2章 守り主の正体

 翌日。ミコは再び太古の森へとやってきていた。

『家に帰る、絶対に』を合言葉に恐怖を凌ぎ、一晩かけて腹をくくったのである。

(本物の竜はじゅんすいに恐かったけど)

 ただ、あとからかえってみると力でミコをはいじょしようとはしなかったので、きょうぼうしょうではなさそうだ。

 なんにせよミコのこうりゃくすべき相手は竜だ、何も知らずにいどむのは自殺こうでしかない。

(タディアスさんからある程度の話は聞いたけど、現場でも調査をしてみないと……)

 昨夜、タディアスに何気なく太古の森の守り主について訊ねてみたら、その正体が竜であることをさも当然のように知っていたので、色々と教えてもらったのだ。

 なんでも幻獣は上位種ともなれば強力な能力をいくつも保有し、体内で生成するりょく量がけたちがいな上に自然の魔力も利用できるとかで、りょくは人間のそれを遥かに上回る。

 中でも、ひときわ強大な力を持つ竜は最上位種とされているらしい。

(見た目そのままの最強ぶりだよね……)

 ラスボス的立ち位置かと思いきや、太古の森の黒竜は畏怖の対象でこそあるものの、人里に害をおよぼすことはないため、森の守り神として『守り主さま』『黒竜さま』とあがめられてもいるのだとか。

 ―― 畏怖は黒竜に限った話ではなく、幻獣ぜんぱんに言えることなのだが。

 その裏では、希少性の高さからみつりょうが絶えないのだと、タディアスはなげいていた。

(黒竜さまのあの態度からして、人間ぎらいなのは間違いなさそうだけど)

(……自分たちを狙う人間を毛嫌いするのは、無理もないかも)

 ミコは木立のかげに生えている緑のこけしんちょうに踏む。うっかり転んで、足をひねりでもしたら大変だ。

(でも、人間嫌いの竜か……先が思いやられる)

「ソラくんいないかな……」

 ひとまず黒竜について話を聞いてみたいが、どこにいるのかわからない。ねぐらに行けばいるかもしれないけれど、そこには黒竜もいるのでえんりょしたいところだ。

 そんなことを考えていれば。

『あっ、ミコだ!』

 目当てのソラがミコの方へと走り寄ってきた。なんてタイミングだろう。

 ミコの足元に来るなり、ソラはぎょうよくお座りをする。今は出逢ったときと同じ大型犬サイズだ。

『近くでミコのにおいがしたから、きてるのわかったの!』

「そうだったんだ。またソラくんに会えて嬉しい」

『ボクもなの!』

 ミコを見上げる空色の目はみきっている。手当てをしたからか、全然けいかいされていないようだ。

 というか、長くて太いふわふわの尻尾はそよ風を生むほど左右にれている。可愛い!

「ソラくん、脚の怪我は大丈夫?」

『うん! あさになったらなおってたの!』

 ……さすがは幻獣だ。

『ミコ、きょうはどうしたの?』

「えっと、ソラくんに黒竜さまのことを教えてほしいなって」

『あるじのこと?』

「うん。黒竜さまはだん、どんな感じなの?」

『あるじはかっこよくてね、すごくやさしいの!』

 じゃなソラの言葉からは黒竜へのしんぽうと愛情が伝わってくる。瞳をきらきらさせるその様は、ヒーローにあこがれる男の子のようだ。

 優しいについてミコはまったくピンとこないけれども。

 ソラのなつきっぷりからすると、あながち間違いではないのかもしれない。

(仲間にはかんだい、と)

 ミコは心のメモにしっかりと記録する。

『もりでわるいことをするにんげんをこらしめてくれて、とってもとってもつよいの!』

「……昨日、にらまれるだけですんだのは幸運だったのかも……」

 ミコがおっかないここでひとりごちたときだ。


『―― またお前か』

 地面を踏みしめる大きな足音とともに、黒竜が現れた。ふうていだけなら確実に、ヒーローの前に立ちはだかるラスボスである。

 静かでいて絶大なその圧にミコはたじろいだ。

(み、見つかった!)

 罪をおかしたわけでもないのに、なぜか犯行現場を目撃された犯人のような心境になる。

 さっきのソラの「こらしめる」の単語がふいにのうをよぎったミコは、悪意がないことの意思表示のためにこわ|張《ばった笑顔で挨拶を述べてみた。

「こ、黒竜さまにおかれましては、ごげんうるわしく……」

『……ソラ、なぜお前はその人間に懐いている?』

 黒竜の問いただすような口調にミコはびくっと震えてしまう。

 しかし、ミコの足元でお座りをしているソラは少しも恐れない。どころか、嬉しげに明

るく言った。

『ミコはこわくないし、ボクをてあてしてくれるおててもやさしかったの!』

『……博愛的なその懐っこさを少しは自重しろ……』

「わ、わたしは嬉しいですが……」

『誰もお前に意見など聞いていない』


 いっしゅうだ。ミコへの反応はソラへのそれと比べると、あっとうてきに冷たく薄い。

『……ソラにめんじてこの場はのがす。二度とこの森に近づくな』

 黒竜は|ね退けるように言い捨てて、きびすを返す。『来いソラ』とうながされて、ソラも黒竜について去っていった。

 ―― あきらかに、敵視されている。

 ミコ個人というよりは、人間そのものをといった感じではあるけれど。

 なんであれ、自分をきらう者とたいするのはどうにも気が重くて、心がしずみそうになる。

「―― 大丈夫、ゆう!」

 ね、お母さん! ミコは口角をにっと上げて、ここにはいない母をおもかべる。

 これはかつて、母から教わったおまじないだ。

 ―― 「しんどいときはね、噓でもいいから『余裕』って、笑顔で言ってみるの」

 ―― 「そうしたら、なんとなくそんな気がしてきて、もう少しがんばれるから」

 いつも明るく強い母はミコの憧れ。

 その母の教えをじっせんすると、こんきょはないが元気がいてくる気がするのだ。

「―― いつもみたいに自分にできることを全力でがんばる! で、元の世界に帰るんだから!」

 頭上の高く晴れた空に、ミコは改めて前向きなちかいを告いだ。

 そのまた翌日のこと。

(……今日はちょくちょく、動物の姿を見かける気がする)

 現在、ミコは情報収集目的で太古の森を歩いている最中なのだけれど、一昨日や昨日とは打って変わって、今日はじゅしょうや草木の茂みにうさぎやリスの姿があったのだ。

 ミコを遠巻きにながめているようだったが、声をかけるとげられてしまった。

『……こんなところに人の子? ああ、もしかしてあれが例の噂の……』

(噂?)

 声がした方に視線を動かすと、の間からこちらの様子をうかがうかっしょくの獣の姿。細長い脚に赤黒い目をした鹿じかだ。

「こんにちは、鹿さん。今言っていた、例の噂って何?」

『あら? あんたもしかして、あたしの言葉がわかるの?』

「持っているのがそういう能力だから」

ちんみょうねえ』

 鹿は動じるりもなく、むしろしゃなりしゃなりと歩み寄ってきた。

『一昨日から、「ちんまりした人間が、黒竜さまの従のマーナガルムに跨っていた」って話が森でばくはつ的に広まってんのよ』

 姿はなかったがどこからか見られていたようで、ソラの背に乗っていたときのことが話題になっているようだ。というか、非人間族からもわたしはちんまりにんていなの?

「へ、へえ、……そういえばあなたは、他の小動物たちみたいに逃げないんだね?」

『リスやらうさぎやらはおくびょうだから、まだ警戒してんでしょ。でも、あんたって森に入ってくる他の人間たちと違って、ふんが全然さつばつとしてないんだもの。万が一、何かあったとしてもあたしの美脚一つで制圧できそうだしね』

 きっと逃げられたら追いつけないだろうし、蹴っ飛ばされたら大怪我必至だ。

 鹿の予測は的中しているのだけれど、しょうに情けない。

(……いやいや、自分のへなちょこぶりにダメージを受けている場合じゃなくて)

「ところで鹿さん、そのマーナガルムを見かけなかった?」

『それならさっき、あっちで見かけたわ』

「本当!? よかったら、案内してもらえる?」

『近くまでならいいわよ』

 案内を引き受けてくれた鹿について、ミコは道なき道のわき―― 案内なしでは絶対見つけられなかった―― にひっそりとあった、ゆるやかなしゃめんを下っていく。

 やがて川が流れる場所に出た。清らかな水音で、耳が安らぐ。

『この川を上流に向かってちょっと歩いたところよ』

「案内してくれてありがとう!」

 ミコがお礼を告げると、鹿は『じゃあね』と元来た道を帰る。

 姿が消えるまで見送ったミコは、言われたとおり川べりを歩いた。

 ほどなくして前方に見えたのは、腹ばいになっているソラだ。―― その背後には残念なことに、躰を地面にせているぎょうぎょうしい黒竜の姿もある。

『! ミコ!』

 ソラがとっしんするような勢いで駆け寄ってきた。

 それとは正反対に、ミコの姿を視認した黒竜はこれみよがしにため息をつく。

 ほうこうするわけでもなく、どっしりと構えた姿勢のままなあたりが王者の余裕を感じさせる。

『―― お前はいったいなんなんだ』

 黒竜はうんざりした声を放った。

『二度と森に近づくなと忠告したはずだ。……腕

うでの一本でももがないとわからないのか?』

(ひいぃっ!)

 黒竜からのどうかつごっかんの空気にあてられて、ミコは腰が抜けそうになった。

 寒くもないのに、背筋にかんが走って吐きさえする。

(だ、大丈夫、余裕!)

 胸中でおまじないを唱えて、ミコは自分を奮い立たせる。

 ここで弱気になってはいけない。家に帰るため自分にできることを全力でやると決めた

はずなのに、こんな簡単に心が折れてどうするのだ。

「へ、平気です。黒竜さまのことは全然恐くありませんから……!」

『……そういう強がりはせめてそれらしい体勢を整えてから言え』

「え? 最大限にがんばっているんですけど……何かおかしいですか?」

おじづいているのが丸わかりなくらい、腰が引けている』

 あきれたように言われて初めて、ミコは自分がかなりのへっぴりごし状態であることに気づいた。勇ましい心とは裏腹な身体のビビり加減が情けない。

『―― 本当に、何がしたいんだお前は?』

 ミコのけな態度にとうわくしたように、黒竜はよくようなくぼやいた。

『つつけばたおれそうなくせに丸腰で、幻獣を見つけたところでらえるどころか手当てをする始末。……なんの目的があって森へ踏み入る?』

 返答だいではただではおかないことを暗に示して、黒竜はミコの真意を問うてくる。

(……黒竜さまは意外と、ちゃんと返事をしてくれたし)

 今のところ、ミコは何もされていない。

 ソラの発言や今しがたのやりとりからしても、黒竜は理性を欠いているわけでもなけれ

ば、話がまったく通じないというわけでもなさそうだ。

 要求を伝えれば案外承知してくれるかもしれないと、ミコは大きく息を吸って吐いた。

「……わたしは、王太子殿下からたのまれた役目を果たすために、ここへ来ました」

 ミコはこぶしをぎゅっとにぎり、黒竜を仰ぐ。

「黒竜さま、この森から出ていってもらえませんでしょうか?」

 正面切ってうったえると、重苦しいちんもくが周囲を満たした。

(……どうしよう、言い方間違えたかも……っ!)

 言ってから、自分の発言があまりにも直球であったとミコは自覚する。黒竜の反応を考えるのさえ恐ろしくて、気が遠くなりかけた。

『………………他の人間とは違うと思ったのは俺の勘違いだった』

 間の長さと地をうような重低音の声が、黒竜の静かないかりを物語っている。

 生命の危機がすぐそこにせまっているような感覚に、ミコは生きた心地がしなかった。

「すっ、すみません言い間違えました! 正しくはその、すみをこちらから別の場所へ移動していただきたく、です!」

『……十秒以内に消えないと吹き飛ばすぞ』

「そ、それはいやですけど帰ることもできません!」

 ほぼ反射でミコは声を上げた。

「じ、実は別の場所で生き物の密猟が、横行していまして。人間だけでは、どうしても対処できないから、黒竜さまにそちらの新たな主となっていただきたいんです……!」

 ミコは転居してほしい事情をぎこちなく述べる。

 とはいえ、これはミコが考えた作り話だった。

 噓をつくことは心苦しいけれど、相手が誰であろうと転居を一方的に求めるからには、理由というものが絶対に必要だと思ったからだ。

『……忠告はこれが最後だ。さっさと去れ』

「転居に応じていただけるのなら、すぐにでもこの場から消えます……っ」

『―― では聞くが、俺が人間の勝手な要求を聞き入れる義理がどこにある?』

(それはたしかに……)

 黒竜の意見はごくもっともだとミコはなっとくした。

 アンセルムは希少なせき、ミコは元の世界への帰還。どちらも黒竜には無関係な手前勝手である。

「もちろん、タダとは言いません。王太子殿下は黒竜さまの望むものを用意するとおっしゃっています」

『くだらない』

 ぴしゃりと言い捨てた黒竜はミコに背を向けてしまう。

 いちの希望が、遠のいていくようなさっかくを覚えた。故郷ののどかな景色、笑いかけてくれる家族の顔がミコのまなうらをいっせんする。

 ―― ここで退いちゃだめ!

「お願いします黒竜さま! わたしにもできることがあるなら、なんでもしますから!」

『――――ほう? なんでもとは、ずいぶんとでかい口を叩くな』

 振り返った黒竜の冷めた物言いには、お前のようなわいしょうな者に何ができる? とあなどりきった心情がはっきりと滲んでいるから、ミコは怯えよりも反骨心が強くなった。

「わ、わたしにできることは多くありませんが、全力でがんばる所存です……!」

『……なら、この先の川の岸一帯を清らかにしてみろ』

 黒竜は川下をあごでしゃくる。

『不快なことに、人間どもが打ち捨てていった道具やらが散らばっている。それをいっそうできれば、要求について考えてやる』

「やりますっ!」

 一も二もなく、ミコは黒竜の提案を受け入れた。

『……何日で音を上げるか見物だな』

「音を上げたりしません!」

 せせら笑うような言い方をする黒竜めがけて、ミコは本気とやる気を声にのせて叫ぶ。

「わたし、がんばります! どんな無茶でも絶対にやりげてみせますので!」

 じゃっかん腰が引けた姿ながらも、ミコは黒竜に決意を叩きつける。

 それに返事をすることなく、その黒い後ろ姿はやがて樹々の向こうへ見えなくなってしまった。


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