3章 歩み寄りと無情な事実


 祭り当日。天上を覆うのは突き抜けるような青空だった。

 気温は寒すぎず暑すぎず。少々風が強いものの、散策におあつらえ向きのおがらだ。

「ミコや、手紙が届いておったぞ」

「ありがとうございます、タディアスさん」

 ハイアット夫妻と朝食を取ったあと。テーブルをいていたミコはタディアスからわたされた四角い形状のふうとうを開いた。

 差出人は王都にいるデューイだ。

 二つ折りになった手紙にしたためられていたのは、交渉のしゅについて訊ねる内容──は、ほんの数行で。あとは、「食事はし上がっていらっしゃいますか?」や、「きちんとすいみんはとれていますか?」、最後は「必要なものがございましたら、えんりょなくお申し出ください。さっきゅうに手配いたします。それでは、なにとぞお体ご自愛ください」と結ばれている。

(……心配性のお父さん……?)

 年齢的にはお父さんではなくお兄さんかもしれないけれど。

「あら、またフォスレターきょうからお手紙? マメな方ね」

「そうじゃな」

 モニカとタディアスがこう口をそろえるのも無理はない。

 デューイは週に一度はこうして、美しい文字を連ねた手紙を送ってくるのだ。おもんぱかってくれるのはありがたいが、いそがしいデューイの負担になっているのではと心配になる。

「ミコや、今日はお役目で知り合った方と祭りに行くんじゃろう?」

「はい。タディアスさんから教えてもらった、像の広場を見て回ろうかと」

 そこは一番多くのてんが出店し、もよおしも行われるらしいのだ。人がたくさん集まるという点ではもってこいの場所だろう。

「ならば、みのパン屋の主人が露店を出すそうじゃから、行ってみるといい。果物とクリームをしげもなく使ったフルーツサンドを数量限定はんばいすると言っておったぞ」

 こうばい意欲をくすぐるワードに、ミコのくりいろの瞳がほのかにきらめいた。よく利用している近所のパン屋さんのパンはなんでもおいしいのだ。

(ジルさまにも食べさせてあげたいな!)

 メインは人間観察だけれど、祭りにグルメはつきものである。

 せっかくの機会だからと、ミコは購入を心に固くちかった。


 しがあたたかさを増した午後になり、ミコが待ち合わせ場所の城門の外へ向かうと。

「ジルさま! すみません、お待たせしましたか?」

『……いや。俺も今着いたところだ』

 そこにはすでに、シルエットがぜんとしたしょうかんぺきに着こなす長身のくろかみがんの青年──ジルが待っていた。

(今のやりとりって、なんだかデートみたい)

 そう思ってしまった次のしゅんかんにミコはぼんっと顔を赤らめて、あわてふためいた。

(全然そんなんじゃないから! 何を考えてるのわたしは!?)

『……ミコ、どうかしたのか?』

「いいえなんでもありませんっ!」

 内心の混乱がひっくり返った声として表に出てしまう。

 心の中で「これはただのお役目の延長」と念じつつ、ミコは自分を落ち着かせるためにたりさわりのない話題を振る。

「い、いいお天気でよかったですね」

『ああ。…………まさか本当に、俺が人間の街に来るとはな』

「ジルさま、何かおっしゃいましたか?」

『……別になんでもない』

 今日も今日とて、ジルの恐ろしくたんせいな顔は無表情だ。しかしなんとなく、声にゆううつ感が浮き出ているような。

「そういえば、今日ソラくんは一緒じゃないんですね?」

『好奇心のままに動いて迷子になるのが目に見えていたから置いてきた……』

「じゃあ観察けん案内がてら、ソラくんへのお土産みやげも探しましょう!」

 ミコは明るく提案して、ジルと一緒に街へす。

「ここブランスターの街は王国でも有数のじょうさい都市らしくて、人口も多いんですよ」

 しょくそうぜんとした建造物や、黄色を帯びたレンガ造りのごうてい。太い柱やはりき出しになっている伝統的木造家屋が連なる街並みがたくみに、かんなく調和している。その景観の美しさは、まるで完成された芸術作品のようだ。

 大通り沿いには高級な店構えのほうしょく店やふくしょく店、それから飲食店などがひしめき合っていて、とても活気がある。

「あそこに植えられた大きなもみの樹は冬になるとごうそうしょくされるそうです。向こうにある時計とうと並んで、この街の名物になっているとか」

『たしかに目立つな……』

 ミコはにわか知識を使しながら、ジルに目につく建物などについて解説する。

「それから、ブランスターの街はしょくぶつの特産地になっているそうですよ。ここから少しはなれた場所でも採取できるらしくて」

『……純度の高いりょくが満ちた太古の森に近い土地がらだからだろう』

 この魔植物とは、どくなどの絶大な効果とそっこう性があるというほう薬の材料のこと。

 特別な能力を用いて生成される魔法薬は下位ランクのものであれば、ありふれたハーブでも生成できるそうだ。

 しかし、通常のハーブでは効能を高めるのにも限界があるため、上位ランクの魔法薬には魔力のうが高い場所でのみ自生する、独自の進化を遂げた魔植物が必要になるらしい。

「太古の森には魔植物がたくさんありそうですね」

『ああ。魔力がのうみつな奥地に行くほど、魔植物やとくしゅな鉱物も多くなる』

「で、しんにゅうした人間をジルさまがはらうという構図に結びつくわけですね……」

『植物や鉱物だけではらず、幻獣にも手を出す欲のごんばかりだからな……』

「……わたしもキュートな赤ちゃん幻獣がいても、連れて帰らないように気をつけます」

『その場合は相談してくれたら、一晩がいはくが可能か親を交えて協議してやる』

「協議の中身に緊張感がありませんね?」

 刻一刻と内容から重みがなくなっていく会話にミコは笑ってしまった。

 ジルと一緒にいるのはどうにもごこがよくて、ついつい本来の目的を忘れて楽しんでしまう。

(ジルさまがラスボスにふさわしい悪逆非道ならまだしも、……中身は真逆だから)

 だから仕方がない。ミコはだれへともなく胸の中で言い訳しながら、ジルと並んでせいこうな造花を飾ったどおりを歩いていく。

 すると、すれ違う女性たちがことごとく振り返り、ジルを見て頰を赤らめていることにミコは気づいた。「すっごい美形」「理想」といった囁き声も聞こえてくる。

(……ジルさまって、やっぱり目立つんだ)

 一見すると無表情で近寄りがたいふんのためか、女性じんはジルを遠巻きに見ているだけだが視線はねつれつそのものだ。おまけに男性からも羨望の視線を送られている。

(まあ、無理もないよね)

 本性を知っているぶんいくらかフィルターがかかっているだろうミコでさえ、この姿のジルは空前のじょうだと認めるところなので、気持ちはすごくわかった。


 街のみちわきには、あちこちに大小様々な広場が点在している。

 水遊びのできるふんすいのある広場に、おどが配された大階段のある広場。それらは市民のいこいの場、子どもたちの遊び場、芸術家の卵たちの交流の場と、いろんなようがある。

 だけど──

(これは……広場というより市場?)

 ミコたちが足を運んだのは、中央にゆうそうな騎馬像が据えられた広場だ。

 よくな大地で育った食材やおりもの、宝飾品といった商品を売る露店が所せましと並んでいる。

 買ったものをすぐ食べられるよう、多くのテーブル席が青空の下に設置されていることもあってか、憩いの場にはほどとおにぎわいを見せていた。

『……どこからこれだけの人間がいて出てきているんだ』

 ジルはげんなりした調子で感想をもらす。

「すごいですね。今日はたくさんの露店が出るとは聞いていたんですけど、わたしもここまでの人だかりとは……」

『小ぶりなミコはあっという間に人波に流され──』

「ひゃあ!?」

 ジルの話の途中、通行人にぶつかられたひょうにミコは人波に飛び込んでしまった。

つぶされるううううっ!)

 圧死する前にのがれようと、ミコは行き交う人々を必死にかき分ける。

 だが、小さな身体はていこうむなしくどんどん流された。誰かにぶつかりぶつかられ、ミコの体力をようしゃなく奪っていく。

 どうにか路のはしに辿り着き──ほぼ放り出された──あたりをわたす。

 ずいぶん流されたのか、ジルの姿はかげも形もなかった。

(こ、このとしになってまさかの迷子!?)

 ミコはショックで突っしたくなった。

 せめて身長が平均値あれば踏ん張れたのにと己の低身長をうらんだところで、迷子の事実は変わらない。

(早く、ジルさまを見つけないと!)

 迷子のときは、やみくもにさがすとよけい迷子になるという負のループにはまる。下手に動かないのが得策だが、ジルはミコ以上にここのかんがない。

 待っていて、再会できる確率は非常に低そうだ。

「捜そう!」

 気合いを入れるため、あえて声に出す。

 流されてきた方向をさかのぼれば出逢う可能性は上がるだろう。ジルはミコとは違って長身なので目につきやすいはずだ。

(ひとまず、捜しに行く前に……)

 すうっと、ミコは深く息を吸い込む。

「ジルさま────っ! いらっしゃいますか────っ!?」

 ミコはあらん限りの大声でジルを呼んだ。

 所在不明のジルに、まずは専売特許である声で訴えかけてみよう! といちの望みにけた試みだったがこのざっとうだ。当然ながら返事は来ない。

 ミコはおとなしく、通行人がかくてき少ない路の端を歩き出そうとした。──たんに、誰かに肩をつかまれる。

(…………えっ)

 りつぜんとして振り向いたミコは目を白黒させた。

『こんなところにいたのか』

「な、……んで……」

 細い路地を背に立っていたのは、なんとジルだったのだ。

 とうとつな再会に、ミコは口をぽかんと開けたけ面のままジルを見上げる。

 そんなミコを見下ろしたジルは、

『なぜって、呼んだだろう。……どうしてだろうな、ミコの声は俺の耳によく届く』

 そう言った。なんの気なしの言い方なのに、すがめた瞳につやっぽさを感じてしまう。

 ──嬉しいことのはずなのに。

 なんだか、自分が特別だと言われているみたいで。胸が急に熱を帯びてたまらなくずかしくなる。

 いっぱくおくれて、ミコの体中のうぶが逆立った。心臓は肥大したのかとさっかくしそうになるほど鼓動が大きくなる。

(っ、な、何これ……!?)

『聞こえているか、ミコ?』

「あ、えっと、はいっ!!」

『声がうわずりまくりだが……顔が赤いし気分でも悪いのか?」

「いえっ、まったく!」

 ミコは首をちぎれんばかりに振った。

 深く息を吸って、深く息をく。一連の動作を繰り返すことしばし。

 謎にきゅうじょうしょうしたミコのしんぱくはなんとか平静をもどした。ジルはかたわらで口をはさまず、ミコのちんみょうな様子をだまって見守ってくれていた。

「大変失礼しました……」

『別にかまわないが、大丈夫なのか?』

「は、はい。あの、ジルさま」

 ミコはジルを仰いだ。

 今しがたの恥じらいがぬぐいきれていない名残なごりで、直視するのは緊張してしまうけれど。

 感謝の念は、きちんと視線を合わせて伝えたい。

「見つけてくれて、ありがとうございます」

『これくらいなんでもない。……怪我はないな?』

「ありません。……ジルさまが来てくれて、すごくほっとしました」

 怪我のを心配してくれるジルの気遣いが嬉しくて、ぽろりと本音がこぼれる。

 じりが下がり、口角がゆるむ。相当なふぬけ顔になっていることに気づいたミコが慌てて表情をめれば、なぜかジルは無言でミコを凝視していた。

「ジルさま、どうかされましたか?」

『…………なんでもない』

 ジルは顔をふいっと横にらす。横顔も文句なくれいだが、その心情ははかれない。

(あんまりにもふぬけた顔をしていたから、逆に驚いたとか……?)

 自分で考えておきながら精神的ダメージをらう結果になった。間抜けすぎて、ミコはひっそり落ち込む。

 ────と。

『……ほのおにおいがする』

 雲の流れる空に視線をすべらせたジルが囁いた、せつ

「火事だ────────っ!」

 前方から、きんぱく感のある大声がひびいてきた。

 とつじょもたらされたきんきゅうしらせに、通りにいた者たちはいっせいそうぜんとなる。

 急いで後ろに逃げていく者もいれば、バケツを手に前へと走っていく者もいた。行動の顕著な違いは、おそらく観光客と地元住民の差だろう。

「火事はどこだ!?」

「通りの外れにある、ばあさんが営む花屋だそうだ!」

(!)

 ここから火事の現場はまだ見えない。

 ミコはバケツを持った人たちのあとを追いかけた。『おいミコ!?』とジルの呼び止める声が背中に当たった気がするけれど、自分の足音と耳をたたく風の音でよくわからない。

 ──見えたっ、あれだ!

 追いすがる態だったミコの目に、うずいているけむりが映った。

 いつもは店先にれんな花々が並ぶ建物には火の手が回り、げたいやな匂いが周囲に漂っている。風があるせいか、火の粉がまき散らされるはかない花のように方々へ飛んでいた。

(! 花屋のおばあちゃん!)

 現場から少し離れた場所で、おばあさんは女性にこしを支えられた状態でひざをついていた。

 目立った怪我はなさそうで安心したが、さかる炎を身動きもせずに見つめるそのちんつうおもちに胸が痛む。

「どんどん水を運べっ! 急げっ!」

「手え空いてる奴は送水の列に加われ! このままだと他に燃え移るぞ!」

 むせ返るほどの熱気や炎とかんたいする最前線の男性たちからは、荒らげたげきが飛んでいた。

 水場から火元までは複数の人たちがいくつもの列を作り、水の入ったバケツを次々と渡す方式の人海戦術が取られている。

(でも、列のかんかくが長い)

 ポンプ役の人手は足りていないようだ。迷わずミコは列へと直行──

『ミコ! お前は何をしているんだ!』

 しようとしたら、ジルに回り込まれてはばまれる。投げつけられた、めずらしくをはらんだ声にいっしゅん心が冷えた。

 それでも、ミコは退かなかった。

「どいてくださいジルさま! 消火を手伝わないと!」

『みすみす危険な真似をする必要がどこにある!? ミコには関係ないだろう!』

「関係なくなんかありません!」

 ミコはみつくように言い返す。

「花屋のおばあちゃんは優しくて、わたしに白いガーベラをくれたんです。ここはそのおばあちゃんが大切にしているお店で──このままだと、もしかしたら飛び火してしまうかもしれない」

 旦那さんが遺してくれたお店を失うだけでも、胸がけそうに苦しいはずだ。

 それなのに、もし自分の見知った誰かが火事によって怪我を負い、えんしょうがいを受けてしまったりしたらおばあさんはもっと傷つき責任を感じてしまうだろう。

 ミコは聖人のように博愛的な善意は持っていない。

 ただ、知っている人に心を痛めてほしくないし、助けられることがあるなら少しでも力になりたいと思うのだ。

「火事をなかったことにするのは無理ですけど、せめて被害が広がらないように今自分にできることを全力でやります!」

 だからどいてくださいと、ミコはジルに熱く語りかける。

 くつがえせないほどの強い意志の宿る大きな瞳を、食い入るように見つめていたジルは、

『────本当に、しょうがない奴だ』

 観念したようにつぶやく。そのあとすぐさまジルは長いすそをひるがえし、燃え上がる炎と正対する態を取った。

 ジルは首をななめ後ろにひねり、言う。

『……ミコ。周りにいる連中を巻き込みたくないなら、後退するように伝えろ』

「ジルさま……?」

『あの炎を消せばいいんだろう? ──ミコは』

 一度切って、ジルは言葉をぐ。

『お人好しで、放っておけば無茶をしでかしかねないからな』

 ──一瞬、音が。

 消えた。

 耳が分厚いまくで覆われたかのように周囲の音が失せて、ジルの言葉だけが耳の奥ではんきょうする。しかるようなその口調がちっとも冷たくないせいで、やけに胸がうずいた。

 ジルは何事もないかのような足取りで、肩で風を切る。

 やりのようにびた少しも動じぬ広い背中に、ミコはちがいにもれてしまった。

(あ、いけない!)

みなさん、すぐに離れてくださいっ! 今から消火しますから!」

 ミコが張り上げた声に、消火作業に当たる住民たちはげんな面持ちをかくさず振り返る。

 消火のために離れる馬鹿がどこにいる──住民たちが口々に用意していたせいを吞み込むありさまが、ミコにははっきりと見て取れた。

 この場にそぐわぬ湖の底のような静けさでたいぜんとたたずむジルの姿には、正視すると身体が震えるようなすごみとほうもない風格があるのだ。

 住民たちが視界の端に消えたのを見届けたジルは、ゆったりと右手を突き出す。

『《水魔法》水の涙アーグワ・ラグリマ

 唱えた途端、ジルの右手から湧くように発生したおびただしいすいりゅうが、火元めがけてくうはしる。つのる水音は空が裂けたかと思うほどで、その勢いはまつを上げるたきだ。


 火元だけに注ぎ込まれる集中ごうのごとき水のれんげきがやむ頃、時間にすれば一分足らずで、たける炎は白い蒸気すら立ち上らぬほどまで消しくされた。

 残るのは、黒く焼け焦げた建物のざんがいだけだ。

『……終わったぞ』

 振り向きざま、ジルはこともなげに言ってのけた。

「っ、ジルさま、すごすぎます!!」

 こうよう感をあらわにした状態で賛辞を送るミコを、ジルはじっと眺めてくる。

「ジルさま?」

『なんでも自分でやろうとせずに、少しはたよれ。……ミコが危ないと俺が苦しくなる』

「────っ!!」

 ミコはばくはつしそうなさけびを寸でのところで堪えた。

 なぜだろう、背を指でなぞられたように全身がぞわっとあわつ。頭から足先までしびれたように力が入らなくて、身じろぎすらままならなかった。

(何これ、また……!)

 体中の血がえているように熱い。小さな胸でははやがねがけたたましくずっと鳴っていて、うるさくて仕方がなかった。

 まるで心臓を直に握られたような、経験したことのない感覚にミコの心は乱れる。

「黒髪の兄ちゃん! あんたすげえな!!」

 己の異変に気を取られていたミコの意識は、静まり返っていた住民──最前線で消火に当たっていた、はだが陽に焼けた中年男性の第一声で元に戻る。

「一時はどうなることかと思ったが、あんたのおかげで助かった! ありがとよ!」

「お兄さんがいなければどうなっていたか……! ありがとね!」

 消火にたずさわった人たちが続々と、ジルに感謝の言葉をおくる。

 ジルの近寄りがたい雰囲気にあっとうされてか、肩をばしばし叩いてけんとうをたたえるといった動作におよぶ者はいないけれど。

 向かいにいる彼らの台詞には心からの厚い気持ちがめられていた。

「黒髪の方、本当にありがとうございました」

 近づいてきた花屋のおばあさんはなみだぐみ、かんきわまったような表情を浮かべていた。

 そしていのるように左右の指を交差させて、ジルへと深く頭を垂れる。

「なんとお礼を言えばいいか……!」

『…………』

「ジルさま、皆さんはジルさまが炎を消してくれたことに感謝しているんです」

 いぶかしげなジルのとなりに並んだミコが通訳する。

 ミコの返答が意外だったのか、ジルは一度目をまたたかせて、住民たちを一見した。

『……人間が、感謝を……?』

「ジルさまがいなければ、どうなっていたかわからない。ありがとうって、口々におっしゃっています。──皆さんの顔を見れば、わたしが噓をついているかどうかわかりますよね?」

 ジルにはこの場にいる人たちの言葉は解らない。

 だけれど、その視線や表情が物語るのは深い感謝と羨望。

 これまでにジルが目にしてきたであろう心にやましいことがある物騒な面々と違い、おんな雰囲気などないことはいちもくりょうぜんだ。

「人間も幻獣も同じなんですよ」

『同じ……?』

「嬉しいときは喜んで、つらいときには悲しむ。──私利私欲ばかりの悪い人間はたしかにいますけど、そうじゃないい人間だってたくさんいますから!」

 ミコは胸を反らせ、自信をもって言いきった。

『…………』

 返す言葉に詰まっているのか、ジルは無言で黒髪をくしゃりといじる。その人間くさい仕草がジルをいつもよりあどけなく見せた。

(……ジルさま、なんだか可愛い)

 なんて、おこがましいことを思ってしまったのはないしょにしておこう。

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