2章 守り主の正体

 黒竜との約束から一週間が経った日の昼過ぎ。

「ふー、ちょっと休憩しようかな」

 ミコははめていたぶくろを外して、澄んだ川の水で手を洗う。それからごろな岩に布をいて腰を下ろした。

「結構れいになったかな」

 ミコは連日、黒竜が指定した川岸のせいそうしゅくしゅくはげんでいる。

 俺とやり合って勝てとでも言われたら、ミコは自分の命を優先してとうぼうしなければならなかっただろう。けれども、川の清掃を提示されたときは「なんだそんなことか」と、少しかたかしをらった気分だった。

 ―― そこからして、甘かったのだけれど。

「先はまだまだ長いなあ……」

 何せ、指定された森に沿うこの川はとにかく長い。それでもどうにかミコは中流からごみをこつこつ拾いながら移動してきて、ようやく下流付近まで進んできたのだ。

 この川はどうやら、密猟者たちが水場として使っているらしい。

 岸にはナイフやら折れたおのなどの武器から、野営の際に使ったとおぼしきたるや布などが目につく。それらをあさぶくろに回収して、岸のはしっこにまとめているのだ。

(密猟者って多いんだろうな……)

 ごみの量と範囲からだけでも、かなりの数がいると推測できる。落ちているのもびて

ちかけたものから真新しいものまであった。

 密猟者は昔から今まで絶えずしゅつぼつしているようだ。

(これだけよごされたら、そりゃ黒竜さまも嫌だよね……)

 森の外から持ち込まれた人工物がしつけに転がっているのは、ここを住処にする者からすれば気分が悪いだろう。

 森に似つかわしくない異物には、ミコだって顔をしかめたくなる。

「午後からもがんばろうっと」

 ミコが背伸びをしながら、気合いを入れ直したとき――

 石を蹴る力強い音が聞こえるなり、地を割るような獣の咆哮がとどろく。

 ミコはいっきょうして振り返る。

 すると、視界に大きながねいろや、薄い黄色のたいがいっぺんに飛び込んできた。

「きゃあああああっ!!」

 視線の先に獣の集団がいたものだから、ミコは絶叫をさくれつさせた。

 だけど――

『そこの人間、今すぐこの森から出てい―― 』

「すごいっ、あなたはひょっとして幻獣!? あっ、子どももいる! 可愛いっ!」

 口火を切ったわしの上半身との下半身を持つ黄金色の子連れ幻獣の姿に、ミコは目を輝かせる。タディアスに黒竜や幻獣にまつわる話を教えてもらったときから、他の幻獣にも一目会ってみたいとひっそり思っていたのだ。

 盛り上がるミコとは反対に、その場にいる幻獣たちは一様に目が点になってしまった。

『……いやちょっとあんた、グリフォンであるあたしを前にして、なんで嬉しそうなんだい……?』

『そうだよ! 上位幻獣に威嚇されて逃げ出すどころか喜ぶっておかしいだろ!?』

 母グリフォンと、額に赤い宝石がついたうさぎに似た幻獣からこうが飛んでくる。

 幻獣のけんに関わることだったかと、ミコは若干申し訳ない気持ちになった。

「す、すみません。……何せラスボス感満載の黒竜さまがかく対象になっているので、他の幻獣たちはあまり恐く感じなくて……」

 …………………。

 ミコの弁解に、幻獣たちはだまって視線をななめに落とす。返す言葉が見当たらないらしい。

「赤い宝石がついているあなたは、なんていう幻獣?」

『……カーバンクル』

(その名前、聞いたことある気がする)

 なんにせよ、小さなカーバンクルから大きなグリフォンまで、どの子も毛並みがすこぶるらしい。

 ミコはもふもふしたいしょうどうをがんばって自重する。

「ところで、あなたたちはわたしとしゃべって驚かないの?」

『それは、……まあ、オイラたちは先に聞いて知ってたし……』

(誰から聞いたんだろう?)

 小首をかしげつつ、ミコは幻獣たちがここへ集っている理由を考える。

(もしかして……)

「あなたたち、水浴びに来たんでしょ? わたしはこのあたりをそうしているだけで、じゃしないから心置きなく遊んでね」

 ………………。

 再び目を点にして黙り込んでしまった幻獣たちをしりに、ミコは

ようようと清掃を再開した。

 ―― しばらくして。

『ミコ、はい』

「カーバンクルくん、ありがとう。それはこの袋に入れてくれる?」

『わかった。あそこにも落ちてるから、オイラ拾ってくる!』

「尖ったもので怪我をしないように気をつけてね」

『これはこっちでいいのかい?』

「大丈夫です。って、グリフォンさん! 子グリフォンちゃんが川にダイブしました!」

『なんだってっ!? こらっ、勝手に入るなって言ったじゃないか!』

『きゃーっ!』

『………………おい』

 とつぜん、どしんという音がして、唸るような低い声がミコたちの和やかな会話の腰を折る。

 ―― 黒竜は陽光を受けて、紫を帯びた黒鱗は宝石のように輝いていた。

 相も変わらずのとんでもない存在感に、ミコはつい後ずさりたくなる。

(でも、最初みたいに腰を抜かすほどじゃない)

 黒竜は密猟者がいないか森の中をじゅんかいしているようで、この水辺にも顔を出す。

 ……よく目にはしていても、やっぱり背筋が寒くなってしまうけれど。

『お前たちは何をやっているんだ……』

 鷲の上半身と獅子の下半身を持つ黄金色の子連れグリフォン、額に赤い宝石がついたうさぎに似たカーバンクル。その他にもミコの周りには数匹の幻獣たちがいて、そろいも揃って清掃を手伝ってくれていた。

 そんなどうほうたちを黒竜はやおらいちべつする。

『……手助けしろなどと言った覚えはないぞ』

『申し訳ありません。このお嬢ちゃん、威嚇したあたしに驚きはしましたが恐がらず』

『反応にこっちが逆に困っちゃって。どうしようかと思ってしばらく様子を見てたけど、オイラたちに何もしてこないし害はなさそうだし、ビビらせるのも無理っぽいしってことでなんかこうなっちゃった』

 カーバンクルに同意するように、母グリフォンは首を上下させた。

 やりとりから察するに、どうやら幻獣たちは黒竜の指示でミコをおどかそうとしていた模様である。

『……もういいから、もどれ』

 何か言いたげだがそれをこらえるようなしぶい口つきの黒竜に、幻獣たちは一礼して散開した。𠮟しっせきの一つもなく帰すあたり、黒竜は幻獣たちに優しいようだ。

(意外と恐くないのかも……?)

『ミコ!』

「ソラくん」

 尻尾を振りながら、ソラがこちらへやってくる。地面に膝をついたミコは、駆けって

きてじゃれつくソラの頭をよしよしと撫でた。

 この一週間、ソラは毎日のようにミコに会いに来てくれていた。

 だいたいすぐ黒竜に見つかって引き揚げざるをえなくなるのだけれど、それでも会いに来てくれるソラにミコは愛着が湧いているし、向こうも懐いてくれているのがわかる。

『……ソラ、懐くにしても相手は選べ』

『どうして? ミコはやさしいの!』

『俺が言いたいのは気質のことじゃない……』

 ジト目で黒竜は唸る。

 黒竜をこんなふうに振り回せる無邪気なソラを、ミコは軽く尊敬した。

「黒竜さまは何かお好きなものはありますか?」

『……森の静かでへいおんな時間だ』

 黒竜にはあいもへったくれもないけれど、口調と視線からは尖りがやわらいでいるような気がしないでもない。

『……三日もすれば投げ出すと踏んでいたんだが』

 点在する麻袋を見やりながら、黒竜はぼそりと言う。

 黒竜の予想を裏切り、他の幻獣をけしかけさせるまでに至ったことに、ミコは胸を張りたくなった。

 黒竜との約束という前提こそあるけれど――

「自分があきらめない限り、わたしは投げ出しません。……この美しい森の景観をそこねるものは、わたしもいらないと思いますし」

 正直に言えば、ふと、頭上から視線を感じた。

 顔を上向かせてみると、黒竜と目が合った。すぐに逸らされてしまったけれど。

『……お前は変わっているな』

「そうでしょうか? 能力以外はいたってつうだと思いますが……」

『ソラや他の幻獣たちをこうも容易たやすく手玉に取るやつが、普通なわけないだろう』

「そんな人聞きの悪い。わたしはただ、何気なく話をしただけです」

『意図していないならなおのこと質が悪い。会話ができる上に、ぽやんとした顔が警戒心をいでしまうんだろうが、やっかいだな……』

「今さらっと失礼なことを言いましたね!? 」

 憤りながらも、ミコは黒竜とのやりとりが増した手ごたえを感じていた。

 ―― 相手ときょを縮めるためには、まず顔を合わせて会話をする。

 社会での基本にならってミコは清掃のかたわら、黒竜を見かけるたびに冷たい目をえられてへこたれそうになるのを気力でえて、ねばづよく話しかけていたのだ。

 そのにんたいと努力が、少しは実を結んだのだろう。

「条件は必ず果たしてみせますので、転居と心の準備をしておいてくださいね!」

 今さらなかったことにはしませんよと、ミコは目顔でけんせいした。

 次のしゅんかん

『…… みは立派なものだが、お前がやり遂げたところで要求をむ気はない』

 おもむろに黒竜はばくしてのける。

 ミコははとまめでっぽうを食ったような顔で絶句した。

「…………え?」

『俺は考えると言っただけで、承諾すると言った覚えはないぞ』

「そ、れは、……」

 言われてみればそうかもしれない。だが、それならどうして。

「要求を吞む気がないのに、あんな約束をしたんですか!!」

『…… ぼうな条件を出せば早々に諦めるだろうと思った。ところがお前は諦めず、幻獣たちを使ってみても効果はなかった』

 黒竜は『見た目と違って意外にこんじょうがあるな』とつけ加える。今ここで感心めいたことを言葉にされても嬉しくない!

 ミコのほおじらいではなく、怒りによって紅潮した。高ぶる感情のままに、ミコは黒竜をキッと睨む。

『……その気になれば、俺は能力でいっしゅんにして異物を消し去れるからな』

 ミコの抗議のまなざしなど意にかいさず、黒竜はからかうようにほざく。

 ―― 静かな間が数はく続いたあと。

 ミコの怒りに震える大きな声が森の中にこだました。

「この噓つき竜――――――――っ!」


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