第二章 魔法物理学 その4
「僕、……いや、俺は、どうして魔法が使えない」
「――――何故、魔法が使えないか?」
「そうだ。俺は生まれた瞬間から今まで、魔法のまの字も使えた例が無い。医者が言うには体に魔力は流れているそうだ。だから俺だって一生懸命練習した。努力不足って訳じゃないはずだ、何せ他のみんなは赤ん坊の頃から一端を垣間見せてるんだから。だから、そういう体質なんだって折り合いを付けていたんだ。今までは……」
俺の問いに、蛇型浮遊生物は裂けた口でにやりと笑った。
「魔法の生みの親、魔法を人間に与えたと言われる精霊なら、理由が分かるはずだって訳かい」
「そうだ。納得のいく理由があるなら教えて欲しい」
「なるほどなるほど。つまりキミはそんな自分でも魔法を使えないかと考え、別角度から魔法を調べているわけだね?」
「いや、それはまた別の話だ。俺のこの研究は、言ってみれば興味本位だな」
「あえ? なんだいそりゃあ? 言ってることが一貫してなくない??」
「…………そう、かもしれないな。つまりこの質問は、俺と言うよりロニーのための質問なんだ」
「いや、ロニーはキミじゃないのかよ」
俺の話の支離滅裂さに、蛇は首をかしげる。
だが俺がこうなった経緯を一から十まで説明するつもりはない。
「詮索はいい。質問に答えられるのか? 答えられないのか?」
「………………」
蛇は無言で数度頷いた後、空中を縦横にくるくる回る。口元を結び、何かを考えている風だ。そう思って見ていると、蛇は俺の腹部に顔を近づけ「じゃ、おじゃましますよ~」と言ってそのまま臍に食いついた。
「!?」
俺は驚いて、その場でのけぞる。だが、食いついたかに見えた蛇は俺の体内に姿を消していた。……少なくとも、俺の目にはそう見えた。慌てて腹を手でまさぐるが、傷も痛みもない。もしかして見間違いだったのかと思い、辺りを見回してもやはり姿はない。
「な、なんだ? おい、どこに消えた――?」
痛みはなくても、気味が悪い。内臓がもぞもぞとかゆい気がする。必死で自分の腹に向けて話しかけるが、しかし返答は返ってこない。
俺はしばらく狭い洞窟内でクルクル回っている変人と化した。
三分程経って、ようやく蛇が感触なく俺の腹から姿を現す。俺は出てきた箇所を思わず掻きむしった。
「……うるさいなあ、まったく。集中できなかったじゃないか」
「な、なにもいわずに、体内に潜り込まれたら慌てもするだろ……!?」
「お邪魔しますって言ったじゃん」
「説明をしろと言ってる。今、お前は、俺の中で何をしていた」
俺がそう責め立てると蛇は「まあそう慌てなさんな」と口角を上げた。
「キミの質問に答えようと調べてあげてるんじゃないか。ボクにはね、魔力の動きが見えるんだよ。空気中の魔力も、生物の中に流れているのもね。つまり世界の見え方が、キミらとは随分違うんだ」
「ま、魔力が見える?」
「そうさ。精霊はすごいだろ。褒めたまえ、崇めたまえよ」
「だから、俺はお前を精霊と認めたわけじゃない。存在を許容しただけだ。認めてほしかったら俺を納得させてくれ」
「んー、精霊相手にすさまじい上から目線! でも嫌いじゃないんだなあ、キミのそういう所。もっと仲良くなれそうな予感がするよ。ともあれ、実はもう残り時間があんまりないから、端的に言うね。キミの言う通り、キミの中には魔力が人並みに流れている。あ、これは他の人と同じようにって意味だけど……、人と違うのは出口がない、ってことだ」
蛇はそう言って細長い体で丸を作ってみせた。
「出口?」
「念入りに探したけどどうも間違いなさそうだ。出口がなければ、外に出しようがない。中でずっとぐるぐるぐるぐる回り続けるだけ。つまりセンス云々、練習がどうの、知識がどうこうは関係ないのさ」
「関係ないって、それじゃあ……」
「ないものは仕方がない。口のないワインボトルからワインを飲むことはできないだろう?」
「無駄にお洒落な例えなのがムカつくな…………。じゃ、じゃあ、どうして、俺には出口がないんだ」
「さあねえ、体質としか言えないかな。魔力の出口は、多くの人間にある器官みたいなものだから」
「つまり、それが俺の抱える疾患ってことか」
「違うって。キミは魔力を外に出せない体質、ただそれだけなんだって。太りやすいとか、背が高いとか、冷え性とかみたいに、身体的なひとつの特徴に過ぎない。そこに本来優劣はないはずなんだ」
「優劣がない……? ひとつの特徴? ……はっ」
俺は思わず笑いをこぼした。
この魔法世界において、魔法が使えない俺が今までどういう扱いを受けてきたのか、どれだけ思い悩んできたのか、それを考えれば優劣がないなんて台詞は気休めもいいところだ。
あるはずの出口がない。なるほど、どうりでいくら頑張っても報われないわけだ。俺は生まれながらの欠陥品。そしてそれは、すでに痛いほど思い知らされていた事実ではないか。
「…………つまりだ、どう頑張っても俺には魔法が使えない。そういう事か、精霊」
「――お、あれ? 今精霊って呼んだ? もうボクのことを信用してくれちゃったの? キミの事だから、もっともっとごねると思ってたんだけど」
「まあ……、言ってしまえばもうとっくにごね終えてた話だからな。それに第三者からのお墨付きが貰えた。それだけのことだ。医者に言われるよりも幾分具体的で、むしろ腑に落ちたくらいだ」
乾いた笑いが漏れた。
「――不思議とショックという気はしないな。言ったろ? 俺が魔法を使いたいから研究をしている訳じゃない。魔法が何たるかを解明できれば、俺自身がどうかは大きな問題じゃない。実験が多少面倒になるくらいか」
そうだ。結局、やるべきことはここに来る前と何も変わってはいない。ヨハンにも言ったことだ。俺は未練がましく魔法を使いたいがために魔法を解明しようとしているわけではない。今この世界に確かに存在している、未知の力の法則性を解き明かしたい。それだけなのである。いいじゃないか、自分では魔法が使えない男が魔法を解明するだなんて――――。
「…………ロニーちゃん、ロニーちゃん。感慨深げにしてるところちょっと悪いんだけどさ、ボクの話まだ途中なんだよね」
「……は? 途中も何も、俺は今の回答で納得したんだ。もう根拠を求めるのも面倒臭いくらいにな」
「いやいや、ボクは体質として魔力の出口がないって言っただけだよ。キミに魔法が使えないなんて言ってないぜ?」
「…………………………………………は?」
決め顔でそう言う精霊を、俺は理解不能という表情で見返す。
何を言ってるんだ、こいつは?
こいつこそ言っていることが一貫していないじゃないか。
「話は最後まで聞かなきゃだめだよ? 魔法が精霊によって与えられたものなら、使えない人間がいるのはおかしいだろ?」
「…………いや、じゃあ……、体質がどうとかいう話は……」
「出口がなければ、出口を作ってあげればいい。簡単な事だよ。ふぁあっと、失礼」
「い、言ってる意味が分からない……!」
俺が精霊の話に頭を抱えている所へ、精霊がフラフラと絡まってくる。急に飛び方が危なっかしくなったのは、気のせいだろうか?
「次にここへ来るときに、今からボクが言うものを持ってきてほしい。このあたりでなら、手に入れるのはそう難しくないはずだよ」
「持ってきてほしいもの……?」
「そう。それはね――――」
精霊はそう言って俺に耳打ちする。
「――そんなものでいいのか、しかし何故?」
「ふぁああ、ごめん。詳しく説明してあげたいのは山々なんだけど、急に眠気が来ちゃってね。タイムリミットらしいや。残念だけど詳しい話はまた今度。でも久しぶりのお話楽しかったぜ、ロニー」
「眠いって……、いやいや、ちょっと待ってくれ」
「無理無理無理。消えちゃう消えちゃう」
精霊はそう言いながら水晶の方向へとゆっくりと漂っていく。大きい眼もみるみる開かなくなってきているようだ。
「また来てよね、約束だよぉ」
「そりゃあ来るが……、じゃ、じゃあ最後にもう一つだけ!」
「もう一つ? ごめんだけど、質問はもう打ち切りなんだぁ」
俺は水晶に吸い込まれようとする精霊の尻尾を掴む。今にも眠り落ちそうな瞳で精霊が俺をかえりみた。
「俺だけ名乗って名前を聞いてなかった。精霊じゃあ、今後呼び勝手が悪い」
「…………ああ! あははははは」
精霊は笑い、そして今更のようにこう名乗った。
「セイリュウ。それがボクの名前だよ。勿論呼び捨てで構わないからね」