2章 守り主の正体

 あくる日の早朝。

「うーん!」

 空から注ぐあさを浴びながら、ミコはめいっぱいのびをした。今は春の初めとはいえ、早朝の空気はまだはだざむい。

 それでも大きく息を吸ってけば、すがすがしい気分になった。

 まとわりついていたねむぶ。

(晴れそうだし、服はこれ以上着込まなくてもだいじょうかな)

 ミコは丈夫なかわの編み上げブーツに、しっかりとしたのワンピースというちだった。動きやすさを重視しているが、しょうはシンプルながらも女の子らしい。

 かたに背負ったかばんがアンバランスだけれど、歩くのでそこは仕方がない。

「おはようございます、フクマルさま」

「おはようございます」

 挨拶をしてくれたのはがっしりとした体格のそうねんの馭者だ。元という経歴から護衛もねている。

 街からさらに西に広がる、深く広い太古の森に一番近い領域までは馬車でも一時間ほどかかるらしいので、そこまでそうげいしてもらうのだ。

「足元にお気をつけください」

「すみません、ありがとうございます」

 馭者の手を借りて、ミコは車体が高い座席に乗り込む。

「それでは出発します」

 馭者のかけ声とともに、馬車はじょうへきの外へと続くみちに向かって動き出した。

 馬車で走ること一時間余り。

 城壁から遠くなるほど、じょじょに細く人通りがなくなる路かられた場所―― 太古の森の領域の手前で、馬車はまった。

「夕刻にまた、私はここへおむかえに上がります。必ず間に合われますように」

 馭者の操る馬車が遠ざかると、ミコは心細さと不安を覚えた。

 吹き寄せた少し冷たい風が樹木をざわめかせ、ミコのつややかなくりいろの髪をなぶる。

 風だけのせいではないぞくりとした感覚に体中が総毛立った。

(だめだめ、しっかりしなきゃ!)

 気合いを入れ直したミコは、いよいよ太古の森へ足をれた。

 樹林のじゅうたんといった様相の森の中は深い木立があって、れ日がしている。

 にんできるはんにはふくがあまりないので見晴らしがきかず、自分がどこにいるのか、あっという間にわからなくなりそうだった。

そうなんしたら元も子もないよね)

 ミコは一定のかんかくを空けて、に持参していた細い布をくくりつけていく。

 デューイから教わった、道迷い防止のためのもっとも単純な目印だ。

「いったいどこにいるんだろう……」

 むらさきの瞳を有するとわれる『守り主』。

 どんなものかわからないので不安はあるが、かんがかかっているだけに何が出てきてもがんばらないと。……おばけやゾンビでないことを心より願う。

(できれば、もふもふの可愛い動物でありますように!)

 希望としてはどんぐりをくれる、ふくよかなおなかと太いしっを持った丸いフォルムの生物―― きゅうぼう名作アニメに登場する不思議なもののけの姿をミコは脳内に描いた。


 そうして、ミコは不安ときんちょうを胸に森の中を歩いていたのだが――


 あれよという間にずいぶんと時間はち、空にある太陽はすっかり高くのぼっていた。

「……っ、守り主どころか、動物一匹わない……!」

 うめきながらミコはその場にへたり込んだ。

 かれこれ数時間、独り言と吹きける風の音、あとは自分の足音しか聞いていない。こ

こは無人(この場合は無じゅう?)の森なのか。

(ひょっとしてわたし、森ちがいしてる……?)

 いちまつの不安が頭をもたげたけれど、街から西にあるこの森が太古の森で間違いない。

「―― よし、ごはんにしよう」

 ここまでずっと歩きっぱなしだ。

 きゅうけいがてらにと、ミコが持ってきていた手作りのサンドイッチが詰まったとうの箱を開けようとしたときである。

『いたた……』

 ふいに、何かの声が聞こえてきた。

 声がしたとおぼしき緑のしげみをミコがそっとのぞき込んでみると―― ぴんととがった耳を持つ獣が座り込んでいたのだ。

 たいは月光をったかのような銀毛に包まれている。うるうるの瞳はとうめい感のある空色だ。外見は犬にそっくりで、ちょっとしいサモエドといった感じである。

『!? にんげん!?』

 銀色のもふもふはミコの姿を認めるなり、尻尾を伸ばしてかくするようなポーズを取る。

 しかし、その左のうしあしには赤いものがにじんでいた。

『こ、こっちにこないで!』

「あなた血が出てるよ、大丈夫?」

 言うと、もふもふはきょとんとする。ミコの言葉が理解できることにこんわくしたようだ。

「手当てをするから、近づいてもいい?」

『……ボクをつかまえにきたんじゃないの?』

「そんなことしないよ?」

 ミコを見上げていたもふもふは数はく経つと、威嚇のポーズをといてまた座り込んだ。

 おびえさせないようにミコはゆっくりと近づき、手が届く位置にしゃがむ。

(そんなに傷は深くなさそうだけど……)

「ねえ、どうしたのその?」

『……にんげんにやられたの』

「人間に?」

『うん。みつかっちゃってにげたんだけど、やをよけきれなかったの』

 たちの悪いしゅりょう者とそうぐうしたようだ。それでミコをあからさまに威嚇したのだろう。

(こんなに可愛い子をねらうなんて、許せないな)

 ミコはどこの誰とも知れないやからいきどおりを募らせながら、持っていたハンカチをもふもふの左後ろ脚に巻いていく。最後はほどけないようにしっかりと結んだ。

「はい、できあがり。きつくないかな?」

『……だいじょうぶ。ありがとうなの』

 もふもふは素直にお礼を言う。声と垂れた尻尾に、先ほどまでの張りつめたものはない。

 ミコは「どう致しまして」と返事をして、もふもふに笑いかけた。

「わたしはミコっていうんだ。よかったら、あなたの名前を教えてもらえる?」

『ソラだよ。……どうしてミコはボクとおはなしができるの?』

「わたしはいろんな生き物と会話ができる能力があってね。だからわんちゃんのソラくんとも話せるんだよ」

『ミコ、ボクはわんちゃんじゃなくて、マーナガルムっていうげんじゅうなの』

 ………げんじゅうって、ほうと並びしょうされる空想の産物の二大きょとうのあれ?

 能力なんてなものがあるくらいだ。幻獣がいてもおかしくはないけれど。

(まさしく異世界だなあ……)

 ロマンある空想上の生物との遭遇にきょうがくとおして、ミコはいっそ感心した。

『ねぇ、ミコはこんなところでなにしてるの?』

「この森にむっていう、紫の瞳を持つ守り主に用があってさがしに来たんだ」

『わかった! 《きょだいか》』

 ソラがそうさけぶなり、ミコの視界が見る間に銀色でおおい尽くされ――

 大型犬くらいだったソラの肢体が、はくりょくのある熊ほどにきょだい化した。

 ―― でっかくなって、もふもふぶりは三割増し。

 これも能力かな、幻獣にも能力ってあるんだとか、ミコはのんきな感想を脳内にれつしてぽかんと固まる。

『ミコ、あるじにごようがあるんでしょ? てあてをしてくれたおれいに、ボクがつれていってあげるの!』

「……え……?」

 思考がにぶっているミコのえりもとをくわえたソラは、ひょいと背中にミコをのせた。

 熊ではなく、大きなおおかみ(の幻獣)にまたがる体勢となったミコは、あわてて銀毛をつかんだ。

『しっかりつかまっててなの』

 言うなりソラは力強く地をった。そのしょうげきで、木の葉が勢いよくせんかいしながらう。

 駆け出すソラの速度は、危険なほど速い。

「うっひゃあああああああああ!?」

 アスレチックどころではないきょうから、ミコはとんきょうぜっきょうをほとばしらせた。

『あるじはこのさきのねぐらにいるの』

 歩くほどに速度を落としたソラが進んでいるのは、無数の枝がアーチ状に重なる樹のトンネルだ。それをくぐった先にあったのはしんせんしがさんさんと降り注ぐ緑地だった。

 中央には緑の葉が陽光に揺らめく、じゅれい何百年という風情の大樹が空へ伸びている。

 ソラが立ち止まったのを見計らい、ミコはソラの背中から下りた。

(地面って落ち着く……。ソラくんの毛並みのざわりは極上だったけど)

『あるじ、ただいまなの!』

 ソラが元気いっぱいの調子で話しかけたソレを目にしたせつ―― ミコは心臓が口からまろび出そうになった。

(な、な……!?)

 自分の目がおかしくなったと、疑わなかった。

 陽だまりで日光浴をするようにうずくまっているのは、象をはるかにしのきょ。口元からは尖ったきばが覗いている。

 まっすぐ伸びたせん状の角に、この世にくだけぬものなどないであろうするどかぎづめのあるはまるできょぼくだ。

 紫を帯びたこくりんは雨にれたようにこうたくを放っていた。背にもたげた巨大なりょうよくは空をける折には力強く羽ばたき、風を切るだろう。

(あ、あれってもしかしなくても、りゅう……っ!?)

 他の生物とは一線を画す、絶望的な存在感を前に身体がまるで言うことを聞かない。

 全身がふるえて、ミコはひざからくずおれた。

『…………ソラ』

 牙のある口からつむがれるのは、人外の低い声だ。

 ミコと見合ったたんこくりゅうはグルルと地の底からひびくようなうなり声を上げた。ゆうぜんと構えたままにもかかわらず、視線だけで命をってしまえそうなほどその眼光は鋭い。

 下手にたけり暴れるよりも、その静けさが逆に底知れぬ恐怖を生む。

『なぜ人間を連れている……?』

『ミコはボクのけがのてあてをしてくれたの!』

「ソ、ソラくん。わたしは守り主に会いに来ただけなんだけど……!」

 ひそひそ声で話のこしを折ったミコに、ソラはあっけらかんと。

『あるじがこのもりのぬしだよ』

「えええええええええっ!?」

 大音量の絶叫がミコののどから飛び出した。

(う、うそだよね? だってそんな……)

 これがげんえいか何かでありますように。かみだのみに近い感覚でミコはこわごわと黒竜を見る。

 黒竜のどうこうは縦に長く、そのこうさいは―― 深いむらさきいろ

 聞いていた事前情報とがっしてしまった。ミコは青ざめた顔で絶句する。よりにもよってなんで竜!?

『それでね、ミコはあるじにごようがあるみたいだったから、つれてきたの!』

 恐怖のあまり声も出せずにいるミコとは対照的に、ソラは黒竜につゆほどもひるまず、元気よく回答を再開する。

『あとミコはね、ボクとおはなしができるの!』

『……!』

 驚いたように、黒竜の目が見開かれる。

 ―― ファンタジーでは正と邪、どちらにしても竜の位置づけは最強だ。

 そして目の前にいる黒竜は語らずともその言語を絶するたたずまいだけで、幻獣の頂点にして生物のしゃなのだと本能的に感じ取れる。

(……け、けどもしかしたら、間違いってこともあるかもしれないし)

 ミコはありったけの勇気をかき集めて、いのるような気持ちをめたか細い声でたずねた。

「あ、あなたが太古の森を縄張りとする、守り主さまですか……?」

『……人間どもがどう呼んでいるかは知らないが、俺が森をおかごうよくな人間をたたしているのはたしかだ』

 その低めた声からは、黒竜の人間に対するけんかいさが伝わってくるようだ。

 自ら背にのせてくれたソラとは違い、どう考えても非友好的である。

こわいよぉ!)

 恐怖が天元とっしたミコはソラのもふもふしたからだにしがみついた。

「お、おこらせて食べられちゃったらどうしよう……!」

『ミコ、あるじはにんげんをたべたりしないから、だいじょうぶなの』

 独り言が聞こえていたようで、ソラから返事がくる。

「……そう、なの……?」

『うん。ボクたちげんじゅうはね、おひさまのひかりをあびれば、ごはんはたべなくてもだいじょうぶなんだ。たべたりもできるけど、にんげんはたべないの』

 ソラからもたらされた耳よりな幻獣生態情報により、ミコはわずかにあんする。

 どうやら頭のかたすみしていた、頭からむしゃむしゃ食べられる心配はないようだ。

『……お前は何者だ。なぜ幻獣の俺たちと会話ができる』

 黒竜のくような視線にあてられたミコは、思わずひっ! と短く声を上げた。

(し、しっかりしないと!)

 ミコはむなもとを押さえて、恐怖で暴れる心臓をなだめた。落ち着け落ち着けと、しつこいくらい自分に言い聞かせる。

「……わ、わたしは、ミコといいまして、異世界からの召喚聖女でひゅ」

 正直にしんこくしたものの、舌がもつれてんだ。いくら恐いからって、このじょうきょう下でまらなすぎる!

『異世界からの召喚聖女だと……?』

「は、い。わたしの能力は、《異類通訳》でして……ことだまなしで、常にあらゆる生き物と会話ができるんです……」

 ミコのおっかなびっくりの説明を聞いた黒竜はすうしゅんののちに――

『……人間に用はない、去れ』

 黒竜のたんてきな言は氷片のごとく冷たい。まなざしははなすように厳しいものだ。

 呼吸がはばかられるほど、周囲の空気が重く感じる。

(っ、もう、無理!)

「す、すみせんでした! 今日は失礼します!」

 黒竜めがけて言い投げると、ミコは一目散に走り出した。

 ねぐらを出ても、おそれをなす身体からだの震えは一向に収まってくれない。

(……何かをされたわけじゃないけど……)

 それでも、の念を起こさせる竜にきょぜつを突きつけられれば、さすがに平常心を保つのは無理だ。

 一度退いて、交渉相手が竜だときちんとにんしきした上で、改めてかくを決めて仕切り直さなければならない。

 本音ではもう関わりたくないけれど――

(帰還のために、投げ出すことはできないから)

 ミコは自分の心を必死に𠮟しっしながら、がむしゃらに足を動かした。

関連書籍

  • お試しで喚ばれた聖女なのに最強竜に気に入られてしまいました。

    お試しで喚ばれた聖女なのに最強竜に気に入られてしまいました。

    かわせ 秋/三月 リヒト

    BookWalkerで購入する
  • 秘密の姫君はじゃじゃ馬につき

    秘密の姫君はじゃじゃ馬につき

    かわせ 秋/種村有菜

    BookWalkerで購入する
Close