3章 歩み寄りと無情な事実


 火事そうどうはあったものの、ジルのおかげで被害は広まらず、祭りは続けられている。

 花屋をあとにしたミコはジルにひと息ついてもらうため、下宿先に招待した。

『……これがミコの家か』

「わたしのものではなく、お借りしている家ですが」

 ミコが住まわせてもらっているのは、タディアスたちが住むてんけん自宅のおもと同じしき内に建てられた、ログハウス風のこぢんまりしたべつむねだ。

 一室を間借りするものと思い込んできたミコは、小さなキッチンや個室が備わっているいっけんを丸ごと貸しあたえられて狼狽うろたえたが、夫妻のこうを無下にはできなかった。

 そのためぜいたくにも、一人暮らしをさせてもらっているのだ。

「誰もいないので、くつろいでくださいね」

 食堂兼居間のだんの前に置かれたに、ジルは長いあしを組んで座る。

 ひじけに左手でほおづえをついているその姿がどうしようもなく絵になっていた。

(美形って本当に得な生き物だな……)

 竜だけど、と胸中で言い足して、ミコは部屋のひだりどなりにある小さなキッチンに移動した。

 紅茶にオレンジの輪切りを浮かべた二人分のカップと皿をトレイにのせて、元の部屋に戻る。

「お待たせしました。ジルさま、お茶をどうぞ」

 テーブルを挟んだ向かいの椅子にミコも腰かけた。

『……なんだこの赤い液体は?』

「これはある植物をかんそうさせてはっこうさせた、紅茶という飲み物です」

『なぜそれを俺に……?』

 心底不思議そうなジルを見て、ミコははたと気づく。

 これまでミコはジルをこんなふうにもてなしたことはなかったのだ。太古の森でおすそ分けを食べるのも決まってソラだった。

「家にお客さまを迎えたら、かんげいの気持ちを込めて飲み物や食べ物を振るうんです。おもてなしっていうんですよ」

『人間の風習は変わっているな……』

 言いつつ、ジルはカップにしんちょうに口をつける。

「どうでしょう?」

『……うまい』

 ジルからの評価にミコはほっとする。料理上手なモニカから、料理だけでなくお茶のれ方を教わっておいてよかった。

「ジルさま、あんなにすごい能力を使ってつかれていませんか?」

『……あの程度で疲れるほど俺はヤワじゃない』

「あんなかみわざも、ジルさまにとってはあの程度なんですね……」

 さすがチートの代名詞、とミコが遠い目をしていたところで、げんかんの方から「ミコちゃん、いるかしら?」という声が聞こえてきた。

「ミコちゃん、よかった怪我はなさそうね。……あら?」

「ミコや、無事で何よりじゃ。……ほほう」

 揃って入ってきたのはモニカとタディアスだ。

 二人はミコとジルをこうに見て目をぱちぱちとてんしゅんさせたのち、頰に手をえてにんまりとほほんだり、豊かなひげをしごきながらいくばくか微笑んだりといった反応を見せる。

『……ミコ、こいつらは誰だ』

 二人の姿を認めた瞬間、ジルのまとう空気がえいさを帯びたのをミコは感じ取った。

「お二人はこの世界でのわたしのおばあちゃんとおじいちゃんみたいな方です」

『おばあちゃんとおじいちゃん……?』

 しょうかいするミコの声はモニカたちに届かないほど小さかったが、ジルはかなり耳がいいのできちんと聞き取れていた。ひそひそ話のとき助かる。

「えーと、おばあちゃんはお母さんのお母さんですね。それで、おじいちゃんはお父さんのお父さんです」

『……そうか、家族のようなものか』

 説明すると、ジルから鋭利さはさんし、心なしか表情がふっとやわらいだような。

(気のせい……?)

「いやはや、よもやミコがおうの真っただ中だったとは」

「ミコちゃんもおとしごろだもの、てきこいびとがいても何も不思議じゃないわ」

「!? そ、そんなんじゃないです!」

 とんでもない誤解にあせりと恥じらいが押しせる。赤らんだ顔でミコは手をぶんぶん振って弁明した。

「青春じゃのう」「若いっていいわねぇ」と、二人は思い思いの感想とともに相好をくずす。だめだ、話を聞いていない。

「そうだ! お二人ともわたしに何か用があったのでは!?」

 ミコはいたたまれず、半ば無理やり別の話題にえた。

「いえね、花屋のおばあちゃんのおうちが火事になったってご近所さんから聞いて」

「その場にミコらしき女の子がいたという話があったんじゃよ」

「たしかに火事の現場にはいましたが、このとおりわたしは無傷ですから。心配してくれてありがとうございます」

 モニカとタディアスはよかったと言って、口の端をゆるめた。

「ところでミコちゃん」

 緑の瞳がジルへと移動する。

「そちらの美丈夫はどなた? 立ち居から、相当うでの立つ方だとお見受けするけれど」

 モニカの見立てはやけにするどい。

 顔にはしゅくじょ然とした綺麗なみを浮かべているけれど、その目つきはまるで一流の武術家が相手の力量を見定めんとするかのようにはくりょくがあった。

(貴婦人のかがみみたいなモニカさんが、そんなはずないけど)

「えっと、こちらはジルさまです。お役目の関連で知り合った他の大陸からいらした方で、わたしは通訳みたいなものです。きたえておいでなので腕っぷしはかなりのものかと……」

「まあ、そうだったの。ようこそブランスターの街へおいでくださいました」

「歓迎致しますじゃ」

「──とおっしゃっています」

 そのまま伝えると、ジルは形のいいあごを横に向ける。二人からの反応にこんわくしているようだった。

(まあ、それも仕方ないか)

 敵にんていしていた相手から、なんら打算のない好意を受けたのだ。

 迎えつくらいに構えていたはずのジルの胸中の戸惑いは推して知るべしである。

「ありがとう、とのことです。すみません、彼は照れ屋なもので」

 ミコはちょっとだけ気をかせてジルをフォローする。

「うふふ、ミコちゃんの能力はらしいわね」

 うっとり顔のモニカが、ミコの両手をがっちりと摑む。何気に力が強い。

「動物たちばかりでなく、他の大陸の言語まで解るだなんて」

「えへへ……」

 ミコはあいまいに笑ってごまかす。ジルのことを訊かれたときのためにと前もって考えていた設定だったけれど、あやしまれなかったようだ。

(……改めて考えるとこの国の言葉、当たり前のように読み書きできるよね)

 異世界転移者の特別装備的なやつなのかもしれない。

 考えたところで何もわからないので、ミコはそういうことにしておいた。

「モニカや、ミコの無事もかくにんできたことじゃし、わしらは祭り見物に戻ろうかの」

「ええ、あなた。私たちは退散しましょう」

 二人はミコたちにウィンクして部屋から退出した。何か誤解されたままな気がするけれど、ひとまず深く考えるのはやめておこう。

「ジルさま、どうでしたか?」

『何がだ……?』

「ジルさまの目には、二人はどんなふうに映ったのかなと」

 ミコが質問を投げてから、たっぷり時間を置いたのち。

 ジルは少しかすれた声でうめくように言った。

『………………敵意やじゃは感じなかった。あくまで先ほどの話だけどな』

 素直ではない言い方だ。

 でも、人間がじっひとからげでないと感じてくれたことは前進だろう。善良な気持ちを受け取ったからといって、ただちににんしきを改めろというのも乱暴な話だ。

 雪がじんわり解けていくように認めてくれたらいいなとミコは思った。

「何事もコツコツと積み重ねていくことが大事ですからね。──あっ!」

『急にどうした……?』

「フルーツサンド、買ってなかった!」

 広場に着くなり迷子になり、行き先では火事にそうぐうと、ばたついてすっかり忘れていた。

 タディアスはたしか、数量限定と言っていたはず。

(ジルさまに食べてもらいたいけど、ひと息ついているのをかすのは悪いし)

「ジルさま、わたしどうしても買いたいものがあるのでちょっと出かけてきます。ジルさまはここで休んでいてください」

『……俺も行く』

「休んでいなくていいんですか?」

『一人だとミコはまた流されかねないからな……』

 立ち上がりざまのジルの見解に「そんなことないです」と返したいが、さっきやらかしただけに言えない。

 家を出たミコは、せめてもの決意をうなるように表明する。

「……今度は体中に力を込めて、なおかつ気張って歩きます」

『歩くだけでせいこんを使い果たす気か。……ほら』

 言って、ジルは自らの腕をミコへと無造作に差し出した。

「ジルさま?」

『俺を摑んでおけばはぐれることもないだろう』

 ──摑む? ジルさまの腕をわたしが?

 うっかり想像してしまうなり、ミコの頭はぼんっとふっとうした。

 腕を組んで歩くなんて、恋人同士の仲むつまじい光景以外の何ものでもない。意図がただの迷子防止対策だとしてもだ。

(い、嫌とかじゃないけど……)

 ひたすら恥ずかしいので無理そうだった。

 だからといって、ミコがはぐれないようにと気遣ってくれるジルの親切を無下にあつかいたくない。

 その一心でミコはジルが着ている上着の端っこの方をかすかに震える指先でつまんだ。

「……えっと。では、お言葉に甘えてこちらを摑ませてもらいますね」

『……放すなよ』

 身の置き所のないような恥ずかしさにえるミコとは違い、ジルの態度はいつもと同じく落ち着き払っている。

 動揺しているのが自分だけだと実感すると、なんだか胸のあたりがきゅっとなった。

(どうしちゃったんだろう、わたし……)

 ジルに対して、感情の変化がめまぐるしい。

 永いときを生きる竜のジルがミコの世話を焼くのは、きっと自分に懐くか弱い生き物にかまうのと同じようなものなのに。

(心臓の音が、速い)

 触れているジルの上着の冷たさが気持ちいいほどに、指先も頰と同様の熱を帯びている。

 注意を払うようなまなざしをときどき向けてくるジルにそのことを気取られないように、ミコは少し顔をせて歩かなければならなかった。

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