさ、次は本気でやろうよ」

「……それはいけません。万が一怪我をされたらどうするのです」

「ならそれが本来の試合結果ってことだよ。誓う、僕が怪我をしても大負けしても、マルドゥークの責任にはならないようにするから」

 ヨハンが食い下がるのを見て、マルドゥークは困ったように笑った。

「負けず嫌いな所は、他の貴族の方々と同じですが、しかしその負けず嫌いさはあくまでストイックさからでしょうか。全く、騎士団にスカウトしたいくらいですよ」

「…………そんなのいらないよ。ねえ、じゃあこの場でなくてもいい、別の機会でもいいからさ」

 俺は木陰に隠れてヨハンの横顔を見ていた。

 元々ヨハンは負けず嫌いである。いや、正しくは手を抜くことを許さない性格と言うべきだろうか。ボードゲームや鬼ごっこだろうと、ヨハンは全力でやるように求めるし、ヨハンも全力を出す。まあ、どちらかと言うと俺の方が手を抜いてもらうべき側だったので、ああいったヨハンの顔を見るのは珍しいように思う。

「私が手を抜こうと抜くまいと、貴方が既に実力者と呼ぶにふさわしいことは明らかです。それで満足はしていただけませんか」

「嫌だ」

「ヨハン様……、私の立場もお考え下さい。あなたに万が一のことがあっては、私がドーソン様やフィオレット様に叱られるのです」

「だからそれはないって。僕が我儘を言っているんだから」

「さて、困りましたね……」

 マルドゥークは頭を掻き、何とも対処に困ったという表情でため息をついた。そしてわずかに辺りを見回すようにしてから言う。

「――では、このようにしてはいかがでしょう。今夜、他の皆様が寝静まった後に裏庭で手合わせをするというのは」

「裏庭で? ここじゃなくて?」

「ここでは夜とは言えど目立ちましょう。裏庭は生垣もあり人目を避けられます。まあ多少手狭なので気を付ける必要はありますが、そこでなら全力をお出しするとお約束いたします」

「言ったね。分かった、それでいいよ。誰にも、フィオレットにも言っちゃ駄目だから。あ、あとロニー兄様には絶対」

「ええ、心得ております」

 いや、聞いちゃったな……。

 俺は顔をしかめた。まあ俺が関わるような話ではないし、ヨハンが俺に見せたくないというのも分かる。もしかしたら夜に部屋から覗くかもしれないが、ヨハンの向上心を尊重するためにもそ知らぬ顔をしておこう。

 二人の所へ、ドーソンやフィオレットが声をかけにきたのを見て、俺はそそくさと中庭を退散したのだった。


   〇


「自室で?」

 俺は思わず聞き返した。

「ええ、ロニー様のお食事はカーラに運ばせますので、本日の夕食は自室で摂っていただくようにと――、ドーソン様が」

「ああ、なるほどね」

 俺はそこまで言われて理解する。ジェイルは頷く俺を、敷居の向こう側から無感情な瞳で見下ろしていた。

「これはヨハン様、ひいてはナラザリオ家にとって重要な場でございますので、なにとぞご理解を」

「ああ、理解してるよ。俺もヨハンの邪魔にはなりたくない。大人しく部屋にこもっているとするさ」

「ありがとうございます。では」

 ジェイルはそう言って、機械人形のように去っていった。

 せっかく着替えたのにな、と思いながら俺はベッドに腰かける。ため息が一つ漏れた。

 まあ言いたいことは分かる。せっかくの会食の場に、出来が悪くろくに会話に参加しない男がいれば、楽しい雰囲気も半減だろう。俺だって変な気遣いを受けながら食事を摂るのはごめんだ。

 だけれどそう言ってすぐに割り切れるのは【山田陽一】の方だけだ。

【ロニー・F・ナラザリオ】はどうしても思ってしまう。

 僕がもう少し優秀ならばと。ヨハンまでとはいかなくても、人並みの才能があれば、せめて引け目なく家族と食事くらいはできたのではないかと。そうだった未来を思い描いてしまうのだ。

 俺はベッドに横になった。すると思いのほか疲れていたことを実感する。右手の甲を額に当て目をつむれば、遠くの方から眠気が手招きをしているのが見えた。

 朝起きて、ヨハンへ協力を仰ぎながら魔法書とにらめっこをし、玄関でフィオレット嬢と遭遇し、祠へ行って精霊と会った。そりゃあ疲れもする。というかなんだ三つ目のイベントは。フィオレット嬢の来訪と同列で並べるな、馬鹿か。なんで午前中まで物理法則云々に頭を悩ませていた男が、幻想上の存在と知り合いになり、あまつさえ次も会う約束を取り付けているのか。こんなものを日記に書いて宿題として提出したら、日記帳を投げつけられるわ。

 ごろん――、と俺は寝がえりを打つ。

 精霊は言った。

 今のこの世界はまだ、魔法のうわべの部分しか見ていないと。だからもどかしいのだと。つまり、今の魔法文化にはまだまだ発見されていない未知の部分があるという事だ。

 それが本当だとすれば、俺にとっては喜ばしい事実と言える。研究の余地が残された題材ほど、科学者にとって魅力的なものは無い。精霊によってそれが裏付けられたというのは皮肉だが、差し当たっては重力と魔力の関係性、水の発生源、もし水魔法が解明できても、その先には他属性の魔法の原理――。

 まだまだ先は長い。

 ロニーの一生を使っても、解明はしきれないかもしれない……。だが、そのくらいでなくてはやりがいはない。科学とは……、地道な積み重ねだ。

 くれぐれも焦りは禁物である……。


   〇


 遠くで人が話すような、微かな音で俺は目を覚ました。

 瞼を開ければ部屋は真っ暗。窓からは星空が見えている。

「……あのまま眠ってしまったのか……。んん、首いて」

 俺は覚醒しきらない頭で、のそのそとベッドから立ち上がった。部屋の灯りをつける。すると、机の上に夕食が置いてあることに気付いた。

「カーラか。せっかく持ってきてもらったのに申し訳ない」

 俺はトレイに載せられている少し乾いたパンを口に放り込み、水で流し込んだ。

 他の部屋の灯りが消えているところを見るとおそらく時間は夜中の二時か三時。草木も眠る丑三つ時である。眠りについたのが夕食時だったことを考えれば、たっぷり五時間程は眠ったらしい。以前の世界であれば夜中に起きてダラダラとテレビでも眺めるという方法があったが、この世界では夜中に起きても手持無沙汰なだけだ。

 そこで俺は、自分が目覚めたきっかけを思い出した。どこかで誰かの話し声が聞こえた気がしたから、俺は目を覚ましたのではなかったか。

 廊下を覗く。だが、通路は真っ暗で誰かが起きている気配はない。俺は部屋に戻り、今度は裏庭へ面する窓を開いてみる。

「――――」

「――――」

 話し声はどうやら外から聞こえているようだ。しかし、背の高い草木に阻まれて誰の姿も見えない。

 ちなみに俺の部屋は他の家族の部屋から少し離れた二階の端にある。裏庭に面している部屋は少なく、使用人部屋を除けば俺の部屋だけだ。

「こんな時間に誰が話して…………、そうか。あの二人か」

 そこでようやく、ヨハンとマルドゥークが夜中の裏庭で手合わせの約束をしていたことを思い出す。

「正直気になるが、俺が見ていると知ったらヨハンは嫌がるだろうな。しかし……」

 優秀な騎士と、神童と評されている二人の魔法のぶつかり合い。魔法書には書いていない生の魔法。これを逃せば、そうそう目にする機会もないだろう。

 見たい。ぜひとも見てみたい。

 俺はもう一度寝付くにはまだかかりそうだと判断し、二人の秘密の決闘を覗きに行くことに決めたのだった。

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